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2026年4月

2026年4月30日 (木)

300km先のスペアキー。単身赴任者の締め出しサバイバル!

Akatsuki232

現在の別宅は、共通のエントランスをカードキーで入り、それから自分の部屋もカードキーで解錠するシステムになっています。

まず、別宅に訪ねて来る人はいません。
NHKも契約を済ませたので、来ません。

ある日の夕刻、ピンポーンと呼び出し音。
見覚えがあるような、いいえ、やはり見たこともない人が、画面に映っています。
どうせ何かのセールスと思い、反応しませんでした。

ところが、あまり時間をおかずにもう一回。
今度は「はい」と返事をしました。
「すみません、カードキーを忘れて出てしまいまして、部屋に戻れません。解錠してもらえませんか?」

駐車場で、挨拶をしたことがある方でした。
解錠。
「どうもすみません〜」と入って行かれました。

防犯が声高に叫ばれる昨今、万が一の危険はありますが、見知っている方だからこそです。

ペットボトルの収集日。
再資源化に、ごみの分別は大事です。
ペットボトルたちが「今日だぞ、忘れんな!」と言っています。
最初に荷物を運び、それからもう一度駐車場へ行く時に「収集かごに入れに行くから大丈夫。私は時間を無駄にしない合理的な判断を働かせている。ペットボトル達よ、騒ぐのではない」と私。

部屋のペットボトルたちをガラガラと収集箱へ。
車に残しておいた食品を持って、部屋に戻ります。
あれ?

ない。
カードキーがない。
上着を脱いだ時に、部屋に置いてきてしまった。

ついにやってしまった。

まずは、管理会社へ連絡。
「同居の方はいませんか?」
「いません」
単身赴任だもんね、いるわけないよ。

「他にカードキーをお持ちの方はいませんか?」
「直線距離で300㎞先にいます」

結局、すぐに解錠する術は無し。
そんなことあるのかぁ〜。
誰か帰ってくるまで、待たなければならない。
「それが最適解です」

別宅は総戸数の60%しか入居していません。
部屋のタイプは、大家族で住むには不向き。
単身赴任者に学生等々、ファミリー層は見当たりません。……というより、入居すらしていないのでしょう。
それが証拠に、建物の明かりはまばらで、部屋の電気も殆ど点いていないのです。

誰かが帰ってくるのを待つなんて……。
同時に入って行く方が、怪しまれる。
まして、事情を説明するために近づいたら、不審者扱いだ。
それが女性だったら、どうする?

絶望的な気持ちで、下から建物を見上げます。
よし、片っ端からインターホンを鳴らしてみよう。
全戸に向けて自己紹介をすることになりますが、入れないよりはいい。

むなしく、呼び出し音が響きます。
そりゃ、知らないおっさんの顔がモニターに映れば、あんまりいいことは想像できないでしょう。

あっ、電気が点いている部屋がある。
そして、駐車場を確認。
挨拶したことのある車が止まっている!

ピンポーン!
「すみません、〇〇号室の〇〇です。カードキーを忘れて外に出ました。解錠してもらえないでしょうか」
「はいはぁ〜い」

情けは人の為ならず。

2026年4月28日 (火)

見えない綱渡りの方が、迷いなく進めるのかもしれない。

Akatsuki232

私はクラシックの中でも、ロマン派の作曲家が好きです。
知識が深いわけではないので大雑把な分類ですが、その後の「現代音楽」と言われるものは、どうしても好きになれません。
「同じメロディの繰り返しは聴取者に甘えている」「楽器の能力を最大限に引き出す」「楽器に語らせる」……。
私にはどうにも理解できないというか、それが「良い」と思えないのです。

本日の通勤では「シェエラザード」を聴いていました。
この曲は、同じメロディが形を変えて何度も繰り返されます。
楽曲のモチーフも、王妃が命を繋ぐために「物語を語り続ける」お話です。
千夜一夜物語を紡ぐヴァイオリンの主題が、形を変えて何度も現れる。
その「繰り返し」が、聴き手に安心感と物語への没入感を与えてくれます。

人は変化を嫌う生き物だ、という側面があると思います。
毎日同じことが繰り返されることに、安心感を得る。
でも、時々は飽きて退屈してしまうので、旅行に行ったり、いつもと違うことをしたりしますね。
それは、いわば「良い変化」です。

一方で、例えば企業が合併し、新しい文化との融合が始まるような変化もあります。
共通基盤が異なる人々が、新しい基盤を共に作っていく。
私はどちらかと言えばそうした変化を楽しいと感じる方ですが、それを好まない人もいます。

私たちの明日は誰にもわかりません。
だからこそ、今日と同じ明日が来ると思えることが安心につながります。
武士の教科書と言われる「葉隠」には、「今日が人生最後の日だと思い生きよ」という言葉があります。
後悔のないよう、あらゆることに一生懸命取り組もう、ということでしょう。
「本当に明日は来ないかもしれない」という環境に身を置くことは、安心とは真逆の状態です。

しかし、どうしてもそういう瞬間に直面することがあります。
大病を患えば、当たり前に繰り返されると思っていた毎日が、そうでなくなります。
ビジネスでも日々の生活でも、危機は予期せぬところからやってきます。

戸惑い、考え、立ち止まる。
そして、また進む。

その変化こそが、人それぞれのドラマであり、物語なのだと思います。
私たちは他人のドラマには共感し、感動しますが、「もし自分だったら……」と考えると、やはり足がすくんでしまいます。
もちろん、素敵な結末は歓迎ですが。

安定した毎日がいい。
けれど、もし綱渡りをしなければならないのなら、下が見える高さよりも、いっそ何も見えないほど高い方が、迷いなく進めるのかもしれません。

2026年4月24日 (金)

記憶の底に隠した一冊 ―『呪いの館』と『ミルキーウェイ』―

Akatsuki231

小学生の頃、心霊写真やオカルトは大ブームでした。
友達が学校に持ってきた心霊写真の本を、みんなで囲んで見ては「怖いー」と騒ぐ。
そんな光景が日常でした。
けれど私は、心のどこかで「なんでこんな本を買うんだろう」「家に置いておきたくないな」とも思っていたのです。

夏休みになると、お昼の番組で放送されていた「あなたの知らない世界」も話題でした。
そんなオカルト全盛期に、クラスのほとんどが貸し借りして読んでいたのが、楳図かずお先生の『呪いの館』です。

これはオカルトなのですが、どこか人間臭く、すぐ隣にある日常の延長のような感覚がありました。
純粋な「あの世」の話ではなかったからかもしれません。
内容は確かに怖い。
設定もさることながら、何より「人間の所業」であることが恐ろしいのです。
当時は、その恐怖の正体が「人間の業」であるとは区別できず、醜い姿をした主人公に恐怖が集約されているのだと思っていました。

しかし、物語の終盤で主人公は自らの悪行を告白し、許しを請います。
自分の弱さを認め、ただ「誰かに大切にされ、愛されたかった」と吐露する。
単なるホラーで終わらない展開は、小学生の私には衝撃的でした。
自らの行為を悔い、最後に許しを乞うその姿は、それまでの勧善懲悪の物語では出会ったことのないものだったからです。

…もちろん、その本も家には置きませんでした。
当時の私は、そんな本を所有したいとは思いもしなかったのです。

さて、小学生の頃は「男女の区別」が時として大きな壁になります。
少女漫画を読んで「面白かった」なんて、口が裂けても言えないお年頃。
当時、絶大な人気を誇っていた『週刊少年ジャンプ』が私も大好きでした。

その一方で、幼い妹の横で一緒に観ていたテレビアニメ『キャンディ・キャンディ』にも、大河ドラマのような重厚さを感じ、密かに惹きつけられていました。

そんな環境で出会った、太刀掛秀子先生の『ミルキーウェイ』。これもまた衝撃でした。
平穏な環境で育った私にとって、『ミルキーウェイ』は『呪いの館』と設定こそ違えど、ヒロインが抱える「孤独」が切実に伝わってきたのです。
それはおそらく、これまでにない内面的な初体験でした。
しかし、やはり「少女漫画を読みました」とは絶対に言えず…。

結局、当時は買うことができず、大学生になってから古書店で見つけて手に入れました。
あの本は今、実家のどこかに隠れているかもしれません。

私の記憶と同じように。

2026年4月23日 (木)

8メートルの譲り合いと、心の余白。

Akatsuki231

通勤の経路に、2車線が途中で1車線へと合流する箇所があります。
右車線が左車線側に消えていく形です。

走行している人の多くは、その先で行き止まりになることを知っているため、手前から左車線を走っています。
でも中には、ギリギリまで右車線を加速して走り、先頭で割り込むように合流する車もあります。

道路が渋滞している際は、その方が効率が良い面もあります。
一番先頭で1台ずつ交互に合流する(ファスナー合流)ほうがスムーズだからです。

しかし、混雑していない時はどうでしょうか。
一定の速度で車間距離を保って走っている列を、猛スピードの右車線から抜き去り、強引に左側へ割り込む。そういう時、左側を走る車が意地でも車間を詰め、合流させまいとする光景も目にします。

その気持ちは理解できます。朝の通勤時なら、誰もがスムーズに目的地へ到着したい。
だからこそ、秩序をもって走行しているリズムを、自らの欲求のみで恣意的に壊す車には嫌悪感を抱いてしまう。
「合流」というより「割り込み」という表現がしっくりきてしまうのです。

そうなると、私も愉快な気持ちにはなりません。
しかし、ある時こんな風に考えてみました。

例えば4メートルの車両が、前後2メートルの車間を確保して走ると、占有する長さは全部で8メートル。
信号のタイミングなどにもよりますが、この「8メートル」を誰かに譲ったところで、目的地への到着時間はどれほど変わるでしょうか。
そう考えると、横入りのように入ってくる車に対しても、不愉快な気持ちが半減していくのを感じました。

旅行へ出かける時、私たちは様々な計画を立てます。
しかし、現地の状況や天候、混雑具合によって、予定が予定通りにいかなくなることは多々あります。
そこで私はいつも、最大の目的だけを設定したら、あとは臨機応変に構えるようにしています。

以前、奈良を旅行した時のことです。
市内循環バスに乗ったのですが、それには右回りと左回りがありました。
目的地には右回りが近く、左回りだとほぼ一周して最後の方に到着するルートです。
正解は右回り。
しかし、私が飛び乗ったバスは左回りでした。

しばらくそのことに気づかず、座席に座って一休み。
結果として、歩き疲れた体が元気になり、かえって良かったです。
目的地に到着した時、さっきバスに乗った駅が遠くに見えました。
「遠回りしたけれど、一休みできてよかったね」と思えたのです。

求めた結果と実際の結果が異なることは多々ありますが、そんな些細なことでも、決して悪いことばかりではないと思うのです。旅の記憶も、案外こうしたハプニングの方を鮮明に覚えているものです。

ビジネスも同じです。
相手があることなので、予測し、万全の準備をしますが、想定外の事態は必ず起こります。
その時にこそ、実は真価が問われる気がします。
狼狽したり、必要以上に感情的になったりすれば、そこで相手に自分の器量を推し量られてしまいます。
逆に、危機的状況を上手に切り抜け、冷静に対処できる姿を見せれば、かえって相手の信用が増すことも多いのです。

この世には、自分の力ではコントロールできないことばかりですね。

そんな中で、「こればかりはダメだ」と痛感したのがゴルフです。
あちらは、予想外の連続ですから。

2026年4月21日 (火)

3番と13番 ― フォークリフト講習の記憶。

Akatsuki231

50代も半ばに差し掛かる頃、フォークリフトの免許を取得するためスクールに通いました。
3月だったこともあり、4月から就職を控えた初々しい若者たちの姿が多く見られました。

初日の学科終了後には「効果測定」があるとのこと。
一定の点数を確保しないと落第です。
久々の「試験」という響きに、当日は緊張でテンパりながらも受講しました。

受講中は一言一句聞き逃さないよう、集中、集中。
なにせこちらは、本当に久しぶりの試験なのです。
結果、効果測定は予測していたよりはるかに簡単で、拍子抜けするほどでした。
しかし、本当の落とし穴はこの先にありました。

翌日からは、いよいよ実車での講習です。期間は4日間だったでしょうか。

フォークリフトは、後輪で進路を決めます。
ふと思い出したのは、学生の頃に流行ったホンダの「プレリュード」です。4WS(四輪操舵)という機能があり、後輪が最大4度曲がる仕組みでした。
友人の車を運転させてもらった際、最初は違和感もありましたが「狭い場所では便利だな」と感じたものです。

当時の私の愛車はスカイラインのR31で、こちらには「HICAS」という、後輪が1度だけ曲がる機能がついていました。
高速道路での車線変更などはスムーズに感じた一方で、インターチェンジのカーブなどでは、少し独特の違和感を覚えた記憶があります。

しかし、フォークリフトはそれどころではありません。
この「後輪で進路を決める」感覚に慣れるまで、少し時間が必要でした。
10代や20代の受講生たちは、なんなくこなしていきます。
競う必要などないのに、つい焦りを感じてしまいます。

そんなメンバーの中に、私と同年代の「ご同輩」がいました。
年齢は同じか、少し若いくらいでしょうか。

彼は教官によく注意されており、とにかく目立ちます。
そして、その次に目立っていたのが私でした。

講習中は苗字ではなく、番号で呼ばれます。
その彼は「13番」。
講習の合間に、講師が13番に問いかけました。
「免許を取ったら、どこへ行くんだ?」
「物流の会社に勤めたいと思っています」
「それなら、これは絶対必要だな」

再挑戦であることが窺える13番に対し、応援する気持ちがこもった教官の檄が飛びます。
そんな背景を聞いてしまったからか、教官の声の掛け方も、のほほんとしている3番(自分)に対するものとは明らかに違いました。
本当は、私のほうも「実技だけは落第できない」と焦りまくっていたのですが……。

その日の講習終わり、13番は教官から「頑張れな」と声をかけられていました。
うつむき加減に「はい」と答える13番。

しかし、翌日以降、彼の姿を見ることはありませんでした。

私はといえば、めでたく最終試験も失敗なく、追加講習を受けることもなく免許を取得できました。
しかし現在、現場では「フォークリフトに乗らなくていいです」と皆から言われています。
取得後に意気揚々と作業した際、商品をいくつも壊してしまったからです。

13番、どこかの空の下で元気にやっていますか?
3番は相変わらず成長せず、失敗ばかりの毎日です。

2026年4月17日 (金)

いつか自らの思いを遂げる日のために -求められるイメージの檻の中で、心を殺さずに生きる方法-

Akatsuki231

中学生の頃、私が好きだった海外のロックバンドの多くが、メンバーの離合集散を繰り返す。
それが日常茶飯事でした。
お気に入りのバンドの新作をずっと聴き続けたい一心だった当時の私は、脱退していくメンバーに対し、「なんで辞めてしまうんだ」と不満を抱いていたものです。

「音楽の方向性が違うから」
「プロデューサーの商業主義的なやり方が嫌だ」

そんな理由に対し、「それくらい我慢しろよ。多くのファンが新作を期待しているんだぞ。そもそも売れなきゃダメじゃないか」…なんてことを思っていました。

しかし、大人になるにつれ、人は「自分の心を殺すこと」の苦しさを身をもって覚えていきます。
その時になって初めて、かつてバンドを脱退したメンバーたちの気持ちが痛いほど理解できたのです。

自分の本意ではないところで、自らの意思を表現しなければならない辛さ。
明確になってしまったズレの中で活動を続けることは、単なる「我慢」ではなく、文字通り「自分の心を殺すこと」に他なりません。

シンディ・ローパーのベストアルバム(Greatest Album)の1曲目には、「I'm Gonna Be Strong」という楽曲が収録されています。
「強くならなきゃ」という意味のタイトルです。
このアルバムの解説を読むと、彼女が活動の中でいかに様々な葛藤を抱えていたかが記されています。
世界的に大ヒットした「Girls Just Want To Have Fun(ハイスクールはダンステリア)」は、本来はもっとレゲエ調の曲だったそうですが、「これではヒットしない」とアレンジを大幅に変更させられたといいます。
そこに潜む複雑な思い。
そして、不本意な形で曲が大ヒットしたことにより、世間からのイメージが固定され、その後のキャリアまで決められてしまう苦悩。

自らの意思と異なっていても、求められるイメージに人は近づいていかざるを得ません。
これは、生きる上での大きな苦しみを生み出す要因になります。

「それは自分のキャラじゃないから」
現代でも、そんな言葉をよく耳にします。
たとえば学校のクラスの中で求められる姿。
それはその人のポジションであり、居場所を守るための防壁でもあります。
しかし、その役割に縛られてしまうと、今度は「キャラ変」が難しくなります。
新しいキャラクターを見せたとき、その場所で受け入れられるだろうかと恐れてしまうのです。

自分の思いで、自らのありのままの姿を決められないことは、本当に苦しいものです。
私たちは誰しも、社会の一員としての役割を求められる場面が多いです。
ですが、あまりに若いうちからそのことばかりを意識してしまうと、「本当の自分を受け入れてもらえる」という安心感を喪失することになります。
極端に言えば、いつも誰かの期待に応えるために作り上げた「キャラクターとしての自分」しか表に出せなくなってしまうのです。

かといって、本当の自分のまま傍若無人に生きることも、現実にはなかなかできません。
生きていく中で、私たちは本当の自分との「折り合い」をつける術を身につけていきます。
でも、そのちょうどいい塩梅、頃合いを定めるのは本当に難しいですね。

件のシンディ・ローパーのアルバムの最後には、「Girls Just Want To Have Fun」の、本来のバージョンと思われるトラックが収録されています。
「やるね」と思わずニヤリとしてしまいました。

いつか自らの思いを遂げる日のことを、彼女はずっと心に秘めていたのですね。

2026年4月13日 (月)

「条件」という点、「歳月」という面。

Akatsuki160

ドッキリ番組でよくある企画です。
比較的若い夫婦にドッキリを仕掛け、旦那さんが長年応援しているアイドルと突然出会ったらどうなるか、その様子を奥さんがモニターで見守ります。

しなだれかかるアイドルに、旦那さんはどう対応するか。
見守る奥さんもドキドキしている。
しかし、彼女はこう言い放ったのです。
「私との時間の方が長く、重い」

この潔い言葉に、本物の関係の姿を見た気がします。

大学時代はバブル全盛期。
同じクラスに、まさにブランドが歩いているような友人がいました。
歩くとジャラジャラという音が聞こえてきそうなほど。
互いに恋愛対象外だったので、かえって気軽に話せる関係でした。

しばらくして紹介された彼女の彼氏は、フェラーリに乗っているわけでも、コム・デ・ギャルソンを着ているわけでもありませんでした。
「話していた理想とは、ずいぶん違うね」と私が言うと、彼女は答えました。
「浜辺でさ、私をお姫様抱っこして、本当に嬉しそうにくるくる回ってくれたんだよね。その顔を見ていたら、なんか、もうそれでいいかなって」
それまでのステータスへのこだわりが、霧散した瞬間でした。

私たちはつい、結婚相手や人生に対して「出来上がったもの」を求めてしまいがちです。
条件、環境、あるいは性格の一致……。
最初から自分にぴったりの「完成品」を探し、それを利用しようとしていないでしょうか。

けれど、既にあるものは、人生の一部に過ぎません。
諸行無常のこの世において、形あるものがいつまでもそのままであることはありません。
もし、条件という「形」が失われてしまったら、二人の価値まで損なわれてしまうのでしょうか。

振り返ってみれば、私たちが今手にしている平穏は、最初からそこにあったわけではありません。
結婚当初は生活も苦しく、あらゆることを工夫しなければなりませんでした。
二人で知恵を絞り、生活の形を「作り上げて」きたのです。

何を選んだかではなく、共に何を創ったか。
条件という「点」ではなく、積み重ねた「線」が、やがて豊かな「面」へと広がっていく。

利用する楽しさよりも、作り上げる楽しさ。
そう考える方が、人生はきっと楽しい。
それは、「何を食べるか」よりも「誰と食べるか」でおいしさが変わる。
そんな真理に似ている気がするのです。

2026年4月10日 (金)

喜びは2倍に。そして哀しみは半分に。

Akatsuki160

桜もピークを過ぎ、葉桜となってきました。
通勤経路にある桜並木は、夜になるとライトアップされますが、葉桜となっても、混ざり合う色彩がとても美しく見えます。

そんな景色を見ながら、思ったのです。

「この景色をみせてあげたいな」

そして、同時に思いました。
大切な人にそう思うのは、良いと思ったものを分かち合いたいという気持ちが働くからなのだろうか。
そう思う大切な人こそ、愛している人なのだろうと考えたのです。

素敵な映画のこと。
心が動いた瞬間のこと。
興味深い物語のこと等々。

自分が好きなものを、他の人に勧める時に布教という言葉を使う事があります。
文字通り、その信者を増やして行く事です。
でも、これとは違います。

理解してもらうのではなく、分かち合いたいと思うのです。

喜びは2倍に。
そして哀しみは半分に。

2026年4月 6日 (月)

条件付きの愛、無条件の存在。

Akatsuki230

この世の争いで、条件付きの交渉は当たり前です。
無条件降伏の思想があるのは、日本とアメリカぐらいなのだそうです。
どんなに不利な状況になろうとも、争いを終わらせるには条件交渉が必須である。
学生時代に読んだ小室直樹さんの書籍で、「アメリカの逆襲 宿命の対決に日本は勝てるか」の中で説かれていたと記憶しています。

それは政治の世界の話。
政治も人と人が行うものですが、ここでは「個人のあり方」と「政治の論理」を区別して考えてみたいと思います。

人と人との関係のなかの、条件が付く事は嫌な事ですね。
例えば、○○だから好き…と言われても、それは自分の一部分でしかありません。
そして、その○○がなくなれば、好きではなくなる…という事になります。
まさに条件付きです。

子供が親からそんな事を言われて育ったのなら、こんなに辛い事はないと思います。
子供は親から無条件に愛される事が、子供が本来持つものだと私は考えるのです。
それが、次の世代へつないで行く大きな要因となり、つながるという事は人類の存続にかかわる事です。

○○な、A子ちゃんが好き。
○○できるB君が好き。

もし子供が親からそんな「条件」を突きつけられて育ったのなら、これほど辛いことはありません。
親から、こんな条件付きでしか愛されないと感じるなら、いつも親の顔色を見て行動しなければならなくなります。
長じて、それは強烈な反骨を醸成し、そういう親に刃となって返ってくる事があります。

お金持ちだから…。
お金はなくなる事、使ってしまう事があります。
有名な人気者だから…。
その人気に陰りが発生したら、魅力はないのでしょうか。
誰もが羨むスター選手だから…。
必ず引退の時期がやって来ます。

それは大切な人の一部であって、全てでない。
上手く説明は出来ないけれど、その人の、その存在が大事である事。
そんな人と出会える事が、大切であり、近くにあっても、なかなか気づく事の少ない事ですね。

「ただ、あなただから……」。

そう言ってもらえる機会は、人生において決して多くはないのかもしれません。

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