忘却という名の慈悲。
幼い子供で、その前の人生を語る子供もテレビ番組で観た事があります。
俗にいう、前世はこうでしたという語りです。
複数回観ましたが、その視点は別々で、単純に覚えているという事から、そのことが苦しみになるという事の様々なとらえ方でした。
輪廻転生が間違いない事であれば、繰り返す生は修行です。
魂を繰り返す生の中で高めなさいという、普通では想像が出来ない高次からのメッセージなのだと思います。
私には前世の記憶はあった覚えがありません。
今を生きる自分が、過去の恥ずかしい行いや発言、その失敗が忘れられず、ふとした疑問にその思いがよみがえる事があります。
また、悔しい思いがよみがえる事もあります。
過去の奴隷にはなっていませんが、まだ呼び覚まされるその記憶に辟易とする事は、ないわけではありません。
そんな自分が、前世の記憶があれば、やっぱり未熟な行いを忘れる事はなく、苛まされる事もあると思います。
今を生きていても、繰り返すのに、そこの前世の失敗も加えられると、それは辛いです。
また、前の時と同じ事をしている。
恥の上塗りが二倍です。
ちょっと絶望的な気分になります。
今を生きる世界で、前世での行いがカルマとして影響をしている。
なんだか、逃げ場ない気がします。
別の角度から、だからこそ、今を生きることを大切にする。
そうとらえる事ができるなら、まだ救いがある気がします。
肉体はただ、今を生きる魂の器に過ぎない。
これでは、自分を大切にできないです。
今日の帰り道、ラヴェルの弦楽四重奏曲第2楽章を聴いていました。
冒頭のピッチカートの不思議な始まりに、そんな思いがよぎりました。
前世と今をつなぎ、空間を超える、そんな感覚を感じるのです。
私は今を一生懸命に生きるので、精一杯です。
だからこそ、この器に注がれる今の感情や、聴こえてくる音楽を、私は丁寧に受け止めたいです。






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