書籍・雑誌

2026年4月24日 (金)

記憶の底に隠した一冊 ―『呪いの館』と『ミルキーウェイ』―

Akatsuki231

小学生の頃、心霊写真やオカルトは大ブームでした。
友達が学校に持ってきた心霊写真の本を、みんなで囲んで見ては「怖いー」と騒ぐ。
そんな光景が日常でした。
けれど私は、心のどこかで「なんでこんな本を買うんだろう」「家に置いておきたくないな」とも思っていたのです。

夏休みになると、お昼の番組で放送されていた「あなたの知らない世界」も話題でした。
そんなオカルト全盛期に、クラスのほとんどが貸し借りして読んでいたのが、楳図かずお先生の『呪いの館』です。

これはオカルトなのですが、どこか人間臭く、すぐ隣にある日常の延長のような感覚がありました。
純粋な「あの世」の話ではなかったからかもしれません。
内容は確かに怖い。
設定もさることながら、何より「人間の所業」であることが恐ろしいのです。
当時は、その恐怖の正体が「人間の業」であるとは区別できず、醜い姿をした主人公に恐怖が集約されているのだと思っていました。

しかし、物語の終盤で主人公は自らの悪行を告白し、許しを請います。
自分の弱さを認め、ただ「誰かに大切にされ、愛されたかった」と吐露する。
単なるホラーで終わらない展開は、小学生の私には衝撃的でした。
自らの行為を悔い、最後に許しを乞うその姿は、それまでの勧善懲悪の物語では出会ったことのないものだったからです。

…もちろん、その本も家には置きませんでした。
当時の私は、そんな本を所有したいとは思いもしなかったのです。

さて、小学生の頃は「男女の区別」が時として大きな壁になります。
少女漫画を読んで「面白かった」なんて、口が裂けても言えないお年頃。
当時、絶大な人気を誇っていた『週刊少年ジャンプ』が私も大好きでした。

その一方で、幼い妹の横で一緒に観ていたテレビアニメ『キャンディ・キャンディ』にも、大河ドラマのような重厚さを感じ、密かに惹きつけられていました。

そんな環境で出会った、太刀掛秀子先生の『ミルキーウェイ』。これもまた衝撃でした。
平穏な環境で育った私にとって、『ミルキーウェイ』は『呪いの館』と設定こそ違えど、ヒロインが抱える「孤独」が切実に伝わってきたのです。
それはおそらく、これまでにない内面的な初体験でした。
しかし、やはり「少女漫画を読みました」とは絶対に言えず…。

結局、当時は買うことができず、大学生になってから古書店で見つけて手に入れました。
あの本は今、実家のどこかに隠れているかもしれません。

私の記憶と同じように。

2025年1月29日 (水)

自身から湧き上がる思いを、外に形とするべく表現へ挑戦する。

Akatsuki216

先日、「社交する人間 ホモ・ソシアビリス」を読了しました。
かなり前に購入をしており、他の小説などに誘われ、その難しい内容から意識せず敬遠をしていました。
デスクに置きっぱなしで、少し本が焼けていた事から、その積読の時間を感じました。

私には論文を読んでいる様な難しさがありました。
前段の意味を理解していないと、その次の段になって、もう一度前に戻ってを繰り返します
私はお風呂で読書をするのが好きですが、ある日は1日の疲れもあってか、1ページも進まないなんて事がありました。
チャポーン…少し本を湯船につけた事もありました。

理解できる範囲は、自分なりに至極納得をしました。

特に芸術家の表現に関する事。
芸術家は自らの身体の奥底から湧き上がる勘定を表現するが、いつも自分の思いが整理されているのではない。
制作に取り組む事で、それが形を得て行く過程があり、芸術家自身もその着地点を予めわかっていない。

やがて彼は自分が本当は何を表現したかったのか、いいかえれば何を真に感じていたかに気づくことになるが、そのときにはすでに表現は彼の外部に作品として完成している。
要するに、芸術表現とは内面にあるものを外にだす行為ではなく、逆に外に形を造ることで、それい応じて内面を形成して行く行為なのである。
明らかにここでは、まず行動の過程が先にあって、目的はそのなかで後からつくられると見るほかはないだろう。

社交する人間 ホモ・ソシアビリス / 山崎正和

先日見た映画「海の挽歌」に、自ら描いた絵画が求めいていた結果(表現)と異なり否定する場面があります。
自身から湧き上がる思いを、外に形とするべく表現へ挑戦するが、それが的確に自分の思いを、的確に捉えていない。
自らの思いに近づけない。

こういう事がある事は芸術が生まれる過程を、前述の様に解説というか説いてくれます。

X JAPANのArt OF Lifeのライナーノーツに、Yoshikiが同楽曲を表現して過去のものにしたいという言葉があったと思います。
様々な感情との折り合いは、その表現をする人によって違います。
しかし、表現をするという、人が洞穴の中で壁画を描いていた時から続く、表現したいという全ての思いに通ずる事ですね。

2024年10月 7日 (月)

孤独は大勢の人のなかでこそ、際立って感じる事がある。

Akatsuki211

孤独はひとりで感じる事も勿論だが、大勢の中でこそ、その思いが際立つ事がありますよね。

【ご注意】原田マハさんの「リボルバー」のストーリーに関する記述があります。

ゴッホを支援する弟のテオに子供が生まれ、家族が増える。
テオは妻と守るべき子供が増える。
そのテオの様子に、ゴッホは感じる。

自分はテオの様な幸せは一生つかめない。
自分は何も力になる事が出来ない。
自分は何も貢献できる事がない。

それどころか、迷惑をかけてばかり。

自分の居場所がない。
自分の存在価値がない。

人と人の間でこそ、感じる孤独だと思います。
そこから感じる絶望は、想像が出来ません。

小説「リボルバー」には、ゴッホの思いが自らの告白でなく、ゴッホを取り巻く人々から描かれます。

光と影。
物語中の象徴的な「ひまわり」

ゴーギャンに愛された人が、誰かに愛された、誰かを愛した。
その時の自分の気持ちと誇りで生きてゆく。
これもまた光と影。

誰もが感じた事のある記憶と思い。
ここに、自分の居場所はない…そう感じる時のさびしさ。

自らが生み出した芸術が、誰かを勇気づける、生きるエネルギーになる。
そんな事を感じる事なく、深い孤独の闇に沈んでゆく、その思いは辛すぎる。

多くの人の孤独を癒し、多くの人の思いを昇華させる。
その生きざまも、今多くの人を勇気づけている事も知らずに。

昨日、夜の新宿駅の混雑を歩きながら、小説「リボルバー」の事を思い出しました。

2023年10月31日 (火)

彼の本当の哀しみをわかっていたのは、あの人だったかもしれない。

Akatsuki198

彼の本当の哀しみをわかっていたのは、あの人だったかもしれない。

三島由紀夫の小説「金閣寺」
読んだのはずいぶん前ですが、金閣寺に火をつける主人公が、精神的に追い込まれていく様は迫力でした。
迫力というより、怖い。
迫力でしたと書くのは、それが実際にあった事件である事を、当時は知らなかった事によります。
金閣寺が消失した事は知っていても、その背景は知らなかったのです。

先日、NHKのアナザーストーリーで、実際の金閣寺焼失の事件を取り扱っていました。
犯人の林養賢の生い立ち、実際の事件経過とその後の家族の事。
林養賢の人物像を語る、幼馴染や周辺の人々。
そして、林養賢の師としての、金閣寺住職の慈海の事。

金閣寺の再建に取りかかる慈海住職。
托鉢から始め、その姿に人々が動き出す。

林養賢は心を病み、病気でこの世を去ります。
この間、慈海住職は林養賢に差入を続けます。

林養賢が亡くなった後、事件後に投身自殺した林養賢の母親と共に戒名をつけ金額時で供養します。
放火焼失事件の事を聞かれても、「私の不徳です」と、それ以上の事は語りません。

苦しんでいた、林養賢のその哀しみを、金閣寺を放火焼失させるという事実まで、気づいてやる事が出来なかった。
その事実があって、初めて弟子であった林養賢の本当の哀しみと苦しみを知った。

彼の本当の哀しみをわかっていたのは、あの人だったかもしれない。

遠藤周作の「イエスの生涯」
この中、ユダの記述が多く書かれています。

ユダと言えば、裏切り者の象徴。
しかし、「イエスの生涯」の中では、イエスの弟子の中で、唯一師の本当の苦しみを理解していたのは、ユダだったとあります。

なぜ、嘲りを受け、誤解と裏切りの中で、イエスは死なねばならなかったのか。
その本当の理由を知ったユダは、生きてはいられなかった。

彼の本当の哀しみをわかっていたのは、あの人だったかもしれない。

人の世の、繰り返されるこの哀しみに終わりがあるのだろうか。
絶望しそうになる、その時、それを終わらそうとしているのも、この世の人である事。
その事に、勇気が湧いてきます。

*文中敬称略としております。

2023年10月 4日 (水)

現実と思い込み。

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ジャニーズ事務所の問題は、マスコミを連日にぎわせ、ニュース番組のトップになります。
同じ内容が繰り返され続け、少々食傷気味です。

ベストセラーになったファクトフルネス。
先日ブックオフで、同書がワンコイン(500円)で販売されていました。
良書なので、多くの人の目に触れるといいな…とその時思いました。

この第9章犯人捜し本能「誰かを責めれば物事は解決する」という思い込み…があります。
犯人捜し本能を抑えるには、誰かを責めても問題は解決しないと肝に銘じよう…とあります。

マスコミは、世界中で発生している不幸な状況を報道します。
マスコミの使命でもありますが、視聴者の関心をひくためにも、センセーショナルであったりします。
我々はそれを注視します。

自分の環境と比較して、恵まれている事を認識し、安堵します。
過酷な環境にある人々へ、憐憫の情を送ります。
私を含む人は、どうしても否定できない、そういうところがあります。

フジテレビのワイドナショーで、ダウンタウンの松本さんが言っていた事。
その後はどうなったのか。
それが、とても大切な事だと思う事があります。

人の不幸は蜜の味で、大きな変化の無い話は退屈な事柄なのかもしれません。
でも、それが思い込みを解消して行く大きなファクターなのだと、著者の意見に賛同するのです。

同書は豊富な図案とわかりやすい表現で、とても読みやすい本でした。
我々が陥りやすい事例が豊富で、誰でも思い当たる部分があるのではないか。

ネットニュースなど、センセーショナルなるで思い込みを誘発しやすい記事があふれています。
それを冷静に判断するとは、どういう事か。
とてもわかりやすいと感じたのです。

しかし、目前の厳しい現実に対し、世界は良く、良い方向に変化していますと理解するのは難しいです。
でも、事例は希望に変化する事がある。
約2年前に、新型コロナウィルスをただセンセーショナルに伝えるワイドショーを、冷静な目で見る事が養えるヒントがあります。

訳者さんのあとがきが、この本の性格を言い当てていると思います。

この本が世の中に残る一冊になるだろうと考える理由は、この本の教えが「世界の姿」だけではなく、「自分の姿」を見せてくれるからです。
知識不足で傲慢な自分、焦って間違った判断をしてしまう自分。
他人をステレオタイプにはめてしまう自分、誰かを責めたくなってしまう自分。
そんな自分に気づかせてくれ、少しだけ「待てよ、これは例の本能では?」とブレーキをかける役に立ってくれるのが、ファクトフルネスなのでしょう。

ファクトフルネス /  ハンス・ロスリング、 オーラロスリング、 アンナ・ロスリング・ロンランド
P340

2023年9月 8日 (金)

仲の良い夫婦は、顔が似てくる。

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私たち人間が、他の生物と異なるのは、それぞれ違う人同士でも物語を共有できるからだ。
目の前にある現実が、やがてこうなると理解し、その物語を信じていれば今だけでなく、これからを見据えて生きる事が出来る。
…と、ユヴァル・ノア・ハラリ氏のホモデウスに書かれていたと思います。
引用ではなく、私の理解の範囲であり、一部分の要約です。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著作は、いつも新鮮な驚きや新しい発見や理解があります。
読み進めるのに時間が必要ですが、好んで読んでいます。

じつを言うと、経験する自己と物語る自己は、完全に別個の存在ではなく、緊密に絡み合っている。
物語る自己は、重要な(ただし、唯一のというわけではない)原材料として私たちの経験使って物語を創造する。
するとそうした物語が、経験する自己が実際に何を感じるかを決める。
私たちは、断食月の間に断食するときと、健康診断のために食事を抜くときと、お金がなくて食べられないときとでは、空腹の経験の仕方が違う。
物語る自己によって空腹の原因として挙げられた意味次第で、実際の経験も大幅に違ってくるのだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ / ホモ・デウス(下巻)

こちらは引用です。

新・ドキュメント太平洋戦争は、その時代を生きた方々のエゴドキュメント(その時代を生きた人々の日記や手記)を時間軸として構成されています。
世間で起きた事象を、前述の引用の通り、そのおかれた環境下で異なっています。
経験から物語が作られますが、その物語は同じものがありません。

こうして書いているブログも、2023年の…なんて、個人の所感から検証され、構成される日が来るのでしょうか。
デジタルの記録は、その時代より多くの証言や所感をまとめられる事と思います。
発言が容易であり、誰の言葉かわからない。

人と人が理解しあうのは、大変な事だと、こういう論拠からも思います。
国が違い、文化が違う事からは勿論、言葉が違う事も、理解のための障壁となります。

仲の良い夫婦は、顔が似てくると言います。
同じものを見て、同じように笑い、哀しみ、喜ぶ。
共通の出来事が増える事によって、価値観が同じに近づいて行きます。
それを別の表現で、顔が似てくるというのでしょう。

夫婦に限らないと思います。

恋人同士が別々の場所から、空を見上げて同じ月を見て「きれいだね」と言えるのはわずかな時間です。
互いに理解しあうのは、時として傷つく事があり、気づく事があり、その先なのだと思います。
これは、なかなかシンドイ作業です。
なぜなら、誰も傷つく事など、望んでいませんものね。

2023年9月 1日 (金)

全ての原罪は「孤独」なのか。

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流浪の月を読んだとき、傷ついた者が同士が引き寄せあう、その物語に引き込まれました。
誰も悪い人はいないのに、それぞれが持つ癒えない傷跡が、更に傷口を痛めて行く。
その事に、とても強い感情を持ちながら、読み進んだことを覚えています。

こういう思いを抱きながら、生きて行く事。
共感も理解もされない。
でも、食べて眠り、朝が来て、また生きてゆかねばならない。

「もう、嫌なんだ」と物語の中にある言葉に、様々な思いが凝縮している。
苦しい気持ちになりました。

全ての原罪は「孤独」なのか。

どうせ、誰も自分を理解してくれない。
その孤独からくる、絶望。

安らげる場所はなく、流浪する。
ひとりではない。
それが、救いなのか。

15歳で1人で生きる決意、本屋大賞の作家・凪良ゆうさんを絶望から救った「物語」(読売新聞オンライン)- Yahoo!ニュース

 

2023年8月31日 (木)

Second best is never enough(2番目に満足してはダメ)。

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桜木紫乃さんの小説「蛇行する月」は、物語が縦軸と、それを貫く横軸というか、横断的に進む物語に魅せられます。
同じ高校の図書部だった6人の女性を、それからの人生を縦軸に、6人の関係性を横軸に進みます。
そして、その流れの中で、合流する人、関わる人、支流へと別れて行く人が6つの流れの中に絡んできます。

誰しも、自分の決断や判断を否定する事は、好まないと思います。
その決断や判断に、後悔や迷いが生じる事があっても、今を肯定する事に考えます。
そうでなければ、やってられない事も多々あります。

どちらかというと、男性の方がグズグズ考える事が多いと思います。
ろくでもない男と付き合っている女性に、あんなクズ見限った方がいいと言っても、自分が惚れた人の事を容易に否定しないです。
しかし、腹くくって見限ったら最後、その前と後では人が違います。

そんな事に気づかないのは、男の方。
あぐらをかいて、調子にのっていれば、気づけばひとりです。
取り返しはつきません。

Madonnaの楽曲「Express Yourself」にある歌詞。
アルバム「Like a Prayer」懐かしい。
発売当時、バリバリのヘヴィメタル野郎でしたが、これは刺激的でした。

先日、小林克也さんのラジオ番組「Music Machine GO! GO!☆」でオンエアされていました。

Second best is never enough
You'll do much better baby on your own

Madonna / Express Yourself

2番で満足するな
それなら、ひとりでいる方がいい

怪しい和訳/ケンシロウ

恋愛にポールポジションはあっても、セカンドポジションはありません。

2023年5月31日 (水)

朝井リョウさんの「どうしても生きる」で、どうしても生きる。

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美保純さんが以前にインタビューを受けて、なぜか記憶に残っている事があります。
ご本人曰く「幸せが続くと、この先に悪い事が待っているのではないかと思う」。
若い頃の話なので、漠然とした思いの中から、その答えになっていたと思います。
テレビ番組でしたが、その言葉だけが印象に残り、他は何も覚えていません。

おそらく、中二病も冷めやらぬ頃の私で、私はそれを退け、自らしあわせを引き寄せる。
そんな事を考えていた時期だったと思います。
こう書くと、まだ気持ちにあまり変化なく、中二病は治癒していないと思います。

先日、自宅で本を買い込み、積読場所を作っている時に、朝井リョウさんの「どうしても生きる」をたまたま手に取りました。
少しパラパラと。

この本を読んだ時にも、前述の美保純さんの言葉を思い出したのです。

しあわせな事が続くと、何か悪い事が起こるのではないか…。
いいと思っている、順風だと思っている。
そのすぐ近くに、落とし穴がある。
それも、穴に落ちるまで、その大きさすら認識出来ないサイズ。
そして、その落とし穴に落ちて、自ら気づく事がある。

学生時代の物語の映画なのに、「かそけきサンカヨウ」の中にも、真正面から描かれていた事。
生きている、その人間社会の中でその環境、成功や優劣がここでも、顔を出す。
それが、誰の心の中にもある思いの欠片を必ず見つけ出し、自分を含む誰もが他人ごとではない事を思い知らされる。

人に大きな差異があるのではなく、誰もが平均台を歩きながら、どちら側にでも落ちてしまう事を示唆する。
そなったら、あなたならどうする?
誰もが心の中にある欠片が、突如として存在感を増し始める。

それでも、生きてゆく。
その欠片が心の中で暴れて傷ついても、そんな自分を許して、許容して、生きてゆく。

著作のタイトル「どうしても生きる」に、読了後にそんな事を思いました。
こうして、ひとつづつ手に取ると、記憶が呼び覚まされ処分が出来なくなります。
もう一度、読んでみようかな。
その前に、未読を先に。

夜は更けてゆく。

2023年3月13日 (月)

終点、終わりだと思っていた場所は、実は始まりの出発点だった。

Akatsuki157

捉え方で、他の視点を示してくれる事が、誰かの言葉や小説などの物語であります。

原田マハさんの小説に「生きるぼくら」に、こんな言葉があります。

いろいろショックがあるのはわかる。
わかるけど、うつむくのはいま、この瞬間で終わりにしないさい。
まず、とにかく顔を上げなさい。

原田マハ / 生きるぼくら

今、目の前にある事。
おこった事。
これは、どうにも変える事が出来ない。
でも、これからの事、これからどうするのかは、選択し進んでゆく事が可能になる。

そう思えたのなら、あとは動き出すだけです。
まず、とにかく顔を上げなきゃ。
これからの事は、これからどうするのかを、選択し進んでゆく事は可能なのだから。

新宿駅は小田急線も、京王線も、西武線も終点です。
例えば、これ都心に通勤するなら、終点の乗換駅。

しかし、帰り道は始発駅となります。

桜木紫乃さんの小説のタイトルは「起終点駅(ターミナル)」。
文字通り、終点であり、出発点でもあります。

物語は、今と過去がつながる物語です。
流れ着いたと思った最果ての地(終点)は、出発点であった。
最果ての地(終点)は、出発(起点)の地であり、未来を思う地点であった。
どちらにもとれるその意味は、起終点駅ならではですね。

終点、終わりだと思っていた場所は、実は始まりの出発点だった。
なんか、新しい希望が湧き上がってくる、そんな感じがしませんか。

起終点駅(ターミナル)