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2025年2月12日 (水)

表現の限界とその深淵。

Akatsuki217

いろいろ考えている事があっても、それを言葉にする事が難しかったり、出来なかったする事があります。
それはきっと、心の中の無意識に属する部分が多いからだと思う事があります。

表現されている言葉、表現できる言葉で、ぴったり当てはまる時こそ、言葉になるのだと思います。
人はそれを、絵で表現したり、メロディにしたり、物語として別の表現を用いたりする事が出来ます。

しかし、表現側の思いと受け取る側の思いは異なる事が多くあります。
人がそれぞれ生きてきた、これまでの思いが背景にあるので、ふたつとして生きてきた同じ道はないからですね。
でも、共感は出来ます。

モーツァルト交響曲第41番第4楽章を、どう素晴らしいと説明するのか。
ブルックナー交響曲第8番第3楽章を聴く時、私には心に浮かぶ風景があり、思いをはせる場所があります。
そこに過ぎ去った時間の自分の思いがあります。
それをどう説明してよいか、
それをどう説明出来るのか。

そもそも説明する必要があるのか。

真実と事実は異なる事があります。
真実を知り、その事実を理解すれば後戻り出来ない事があります。

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