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2025年3月

2025年3月30日 (日)

明日にたどり着く。

Akatsuki218

明日にたどり着く。

後悔にとらわれる事が嫌いで、自分の意志に背く事は可能な限りしていません。
ひとりで生きているのではないので、それが通じる場面がある事と、通じない場面がある事は勿論承知の上で。
時として孤立しても、自分の意志に従って生きる事の方がいい。
誰かに責任を転嫁せず、全て自らに帰する事は、仕方がない。
自分で積み上げた積み木を、自分が足をかけて壊してしまったら、それは自分の責任。

でも、自己責任という言葉は好きではありません。
誰でも間違いをするのですが、それを全て断罪してしまうニュアンスをどうしても感じるのです。
受け取り方が、その都度変えられる、とても便利な言葉であると思ってしまいます。
育った家庭が貧しい事が、そこに生まれた事が悪い事になってしまうなら、全ての可能性が閉じられてしまう事になってしまいます。
個人の努力や能力だけではどうにもならない状況や構造的な問題までも、個人の責任に帰属させ、断罪するようなニュアンスを含んで使われることがあります。

なんでも嫌になってしまう日は誰にでもあって、気力がなえる事があります。
生きて行く上で起こる問題や悩みは様々あって、今すぐ解決する事や、時間が必要な事、解決策も見いだせない事など、同じ事は先ずありません。

今日の通勤は sade love deluxe でした。
このアルバムの楽曲 pearls の衝撃は忘れられません。

she lives a life she didn't choose

彼女の一生は彼女の選んだものではない

pearls / sade 対訳 滝上よう子

ダメな自分は、自分がいちばんわかっている。
だから、どうしてダメなんだと否定ばかりしてしまう。
やりがちな事だと思います。
それは、人によって基準が異なるので、これまた難しいです。

ダメな自分も肯定してみる。

出来ない事の数を数えるのは、誰でもできる事。
ところが、出来るようになった事は、なかなか自分で数えないし、気がつかない。

今日一日を終える。
次は3日頑張ってみる。
3日頑張ったので、次は5日。
5日頑張ったので、次は7日。
7日頑張ったけど、1日休む。

そうして、明日にたどり着く。
今日の通勤に思う事でした。

このアルバム、発売当時は買えませんでした。
今、あるのはレンタル落ちの中古CDです。
その頃の事を、思い出してしまいました。

2025年3月26日 (水)

窓からの切り取られた風景に、記憶と思いが交錯します。

Akatsuki218

窓からの切り取られた風景に、記憶と思いが交錯します。

金沢21世紀美術館にジェームズ・タレルという作家の「タレルの部屋」という作品があるそうです。
(タレルの部屋で画像検索すると見れます)

大阪に住んでいる頃、4階建てマンションの最上階でした。
4階だけは2ルーム。
2階と3階は2ルーム以上あったと思います。

初めての単身赴任に加え、生涯初めての一人暮らしです。

その物件を気に入ったのは、天窓があったからです。
最上階なので、天井までの高さが2階分あります。

どういう方がお住まいだったのか、照明は全て間接照明です。
床に寝転ぶと、この天窓から空が見えます。

夜が明ければ、陽の光が差し込む。
雨が降れば、天窓にあたる音がする。
星空は見えなかったけれど、夜が暗い事がわかる。

とても気に入っていました。

タレルの部屋ではありませんが、空を切り取って見えるのです。
白い天井に、天気の良い日はぽっかりと青い空が浮かびます。
それは、同じ景色を二度と見る事が出来ない、ただ一度きりの芸術です。

札幌の住まいでは、別の思いがあります。
札幌は二度目の単身赴任でした。
当時は新型コロナウィルスが大流行の時。
本州よりも早く猛威をふるい、クラスターが各地で発生。
まもなく仕事は、在宅勤務となりました。

毎日、同じ場所に座り、PCの画面を見ながら、ひとりの仕事が続きます。
部屋から見た、窓の外の風景が、まるで切り取った絵画の様に記憶に残っています。
その時、仕事をしながら聴いていたラジオのジングルと共に残っています。
そのジングルを聴くと、その切り取った窓のからの景色がよみがえるのです。

窓の外の風景は、風光明媚ではありません。
次第に気持ちが荒んできました。

今、3度目の単身赴任です。
別宅には、ゴッホの「星月夜」のレリーフが飾ってあります。
先日、妻が別宅に来ました。
壁に大きな存在感をしめしている「星月夜」のレリーフを見ながら、なぜあの絵を選んだのか、あの絵の背景は何かと問われました。

背景は解説する方で諸説あり、今般は割愛します。
私がセレクトした理由も割愛します。
ゴッホが精神病院のひとり部屋に隔離されている時、小さな窓から見た事がモチーフのひとつである事を聞いた事があります。
でも、そこから見える風景は、その絵画の通りではないそうです。
見える景色をモチーフに、ゴッホの様々な思いが織り込まれているのだと思います。

窓からの切り取られた風景に、記憶と思いが交錯します。
今でも窓からの景色が、切り取られた風景に見える事があるのです。

窓という日常的な存在が、記憶や感情と結びつき、特別な意味を持つ。
人だけが持つ、特別な思いですね。

2025年3月 5日 (水)

回転すしの孤独。

Akatsuki217

孤独はひとりぼっちでいる時よりも、大勢の人の中でひとりぼっちだと感じる事が多いと思います。

例えば、飲食店で自分はひとりだけれど、隣りのテーブルはグループで座っている。
話が盛り上がって、時折楽しそうに笑いあいながら話していたりする。
そんな時に、「どうして、自分はあんなに楽しそうじゃないんだろう。どうして、自分にはあんなに楽しそうな事がおきないんだろう」なんて考えだすと、強く孤独を感じる場面があります。

最近は飲食の全国チェーンのお店も、スクラップビルドは当たり前で、ロードサイドの店舗が気がつくと閉店している事があります。
…と思っていると、同じお店で新装開店している事があります。
そんな時は必ず、「おひとりさま」席の設置が増えています。

ある平日の昼食で、仕事の都合でお昼時間を過ぎてから昼食となりました。
どこに入るかも考えあぐねて、自分で食べる量の調整ができると思い、回転すしのお店に入りました。

平日、ましてお昼過ぎとなれば、店内は殆どお客さんがいないです。
ひとりだから、カウンターの席に案内されます。
少ないお客さんは、稼働しているレーンの周りに集められています。

私が座ったカウンター席は、お寿司が流れるレーンの敷居を隔てて、その向こうがテーブル席です。
姿は見えませんが、会話している声が時々聞こえてきます。
年のころは、70歳前後と思しき会話の調子です。

「お父さん、これ間違って頼んじゃったから食べて」
「………(返事なし)」

「お父さん、もう、お腹いっぱいになったの?」
「………(返事なし)」

「今日は寒いなぁ」
「お父さん、昨日も寒かったわよ」

子供が幼い頃は、やっぱり回転すしはワンダーランドで、リクエストされて行きました。
お店に行くのは休日が多く、やはり子供を連れた家族が多く、店内はとても賑やかです。

平日の昼間に、その賑わいは欠片もありません。
北海道の1時間に1本あるかないかの電車を待つために営業している店の静けさに似ています。
また、お店が広いので、人の存在していない空気というか、気配がない事が余計に感じられます。

なんだか、さびしいですね。

そんな時にふと、昔に子供がメニューや流れるレーンをキラキラとした目で見ながら、ワクワクしていた姿を思い出します。
カウンター席しかないラーメン屋さんなら、あんまりこんな事は考えもしないのかもしれません。

営業職になって30年強。
ひとり飯なんて、日常茶飯事で慣れたつもりでしたが、そんな事を思う自分に新鮮な驚きです。
レーン仕切りの向こうにいる夫婦と思しき、ご高齢と思しき、そんな夫婦の様になれる事は、実はしあわせな事なんだと思います。
おひとりさまで食べた食事がおいしかった時、今度は家族で来ようと考え再訪した事もあります。
その時、「おいしいね」とか、「いいね」とか言ってもらえる事はうれしい事です。
価値が共有できる事は、それだけで孤独でないですね。

新装開店のお店は、おひとりさま席が増えます。
どこか、孤独を感じない仕組みが、そこに出来ているなら、それは利用価値があり、需要があるのだと思います。
わずわらしさがないのだから、利用する価値や頻度も上がります。
それも理解ができる範囲です。

孤独はひとりぼっちでいる時よりも、大勢の人の中でひとりぼっちだと感じる事が多いと思います。
人の気配、体温、声と人には大切な生きて行くための要素なのだと感じ続けています。

2025年3月 4日 (火)

濃密な時間は、その人の宝物になりますね。

Akatsuki217

スタジオアルタの閉館が報道されました。
新宿東口の象徴であったものが消えるのだと思います。
特別な思い入れはありません。

待ち合わせは東口交番の前が多かったです。
街は変わります。
甲州街道と山手線が交差するところは、学生時代(約35年前!)とは様変わりです。
ビルの形は残っていても、入っているテナントは違います。

アルタの中に、家電販売店があった事があります。
どういう風の吹き回しか、おふくろがそこで「ウォークマンⅡ」が特価だよと教えてくれました。
小学生の頃からのお年玉貯金で、購入しました。
友人たちより早く手に入れた事が、とてもうれしかったことを覚えています。

付属品だったデモテープには、そのCMで利用しているグリーグのピアノ協奏曲冒頭分が入っていました。
小学校の音楽の授業で聴いて以来で、FM放送でオンエアを探しました。
FMレコパルの番組表参照です。

エアチェック。
カセットに録音しました。
今では聞かない言葉が、たくさんですね。

当時は自由に出来るお金も少なく、レコードやCDを購入するのも、その選択に時間が必要でした。
やっと勝ったそれを、何度も繰り返し聴きました。
お金は自由でなかったけれど、今よりも時間の自由が多かったので、じっくり聴く事が出来ました。

音楽のサブスクは馴染めず、今でもCDを買います。
今、音楽を聴く時間が多いのは、車と電車移動時のウオークマンです。
カーオーディオはCDのスロットルもありません。

先日、後輩が「Rainbow Rising / 虹を翔ける覇者」のB面に針を落とす時。その毎回の興奮が忘れられない」と言っていました。
B面だから、レコードです。
素敵な思い出だと思います。

スタジオアルタの閉館に、多くの芸能人がたくさんの時間を費やしたその場所に思いをはせる言葉を寄せていました。
濃密な時間は、その人の宝物になりますね。

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