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2025年10月

2025年10月24日 (金)

絶望から立ち上がる「希望」こそが力。マーラーの真骨頂。

Akatsuki225

バブル景気が華やかりしころ、マーラーがブームになった事があったと思います。
ウィスキーのCMで、マーラーの「大地の歌」、「青春について」だったかな。
(調べると、きっと発見できると思うのですが、そこに記載されている文書に引きずられるので止めておきます)
鳥獣戯画の絵を利用していた様な。

ベートーヴェンの「運命」の様に、闘争から勝利へも、とても勇気づけられます。
でも、マーラーはなぜか、寄り添うように聞こえるのです。

バブル景気の陰りが見えて、享楽的な夢から覚めるのと同時に、祭りの後のさびしさがやって来る。
自分とは何か、なぜ生きるのか、孤独とはなど、エネルギーが自分の内向きになる時。
レベルは違えど、同じ要素に悩まされた人が、マーラーの生涯に共感する部分が増加するのでしょう。

そんな思いの時に、マーラーは等身大に映るのかもしれません。
偉大な芸術家を等身大というのは強烈ですが、恐れずに書きます。
作品が認められなかったり、孤独だったり、死への恐怖があったり。
生きている間は辛い事が多くあった。

偉大な芸術家でも、そんな事があるのだ。
同じ思いに苛まされている。

マーラーは生前、作品が完全に認められなかったり、指揮者としての激務の中で孤独に苛まれたり、そして何よりも「死への恐怖」を常に抱えて苛まされていたと数々の書籍で読みました。
マーラーの交響曲は、生きる事の苦しみや哀しみ、その表現に多く膨大な時間が割かれていると思います。

マーラーの音楽を聴くとき、こう感じるのかもしれません。

偉大な芸術家でも、こんなに孤独で、死を恐れ、苦しみに苛まれていたのだ。
苦しんでいるのは、自分一人だけではない。

自分だけじゃない、誰もが同じという共感の念こそが、大きな慰めとなります。
偉大な芸術家が抱えた生身の体温と、自分の体温が重なり合うその瞬間。
人は孤独から解放され、改めて「自分も頑張ろう」という静かな勇気が湧いてくると思うのです。

マーラーの哀しみや、孤独、苦しみ、死への恐怖などが、その楽曲を通じて、寄り添っているように感じる。
そこに、人としての、同じ体温を感じるのではないでしょうか。

死や苦悩の描写の後に、壮大な合唱や歓喜の響きによる「希望」や「救済」のクライマックスが用意されています。
不安な時代だからこそ、その不安や絶望を乗り越えた先にある強烈な「希望」を求める気持ちが強くなる。
マーラーの音楽は、そのドラマティックな起伏を通じて、不安定な時代を生き抜くためのエネルギーとなります。

若い頃、マーラーを聴く機会は少なかったです。
少し大人になって同じに聴いても、感じ方が変わりました。

バブル景気が弾けて祭りの終わりを感じる時、社会全体に漠然とした不安や閉塞感が覆います。
物質的な豊かさの後に、精神的な充足や自己の存在意義を深く問う風潮が生まれました。
自分探し…なんて言葉が聞かれるようになったと同じ時期です。

複雑で内省的な響き、そして長大さゆえの「人生」や「宇宙」といった巨大なテーマ性は、この時代の不安や孤独を感じる人々の心境と重なり、共感を得ました。
孤独や不安、人が生きる哀しみにのたうちまわるのに、その後に、壮大な合唱や歓喜の響きによる希望や救済のクライマックスが用意されています。
だからいい。
私はそんな思いがあります。

今の季節、交響曲第3番第6楽章「愛が私に語ること。」ピッタリです。

2025年10月20日 (月)

パット・メセニー「シークレット・ストーリー」に聴く、人類普遍の「喪失と再生」の事。

Akatsuki224

■表現せずにはいられない、人類のDNA
私たち人間は、感情が溢れたとき、それを「形」にせずにはいられない生き物です。
それは、文字や絵を描く能力を獲得した、人類の最も根源的な特徴かもしれません。

遥か昔、洞窟の中に絵を描き始めた太古の祖先から、激しい感情を石やキャンバス、あるいはメロディに刻みつける本能は、私たち現代人のDNAに深く刻み込まれているのでしょう。

芸術家たちは、絵、文章、音楽、彫刻といった様々な手法を用い、自らの内なる宇宙を表現します。
そして、私たち一般人もまた、深い感情に触れたとき、ふとした瞬間にメモを取ったり、ブログに書き綴ったりして、その感情に輪郭を与えようとします。

■「シークレット・ストーリー」に聴く普遍の哀しみ
私の愛聴盤、パット・メセニー(Pat Metheny)のアルバム「シークレット・ストーリー(Secret Story)」を久しぶりに聴きました。

この作品は、パット・メセニー自身の大きな哀しみ、すなわち「喪失」という個人的な感情が、壮大な音楽によって「昇華」されてゆくまでのストーリーです。
歌詞がないにもかかわらず、そのメロディとオーケストレーションは、聴く人それぞれの人生にある哀しみや孤独を呼び起こし、私たちはそこに自らの感情を投影してしまいます。

それは、パット・メセニーの音楽が、一人のジャズギタリストの経験を超え、人類普遍の「喪失と再生」の思いに触れているからに他なりません。

■哀しみの旅路の終焉、そして結実
アルバムの終盤、哀しみがピークを迎えた後、ロンドン管弦楽団が演奏する14曲目の「Not to Be Forgotten (Our Final Hour) / 忘れ去られることなきように(我々の最後の時)」が響きます。

この曲は、激しい感情の旅路を終え、全てを静かに受け入れることを聴き手に促します。
哀しみが美しさへと変容し、魂が静かに安堵する、昇華の瞬間です。

そして、全曲を通して聴き終えた後、私は必ず坂本龍一さんの楽曲「Aqua」を聴きます。
アルバムと楽曲1曲のプレイリストです。

「シークレット・ストーリー」という映画、あるいは交響詩のような一つの物語が結実し、全てが澄み切った水のように安らかになる。
そんな深い安堵感と静かな調和を感じるのです。

私たちが芸術に求めるのは、単なる美しさではなく、「この哀しみから、どうすれば立ち直れるのか」という問いへの答えなのかもしれません。
そして偉大な作品たちは、いつも静かに「大丈夫だ」と語りかけてくれるのです。

今日の通勤はメタリカ (Metallica)のMetallica(通称ブラック・アルバム)です。
1週間のスタートはテンションアゲアゲで。

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