絶望から立ち上がる「希望」こそが力。マーラーの真骨頂。
バブル景気が華やかりしころ、マーラーがブームになった事があったと思います。
ウィスキーのCMで、マーラーの「大地の歌」、「青春について」だったかな。
(調べると、きっと発見できると思うのですが、そこに記載されている文書に引きずられるので止めておきます)
鳥獣戯画の絵を利用していた様な。
ベートーヴェンの「運命」の様に、闘争から勝利へも、とても勇気づけられます。
でも、マーラーはなぜか、寄り添うように聞こえるのです。
バブル景気の陰りが見えて、享楽的な夢から覚めるのと同時に、祭りの後のさびしさがやって来る。
自分とは何か、なぜ生きるのか、孤独とはなど、エネルギーが自分の内向きになる時。
レベルは違えど、同じ要素に悩まされた人が、マーラーの生涯に共感する部分が増加するのでしょう。
そんな思いの時に、マーラーは等身大に映るのかもしれません。
偉大な芸術家を等身大というのは強烈ですが、恐れずに書きます。
作品が認められなかったり、孤独だったり、死への恐怖があったり。
生きている間は辛い事が多くあった。
偉大な芸術家でも、そんな事があるのだ。
同じ思いに苛まされている。
マーラーは生前、作品が完全に認められなかったり、指揮者としての激務の中で孤独に苛まれたり、そして何よりも「死への恐怖」を常に抱えて苛まされていたと数々の書籍で読みました。
マーラーの交響曲は、生きる事の苦しみや哀しみ、その表現に多く膨大な時間が割かれていると思います。
マーラーの音楽を聴くとき、こう感じるのかもしれません。
偉大な芸術家でも、こんなに孤独で、死を恐れ、苦しみに苛まれていたのだ。
苦しんでいるのは、自分一人だけではない。
自分だけじゃない、誰もが同じという共感の念こそが、大きな慰めとなります。
偉大な芸術家が抱えた生身の体温と、自分の体温が重なり合うその瞬間。
人は孤独から解放され、改めて「自分も頑張ろう」という静かな勇気が湧いてくると思うのです。
マーラーの哀しみや、孤独、苦しみ、死への恐怖などが、その楽曲を通じて、寄り添っているように感じる。
そこに、人としての、同じ体温を感じるのではないでしょうか。
死や苦悩の描写の後に、壮大な合唱や歓喜の響きによる「希望」や「救済」のクライマックスが用意されています。
不安な時代だからこそ、その不安や絶望を乗り越えた先にある強烈な「希望」を求める気持ちが強くなる。
マーラーの音楽は、そのドラマティックな起伏を通じて、不安定な時代を生き抜くためのエネルギーとなります。
若い頃、マーラーを聴く機会は少なかったです。
少し大人になって同じに聴いても、感じ方が変わりました。
バブル景気が弾けて祭りの終わりを感じる時、社会全体に漠然とした不安や閉塞感が覆います。
物質的な豊かさの後に、精神的な充足や自己の存在意義を深く問う風潮が生まれました。
自分探し…なんて言葉が聞かれるようになったと同じ時期です。
複雑で内省的な響き、そして長大さゆえの「人生」や「宇宙」といった巨大なテーマ性は、この時代の不安や孤独を感じる人々の心境と重なり、共感を得ました。
孤独や不安、人が生きる哀しみにのたうちまわるのに、その後に、壮大な合唱や歓喜の響きによる希望や救済のクライマックスが用意されています。
だからいい。
私はそんな思いがあります。
今の季節、交響曲第3番第6楽章「愛が私に語ること。」ピッタリです。





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