心通じること、生きること。
谷川俊太郎さんの「いきる」はあまりにも有名で、教科書にも掲載され教材になっています。
特に合唱にたずさわる方には、この「いきる」や他の谷川俊太郎さんの作品はお馴染みだと思います。
私の蔵書(そんな立派なわけではありませんが‥)にも、谷川俊太郎さんの「いきる」があります。
「いきる」を筆頭に、それを職業とするわけでない様々な人の思いが綴られています。
学生の頃、この「いきる」が教材として使用された時、とても退屈極まりないものでした。
今よりさらに未熟な感受性では理解ができませんでした。
少し齢を重ね、日常が連続ではない事。
諸行無常のわずか一旦でも知る事。
そうして様々な物事の捉え方は「いきる」がまったく理解できない頃からは変化しました。
素敵な人との出逢い。
美しい音楽に感動する事。
美味しいものを食べて、しあわせな気持ちになる事。
哀しい事も相変わらずやっぱりありますが、人生が豊かになったと感じています。
「君の膵臓をたべたい」
この書籍を購入して読んだ後、アスペルガーの二男に読むように勧めました。
通学時、電車の中で読んだそうですが、本人は今ひとつピンとこなかった模様です。
それは私が谷川俊太郎さんの「いきる」を初めて読んだ時の私と、あまり変わりがないのでしょう。
読後に書評をいくつか読みましたが、酷評が随分とありました。
ごもっともな指摘も大変多く、楽しんで読む事が出来た私は改めて未熟さを認識しました。
でも、得かなと‥思います。
私はハッとさせられました。
というか、言葉を得たと思いました。
「生きるってのはね」
「……………」
「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」
……ああ、そうか。
僕はそれに気づいて、鳥肌が立った。
彼女の存在そのものと言える言葉が、視線や声、彼女の意思の熱、命の振動となって、僕の魂を揺らした気がした。
「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。それが、生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。そうして形成された私は、今、生きてる。まだ、ここに生きてる。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに」
君の膵臓をたべたい / 住野よる
谷川俊太郎さんの「いきる」にもある、どこか普遍的な事を感じるのです。
人が生きることの普遍的な事を感じるのです。
この原作が映画化された事を後に知りました。
Amazonプライム・ビデオの見たい候補に入れておきましたが、先日他の書籍を買いにTSUTAYAに立ち寄った際に、DVDをレンタルして見ました。
原作を損なわない素晴らしい出来で、付け加えられたストーリーもとてもよかったです。
先ほど引用した言葉も映画の中で使われています。
この主人公を演じる浜辺美波さんがとても可愛い。
若ければ夢中になってしまったでしょう。
すっかりファンになりましたが‥。
引用した言葉も劇中に台詞で彼女が話します。
それは本当に名シーンです。
この小説にもう一つ、私がとても印象に残る言葉があります。
「違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」
君の膵臓をたべたい / 住野よる
人生は肯定的に捉えられる事ばかりではないけれど、すぐには出来なくても、どこかで自分を肯定できる日が来る事。
それが、その後をしあわせに生きること事が出来る近道じゃないか‥と思います。
タイトルにかけた構成もシビれました。
この映画の最後にMr.Childrenのhimawariが流れます。
先日、街で同じMr.Childrenの「つよがり」が流れていました。
フト思い出し、帰宅した後に家で聴きました。
これが主題歌でもよかったかな‥なんて思いました。
原作も映画もとてもよかった。
とても得した気分でした。



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