« 2025年10月 | トップページ | 2025年12月 »

2025年11月

2025年11月28日 (金)

喪中のハガキで知る、人生のピリオド。

Akatsuki225_20251108205101

この時期、喪中の連絡ハガキが来る。
最近は自分が営業にデビューした頃の上司や先輩達本人が多くなってきた。
会社が合併をしたり、組織が大きく変わった事もあるが、ご家族からの連絡もない。
葬儀も家族葬が殆どで、故人を偲ぶ機会はない。
年賀状での消息が、喪中の連絡ハガキでピリオドとなる。

そんな先輩方には、大変に可愛がって頂いた。
また、様々な場面で引き立てて頂き、先輩たちの有益な人間関係も上手に加わる事が出来た。
それは社内を超えて、業界の方々で、なかなか若年では接する機会を持つ事が出来ない大物も多くいた。

迫力ある怖い人も多くいた。
市場ではライバルであり、会えば握手はしても、テーブルの下では蹴りあいしている状況だ。
現場で取っ組み合いは避けられないが、テーブルでのチャンネルが、いかに有効であるかを学んだ。

現場を含む虚々実々のやり取り。
その中で次第に人間関係がはぐくまれて行く。

同じように当時若手だった人たちは、今は責任ある立場になっている。
その時の人間関係は、今でもとても活きている。

後輩に同じように、業界の同業他社にかかわらず関係を築く機会を作る。
でも、あまり煩わしい人間関係は望まない事が多い。
自分もそうであったように、目の前の事で必死であれば余裕がない。

ビジネスには互いの利害がある。
動機の殆どがそこにあっても、大切なのはビジネスをしたいと思ってくれる事。
そこには信用と期待がある。

定年後に、その能力を請われ別の企業に行く方々がいる。
これまでのくびきから解放された立場で、新しいビジネスを構築する相手として候補にしてもらえる。
商談は近況や昔話から始まるが、そこに共通の認識を醸成する会話がある。
それは、互いの信用の確認であったりする。

互いにサラリーマンの終わりが近づき、会社の看板がなくなってからも付き合って行ける人は限られるだろう。

2025年11月 4日 (火)

心の囁きが、大きな力となる。

Akatsuki225_20251108205101

「それでも地球は回るんだ」真実を貫いたガリレオの囁き 🎻 圧政を打ち破るショスタコーヴィッチの叫び

偉大な人物のエピソードは、時を超えて私たちの胸を打ちます。
真偽のほどはさておき、そのドラマが私たちの心に強く残るものがあります。

■痛快なエピソード!ガリレオと「それでも地球は回る」
科学史上の偉人、ガリレオ・ガリレイ。
彼は、当時ヨーロッパ社会で揺るぎない常識とされていた「天動説」を否定し、「地動説」を主張しました。

この主張は、当時のキリスト教関係者にとって、教義の根幹を揺るがすものとして受け止められました。
結果、彼は激しい非難と弾圧に晒されることになります。

口角泡を飛ばし、声を荒げてガリレオを否定する聖職者たち。
その圧倒的な圧力の中で、彼はうつむき加減に、しかし確かに、ある言葉を小声でつぶやいたと言われています。

「それでも、地球は回るんだ」

言った、言わない、様々な説がありますが、このエピソードが持つ意味は強烈です。
たとえ周囲すべてが否定しようとも、真実は真実として変わらないという、彼の揺るぎない信念と、体制に対する静かなる抵抗が凝縮された、なんとも痛快なエピソードではないでしょうか。

■圧政下に隠された魂の叫び ショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲
時代や分野は異なりますが、表現の自由をめぐる葛藤は、作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴィッチの音楽にも深く刻まれています。

彼が生きた20世紀のソ連は、社会主義リアリズムという名のもと、芸術活動にも厳しい統制が敷かれていました。

▶圧力の源泉となった人物たち
ショスタコーヴィチを常に精神的な苦境に立たせたのは、ソ連共産党の最高権力者であるヨシフ・スターリンでした。
そして、具体的な弾圧は主に二つの出来事を通じて行われました。

「プラウダ批判」(1936年)
党の機関紙プラウダに掲載された、スターリンの指示によるものとされる社説「音楽のかわりに荒唐無稽」。
彼のオペラを「形式主義的」「ブルジョア的」と断じ、事実上の「人民の敵」に近い烙印を押しました。

「ジダーノフ批判」(1948年)
党幹部アンドレイ・ジダーノフ主導で行われた批判運動。
ショスタコーヴィチを含む多くの作曲家が公職を解かれ、作品の演奏を禁止されるなど、活動を著しく制限されました。

■具現化される「表現の苦しみ」 魂の監獄
彼が感じていたのは、単なる批判ではありませんでした。
それは、芸術家にとって魂の営みであるはずの「感動の表現」そのものを検閲されるという、深い絶望でした。

「自分の思うことが、自分の思うように表現できない」

彼のペンは、感情を紙にほとばしらせるたびに、「これは生と死のどちらにつながる音符か」という冷酷な問いに晒されました。
心に湧き出るはずの真の感動は、発表される前に自らの手で殺され、「無害な」、つまり「空虚な」音に偽装されなければならなかったのです。

この苦しみの中で生まれたのが、「二重言語(ダブルスピーク)」としての音楽です。
彼は、表面上は体制が要求する「明るい勝利のメロディー」を装いながら、その和声やリズムに、深い悲しみや痛烈な皮肉を隠しました。
それは、圧政者には「形式主義」としか聞こえないが、抑圧された国民には「真実の叫び」として響く、秘密のメッセージでした。

このヴァイオリン協奏曲では、長く暗い沈黙や内省的な楽章が続きます。
これは、まさに表現を許されない作曲家の「心の監獄」を音で具現化していると言えるでしょう。

そして、第4楽章でほとばしる思いは、この「心の監獄」を突き破り、隠し続けてきた真実の感動を、もはや抑えきれずに放出した魂の爆発なのです。
それは、体制への挑戦状であり、同時に、表現を奪われた自らの魂を救済する痛切な解放の叫びでした。

真実を曲げないガリレオの囁きと、圧力を音楽に隠したショスタコーヴィッチの叫び。
表現の自由が脅かされる時代に、それでもなお、己の信じるものを貫こうとした彼らの姿は、現代に生きる私たちにも、大きな勇気と感動を与えてくれます。

真実を曲げないガリレオの囁きと、圧力を音楽に隠したショスタコーヴィッチの叫び。

彼らの芸術の底には、いかなる抑圧をもってしても、決して消し去ることのできない「隠しきれない、渇望」が宿っています。
それは、真実を伝えたいという渇望であり、感情を爆発させたいという渇望です。
この抑圧されたエネルギーこそが、私たちの心を激しく動かす源泉となっています。

先日、眠れない夜に、偶然NHK深夜のラジオ番組でこの楽曲(ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲)がオンエアされていました。

音の中に秘められた激情、そして魂の解放を求める切実な響きは、単なる安眠を妨げるどころか、むしろ聴く者の魂を揺さぶり、深く思考させる力を持ちます。

彼らの残した音楽は、表現の自由が脅かされる時代に、それでもなお、己の信じるものを貫こうとした不屈の精神の証です。

« 2025年10月 | トップページ | 2025年12月 »