育児

2012年2月10日 (金)

キラキラ選ぶ

我が家にはいつもアメを入れてある壺があります。
幼い頃、駄菓子屋にあったあの壺です。
どこで見つけたのか、妻が高校生の長男が小学1年生の頃に買ってきました。
これ、小学生に大人気です。

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現在、小学5年生の息子の友達が遊びに来ると、皆で目を輝かしながら、妻に訊くそうです。
「おばちゃん、これいくつ食べてもいいの?」
「今日はひとり3つまでね」
妻も、選び甲斐がある様にいろいろな種類を入れておきます。
普通におやつも用意するそうですが、何より選ぶのが楽しいらしいのです。
そうだよね。

人気は不二家のソフトエクレアとミルキーみたいな、おじさんには歯の治療を覚悟して食べなければならない甘〜いキャラメルみたいなアメだそうです。
東京は乾燥注意報が記録的な期間続いています。
私も時々、小学生に人気のない「のど飴」をそこからコートのポケットに忍ばせ、地下鉄の乗り換え時に口に放り込みます。

幼い頃、アメリカの映画に出てくる家で、マーブルチョコみたいなM&M'sがガラスの容器にあふれんばかりにいれてある光景を見ました。
いつも、あんなに手の届くところにチョコレートがあるなんて、なんて素敵な生活なのだろう…と思っていました。
また同時に、どうして食べないで置いてあるのだろう?なんてね。
セットだから当たり前なのだけれど、うちにあったら抱え込んで食べるけどな…と。

妻によれば、目をキラキラさせながら一生懸命選ぶ姿は、皆可愛いのだそうです。
また、それぞれ性格も出るのだとか。
我が家の子供はいつでもあるという気持ちからか、余程お腹が空いた時にしか手を伸ばさないのだそうです。

お祭りのくじ引きで、絶対に置いてある高額商品は当たらないのだけれど、当たる事を信じてくじ引きにチャレンジする子供の真剣さに似ているのだとか。
くじを引く前に当たりますようにと祈る姿とか…
当てたい商品を一生懸命見つめて、念を込めていたりとか…
仕組みを知っている大人より、間違いなく楽しいでしょう。

現在、高校1年生の長男に小学1年生から長く付き合っている友達がいます。
彼は小学生低学年の頃、家ではアメを禁止されていたそうで、我が家に遊びに来ると、このアメを選ぶ事が一番の楽しみで、真剣そのものだったそうです。
彼の家庭は我が家と比較すると教育にも非常に熱心で、今でもいろいろな制限があるそうです。
先日は成績が振るわず、父親から「このままではホームレスだぞ」とお説教されたとの事。
彼は都内でも名前を聞けば誰でも知っている公立高校に通っています。
やっぱり選りすぐりが集まり、なかなか厳しい環境の様です。

長い付き合いなので、母親同士も仲が良い様ですが、彼の気持ちは別のところで知るのだそうです。
mixiで例えば、お父さんに説教された日は、大変なつぶやきの様です。
息子が「○○、また叫んでるよ」なんて、笑っています。
彼の両親はその事を知りません。
ところで、我が息子よ、笑っている場合か?
おまえはどうなんだ?

長男が高校生にもなると、細かいお説教はしなくなります。
実は、細かい事を言われるよりも、この方が本当はしんどいと思います。
でも、もう自分の事を、自分で考え、そして判断し決めて行く訓練だと思います。

しかし、我が家の長男は…。
ちょうど昨年の今頃だったと思いますが、都立高校の推薦入試の時期だったでしょうか。
推薦の基準に成績はボーダーでした。
本人は私立の滑り止めも既に合格している事から、ダメもとで推薦入試にチャレンジするとの事。
まあ、推薦で失敗しても本番で…とチャレンジを後押ししました。

推薦の合格発表の日。
東京はその日初雪だったのです。
合格発表を見に行くのに、駅に降り立った長男は雪が降る空を見上げて(雪がふるなんて…俺合格してるかも)と本当に思ったそうです。
お気楽な奴┐(´д`)┌ヤレヤレ。
しかし、本当に雪がふるぐらい驚きの合格だったのです。

その日、私は東京にはおりませんでした。
妻の携帯を借りて本人が私宛にメールを送ってきました。
内容は次の通り。
原文のまま掲載します。

合格。
明日、携帯買いに連れってちょうだい。
絶対iphoneでよろしく。

高校に合格したら携帯買ってやると話していたのです。
合格、それは良かった。
ところで、おまえなぁ…おかげさまで合格できましたとか、奇跡は起こるんだねとか、他にあるだろ。
ああっ?

妻は長男の生活で片付けをしないとか、だらしないところに、よくカリカリ怒っています。
私はしません。
なぜか…?
私がやっていた事をそのまましているからです。

しかし、ひとつ私と違う事があります。
長男は私に首から下、例えば爪や手の形は似ているのですが、顔は妻や妻の親父さんに似ているのです。
身長も私の175㎝を2cm上回りました。
そして、私が経験した事がない、違う事とは…。
運動会や文化祭で、他のクラスの女の子や上級生の女の子まで、お弁当やおやつのクッキーをこぞって作ってきてくれて、両手に抱えるように持って帰ってきたのです。
なっ、なにっー

ところが、二男は私が産んだ…と思うぐらい私に似ています。
妻のママ友は「お兄ちゃんは…○○(二男)はお父さんにそっくりね」と笑っています。
もう一度書きます。
笑って言うのです。
確かに私の縮小版です。

去年のバレンタインディーでの二男と私の会話です。
「チョコレートもらえたか?」
「うん」
「おっそうか。誰にもらったの?」
「おかあさんと○○さんにもらった」
「○○さんからもらったんだ。いいねぇ〜。○○さんと仲がいいの?」
「あのね、ホワイトデーにあげるからって約束してもらった」
おまえなぁ…哀しいバーター取引するなよ。

ところで二男よ、今年はバレンタインでチョコレートいっぱい食べれそうだな。
お兄ちゃんがいっぱいもらってきそうだから、ちょっと分けてもらおう。
ひっ〜哀しい。

長男の幼なじみは親に隠れて酒を飲んでみたり、深夜にわざとファミレスへ行ってみたりと少々心配な事がありました。
私は長男に「彼が話を聴いて欲しいと思っている時は、面倒くさがらず話を聴いてやれ」と言いました。
「ああ、わかってる」とつれないお返事。
彼は息子の勧めでギターを始めました。
やりきれない気持ちを表現する手段を得たのか、今没頭している様です。
いろいろあるよな。
悩め悩め。
悩んだ分だけ、必ず道は大きく開けるから。

でも、「盗んだバイクで走り出す♪行く先もわからないまま♪」はしてはいけないよ。

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2012年1月 8日 (日)

いいものは決して滅びない

前途は遠い。
そして暗い。
然し恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け。
勇んで。
小さき者よ。

小さき者へ / 有島武郎

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寒い冬の日。
行く宛てなく震えながら歩く子猫を見れば、可愛そうだと思います。
連れて帰ることが出来るのならばいいですが、出来ないならとてもせつないです。
一時のしのぎにしかならないとわかっていても、ミルクを与えたりします。
孤独を知っているのならば、更にせつなさがつのります。

大人は、大人ならば、こういう子猫がどうすれば、どうすれば全ての子猫が暖か部屋で丸くなって、安心して眠る事が出来るのか。
どうしたら、こういう子猫を出さずに済むのか…そう考えると思うのです。

様々な人が、様々な思いで、本人は「誰かのしわせのために」、そう思っていなくても取り組んでいる事があります。
私がビジネスで頑張れる気持ちの源泉にも、自分を奮い立たせるエネルギーにも、同じ気持ちを含んでいます。
正直に言えば、勿論それが全てではありません。
…ちょっとカッコつけすぎか?

2011年10月24日の日経ビジネスの掲載された、植松 努さんのお話です。
抜粋して引用します。

暴力と精神的虐待、そして性的暴行−。
天使の園は、親から身の危険を守るために保護された1〜18歳の62人が共同生活を送っている。

「ここに来た時、誰も親を憎んでいないんです」。
だが、感情の抑圧は心身の変調となって表れる。
「中には、突然、パニックに陥ったり、寝ている時に叫び声を上げる子もいます」。

幼年時代、植松は暴力に怯えていた。
父・清は子供の反論を許さなかった。
そして時に手を上げる。
学校でもそうだった。

救いはどこにもなかった。

「どうして大人は子供を虐待するのだろうか」。

虐待を加える人は、自分も幼少時に親から虐待を受けていたケースが多い。

「大人は本心ではやりたいことがあっても、『どうせ無理だ』と諦める。その鬱憤がたまり、弱い立場の子供が標的になっている」。

小学6年生の卒業文集に夢を綴った。
すると教師から「できもしない夢を書くな」

「おまえには無理だ」。
そう繰り返し刷り込まれた少年は、夢を諦め、不満がたまっていく。
そして、大人になって、児童虐待に走る…。
長年の疑問が1つの解を生み出した。
大人から否定された経験と、殴られ続けた体験が、きれいにつながった瞬間だった。

日経ビジネス 2011年10月24日号 旗手たちのアリア
文章中の敬称略。

植松さんは、天使の園での出来事がきっかけで、父親から継承した事業を転換し発展をさせます。
その経営方針の中核には物事を初めから「無理」と決めつけない事があるそうです。
そして、大人が子供の虐待に走るのは、日々の生活で大人が追いつめられているからだと判断します。
大人を追いつめるのは、日々の生活での経費、中でも教育費と住宅ローンだとの判断をします。
そこで、植松さんは、この二つの大きな問題を解消する事業にも取り組まれております。

人の哀しみを知り、自分の哀しみも、それを変える力に変える事が出来る。
哀しみが、哀しみの日々が希望に変わる。
そして、上を向いて歩ける…そんなどこかの、誰かの希望になれる事。
素敵な事です。
それは、人の哀しみを知り、自分の哀しみも、それを変える力に変える事が出来る人だからこそだと思うのです。

パンドラの箱が開かれたその後に…。
希望しか残らなかった…と考えるのか。
希望は残っている…と考えるのか。

夢や希望…。
少々くすぐったい言葉かもしれませんが、本年最初の記事ですのでご容赦下さい。

Hope is a good thing,
maybe the best of things,
and no good thing ever dies.

希望はいいものだよ。
多分最高のものだ。
いいものは決して滅びない。

映画「ショーシャンクの空に」より。

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2011年11月 3日 (木)

あなたはいつも私の心の中にいるのだから…

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仕事での移動には新幹線を利用する事が多い私です。
利用しないのは山形新幹線ぐらいで、JR東日本と全域とJR東海の名古屋ぐらいまでは、利用する機会が多いのです。
子供に新幹線マニアみたいと言われた事があります。
JR東日本さん、何かちょうだい。

今年の秋は上越、長野新幹線は団体旅行が多く、朝早いダイヤでも指定席がとれない事がありました。
私は移動中にかかってくる電話の事もあり、指定席は通路側を予約します。
先日の乗車時も、指定席は満席でした。

私は横5席のC席。
3人席の通路側でした。
窓側に向けて隣は2歳前後の子と乳児、おかあさんとおばあちゃんでした。
おばあちゃんは乳児を背負い、前のめりで座り、おかあさんは2歳前後の子をひざに乗せていました。

昼食にかかる時間で、タラコスパサラダとフランスパンにチーズとハムをはさんだサンドウィッチを買って楽しみに乗車した私は、はて、どこで食べようかと考えました。
勿論、シートで食べればよいのですが、経験則から隣の子供が「お腹すいた」とか「食べたい」…なんて思ったら。
お隣も用意していればよいのですが、私の子供なら間違いなく「お腹すいた」とのたまうので、私も相手もばつが悪い気がしたのです。
そう考えている内に、子供は眠ってしまったので、そーっと美味しく頂きました。

高崎駅を過ぎると通路を隔てた席の通路側が空いたので、隣のおかあさんに「私は上田駅まで指定をとっているので、どうぞ」と話して隣に移動しました。
感謝されましたが、そんなのはお互い様で、自分にも小さな頃があり、自分の子供が小さい頃もたくさんの人に、たくさんの配慮をしてもらいました。

その日、同じ車両でこんな風景を見ました。
大宮駅あたりから、おかあさんとおばあちゃんに1歳前後の双子と思われる女の子が乗車してきました。
指定席がバラバラみたいで、大騒ぎになっています。
小さな女の子はふたりともおかあさんと別々の席は嫌で、どうするか困っています。
子供が泣き出します。
たまらずおかあさんが「ああ、もう指定席なんかにするんじゃなかった」と大きな声で言いました。
おばあさんが泣き止まない子供をひとりをデッキの方へ連れて行くと、泣いている子供は離れると思って、なお更に大きな声で泣きます。
周囲への気持ちもあったと思いますが、おかあさんは、おばあちゃんに「ああ、もう余計な事をしないでおかあさん!」と怒鳴りました。
恥ずかしいと思う気持ちもあって、おばあさんに八つ当たりし、大きな声になる気持ちもわかります。
感情的になって子供を叱った事があるか。
後輩を感情的になって叱った事があるか。
私はいずれもあります。

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取引先の忘年会に出席した時の事(本年ではありません)。
普段は挨拶ぐらいしかした事のない経理部門の女性に声をかけられました。
忘年会の会場は大きなお店で、中央のフロアーはダンスが出来るような造りで、周辺にバーカウンターがあるような店でした。
DJみたいな人が大声で何か言っています。
トイレから帰るところを声をかけられました。

「ちょっと座んなよ」と相手も少なからず酔っています。
「いつもお世話になってます」と座ると小さなグラスを勧められ「さあ、どうぞ」と言われ頂きました。
ウオッカかバーボンのストレートか、”カッ!”という飲みごたえです。

「あんたの事、時々見かけるね…」
「よくあんなの相手(取引先の担当者)に商売するよ…」とか、いろいろ他愛のない話をしばらくしました。
「子供いるの?」と訊かれました。
「ええ、ふたり」と答えました。
私もほろ酔い加減ですが、相手も間違いなく酔っています。

「私、ロクデモない母親なんだよね」
「本当ですよね、こんなに酔っ払って」
「あんた、つまんない事言うね」
「あっはははは」

「私仕事が忙しかったり、つまらない事があったりすると、何でもない事なんだけれど、感情的に子供を怒ったりする事があるんだよね。子供に八つ当たりする事もあるんだよね」
「そんな事、自慢じゃないけれど私にもありましたよ。感情的になる事はありますよ」
「へぇ〜とてもそんな風には見えないよね」
後で知りましたが、この方は自身と子供ふたりの3人で暮らしています。
詳しい事情は知りません。

「そういう事しちゃうと落ち込むよね」
フロアーの音楽が変わりました。
「寝顔を見ながら、ゴメンネ、ゴメンネ。こんなお母さんのところに生まれてこなければよかったのにネって謝るんだよ」
グッと飲み干しました。
私もグッと飲み干しました。

「寝顔にゴメンネって謝るなら、起きている時に本人に伝えた方がいい」と私が言いました。
「それが出来るなら、苦労しないでしょ」
「違いますよ。今日はこんな事があったとか、こんな事で腹が立ったとか、辛いんだとか全部話せばいい」
「そんな事をしたら、子供が不安になるでしょ」

「本当に小さい頃は子供は親の事を何でも出来るスーパーマン、ん?スーパーウーマンだったと思ったでしょ」
私の方を見ると言うよりも、私を睨んでいます。
「でも、やがて親もひとりの人間だって気がつく。スーパーウーマンじゃなくて、不完全で、未完成で、いろいろな事をないまぜにして、持っている事に気がつくでしょ。自分だってそうだったでしょ」
身じろぎひとつせず、まっすぐこちらを見ています。
「子供は親の態度ひとつで、不安になるでしょ。自分は嫌われているんじゃないかって。そうすると子供は妙に従順になってみたり、反発したりと様々な反応を不安だから示すでしょ。私はそういう抑圧された状況は嫌いなんですよ」
小さなグラスを持ったまま、手が止まっています。

「でも、お母さんが大好きだから、大変なお母さんを見れば、いじましい程お母さんを慰めたり、元気つけたり、何かお手伝いしようとか、お手伝いできないか…と思いますよ。決して嫌ったりする事なんてない」
杯を重ね、グッと飲み干し、でも空のグラスを持つ手が途中で止まっています。
投げつけられるかも…なんて思っていました。

「ほら、女性が男性によく、言わなくてもわかるは、わからないって言うじゃないですか。同じですよ。子供に愚痴をこぼす日があれば、大好きなんだ、大切なんだって伝える日があっても、いいんじゃないですか」
「あんた、つまんない事言うね」
「ええ、つまんないでしょ」
私はパッと腕時計を見て「あっ、塾に行く時間だ」と言って椅子をおりました。
「じゃ、また営業してきますから」と言って私は席を離れました。
戯言を聞いてくれる相手の方が、私よりオトナです。

先日の旅行のフォトストーリーのBGMの最後に、マイケル・ジャクソンの「Will You Be There」を使いました。
そのフォトストーリーを見て、しばらく後の事です。
車でこの「Will You Be There」が流れた時、二男がハワイの曲だと言いました。

今年の4月から英語を学び始めた二男に私が言いました。
「お父さんがこの曲をあの映像の一番最後にしたのは理由があるんだよ。それは歌詞に秘密があるので、もっと英語を勉強して歌詞が理解出来るようになったら、その秘密を探ってみてね」と話しました。
二男は「うん、わかった」と答えました。

http://youtu.be/CRqYVFr7sL4

In Our Darkest Hour
In My Deepest Despair
Will You Still Care?
Will You Be There?
In My Trials
And My Tripulations
Through Our Doubts
And Frustrations
In My Violence
In My Turbulence
Through My Fear
And My Confessions
In My Anguish And My Pain
Through My Joy And My Sorrow
In The Promise Of Another Tomorrow
I'll Never Let You Part
For You're Always In My Heart

will you be there /Michael Jackson

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2011年8月27日 (土)

Shape Of My Heart

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2011.08.13日本経済新聞掲載記事

ジョー・オダネル写真展「トランクの中の日本」
―米従軍カメラマンの非公式記録―
http://www.gei-shin.co.jp/info/art2184.html

日本経済新聞の文化面に掲載された写真に目が留まりました。
いつか見た写真です。
アメリカ人の写真家、ジョー・オダネルさんが撮影された写真です。
近くにいた高校生の長男に「この写真の子供の視線の先に何があるか知っている?」と聞きました。
知っているとの事。
ちょっと驚きました。
高校で利用をした英語の教材で、この写真の内容を取り上げたそうです。

この記事の写真下の文字に注目しました。
仕事でよく行く長野県で開催されている事を確認し、機会を作って行く事を狙っていました。

たまにはいいよね。
長野県への出張で午後の仕事が速く終わる予定を組んで、その日誰にも内緒で行きました。
こういう博物館や美術館がある事も知りませんでした。
当日は歩くと汗ばむぐらいでしたが、東京とは比較にならなにさわやかさです。
とても静かな場所にそれはありました。

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仕事はさっさとおさぼりモードで、携帯電話の電源もオフ。
そして入館です。

テレビとは異なり、映画の様にそれを集中して見るのは、迫力が書籍に掲載されている写真を超えます。
ジョー・オダネルさん本人が写真を公開する気持ちに至った、火傷を負って十字架に貼り付けにされるキリスト像の写真が最初でした。

時間を忘れました。

そして、焼き場に立つ少年です。
1階展示室の中央にそれはありました。

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。

子供が犠牲になる事件、事故が連日報道されます。
親の発作的な暴力でなくなったり、ネグレクト(育児放棄)で絶望の内に亡くなって行く。
暴力におびえる日々…。
食事も、水も与えられない日々…。
理由のない親の怒りに、悪いのは自分だと責め続ける日々…。
その苦しみと哀しみを思うとき、たまらない気持ちになります。
続く人の世の哀しみに、たまらない無力感も覚えます。
そして、この哀しみは怒りにかえなくてはならないと、いつの頃からか思うようになりました。

この写真展にはジョー・オダネルさんの視線で捉えた子供の写真が数点あります。
この視線に館主が抱くとのと同じ気持ちを私も抱きます。

トランクが密閉されたままだった四十五年のあいだ、自分はどんなふうに生きていただろう。
何を考えて暮らしていただろう。
そんなふうに思うぼうのような人間、たくさんのジョー・オダネルさんが世界中にいうるかもしれない。

「信濃デッサン館」館主 窪島誠一郎

私はともに人間に共通する、普遍なものを感じるのです。


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2011年7月30日 (土)

生きるんだ、生きてみせよ…

横浜ランドマークタワーの1階で写真展が開催されています。
富士フィルム主催の「“PHOTO IS”10,000人の写真展2011」です。
全国に会場を設けながら開催すると、確か新聞で読んだ記憶があったのです。
被災地の子供には、使いきりカメラを配布して撮影させる…そんな事も記事にあったと思います。

イベントの詳細は以下に。
http://photo-is.jp/index.html
ランドマークでの開催内容は以下に。
http://www.yokohama-landmark.jp/page/event/

プロの写真家ではなく、個人が思った場面を、それぞれの想いを、写真で切り取った作品です。
見応えあります。
被災地の中学生が撮影した写真は、友達との会話をする場面やおかあさんが夕食の支度をしてくれる。
これまでの日常の場面がたくさんありました。
同じく被災地の小学生の写真には、お風呂であったり、布団もあったりして、もっと日常に即した部分が多いと思いました。
当たり前に思ったいた事が、当たり前でなくなり、その有難さを実感している事がとても伝わってきました。

他にも兄弟同士でとても仲良く写っている写真。
ペットの愛くるしい表情などたくさんいい写真がありました。
日常の一場面を切り取っている…そんな感じがとてもよかったのです。

私が何より釘付けになったのは、赤ちゃんの写真でした。
その赤ちゃんは不自然にうつ伏せで写っており、新生児のサイズより明らかに小さな事がわかります。
肌の色も決してよくありません。
そして、小さな体に痛々しくも管が通っていました。

NICU (Neonatal Intensive Care Unit) 新生児特定集中治療室で懸命に生きようとする赤ちゃんの写真でした。

写真につけられたタイトルは正確には覚えていないのですが、NICUで闘う我が子だったと思います。
苦境にある自分の子供を傷ましく思いながら、時に自分の事を責めながら、でも懸命に応援するおかあさんの気持ちを私は感じました。
生きるんだ、生きてみせよ…私は心で叫び、体中が熱くなりました。
私は涙が溢れ出しそうでした。

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10代の頃、自暴自棄になっていて、破滅願望がとても強かった時。
でも、きっとどこかで、本当はどこかで、いろいろな事を求めていて、それでも気づいていない事もあったし、見えていても、見えない事にしていた事がたくさんあったと思います。
いつか必ず…と自分の中で燃えていた情念の心が、行き場を失って、取り残されていると感じていたのです。
当時はそうは考えられず、何だかやりきれなさだけでしたが…。

あの日。
本当は自分が生きたかったんだ…と心から願っている事を知った時。
とても新鮮な驚きであったし、それが自分の中のつまらないわだかまりを解いて行く、きっかけにもなったのです。

哀しみの理由ばかり考えているよりも…。
後ろ向きに歩きながら、これまでの出来事を並べ替えているよりも…。
前を向いて歩くほうが、きっと…いい。
顔を上げて、前を向いて歩き出せば、目にゴミが入る事もあるし…。
行く先すら見えなくなる日もある。
渡るのが不安になる橋を、渡らなければならない日がある…。
でも…怖れと同じか、それ以上の希望も見出せる。

私たちは時として、近い未来も見出す事が出来なくなり、今を生きる意味を自問する事があります。
そして絶望する事があります。
でも、そんな時でも、誰の心も身体もその奥底に秘めている、生きたいというエネルギーを感じる事ができたら…。

NICUの赤ちゃんは自分が生まれてきた意味は考えていないでしょう。
今、そしてこれからを生きてゆこう…その事に懸命になっています。
生まれてきた、その事がもう素晴らしい。
生きている事、その事が素晴らしい事である事。

…あなた達には実感がないんです。
生きてる実感がきっとないんです。
何か大きなものに流されて、自分がなんなのか分からないでいるんです。
人間なのか、自分の体の中に何色の血液が流れているのか、傷つけると痛みを感じるのか。
それが分からないあなた達は、友達の体から赤い血が流れて、苦痛に顔を歪めて、孤独や絶望で表情を失っていくのを見てほっとするんです。
友達を傷つけることで、生きてる実感を感じようとするんです。
勘違いしないでください。
友達にいくら赤い血が流れていても、涙が溢れていても、それはあなた達自身じゃない。
あなた達は、人間だとは言えません。
みんなが…みんなが生まれたことだけで、もうとても素晴らしいことなの、生きていることだけで、素晴らしいことなの。
自分自身の存在に、早く自分自身で気づいて。
素晴らしい自分の命と同じように、友達の命も素晴らしいことに気づいて。
自分を愛するように、友達も愛して…。

人間・失格―たとえばぼくが死んだら/野島 伸司

生きるんだ、生きてみせよ…。

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2011年7月 2日 (土)

何かを変えられなくても 何かは始まるから

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B'zの「消えない虹」という楽曲ご存知ですか。

先日、出張に行く際、現地でレンタカーを利用する時間が長い事から思いつくままCDの棚からアルバムを持ち出しました。
その中にB'zのThe Ballads~Love & B'z~があって、この「消えない虹」を久しぶりに聴きました。

その人は友人の彼女でした。
何の約束をしていたのかは恥ずかしくて書けませんが、私と友人とその彼女と3人での予定があったのです。
待ち合わせは大学構内のラウンジで、最初に私が着いて、友人の彼女が次でした。

彼女は私の友人にとっても尽くすタイプで、友人には羨ましいねぇ…なんてやっかみ半分言っていたのです。
笑顔がとっても可愛くて、例えば皆で飲食する様な場所でも、(そんなに気を使わなくてもいいのに…)と思う事があるぐらいでした。

友人が来るのを待っている間、彼女と他愛のない話をしていました。
しばらくして、フトした沈黙の後、彼女が深いため息をついたのです。

「あらあら、ため息ひとつ、しあわせがひとつ逃げると言いますよ。しあわせなお嬢様にはふさわしくないじゃない?」
「えへへ…」と彼女。
それから「ケンシロウは、ひとりになったりした時に、急にむなしくなったりする事ないの?」と訊かれました。
「これから、フィーバー(…古い)しようとしている俺にずいぶんヘビーな質問だね」
「えへへ…」
「答えは【ない】です。」
「うらやましいね…」

誰かの役に立っているとか…。
周りから感謝されているとか…。
自分しかできない事があるとか…。
そんな時はとても生きているという実感があるのだけれど、時々急にやる気が失せたり、ひとりでいると何で自分が生きているのだろうと思うの…。
自分はどうして生きているのだろうと思うの…。

その大学構内のラウンジは建物の地下にありました。
夕刻は待ち合わせ場所となり、とても騒々しいところだったです。
話の途中から、いい加減に答える内容でない事を感じていました。
なんだか心配になってしまい、奴(彼氏)と上手くいっていないのかと訊きました。
そんな事はないとの事。
でも、ひとりになるとそんな思いに、気持ちに苛まされるとの事でした。

もう、自動販売機で買ったカップのコーヒーも飲み干してしまいました。
ちょっと席を立って、ミルクと砂糖入りの彼女の分とブラックの自分のコーヒーを買ってきました。
そっと彼女の前に置きました。
彼女は小さな声で「ありがとう」と言うと、両手でかかえて熱いコーヒーをすすりました。

携帯電話のない時代です。
奴(彼氏)の到着を遅いなぁ…と少し思っていました。
バイトから来る予定だったよな…なんて。
それまでもいくつか話をしたと思いますが、本当に他愛のない事だと思います。
18時を過ぎた頃だと思いますが、ラウンジ待ち合わせ組みも、ひと通り集合して目的地へ出かけて行き、ひと気も少なくなります。

いろいろ気を使わなくても、いいんじゃないか…と話しました。
奴(彼氏)には別だろうけど、いろんなところで気を使いすぎているから、疲れちゃうんじゃないのか…と訊きました。
「そうかなぁ…?」と彼女の反応です。
私は生まれた時にお袋を道連れに死にそうだったので、生きているだけで「良し」との扱いで、自分で言うのも妙だけれど天真爛漫に育ったと話しました。
だから、自分がやりたい事よりも、親が喜ぶだろうと思った事をする事はなかった。
親が喜ぶだろう思うことをする友達を見て、自分もそうした方がいいのかなぁ…なんて思っていたと話しました。

すると彼女は「私はそうだった…」とこちらを見ながら言いました。
「私はそうだった。親が喜んでくれる、親が喜ぶと思う事をしてきた…」と言ったのです。
「そりゃ、大変だったわな。そういう事していない自分が言ってはいけないのだろうけど、疲れちゃうよな。」と軽い調子で答えました。

「自分を殺して、殺し続けて、親が喜んでくれる、親が喜ぶと思う事をして来ると、やがてその対象が親でなくなって、でも自分の行為に誰かが反応してくれなければさみしくなるね。反応がないのは俺だってさみしいけどね。」
「だから…私はひとりになるとむなしくなるのかなぁ…」
「そうかもしれない。だから、自分で自分の為の時間を作ってもいいんじゃないの。自分のやりたい事をしてもいいんじゃないの。」と話しました。
彼女はもう冷めたコーヒーの紙カップを両手で大切なものを包むようにしています。

やっと奴(彼氏)が来ました。
「遅ぇよ」と少々文句を言った後、私たちは夜の街に消えて行きました。

その後、出会う人に、多く同じ事を思う人がいました。
自分の時間がむなしいものに思えて、生きている意味や価値を問い直し続けるのです。
やっぱり子供の頃、事情は人により様々でしたが、親が喜んでくれる、親が喜ぶと思う事を考えていた人が多かったと思います。
何もしていない、何も出来ない自分も自分の部分であり、そんな自分があってもいいのにと私は話しました。
それも自分の一部だと認めると、いつも誰かの評価を気にしなくていいよになる…と私は思うのです。

消えない虹を見つけてくれ
そしてもう泣かないで
何かを変えられなくても 何かは始まるから

心離そうとして 哀しい言葉並べてしまう
新しい服を着てみても
胸の痛みだけは隠しきれない

君の香りに 包まれているよ

消えない虹の下で会おう 覚めない夢の中で
季節は冷たく過ぎても 僕はずっとここにいる
Thinking about you,yes,I know who made you so blue
I'll be your destination someday

B'z / 消えない虹

「何かを変えられなくても 何かは始まるから」
このフレーズが好きです。
大切な人が同じ苦しみの中にいるなら、そっと話してあげたい。
「Thinking about you,yes,I know who made you so blue」
恥ずかしくて言えないけれどね…。

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2011年5月21日 (土)

男なら強くなれ、男なら強くな

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*写真と本文は関係がありません。

26歳の頃だったと記憶しているのですが、製品原料の件でマレーシアに出張した事がありました。
その出張では、ジャングルの奥地に行く必要がありました。
クアラルンプールから車でウン時間っていう事だったと思います。

途中、本当に見た事がない様なサルが行く道を横切ったりしました。
えーっ…。
ここで置いていかれたら、ちょっとやっかいだなぁ…なんてあらぬ想像をしていました。
当日現場までの案内をして下さったのは、現地法人の社長さんで華僑の方です。
だから、言葉にはしませんでしたが、わずか50年も経たない前に祖国を離れ、日本人がこの場所で戦っていたなんて想像が出来ませんでした。

用を足したくなり、トイレなんてないので適当な場所を見つけてはじめました。
するとLook out!(気をつけろ!)なんて、急に大声を出されてw(゚o゚)wビックリ!
止めろといわれても、そりゃ…と思ってましたが、多分止まったと思います。

近くにいる蟻に気をつけろとの事。
噛まれるとやっかいな蟻なんだとか…。
先に言ってくれよみたいな…。
何だかジャングルの方に目を凝らしていると、ずーっと何かが見ている様な気持ちになります。
そう言えば、ロードサイドの店でドリアンを勧められて、話しの種にと食べてみました。
私、ひとくち口に入れた途端に吐き出し、残りをジャングルに投げ捨てた失礼極まりない、厚顔無恥な日本の若者でした。

出張の目的を終え、原料工場近くで慣れない暑さにコンクリートのある場所で腰を下ろしていました。
すると8歳ぐらいのお兄ちゃんと5歳ぐらいの女の子のふたりが近くにいる事に気がつきました。
目が合ったのでニコッと笑って、挨拶に軽く手を上げました。
ふたりとも警戒しないで近づいてきました。

そこで私、子供に手品を披露しました。
手品と言っても、東急ハンズで安く購入できる代物です。
ボールが2個、3個と指の間で増える単純な手品です。
5歳ぐらいの女の子の方が、驚いて歓声を上げてくれました。

これ、以前に読んだ書籍にあったテクニックです。
そのカメラマンが一番いい撮影スポットを教えてもらうのに、撮影現場で子供と仲良くなるのに使う手なんです。
子供と仲良くなると、本当にいい場所を教えてくれるのだとか。
私も国内外で利用させてもらっています。
どこで営業をしても、これだと言葉や説明が必要ないので、子供とはすぐ仲良くなれます。

もう一度やってくれとせがまれ、再度披露しました。
何か楽しそうな事があると子供が集まってきて、いつのまにか5~7人ぐらいの子供がいました。
たったひとつしかないネタを何度か繰り返しました。
好奇心でキラキラした瞳と表情は嬉しいですね。
子供の表情がたまらないのです。

実弟が結婚をする事となり、先日両家の親族が集まり、顔合わせを兼ねて食事会がありました。
その中に小学1年生の男の子がいました。
実弟の奥方になる方のお姉さんのお子さんです。
実弟からは甥っ子になります。

10歳のお姉ちゃんとその男の子は姉弟。
実弟の義理の姉にあたるこの方は事情があって離婚し、現在は東京で仕事をされています。
ふたりの姉弟はおじいちゃんとおばあちゃん(ややこしいですが、実弟の義理の両親です)と一緒に、母親とは離れて暮らしています。
遊んで欲しくて、我が家の5年生の二男にちょっかいをだします。

二男にちょっかいを出すと、おばあちゃん(彼から見ると)が「よしなさい」と注意します。
すると本人が「うるさい」と返答をしたのです。
おばあちゃんは「ちょっとはやさしくしてくださいよ」と苦笑いです。

いつのまにか、我が家の二男と1年生の男の子と、身体を使って遊び、大騒ぎとなりました。
男の子ふたりを子供に持つ私には、一緒になって遊ぶのはお手の物です。
ちょっと名前の知れた料亭でしたが、ドリアンをジャングルに放り投げるぐらい失礼極まりないいい大人と子供ふたりの3人です。
迷惑千万。
離れでなければ、出入り禁止になるところでした。
反省です(まあ、子供には懐石料理の間は耐え難いと思いますが…本当に反省しているの?)。

デザートになって、席へと戻りました。
すると私の席の横へ来て、「もっと遊ぼう」と言いました。
おばあちゃんが「いい加減にしなさい」と彼をたしなめました。
また今度も「うるさい」と返答をしました。

私は彼の両肩に手を置いて、まっすぐ目を見ながら話しました。
「男なら強くなれ、男なら強くな」と話しました。
「もう俺はじゅうぶん強いぜ」と小学1年生の回答です。
「違うぞ。自分を大事にしてくれるおばあちゃんやおかあさんにも、やさしく出来る。それが強い男のする事だ」と言いました。
「わかってるよ」と返事をした後、「もっと遊ぼう」と始まりました。

この私の言葉は借用です。
なぜか、気負いする事なくその場では自分の言葉として出ました。
こうして文章にすると、なぜだか少し恥ずかしいですね。

とても仲良くなって、別れ際にこう言われました。
「今度、いつ会える?」
これが、この言葉を子供から言われるのは本当に辛い…。
【過去の記事「少し疲れた…そんな時」です。】

私は実弟を指差し「今日はすましているけれど、これからはあのおじさんがもっと遊んでくれるから大丈夫だ」と話しました。
弟に目配せをしました。
弟が「おおうそうだ、こっちにおいで」と彼に声をかけました。

「男なら強くなれ、男なら強くな」

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2011年2月21日 (月)

世界はやさしく、受け入れてくれるのだと。

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東京に雪が降った夜。
日本橋界隈は降りが弱かったので、残業をしていました。
しかし、最寄り駅に帰って来た頃は雪国の街の様で、バスやタクシーを待つ長蛇の列が静まり返った駅のロータリーに続きます。
たくさんの人がいるのに、誰もが無言です。

やっとバスに乗ってバス停から自宅へと歩いている時です。
22時を過ぎているのにどこからか楽しげな声が聞こえてきます。
近くの市民センターの駐輪場にある小さな屋根の下に集まった中学生が、市民センターの壁に雪を投げて遊んでいます。
雪の降る夜なのに…。
でも、4人前後でしたが、とても楽しそうです。

雪が降っていても、寒くても、そこに居場所があるんだよな。
いつかの自分の心がそこにありました。

怒られてばっかりいる子供。
誰かと比較されて、どうして出来ないの?なんで出来ないの?と詰問される。
やがて、どうして、なんて自分はダメな子なんだろう…自分で自分を責めます。

本当はこんな事がやってみたいんだ…。
あの子が苦手なんだ…。
この気持ちを聴いて欲しいの…。

逆上がりも、水泳も、出来る時が来るのは人によって早い遅いがあるんだよ。
それが出来ない事が全てじゃないんだ。
くやしいから一所懸命やっている事を知っている人がいるよ。

そんな子はたっぷり甘えさせてあげたい。
あなたが出来る事を褒めてあげたい。
あなたが生まれてきた事。
それが素晴らしい事なんだと伝えたい。
否定され続けてきた心に、生きている事。
それだけで素晴らしい事なんだと伝えたい。
しっかりと抱きしめたい。

世界はやさしく、受け入れてくれるのだと。


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2010年12月19日 (日)

頑張れ受験生!! 最後まで全力で駆け抜けろ!!

近頃、帰宅が遅くなったなぁ…と思う時間でも、高校受験と思しき生徒を見かけます。
2月が入試ですから、もうラストスパートのタイミングですね。
受験生の親はハラハラドキドキです。
つい自分の不安を隠すために、子供への話した方も詰問調となります。
「大丈夫なの?」
「ガンバっているの?」
「わからないところはないの?」
なんて、しつこく聞いてみたりする。

親はハラハラドキドキしますが、子供は表面的には親がイライラする程感じていないように見えます。
でも、一番ハラハラドキドキして、不安に感じているのは子供であり、受験生であり、本人です。

東京都の場合は2学期末の成績が様々な判断の基準となります。
必然的に、夏休み明けの2学期の中間テスト、期末テストは大騒ぎです。
親や学校の先生、塾の先生、同じクラスの友達など、様々なところからプレッシャーやライバルが出現します。

一番いけないのは、仮定の話しだと私は思います。
しかも互いに不安が背景にある場合は、その仮定の話しは大抵ダメになった時の話しとなります。
「○○だったら、どうするの…?」
それを一番考え、感じているのは本人です。

NHKで高視聴率を確保している「坂の上の雲」。
関連書籍も多く書店に並んでいます。
日本海海戦を勝利に導いた、東郷元帥のエピソードです。
どうしても出典が思い出せません。
もしかしたら、誰かから伺った話かもしれない、曖昧なネタ元の話しです。

日本海海戦の後、東郷元帥にインタビューをした記録だったと思います。
インタビュアーが質問をします。
「もし、日本海海戦に負けていたらどうしましたか?」
「考えていない」とキッパリ。
「勝負の前に考えるのは勝つ事のみ。負けた時の事を考えるのは政治家の仕事」

この通りだと思います。
結果が出る前にギャーギャー言うよりも、勝負に臨んで信じるのは勝利のみです。
親は我慢のしどころです。
何も努力しないで、念ずるだけで勝てるほど、勝負は甘くありません。
目の前の臨む試験で、とにかく高得点を獲得する為に努力をする。
2学期末の結果がいろいろな事に作用する事はわかっているのだから、最大限やれる事はやって本番に臨みます。
そうなったら本人の努力と力、そして本人を信じます。

これで失敗したら…ではなく、上手に行くにはどうするかを考え取り組む。
親はその都度、その都度の結果を待つしかありません。
そして出た結果が悪い時は、真摯に受けとめる。
出た結果の文句を言うならば、その結果を改善する方法を考えたほうがいい。
出た結果に文句を言ったり、怒っても、出た結果、終わった結果がよくなるわけではありません。
厳しく言うなら、その結果からどう本人が向き合っているか、その後の行動を見極める必要があると思います。
思いの通り上手くいった時は、タップリ褒めればいいと私は思います。

実際に試験をするには受験生であり、子供であり、本人です。
最前線で戦った結果に対する事態は、最後は政治家である親が考えればいいと思うのです。

頑張れ受験生。
夜明け前が一番暗くて寒い。
今が最後の難所である心臓破りの坂を登る途中です。
ゴールはもう目前。
最後まで全力で駆け抜けろ

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2010年10月16日 (土)

和解 通じ合うこころ

JR東日本の新幹線に「トランヴェール」という車内用の無料雑誌がおいてあります。
たまたま手持ちの書籍が読み終わってしまい、手にとって読んでいました。
伊集院 静が書いた「車窓に揺れる記憶」というエッセイの「帰省」という記事が掲載されていました。

内容は三浦哲郎の「忍ぶ川」に関連し、和解について書かれていました。
結婚に際し、親は子の見初めた人を受け入れいるものである事。
親に反対されスタートした新しい幸せな家族でも、心の隅に悔やみがある事。

和解は人間に新たな光を与える。
どんなに遅くなってもいいから和解を試みることだ。
それがどちからでもいい。
人のこころは私たちが考えているほど狭くないし強いものでもない。

伊集院 静 /「車窓に揺れる記憶」より「帰省」

そして結びに、こう書かれています。

人から受けた恩はその人に返すことができず、まったく違う誰かにその恩情を返すのが世の常なのだそうだ。

伊集院 静 /「車窓に揺れる記憶」より「帰省」

10月の3連休初日。
前日までの出張中に著しく体調不良となっており、めずらしく頭痛に悩まされていました。
家で少しゴロゴロとしていました。
自分としてはめずらしい事です。
ちょっと身体を動かした方が良いと思い、ストレッチしても、軽いトレーニングをしても、すっきりしません。

不愉快な頭痛を抱えながら、自分の部屋でフト、志賀直哉の「和解」を手に取りました。
おそらく購入したのは大学生の頃。
発行年月日は昭和60年となっていました。
栞が途中に挿んでありました。
…という事はおそらく、読了していないのだと思います。

これは前述の「帰省」の大きな影響です。
短編であり、頭痛の事もいつしか忘れ、その日のうちに読み終わりました。
志賀直哉の私小説との側面も強いそうですが、小説中の主人公とその父親の和解後の心のさぐりあい。
こわれそうなものを、大切に大切に扱う。
もう、壊れないように、互いの気持ちを大切にするのが、とても小説の主人公の様に、穏やかな喜びとして、私は感じたのです。

親殺しとか、子殺しとか、耳を覆いたくなる様な事件が報じられます。
どこかで、

和解は人間に新たな光を与える。
どんなに遅くなってもいいから和解を試みることだ。
それがどちからでもいい。
人のこころは私たちが考えているほど狭くないし強いものでもない。

伊集院 静 /「車窓に揺れる記憶」より「帰省」

…と、この気持ちの大切さを思います。
親子、兄弟、親族の争いは熾烈であり、これまでもビジネスの現場で少なからずありました。
そんな時に、他人である私に入る余地はありません。

中学生の時にケンカ別れしたままの友達がいます。
互いに意地っ張りで、その反目も熾烈でした。
その時も互いに歩み寄れるチャンスもあったと思います。
和解するチャンスはどこかにあったと思います。

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浅田次郎の小説「地下鉄に乗って」は、父親と息子の確執を埋めて行く様にストーリーが展開します。
ここにも親子であるが故の難しさがあると私は感じました。
原作の小説にこんなやり取りがあります。

「おかあさんとこの人とを、秤にかけてもいいですか。私を産んでくれたおかあさんの幸せと、私の愛したこの人の幸せの、どっちかを選べって言われたら…」
「-まあ、ずいぶんと難しいことだわねぇ」
母は声をたてて笑った。

中略

「あのね、お嬢さん。親っていうのは、自分の幸せを子供に望んだりはしないものよ。そんなこと決まってるさ。好きな人を幸せにしてやりな」

浅田次郎 / 地下鉄に乗って

私はこの場面に関わる部分は、せつなくて、苦しくなりました。
「だから-私にはもう何もできないから。大好きなあなたにあげられるものは、もう何もないから」から始まる、ひとりの女性の真実からの親子の和解は、小説ではなく、今目の前で起こっている事の様に迫ってくるのです。

互いが音信不通でも、心では日々互いの事を思い、音信不通ではないのかもしれません。
あらたな光を求めて、少し自分から歩み寄る勇気。
尊く、大切な事だと思います。

親が子を思う情はいつの世にも、「永遠の片思い」であるという。
片思いに応えられる年齢になったとき、親はいない。

墓前にたたずめば人は誰もが、「ばか野郎」となじってもらいたい親不幸な息子であり、娘であろう。

読売新聞 「編集手帳」

*文中は全て敬称略としております。

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