木々の成長から感じる余韻
引っ越しをしてから、今の楽しみが庭つくり。
今般はオーナーさんが、庭の木を切り倒しても、新しく植えても好きにして下さいとの事。
いろいろと考えています。
現在は約2年空家だった事もあり、すごい雑草と庭木は荒れています。
入居前にひと通り剪定と除草してもらったのですが、それは表面だけ。
雑草の根は広く強く広範囲で、春になったら一斉に出てきそうです。
そんなで今、ゴボウみたいな根っこと格闘しています。
ここにシマネトリコ。
そこにはヤマボウシ。
向こう側にはライラック。
玄関までの階段にはモッコウバラ。
和室から見える庭にはイロハモミジかな。
図書館から庭つくりの本を複数借りてきて研究しています。
完成図を想像するのが楽しいです。
これから、それぞれの木々が成長し、様々な姿になって行く事が楽しみです。
こういう気持ちを持てる様になったのは、何時頃からだろうと思います。
子供の頃は実家の庭の草むしりだけで、ブーブー言いながらやっていました。
のび太君に負けないぐらい、ブーブー言いながらです。
そんな時に、いつもなら待ち合わせしなくても自然と集まる友達が、私が来ないので家まで迎えに来ます。
「野球やろうぜ」
「今、行けねぇよ
」
「いつ頃なら来れる?」
「わかんない
」
「ちぇっ
」
…ヒーッ、俺だって草むしりなんて嫌だよ
。
私にはドラえもんはいません。
映画も、テレビも、即物的な事が増えました。
自分の感性ではなく、例えばジェットコースターがそうですが、乗れば全てわかる…そいうものです。
刺激が瞬時に刺さります。
映画はわかりやすくなりました。
以前は、結末をいちいち説明したり、あえて表現する事なく終わる映画が多数ありました。
特にヨーロッパの映画はそう感じていました。
ここから先は、見ていたあなたの自由な創造で結末を感じて下さい…てな具合です。
ハリウッドの映画はやっぱり、スッキリするストーリーが多いと思います。
勧善懲悪、ハッピーエンドにしあわせのへの予感。
これはこれで大好きです。
デートでは、辛気臭い映画は後の予定がつまらなくなります。
30年近く前ですが「汚れなき悪戯」という映画を深夜のテレビで見た事があります。
ストーリーはウィキペディアを参照した下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9A%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%82%AA%E6%88%AF
この映画の結末は、子供がしあわせだったのか、そうではなかったのかと評論しているのを書籍で読んだ記憶があります(書籍名は思い出せません)。
当時私は、しあわせだと思ったのです。
しかし、今は自分にも子供がいるので、その時と同じ気持ちだろうかと問えば、その時とは違います。
庭つくりは、時間が必要です。
木々は半年で2年分成長は出来ません。
それを楽しみに、待てるようになったのだと思います。
生物の宿命で行けば、日々死に近づいており、時間は貴重になります。
一見、時間の浪費と思える、木々の成長する時間が楽しみになるのです。
元々日本人は俳句にしても、庭つくりにしても、自分と違う誰かが、様々な思いを持つように表現する事が得意だったと思います。
俳句。
小説の行間を読む。
庭の形。
厳しい制限の中で、様々な思いを込めた表現をする手法を持っています。
少年の頃は草野球の結果が大事。
思いっきり遊んで、腹が減って疲れて眠る。
また、即物的な楽しみも知り、楽しいという事を誰かと共有する。
この事が大事だと思います。
でも、例えばふと聴いた音楽が心の断片とつながり、ジワジワと心にしみてくる。
記憶の断片に心が揺れ動く。
俳句や小説の行間に庭の形に心が動く。
そんな気持ちにも気づくようになる。
即物的な事の反対を、余韻を知るとするならば、そういう気持ちが歳と共に醸成されるのでしょうか。
人は変わるのですね。
荒野の様な庭が、美しくなって行くと信じています。
いろいろな事と同じですね。
とても楽しみです。
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