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誰かが、どこかで。

先週末、駅近くの交差点で見た光景です。
女子中学生が二人。
一人はしゃくりあげる様に泣いており、もう一人がその子の肩を叩きながら慰めています。

学校指定のジャージと思しき姿。
部活の試合でミスをし、それが結果につながってしまったのかな…なんて想像をさせます。
たまらない感情が込み上げてきて、人前で思いきり泣けるのは若い人の特権ですね。
それにもまして、そんな泣いている自分を慰めてくれる人がいる。
それも、たまらなく素敵な事だと思います。

たまたま、とある事件で補導された少年の周辺を特集する番組を見ました。
その映像の中に、その少年と家族が喧嘩をする場面がありました。

その少年は「自分からパソコンを取ったら、何も残らない」と叫んでいました。
自分が行う行動が、ネットで配信され、周辺から評価される。
期待もされる。
その事がたまらなく嬉しくて、期待に応えようと、その内容はより刺激的になって行く。
これがなければ、だれも私を見てくれない。
気にかけてくれない。

誰かに期待される喜び。
それと反対に自分なんか生きていても、何の役にも立たない。
そんな絶望はたまらなく哀しい事です。

「自分からパソコンを取ったら、何も残らない」

とても哀しい叫びに聞こえます。
こんな哀しい叫びはないと、思います。

自分が生きている価値とか、何の役に立つなんて、とても簡単に示されることではありません。
そんな事を求めたり、考える事で傷つく事すらあります。

でも、このたまらない孤独の先に、本当の自分と出会う扉があると思うのです。
この世界で自分はひとりぼっちだと感じる時、初めて自分を自分と認識する瞬間があり、他の人の存在を認識する瞬間が訪れる。
そこから誰かを愛する心、本当に愛されたいと思う心が生まれるのではないでしょうか。

孤立と孤独は異なります。
仕事で、学校で、人が集まる様々な場所で意見の対立があります。
その際に、自身の考えが説明不足や利害の対立で理解を得る事が出来ず、孤立する事はしばしばです。
繰り返す議論の先に、相互の理解や妥協点が見つかる事があります。
でも、孤立もさびしいですね。

自分の心に嘘をつく事は、やっぱり苦しい事です。
いつもいつも自分の心を殺していては、息苦しくなります。
孤立を恐れて、多くの人の中で、自分の心を殺して息をひそめる。
そこにこそ、多くの人が周辺にいるにもかかわらず、とてつもない孤独を感じる。
誰にでもあったのではないでしょうか。

孤独を感じる。
そんな時に自分を再度見つめ、本当の自分、本当の自分の気持ちと出会う。
初めて自分を自分と認識する瞬間があり、他の人の存在を認識する瞬間が訪れる。
全ての哀しみが、孤独から来る絶望であるならば、その原罪である孤独を知る人は、どれだけ強く、そしてやさしいでしょう。

泣いている彼女の傍らで、慰めてくれる人がいる。
哀しみを分かち合おうとしてくれる人がいる。
誰かがそばにいてくれる。

ひとりじゃない。
どれだけ勇気が湧いてくる事でしょうか。

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