たったひとつの、ありえない話。
そんなはずはない…と思ってしまう事。
小学生の時に飼い出した犬は、かわいい子だった。
雑種だったが毛並みが良く、きれいだきれいだと褒められる事が自慢であった。
朝夕散歩をする私の事をいつも、よろこびいっぱいで歓迎してくれた。
高校生の時フィラリアで逝ってしまった。
それはとてつもない哀しみだった。
食器も、リードも、小屋も残っているのに、そこにひとつだけ足りないものがある。
それは、その不足は満たされる事は決してない。
弟はその時の経験から、病気の撲滅を決心し、そして獣医師になった。
妹はしばらく泣き暮らした。
音楽の授業で「オーゼの死(ペール・ギュント組曲)」を聴いて、涙が溢れ友人に心配されたそうだ。
人にも動物にも、輪廻転生があるのかと考える事がある。
犬は犬好きの人をわかるという。
通りすがりにあった犬が、親しげに近づいてくる事がある。
まったくその犬の飼い主には失礼な事だが、実はその犬が生まれ変わりなのではと考えてしまう事があった。
ブルックナーの交響曲第7番を聴いて、ふとそんな事を思い出した。
ブルックナーが敬愛するワーグナーの訃報に接し、その思いを投影したとのエピソードがある。
第2楽章が生きている、その儚さを私にはとても感じるからなのかもしれいない。
きっと、あの子が教えてくれたのは、生きていることの儚さと、それと同じくらい、満たされないことのない愛なのだろうと、今はそう思う。





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