攻撃しない距離を保つ。
他者の存在を認めるということ
次男が通級指導教室の利用を検討し始めた頃のことです。
一度、現場を見てほしいと言われ、授業を見学しに行きました。
教室の後ろに立ち、その様子を見守っていた時のことです。
一人の子供が、私に疑いのまなざしを向けてきました。
それは、幼いがゆえに正直な、「自分を傷つける大人ではないか」と警戒するような視線でした。
同じ人間は二人といませんが、自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)などの特性は、時にからかいの対象となってしまうことがあります。
本人にとっては日常の延長であり、何ら不思議なことではありません。
しかし、その行動が周囲には「おかしなもの」として映ってしまうことがあるのです。
例えば、他人の気持ちを推し量る事が苦手な子もいます。
すると、場を考える事なく、不適切な不規則発言をする事があります。
こういうのは、バカにされたり、格好の攻撃材料となります。
発現した本人は理由も分からず、馬鹿にされたり、傷つけられたりします。
心は傷つきます。
(こういう事はパターンの訓練を繰り返し、学習する必要があります)
大阪で勤務していた頃、住吉区にある「大空小学校」と、わずかながら仕事で関わる機会がありました。この学校では、障害を持つ子供も普通学級で共に授業を受けます。
こうした環境の中で、子供たちは「自分とは違う他者がいる」という多様性を自然に学びます。また、障害を持つ子供にとっても、そこは「自分が安心していられる場所」として認識されます。
はるか昔、来日した外国人と小学生が対話する番組がありました。ある小学6年生の子供が、アフリカ出身の方に「なぜ、あなたの肌は黒いんですか?」と問いかけました。
その方は「6年生になってその質問をするのは、あまりにも世界を知らなさすぎる」と返答しました。その小学生は、おそらく「わかっていながら」、場を盛り上げようとする雰囲気でそう発言したのでしょう。
大空小学校が目指す姿と同様に、身体能力やルーツが異なる人がいても、それが「当たり前」である世界であってほしいと考えます。
体にウイルスが入った時に排除しようとするような苛烈な反応ではなく、「そういう人もいる」と認めること。その認識こそが、隣人同士の争いをなくすためのスタートラインだと思うのです。
人によって、受け入れられるか否かの感情は必ず生じます。
しかし、互いに歩み寄り、少なくとも「攻撃をしない距離」を保つことができればいい。
世界平和は、こうした身近な認識の変化から始まると信じている人は、決して少なくないはずです。
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