映画・テレビ

2025年9月29日 (月)

映画「きみはいい子」、痛ましいニュースから考える「誰かを救う力」の事。

Akatsuki224

先日、胸が締め付けられるような痛ましいニュースが報道されました。
わずか2歳の幼い命が、親からの虐待によって奪われたという出来事です。
痩せ細った身体、治療されることのないまま傷つけられた骨折の痕。

その絶望は、想像するに余りあります。

亡くなった女の子にはお兄さんがいたそうです。
彼が背負うことになった心の傷は、どれほど深く、容易には癒えないだろうと考えると、言葉を失います。

世界を救えなくても、「誰か」は救える
そんな時、ふと頭に浮かんだのが、中脇初枝さんの小説、そして映画化された作品「きみはいい子」です。

私は映画を先に観て、その後に原作を読みましたが、どちらも素晴らしかった。
作品が問いかけるのは、虐待や育児放棄という現実の厳しさ、そして、それにどう向き合うかという、「優しさの連鎖」というテーマです。

物語を通して描かれるのは、「子供に優しくすることで、その子供もまた誰かに優しくする。やがて、世界はやさしさで満たされる」という希望です。

もちろん、これは夢物語のように聞こえるかもしれません。
しかし、映画のCMに使われた「世界を救うことはできなくても、誰かを救うことはできる」という言葉には、単純でありながらも底知れぬ深さがあります。

底知れぬ深さを持つ、小さな優しさ
私たちは皆、世界中の悲劇を止めることはできません。
大きな社会システムや構造を変えることは、非常に困難です。

しかし、目の前にいる「誰か」に、優しく声をかけること、温かい手を差し伸べること、話を聞いてあげることはできます。

「誰か」を救うという、手の届く範囲の希望。
この個人的な行為の積み重ねこそが、絶望に満ちた世界に光を灯し、痛ましい連鎖を断ち切る唯一の方法ではないでしょうか。

今、私たち世界中の人に求められているのは、この単純だけど奥の深い、「誰かを救う力」なのかもしれません。

*映画『きみはいい子』予告編

映画の雰囲気に触れてみたい方は、ぜひ予告編をご覧ください。
映画「きみはいい子」予告編

2025年9月22日 (月)

分断される人と人の関係に、寛容の心。

Akatsuki224

電車の広告。
配信ドラマのの広告が掲示されていました。

内容は観ていないので、わかりません。
しかし、広告は一目見ると、誰が悪役で誰がヒーローなのかわかる構図です。
いい人悪い人が、一目でわかります。
ヒーローと悪役がはっきり分かれていたあの頃が、懐かしく感じることはあります。

子供の頃、ウルトラマンを始めヒーローの勧善懲悪な構成はわかりやすかったです。
その物語が一番満足をしていました。
きっと、安心していました。

でも、その物語の中にもジャミラやシーボーズの様に、怪獣側に事情がある物語もありました。
それは、幼いながらにも心が激しく動いた思いが残っています。

人と人の関係は、複雑な事情がたくさんあると思います。
育ってきた環境や今の立場、そして責任や日々の思い。
例えば、その思いを一色で示してください…と言われても誰もが表現出来ないと思います。

陰謀論に始まり、主義主張に他人と自分を区別する材料は多くあります。
昨今は互いに興味を持つ場面があっても、その信条に異なる場面がわずかにあれば、反目する関係としてしまう事があると感じます。
単一の事が、その人すべてを判断する材料となってしまいます。
その人の今を構成する要素は、ただ一つではない事は理解もされないし、許容もされない事となります。

今見えること、その他のわずかな事が判断の全てとなり、◯か✕、許容か拒否か、好きか嫌いかなど、二者択一の判断に落とし込まれていまします。
配信ドラマの広告に同じく、わかりやすい事は一面安心であり、理解をしやすく、苦しむ事が少なくなると思います。
しかし、そのわかりやすさは、その人のすべての背景を無視し、わずかな違いで互いを拒絶する分断を生んでいないだろうかと考えるのです。
ジャミラやシーホース、鬼滅の刃の鬼(例えば妓夫太郎と堕姫の兄妹の様に)が、鬼にならくてはならなかった事情など、人には表に現れない多様な事があります。
伊集院静さんは、誰もが人には言えない事情を抱えて生きていると話していた事が印象に残っています。

大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」は、多感な時期に観た事が影響しているかもしれません。
家庭用のビデオデッキが普及し、最初に購入したのはこの映画のビデオでした。
その映画の中で、小林稔侍さんが演じる父親が、息子役の尾美としのりさんに向けでこう語るシーンがあります。

人を好きになれ。
その人のいいところも、嫌なところも、すべて好きになれ。
全部を好きになれ。

私が観ている隣で、おふくろがいつしか観ていました。
観終わった後、この映画の中心はそのシーンだと、自分の感想を言っていたことを覚えています。

世界中で、たったひとつ事で分断し、違いを認める心の許容が生まれない事は、最後は自分を苦しめる事になると思うのです。
安易な二者択一に陥ることなく、相手の持つ多様な側面を受け入れること。
それが、真の意味で自分を自由にし、苦しみから解放してくれるのではないかと考えるのです。
分断した相手をやり込めれば、それは自らが正しい事の証明となり、勝ち誇る気持ちになるかもしれないです。
でも、人は多くの要素と背景を持ち、絶対だと思っていた事が、脆く壊れやすい事を知っています。
その事に、その思いに蓋をし、見ないことにする。
それが、いちばん苦しい事である事も知っていると思います。

本当の自由は、いつでも真実を求められる心にあると思うのです。

2025年6月 9日 (月)

人間ドラマと音楽の融合!ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番と映画「25年目の弦楽四重奏」、そして200年前の「ヘヴィメタル」

Akatsuki220

音楽は人間が作るものであり、それはまさに人間ドラマ。
そんな事を思う映画があります。
映画「25年目の弦楽四重奏」はとても印象に残っている映画です。

この映画は、長年活動を共にしてきた世界的に有名な弦楽四重奏団「フーガ」に、チェリストのピーター(クリストファー・ウォーケン)がパーキンソン病を患い引退を宣言するという衝撃的な出来事が起きることから物語が展開します。
この出来事をきっかけに、これまで完璧なハーモニーを奏でてきた彼らの人間関係に軋轢が生じ、隠されていたそれぞれの葛藤やエゴが露わになっていきます。

そして、彼らがこの記念すべき年に演奏曲として選んだのが、まさにベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番 作品131なのです。
この曲は、7つの楽章が休みなく演奏されるという特徴を持っています。
映画の中では、この曲の「途切れることなく続いていく」という性質が、四重奏団のメンバーの関係性や人生そのもののメタファーとして非常に効果的に使われています。

■なぜこの曲が映画のモチーフになったのか。

映画のテーマである「25年という長い年月を共に過ごし、様々な困難に直面しながらも、途切れることなく演奏を続けてきた四重奏団の絆と変化」と深く結びつけていると思います。
ピーターが病気により引退を余儀なくされることで、その「途切れない」という関係性に変化が訪れ、メンバーそれぞれが新たな「間」や「不協和音」に直面する様が描かれています。
絶対的な、カリスマ的なリーダーがいなくなると、様々な組織で少なからず発生する問題です。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番は深遠な内容と感情の揺れ動き、後期作品の中でも特に内省的で深遠、そして激しい感情の起伏が伴うと感じています。
それはまさに、映画の登場人物たちの複雑な心情や人間関係の葛藤と見事に呼応させています。
音楽に映画が呼応している…と言うべきでしょうか。
クリストファー・ウォーケン、フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナーといった実力派俳優たちが素晴らしい演技を見せており、音楽だけでなく、もう人間ドラマです。
この映画が、弦楽四重奏曲第14番が持つ多面的な魅力、そしてそれが人生や人間関係といかに深く結びつき得るかを改めて感じます。
作品の深淵と映画の人間のドラマがリンクすると思うのです。

■私には、このベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番は「ヘヴィメタル」です。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番は、その全体を通して激しさ、情熱、そして圧倒的なドラマ性に満ちています。
特に終楽章(第7楽章)は、その感覚はさらに強まります。
冒頭から休みなく続く力強いテーマ、目まぐるしく変化する複雑なパッセージ、そして一瞬たりとも気が抜けないような緊迫感は、ヘヴィメタルが持つ爆発的なエネルギーや、リスナーを惹き込むドラマティックな展開と同じです。

暗く重厚な響き、時に不協和音すれすれの激しい音のぶつかり合いは、ヘヴィメタルが持つダークでシリアスな雰囲気と重なる部分があります。
ベートーヴェンが19世紀初頭に生み出したこの音楽が、約200年後の現代において、全く異なるジャンルの音楽にまで繋がりを感じさせるというのは、彼の音楽がいかに普遍的で革新的であったかを示す証拠です。

特に第一ヴァイオリンと第二バイオリンが奏でる、まるで「ツイン・ギター」の様な衝撃。
この「ヘヴィメタル」感覚を特に強めます。
第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンの掛け合いです。

ヘヴィメタルにおけるツイン・ギターの役割。
二本のギターがユニゾンで強烈なリフを刻んだり、複雑なハーモニーを生み出したりすることで、楽曲に厚みと推進力を与えます。

ベートーヴェンの終楽章におけるヴァイオリンは、まさにこのツイン・ギターのような効果を発揮しています。
もちろん、ベートーヴェンの時代にヘヴィメタルは存在しませんが、彼の音楽が持つ革新性や力強さは、後の時代に生まれたヘヴィメタルというジャンルにさえ通じる…と私は感じています。

分厚い音圧と迫力。
時に両者が一体となって同じメロディやフレーズを演奏する場面は、単独のヴァイオリンでは出せないような圧倒的な音圧と迫力を生み出します。
まるでヘヴィメタルバンドが曲の核となるリフを分厚く演奏するかのようです。
そして、目まぐるしいパッセージや速いフレーズを交互に、あるいは同時に繰り出すことで、音楽全体に圧倒的な疾走感とアグレッシブさを与えます。
スラッシュメタルの速弾きや、テクニカルなリフの応酬を聴いているかのような感覚を覚えます。
ヴァイオリンが単なるメロディ楽器としてだけでなく、楽曲全体の推進力と構成を担う「エンジン」として機能している様は、ベートーヴェンの音楽の先見性を感じさせます。

もちろん、ベートーヴェンはヘヴィメタルというジャンルを知る由もありませんでした。
しかし、彼の音楽に宿る原始的な力強さ、感情の爆発、そして圧倒的な音楽体験は、ジャンルや時代を超えて、ヘヴィメタルが持つ精神性と深く通じ合っているのではないでしょうか。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番は、古典音楽の枠を超え、現代の音楽ファンにも新たな発見と興奮を与え続けるものです。
200年以上前の「ヘヴィメタル」です。

よく音楽番組で、クラッシックとヘヴィメタルの相関性は取り上げられます。
また、アーティストにも、その事を否定しない方は多くいます。

今日の通勤は勿論、この楽曲です。
演奏はAlban Berg Quartetです。

クラッシックなんて、弦楽四重奏曲なんて…と思っている方に是非。
映画を観てから、弦楽四重奏曲第14番を聴くのがお勧めです。
どうしてもという方には、第7楽章だけでも。
必ず大音量で、お聴きください。

あなたの音楽観が変わるかもしれません。

映画「25年目の弦楽四重奏」

2025年5月26日 (月)

「ひとりぼっち」が、誰かを救う光になる時。「夢の帰る場所」と、分かち合える孤独。

Akatsuki012


1994年玉置浩二さんが、本田美奈子さんと共演した単発ドラマ「夢の帰る場所」。
このドラマの事を時折思い出します。

ドラマのクライマックスで、劇中玉置浩二さんが演じるタクシードライバーが、本田美奈子さん演じるアイドル歌手に語ります。

「だから言ったろ。ジョンレノンが死んでから、みんなひとりぼっちだって…」

ジョン・レノンの死は、多くの人の心に、まるで置き去りにされたような、共通の寂しさを感じさせた事件だったのかもしれません。
その死は、ジョン・レノンが象徴していた平和や愛、連帯といったものが、突然失われたかのような衝撃を世界に与えました。
その喪失感から「みんなひとりぼっち」という感覚が生まれたのは、ある意味自然なことだったのかもしれません。

このセリフの後、マンションから投身自殺を図ります。

ベランダに立ちあがったその時、「違う!今感じているその孤独が多くの人を救う。
同じ思いをしている人で、共感してくれる人、あなたが苦しんだ事で、同じ思いの人を救えるんだ。
膝を抱えて、あなたが現れるのを待っている!」と思ったのです。

涙が止まりませんでした。

孤独を感じることは、辛い体験です。
渦中にあれば、その事以外を考える事、思う事はとても難しいです。
でも、その孤独を通して「同じ思いをしている人がいる」と気づき、「あなたの苦しみが誰かを救う力になる」という希望を見出すことができる。
でも、自分が知り得る以上の、孤独や哀しみを抱えた人がいます。
そんな事は、思い上がりだと思う日もあります。
でも、様々な場面で、フィクションである映画や小説の中でさえ、自らの思いを投影できる場面があります。

人が感じる感情には、それぞれに意味があると私は信じています。
特に痛みや苦しみといった感情は、それが深いほどに、他者との共感を生み出し、繋がりを深めるきっかけになることがあります。
「違う!今感じているその孤独が多くの人を救う」と感じたように、自身の経験が誰かの光になる。
そう信じることは、大きな力になります。
事更にその事を吹聴する必要はないと思います。
必要な時でなければ、そんな話はうっとしいだけです。

「ひとりぼっち」という感情こそが、実は多くの人をつなぐきっかけにもなると感じています。
同じように寂しさや孤独を感じている人がいることを知ることで、人は共感を覚え「自分だけじゃない」という安心感を得ることができます。
このセリフは、一見すると絶望的に聞こえるけれど、その裏には、人々が分かち合える感情の深さを示しているようにも感じられます。

「夢の帰る場所」で流れた劇中歌の「Sacred Love」
このドラマの後に発売された玉置浩二さんのアルバム「Love Song Blue」の、その発売を心待ちにしていました。

ドラマには、既に共感者が現れています。
小さな女の子でした。
その子が抱えていた哀しみ、大人たちの誤解、そして孤独が描かれるシーンは、本当に哀しくなりました。
人の世の終わらない哀しみに、やるせない感情が込み上げてきます。
純粋な子供が、大人の世界の複雑さや不器用さによって傷ついていく姿は、観ている側の心にも深い傷跡を残します。

あのドラマは、単なるフィクションとしてではなく、誰もが経験しうる、または目の当たりにするかもしれない人間の本質的な部分を鋭く描いていたからこそ、あんなにも共感したのだと思います。
「Sacred Love」のメロディーと歌詞が、その哀しみをさらに深く、美しく際立たせていました。
歌が上手い事は、書くだけ野暮です。

私たちの心の中に、「人は皆、多かれ少なかれ孤独や哀しみを抱えている」という普遍的な真実を教えてくれている思いがあります。
そして、だからこそ、互いを理解し、支え合うことの大切さを改めて感じさせてくれます。

2025年5月21日 (水)

私の心の引き出しから「雪の断章」を見つけてきました。

Akatsuki012

5月から猛暑日が報道される中で、季節外れの話です。

雪の断章。
佐々木丸美さんの原作と相米慎二監督、斉藤由貴さん主演の映画いずれも好きです。

映画のシーンにある、北海道の川(空知川かな?)と笠木シズ子の買い物ブギが重なるシーンがあります。
とても胸が苦しくなった覚えがあります。

この映画が公開された時は、学生でした。
同時上映は大林宣彦監督の「姉妹坂」
「さびしんぼう」から富田靖子さんのファンだった私は「姉妹坂」を観に行ったのです。
でも、面白かったのは「雪の断章」でした。

映画「雪の断章」には、サウンドスケッチというアルバムがありました。
サウンドトラックとは少し趣が違います。
でも、映画のストーリーに合わせています。
白いきれいなレコードでした。

Akatsuki058

スキー場に向かう夜行バスの中で、外の景色を見ながら聴いていました。
特に「雪灯りの町」という楽曲の終わりが秀逸で、その次の曲がヒットした「情熱」なのです。
その後の楽曲は雪原を表現するような楽曲が続きます。
映画のストーリーに同じく、本当のしあわせへの道が楽曲でも続きます。

当時、トンネルの出口の灯りが見え始めていた、自分の気持ちと重なる部分を感じていたのです。

その時、北海道へ行ったことはありませんでした。
映画「駅 STATION」やドラマ「北の国から」でインプットされた風景や景色でした。
そこに、この映画の風景が重ねられました。

仕事で札幌へ赴任した時、北海道の各地を仕事で巡る中、そんな景色を探していました。

今日の通勤は「Marvin Gaye」のアルバム「What's going On」でした。
愛に彷徨した「Marvin Gaye」の人生が、私の心の引き出しから「雪の断章」を見つけてきました。

私の心が知っている。

追記

帰宅してテレビをつけたら、NHKで斉藤由貴さんの歌唱している映像が映っていました。

2025年1月31日 (金)

そんな思いがひとつ。

Akatsuki216

JR新宿駅南口改札内に大きなビジョンがあります。
そこに映画「ルックバック」の宣伝(広告動画)が流れていました。

映画も原作も私は知りませんでした。

ある日、妻にいい映画だし、上映時間は短いから観てみたらと勧められました。
「新宿駅の広告ビジョンで見た事がある」と話すと、「知ってるんだ」との事でした。

通りすがりに観た広告ビジョンで印象に残っていたのは、(勿論映画を観てから知るのですが)手をつないだ二人が駆けている場面でした。
とても幸せそうに。

ルックバック。
和訳すれば、振り返る。

新しい世界で、新しい刺激と新しい喜びに心躍る時。
「生きる」を取り戻し、生活が色を取り戻し、音が無くても、メロディがなくても、身体にリズムが自然と生まれる。

約60分という時間に濃縮された、生きる喜びや哀しみ。
どうにも解決の出来ない後悔。
そして、やっぱり生き続けなければならない。
そんな自分を奮い立たせる思い。

素晴らしい映画でした。

でも、どうしても、この年齢になると思う事。
そんな思いがひとつ、ありました。

ここからは映画「ルックバック」のストーリーに関わる内容があります。

そんな思いがひとつ。
それは「死なないで、生きていて欲しかったこと」
手をつないだ二人が駆けるシーン。
そこには孤独がない。
だから、欠けてしまうと孤独が増す。
この年齢になると、若い人たちが亡くならずに、しあわせな思い掴む事がうれしいのです。

2025年1月30日 (木)

ドラマチックな事が起きるわけじゃない。

Akatsuki216

車通勤の私は毎朝、ラジオ番組「森本毅郎・スタンバイ!」を7時25分前後まで聞きます。
そこから、事務所までの約20分にその日の気分でセレクトし、音楽を聴きながら行きます。

毎日、その日の気分で様々なジャンルの音楽を聴きます。

映画「PERFECT DAYS」に、カセットテープでしたが毎日セレクトして通勤するシーンがあります。

この映画「PERFECT DAYS」をとても楽しく観ました。
先ず、役所広司さんが役所広司さんに見えない。
これまで役所広司さんが演じていた映画の登場人物の、その誰とも同じでない。
それが俳優の技量かもしれません。

派手な事が起きない映画のストーリーで、その確かな存在感は素晴らしいと思います。
寡黙な男の日常に、背景の説明はありません。
同じ事の繰り返しの日常の中で、説明は様々な(多くはない)人々とのかかわりの中で、その背景として見えます。
それがストレスを感じさせないので、観ている私が物語の登場人物として引き込まれて行きます。

日々繰り返される日常。
その有難さ。

出勤時に選択する音楽があります。

その日々の中で、様々にある喜び、驚き、悲しみ、困惑。
出来事の違いこそあれ、誰にでも大なり小なりある事です。

トイレの清掃という誰もが好む事ではない事を、仕事として愚直に行っている毎日。
観る人に重なる日常があります。

少しの変化。
少しの喜び。
少しの驚き。

観る人を共感させるのだと思います。

ドラマチックな事が起きるわけじゃない。
でも、日々生きて行く事はツマラナイ事ではないし、まして悪い事ではないと語りかけられる様な思いでした。

今日の通勤時に、やっている事は同じだなと思ったのです。

2024年9月 1日 (日)

おじちゃんは、おばちゃんを愛してたんや!

Akatsuki208

薬師丸ひろ子さんの「Wの悲劇」と、原田知世さんの「天国に一番近い島」は同時上映でした。
二本立て…懐かしい響きですね。

「Wの悲劇」は力作。
物語もドラマチックで、見応えがありました。

しかし、私は「天国に一番近い島」が真打です。
「Wの悲劇」が先でしたが、立ち上がって帰る人は殆どいなかっと思います。

この映画で何より印象に残ったのは、原田知世さんではなく、乙羽信子さんでした。
演技は秀逸であり、それ故にとても印象に残っているのです。
乙羽信子さんの役柄は、太平洋戦争で夫を亡くした未亡人役でした。
映画では南太平洋の夫が戦死した海へ、献花に行くシーンです。
その海域で「お国の貴金属供出にも出さなかった」指輪を「あなたにもらったものだから、あなたに返します。私だったと思って下さい」と海に投げます。
そこで、同乗している女性が問いかけます。

教えて下さい。
39年も経って、それでも忘れないっていうのはなんなんですか?

それはこんなお婆さんが言うと恥ずかしいんですが、愛ですわ。
それとも自分自身の誇りかしら。
誰かを好きになった。
その事への人間としての誇りね。
うまく言えないけれど、愛ってそういうもんじゃないかしら。
誰かを愛した。
その時の自分の心だけは決して忘れちゃいけないわね。
愛って結局は自分のための物語ね。

映画「天国にいちばん近い島」より

当時、私はこのシーンで涙が止まりませんでした。
誰かを愛するという事の崇高さ、愛し、愛される事が、人の誇りとして、人が生き続ける理由になる事に感動しました。
愛される事も、愛し続ける事ができる事も羨ましく、素晴らしいと思いました。
高校生に何がわかる…というところですが、本当に私は感動したのです。
周りに泣いている人がいるかどうかは、確認もしませんでしたが…。
多分…いないですよね。

先日、日本経済新聞の夕刊コラム「プロムナード」を読んで、この事を思い出しました。

その日の海は荒れていた。叔母は元気な声を絞りだすように、生前の叔父について話を始めた。

「おじちゃんはなあ、私がご飯を持っていかないと食べなかったんや。
他の家族が持っていってもダメで、私の時だけ食べたんや。
おじちゃんは、おばちゃんを愛してたんや!」。
そう言ったあと、うわーんと豪快に泣いた。

愛してた。その一言に、私は完全に心が射抜かれた。

おばちゃん、最高だね。
いまそう言えるおばちゃんも、愛がある二人の人生も最高だね、と私は言った。

川内有緒 荒れた海で愛を叫ぶ
2024年8月31日 日本経済新聞

グッとこらえました。

2024年8月11日 (日)

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

Akatsuki208

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

この世に発表された作品は、様々な評価を受けます。
今の日本では、その評価を自由に発言出来る。
この事はいい事だなと思います。
でもやっぱり、公共の福祉に反しない範囲は大切です。

「公共の福祉」という言葉を、中学3年生の公民の授業で学習した記憶があります。
日本は自由な発言や表現が可能だけれど、「公共の福祉」に反しない事が大切。
学習した頃は「公共の福祉」とは、その自由を阻害する要因にならないとか、誰かが傷つかないとか、そんな記憶があります。
授業中にオナラをした人がいて、「臭すぎて、公共の福祉に反する」と誰かが言って、笑った覚えがあります。

映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」をサブスクで観ました。
公開当時、泣けるがプロモーションに多用されていたと思います。
特攻に絡めて、誰かが亡くなる事で、涙するとか、感動するとか、ちょっと残念な気がしていました。
年の候だけ、書籍や様々な作品で事実に触れ、記念館で現物を見て、その時の所感があります。
齢を重ねるにつれ、誰かが、特に若者が亡くなる事が、とても辛い事です。
だから、死が、誰かが亡くなる事が、それが生きている事の実感につながるなら、それはさびしい事だと思うのです。

映画を観てから、作品に対する印象が変わりました。
現代からタイムスリップする人が、当時の事を当時の人々に「なぜ、そうしなければならないのか」と問います。
当時を生きた人々が、矛盾とわだかまりを抱えながら、様々な思いを抱えながら、折り合いをつけてその時を生きていたと思います。
これは、日本で今を生きる我々が考えなくてはならない命題だと思います。

この映画を観たと妻に話したところ、前述の様な「冷ややかなお話でしたよ」と言われてしましました。
素直に印象が変わった事を伝えました。
この記事の源泉はそこです。

この映画を観る観点で、様々な評価があると思います。
史実に忠実なのか、セットなど時代考証に誤りはないか、演技は、台詞は、ストーリーは?
公共の福祉に反しない範囲で、様々な評価があっていいと思います。
タイムスリップで出会った男女が恋に落ちる…という単純な映画ではないと私は感じたのです。
今を生きる我々に問いかけてくる命題を、映画を観て感じたのです。

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

知覧の記念館を訪れた事があります。
ビジネスの合間で、取引先の方と一緒に訪問しました。
その方は取引先の代表者で、女性でした。

記念館の様々な資料を見て、大粒の涙をこぼしていました。
当時、自身のお子さんと同じ年齢、あるいはそれよりも若い人たちが残した手紙に、母としても悲しいと言っていました。

あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。

2024年3月21日 (木)

大人になるという事。やさしさと強さを持つ事。

Akatsuki202

宮尾登美子さんの原作をもとにした映画「夜汽車」。
映画の公開当時は学生で、その内容はよく理解出来なかったと思います。
それぐらい記憶にないのです。

宮尾登美子さんの著作も、読んで少し感情移入できる様になったのはおそらく40代。
しあわせで、20歳前後の辛い人生経験もない小僧には「愛憎」や「情念」と言われて、なんのことやらだと思います。
でも今は、それ故の無鉄砲さや勢いが、今と比較にならないエネルギーとしてあったと感じています。
その時々でいいですよね。

映画は記憶にないのですが、主題歌となったクロード・チアリさんの「夜汽車」はお気に入りでした。
おそらくまだ、実家にレコードがあると思います。
長じて、その楽曲が入ったCDを買いました。

哀切この上ないメロディ。
ヴァイオリンと競い合う、演奏のエネルギー。
「愛憎」や「情念」なんて言葉を理解出来ない当時の私でも、その深さを楽曲に感じる事が出来ました。

少し話が変わります。
ジョン・レノンのアルバム「imagine」に「How?」という楽曲があります。
その歌詞に、こんな言葉があります。

How can I give love whe Idon't know
what it is I'm giving ?
how can I give love when Ijust d'ont know
how to give ?
how can I give love when love is something
I ain't never had ?

与えているものが何かも知らずに
どうして愛を与えられるだろう
当たる方法さえ知らずに
どうして愛を与えられるだろう
愛というものをもらったこともないのに
どうして愛を与えられるだろう
できっこないよ できっこないさ

John Lenon / imagine より 楽曲「HOW?」引用

知らない事。
これから知る事。
知らない方がいい事。
知っていなければならない事。

大人になるという事。
やさしさと強さを持つ事。

春分の日の休日に、夜汽車の「愛憎」と「情念」に聴いていたCDの楽曲がリンクしました。

より以前の記事一覧