枯野を美しい沃野に
ビジネスに限らずですが、互いに利害が一致するところを見出す事が出来ない事は多々あります。
多々ありますが、気持ちが入っている案件ほど、上手に行かないとガッカリするものですよね。
そんな事は…日々あります。
芥川龍之介の「枯野抄」を読んだのは高校生の頃。
その内容の凄絶さに、心がうすら寒くなった記憶があります。
人の利己的な部分をこれでもかとあぶり出しながら、「でも、それはいつかの自分かもよ…」と言われている様な気がするのです。
それは間違いなく自分の心の中にある、利己的な部分と共鳴するからだと思います。
私にはホラー小説より怖かったのです。
テレビ番組でよくありますが、ゴールを想定して番組を作る作り方が見ていられないと最近思います。
例えば、その人の死が、遠くないところにあると感じられる時。
後から、この時はとても笑っていましたとか、元気でしたとか、あの日が転機となりました。
…その後の追悼番組の為に、その為に撮影しているのではないかと感じる事がある時。
まさに枯野抄に登場する、その人の様に。
そう感じる私の心が枯野なのでしょうか。
健康を失ってみて、初めて健康の大切さに気づくように…。
大切な人を失って、その人がいかに大切な人であったかを想像以上に思い知る事があるように…。
自分が傷つき、初めて人の哀しみを理解出来たり…。
我々はその当事者にならなければ理解が出来ない事が多々あります。
人の哀しみを、業の深さを思います。
しかし、ゴールを想定作られたその番組を見て、その人の人生をわずかに垣間見て、心が激しく動く事があります。
哀しみが、心に響く事があります。
その反対に、不撓不屈の魂に、心揺さぶられる事があります。
特にビジネスで困難な場面に遭遇して、苦しい時に。
1974年10月30日。
ザイール共和国でのモハメド・アリとジョージ・フォアマンの対決。
キンシャサの奇跡を。
勝利を最後まであきらめない事。
どこかで、取り返しができる事を思う。
モハメド・アリはその時が来るまで、ジョージ・フォアマンの強烈なパンチに耐え、その時を待っていたのだから。
下馬評ではジョージ・フォアマンの圧倒。
ブランクもあり、当時ピークを過ぎたとの評価のモハメド・アリ。
観客はモハメド・アリの負けっぷりを観戦するようなもの…なんて言われていたそうです。
モハメド・アリは諦めなかった。
ジョージ・フォアマンのパンチに耐えながら、その時を待った。
そして勝利した。
1996年アトランタオリンピックの最終聖火ランナーに、病身ながら登場しました。
震える腕で聖火を持っていました。
震えながら立っていました。
あの姿を見た時、彼の言葉「Impossible Is Nothing(不可能な事はない)」を改めて思い出しました。
大好きなバンドのSUM41。
しばらく新作アルバムは発売されず、昨年6年ぶりのアルバムが発売されました。
ヴォーカルのデリック・ウィブリー(Deryck Whibley)は離婚やアルコール中毒に苦しみ、死の直前まで行きました。
相次ぐメンバーの脱退。
しかし、献身的に支えてくれた今の奥さんに、たくさんの先輩に、励まされ見事に復活しました。
そして、仲間も帰ってきたのです。
新作アルバム「13Voices」は、まるで復活の狼煙…ん、叫びかな。
どの楽曲もその復活のエネルギーが満ちていると感じるのです。
最近は気分を盛り上げる時に、よく聴きます。
通勤電車で毎日聴いています。
人生はわからない。
大逆転もあるのだ。
座礁した案件も、あきらめない。
可能性を探る事をやめない。
様々な人の人生から、その生き様に、勇気づけられます。




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