音楽

いつものように家に帰ろう。

日々、いろいろな事が起こります。
例えば、今日は…と思っていたら、結局深夜まで仕事をする事になった。
こんな事は一度や二度じゃないですね。

営業ではクレームがつきもので、避けて通れません。。
今、自分は取引先を直接担当する立場ではありませんが、自分が同じ立場であった時の事を思います。

クレームや問題が発生すると、重大な場合は私に連絡が来ます。
連絡の内容を聞き、解決に指示やアクションが必要な事がある場合は、その場で行います。

そして、一連の作業の最後に当該担当者に必ず聞く事にしている事があります。
「今日出来る事は全てやったね?」

重大なクレームや取引先から激しく怒られたりすれば、すぐに気分転換をする事はとても難しいです。
しかし、その日に可能な事を全て行ったのなら、ジタバタしても始まりません。
特に国内にいない時は、もどかしく、どうしようもない事が多々あります。

「今日出来る事は全てやったか?」
自分が取引先を担当する立場の時でも、この事をそういう場面では自問していました。

いつもいつも、そんな簡単ではありませんでしたが…。
心がけです。



眠そうなストアーのレジスター
自動ドアが連れて来た秋の風
信号機が街角染めて
少しは気分もかわったら
いつものように家に帰ろう



September Blue Monn / 松任谷由美

この楽曲が入っているアルバムは「Delight Slight Light kiss」です。
かの有名な「リフレインが叫んでいる」からスタートするアルバムです。

このアルバムを初めて聴いた時、やっぱり「リフレインが叫んでいる」はそれなりの衝撃でした。
しかし、アルバムの最後が「September Blue Moon」で、なんだかとてもしあわせな気分になるのです。
特に「いつものように家に帰ろう」というこの歌詞がとても好きです。
これ隠れた名曲です。

私には楽曲のイメージに、湘南海岸のロケーションがあります。
話を聞いてくれる友達がいて、気がすんだなら帰ろう。
そんな想い出と重なります。
背中を丸め、足をぶらぶらさせながら、あの海岸に座る自分が見えるようです。

いろいろあったけど、あるけれど、家に帰ろう。
大変だった今日一日を終えて、明日も頑張ろう…。
ここでの家は、自分の一番いい場所とするのがいいなと思います。

映画アンタッチャブルでも、ション・コネリーが演じるベテラン警官が、ケビン・コスナー演じる新任に心得を伝授します。
その第1条は「仕事が終わったら、必ず家に帰る…」という事でした。
これにどれだけの意味が込められているか、映画を見るとわかります。

斉藤和義さんの楽曲「歩いて帰ろう」も大好きです。
街は急いでいる、雲は流れている。
でも、私は今日歩いて帰る。
自分のホームグランドへ。

いつものように家に帰ろう。

真夏の雨・真夏の通り雨

ハワイではサンゴ礁の生態系に悪い影響があるので、日焼け止めの使用が中止されると報道で見ました。
そういえば、ハワイ在住の人々は雨は、シャワーと言って傘を利用しないと聞いた事がありました。
確かに日中の暑さの中、一服の清涼剤として通り雨は気持ちがよいかもしれません。

レベッカのアルバム「Poison」に「真夏の雨」という楽曲があります。
真夏の雨は、大切な人の腕の中にいるような心地よさがあるという内容です。
秀逸な表現で、聴く人の心を捉えると感じます。

Ah Beaten in the warm rain
It makes me feel like I´m in your love

真夏の雨は
It makes me like I´m in your love

レベッカ / 真夏の雨

ギターとドラムのリズムが、この世界に引き込んで行かれます。
ハワイの雨に近い世界ですね。

宇多田ヒカルさんの「真夏の通り雨」はアルバム「fantome」を聴いている時にグッと引き込まれました。
作業をしながら聴いていましたが、歌詞を見ながら再度聴き直しました。

思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない


宇多田ヒカル / 真夏の通り雨

あの時の空気、あの時の音、あの時の音楽…今いる場所から、あの時に急に引き戻される事があります。
確かにあの時は、ふいに、突然によみがえり、乱暴に掴んで離さないと思います。

楽曲のタイトルは「真夏の通り雨」。
通り雨なのに、

ずっと止まない止まない雨に

宇多田ヒカル / 真夏の通り雨

雨は降り止まず、いつまでも終わりの見えない心を示唆します。

激しく心をかき乱されました。
心に降る雨も、地表に降る前も、降りやまない雨は誰も望まないですね。

まっすぐ伸びていないが、道はこの先続く

今日は車の運転中にヘマをしました。
後方不注意で左後方のウィンカーからバンパーを壊しました。

日々いろいろな事が起きますね。
自分に起きることは選べません。

でも、起ったことに対し、その先どうして行くかは自分で決めることができます。
若い頃、このことに気が付くまで、私はとても時間が必要でした。

起った結果に対し、その後の行動は自分で選択することができる。
それは自分の人生を、自分の未来を創造することなのだと気が付いたのです。

Feel the sudden aches
Time to get moving
Getting somewhere with no directions
I swear to you it will never be the same
It's astray, but the road lies open
Leaving all deaths behind

I stand alone and breathe again
I won't stop until this is through

And I can't wait to see the sunrise again
(It's moments like this)
I am what you'll never be
To better what I am
You won't hear lies from me

突然霞がかかった気がする
動き出す時だ
生き方もわからないけど、到着する
お前に誓うよ
二度と元には戻れない
まっすぐ伸びていないが
道はこの先続く
もう涙を忘れるんだ

俺の心にある暗闇拭ってくれ
最後に残った夜
ここから至る所へ

太陽がまた昇るのが待ち遠しい
この瞬間
俺はお前が絶対になれないものだ
俺自身を良くするために
俺から嘘を聞くことはない


A NEW DAWN / iN FLAMES
対訳:国田ジンジャー
アルバム「SOUNDS OF A PLAYGROUND FADING」より

この楽曲、とてもドラマチックな展開です。
しばらく繰り返し聴いていました。
自分の力で、自分の意志で、自分で立ち上がり、自分で歩んでゆくんだ。
この楽曲「A NEW DAWN」、YouTubeに多くあります。

さて、損傷した車の事です。
修理するという選択をし、妻と予算の交渉する行動をします。

人が生きた場所に連綿と残る思い。

妻と交際をしている頃。
過去の思い出から行きたくない場所があったとの事。
私と交際をする様になってからは、その思いは消えたと話されました。
むしろ、その場所へ私と行き、新しい思い出に塗り替える方が良いとの事でした。

私にもあります。
私は忌むべき場所というより、戒めの場所です。
そこは社会人になって、傲慢で自意識過剰、私が自身を見誤った場所です。
今でも、その近くに行くと、「戒めの地」としてわが身と心を引き締めます。

昨日まで仕事で金沢におりました。
ここにも多くの思い出がありますが、仕事で訪れている時に、いちいち感傷に浸る事はありません。

しかし、朝移動のために在来線のホームで電車を待っている時の事。
向かいのホームの電車を見て、少しいくつかの思いがよぎりました。
電車には詳しくないのでわかりませんが、ずいぶん長いこと現役だろうな…と思う車両でした。

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そんな事からの連想です。
メンデルスゾーンの交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」を思い出しました。

弱冠20歳のメンデルスゾーンがバッハの《マタイ受難曲》蘇演という歴史的快挙を成しとげたのは、1829年3月のこと。
その1ケ月後、彼は初めてのイギリス旅行に出発する。
しばしのロンドン滞在の後、7月末に彼はスコットランドに赴き、悲運の女王メアリ・ステュアートにゆかりの城を訪れた。
「深い黄昏の中、私達は今日、女王メアリが生き、そして愛した宮殴に行きました。
…そばの礼拝堂は今は屋根がなく、芝や蔦がはびこっていました。
そこの壊れた祭壇で、メアリはスコットランドの女王として戴冠したのです。
何もかもが壊れ、朽ち果てており、明るい空の光が射し込んでいます。
今日そこで、私はスコツトランド交響曲の冒頭を見つけました。」
彼は16小節分の楽想を書き留めた。

メンデルスゾーン交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」
指揮:クルト・マズア
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
CD楽曲解説より引用 1988年10月吉成 順

偉大な音楽家と自分を同列にする気は毛頭ありませんが、人が生きた場所に連綿と残る思いがあるのだと考えるのです。
人はそういう事を感じるのだと思うのです。
いい事ばかりじゃないかもしれないけれど、悪いことばかりじゃない。

故郷は様々な思いがあり、とても素晴らしい場所であったりします。
風景はもちろん、空気や言葉。
料理や食べ物。
人は永遠ではないので、その場所で変わらずに続きものに思いをはせるのではないでしょうか。

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この交響曲大好きです。
第1楽章は本当に悠久の歴史を回顧するようにちょっと寂しげに始まります。
でも、第4楽章のフィナーレは賛歌の様な気がするのです。

人が生きることはきっと…。

浄められた夜(浄夜)

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赦すという事がどれだけ大変な事かと思います。
赦すという事は、その前提に何かに心が囚われている事になります。
だから、赦すとは問われている事からの、心の解放であると私は思うのです。

リヒャルト・デーメルの詩をベースにした、シェーンベルクの「浄められた夜(浄夜)」。
私はこの楽曲が大好きです。

リヒャルト・デーメルの詩はこんな内容です。
勝手な要約をします。

互いを思う1組のカップル。
しかし女性が満たされぬ思いを抱え、行きずりの男の子を身籠ってしまいます。
女性はその事を告白し、男性は女性を赦し、その子を自分達の子供として育てる事とします。

私が所有しているCDもクリムトの「接吻」をジャケット使っています。
「接吻」がこの楽曲のモチーフにぴったりです。

この前の記事にも関連しますが、人はひとつの感情や要素で生きているのではありません。
そう思えばこそ、「接吻」の構図の様に、崖の淵で互いを確認する男女の危うさを思うのです。
リヒャルト・デーメルの詩に登場する男性も、様々な思いが交錯していると考えるのが普通です。

他人を赦す事も大変です。
自分を赦す事はもっと大変だと思います。
今も、自分を赦せず苦しんでいる人がたくさんいます。
自分を責め続けている人がいます。

誰にでもあります。
私にもあります。
自分を赦すという事、その事にも気づけず、苦しんでいる人もいます。
赦すという事がわからずに、今を生きる、その事がとても苦しむ原因となっている人もいます。

シェーンベルクの「浄められた夜(浄夜)」は約30分の演奏時間です。
私は後半約15分が特に好きです。
夜、時折星空を眺めながら歩いて帰る時、ヘッドフォンで街中(正確には山中)に響き渡る様な感覚で聴きながら帰ります。
私が聴いているのはオーケストレーションされた作品です。

美しいメロディと弦楽が心にしみます。
大切な人を思う、きょうこの日に。
ひとりでも、ひとつの事でも、囚われる苦しみや哀しみから解放される事を祈ります。

よそゆき顔で

松任谷由美さんのアルバム「日本の恋とユーミンと。」
今週末は車で移動する時、妻と聴いていました。
80年代が青春の私たちには、耳に馴染んだ楽曲が多くあります。

それぞれに風景やチクチクとした想い出がよみがえる事があります。
いろいろありますが、その時に恋した人の事は顔も思い出せない昨今です。

このアルバムの選曲はいいな…と思います。
松任谷由美さんの楽曲は、それぞれに思入れが強い方もいて、その選曲にはいろいろあるだろうなと感じます。
誰もが良いと思うのは、ベートーヴェン交響曲全集ではありませんが、CDのBOX売りが必要です。
松任谷由美全曲集という事ですね。

このアルバムで好きな楽曲をひとつだけ選ぶとしたら、結構大変です。
あえてひとつなら「幸せになるために」を私は選びます。

まず、イントロのキーボードの音がたまらない。
楽曲の内容にかかって、時間とそれを超越する、あたたかいイメージがあります。
誰かが、うれしい温かい涙を流している感じがします。
そして、長くないイントロ。
唐突に楽曲が始まる様に聴こえます。

加えて、歌詞のいちいちが全てタイトルにかかっている気がするのです。
いろいろな気持ちといろいろな決断は、お互いが「幸せになるために」です。
思いを閉じ込める様に、ギターが余韻を残して終わります。

残念ながら、このアルバムの選曲が漏れている楽曲で1曲だけ加えるとしたら…。
私は「よそゆき顔で」がいいです。

この「よそゆき顔で」は当時のB面収録曲でした。

歌詞に出てくる観音崎は免許を取得してから、とてもなじみ深い場所であった事。
歌詞に出てくる「ドアのへこんだ 白いセリカ」。
当時乗っていたのは、親父のお古の白いスカイライン。
その車は私が免許を取得したその日にガードレールと接触し、ドアが少しへこんでた事。

楽曲中の女子の過去と決別しようとする決意を、とても切なく感じました。
なぜ、切なく感じたのか…、それは内緒です。

夜行列車と夜汽車

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先日、妻の実家へ伺った時の事。
義父と話している時、若かりし頃の話しを聞きました。
義父は80歳を超えています。
会話の流れで何がきっかけだったかは思い出せません。

昭和11年生まれの義父の実家は新潟県で、義父は二男でした。
中学を卒業後、本人は高校進学の希望がありました。
しかし、当時の社会状況と経済環境から、就職をしなければならず、止む無く進学を断念しました。
まず、長岡市内のクリーニング店に住み込みで就職をしました。
数年後、東京赤坂の大きなクリーニング店に同じく住み込みで変わりました。

就職ですが、要は丁稚奉公です。
ひたすら技術を上げる事に取り組み、休日はあって無い様なものだったそうです。
休日でも住み込み先にいれば仕事を頼まれるので、終日映画館で過ごしていたとの事。
ゆっくり休めるのは盆と正月ぐらい。

その話は年末に新潟の実家へ帰り、東京への帰路の事です。
当時、寝台列車に乗る事も出来ず、夜行列車で東京へ戻りました。
その時、対面型の4人席で、横になって眠ってしまったのです。
席を二人分使っています。

電車が赤羽駅に近づく頃、夜行列車も終点の上野に近づき、通勤する人が多く乗って来ます。
義父はまだ眠っていたそうです。
騒がしくなってきた車内、横になって眠っている若き義父の耳に、周辺で話している人の声が聞こえてきました。

席を二人分とっているから、起こせばいいんだ…。
混雑しているから、ひとりでも座れる方がいい…。
迷惑だな…。

「あ、起きなければ…」と思って意識が覚醒してきた義父の耳に…、
「よく顔を見てごらんよ。まだ幼いじゃないか。故郷にやっと帰って、また東京に戻ってきて、こきつかわれるんだ。いいじゃないか休ませてあげておいたって」
と、どこぞの姉御が言っているのが、聞こえたそうです。
義父は上野まで起きる事が出来なくなったと話していました。

宮尾登美子さん原作の映画「夜汽車」。
私は残念ながら原作も読んでいないし、映画も見ていません。
しかし、この映画の宣伝で聴いた、クロード・チアリさんの主題曲「夜汽車」。
これにはシビレました。

その哀切極まりないメロディーが、義父の話に重なり私の心によみがえりました。
義父が家族と離れて暮らすさびしさ、望郷の思い、進学できなかった悔しさ…。

やがて義父は独立し、お店はとても繁盛しました。
80歳を前に惜しまれながら廃業をしました。
今、穏やかな日々を過ごしています。

初めて聴いた時もシビレタし、今もシビレテいるからね。

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大阪の別宅(単身赴任していた時の住まい)は、寝室にほぼ壁一面の大きな窓がありました。
ひとり暮らしに好都合で、寝坊の予防に一役買ってくれていました。

マンションの4階でしたが、周辺にあまり高い建物がなく、そこから見える朝陽はお気に入りでした。
その景色にLinkin Parkのアルバム「Minutes to Midnight」の1曲目「Wake」がピッタリだと思っていました。

私は「Wake」のメロディーが楽曲名にちなみ、目覚めるというか、何かが始まるというイメージで好きでした。
ところが、この「Wake」に続く楽曲は「Given Up」。
迫力あるナンバーですが、直訳すれば「降参」とか「諦める」という意味です。
アルバムに漂うメッセージを自身で勝手に思えば、楽曲の順番を少し理解できる気がします。
しかし、バンドの音に、チェスター・ベニントンさんの声に圧倒されます。

初めて聴いたアルバムは「Meteora」でした。
最初から「ああ、なんか大好き」と思いながら聴きました。
バンドの音もいいし、何よりチェスター・ベニトンさんのヴォーカルに魅了されました。

チェスター・ベニトンさんの訃報はスマホのグーグルアプリの画面に表示されました。
その記事に残念な思いと決して知る事はなかった、チェスター・ベニトンの苦しみを知りました。

もう新作は出ないけれど、聴き続けると思います。
おっさんだけどね。
初めて聴いた時もシビレタし、今もシビレテいるからね。

米ロックバンド「リンキン・パーク」のリードボーカル、チェスター・ベニントンさんが20日午前9時、カリフォルニア州ロサンゼルス郡の住宅で死亡しているのが発見された。
検死官当局が明らかにした。
41歳だった。

検死官によると、ベニントンさんは首をつって自殺したものと思われる。

1976年にアリゾナ州フィーニックスで警察官を父親に生まれたベニントンさんには、妻と2度の結婚でもうけた子供6人がいる。
長年にわたりアルコールや薬物の乱用で苦しんでいた。
子供のころに虐待を受けていた影響で、自殺を考えたことがあると過去にも話していた。

BBC NEWS JAPAN 2017.07.21

癒されない喪失感によみがえる事 (哀しみにも終わりがあるのよ:太陽と月編)。

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ブルックナー交響曲が好きです。
特に後期の第7番・第8番・第9番が好きです。

ベートーヴェンの交響曲の様に、ブルックナーの感情爆発というイメージではないと私は思うのですが、それが大好きです。
ロックやヘビメタが大好きですから、感情が爆発する…そんな楽曲は大好きです。

出張先で仕事が終わると、帰りの飛行機や新幹線、長距離バスなどでよく聴きました。
疲れもあり、ブルックナーの交響曲を聴きながら心地よくなり、そのまま眠ってしまう事も一度ではありません。

私はブルックナーの交響曲に自然をとても感じるのです。
自然という表現が適当なのかどうかも、難しいぐらい。
その表現をする言葉が見つかりません。

悠久の大地とか、高原に吹く風、夜明け、星空、夕暮れ、雨、山、川、雲…。
いろいろな事をないまぜに、人間を包む自然の優しさを感じるのです。

ブルックナーの交響曲は聴くというよりも、浸るという感覚が近い気がするのです。
激しい感情の動きがないのですが、音楽に集中するというか、取り込まれます。
本当はその中で激しい感情の動きがあるのかもしれませんが、自分でも気がつかない間に、それが昇華される様な気持ちになっているのかもしれません。
いずれも長い演奏時間の交響曲ですが、私は飽きません。

大切な誰かを失った喪失感は、簡単に癒される事がありません。
日を追うごとに失った実像が迫り、それでもやっと曖昧になった記憶は、突然に何かをきっかけにして明確によみがえります。
これが繰り返される事は、本当につらい事です。

中世以後、仏教によって「悲」という文字が広く使われるようになったため、「愛しい」が消えて、「悲しい」と「哀しい」のふたつの意味が残ったといいます。
「悲」は、「非」と「心」が合わさった文字です。
羽が左右に開いた形の「非」は、両方に裂けるという意味を含みます。
「悲」は、心が引き裂かれるような感情を表します。
「哀」は、「口」と「衣」が合わさった文字です。
「衣」は見られたくない裸体を覆い隠すものです。「哀」は、激しい思いを胸に秘め、口を覆って咽ぶような心の状態を表します。

「哀しい」という言葉には、死別による心の痛みと、死者を求めてやまない思いが含まれているのです。
家族や恋人や親友や恩師など近しい人の「死」を「哀しむ」のは、当然の感情です。
直接の交流はないけれど作品を通して近しい存在となった作家や俳優や歌手などの訃報に接しても「哀しみ」は生まれます。
では、自分とは関わり合いのない「他者の死」は――。
日本には「他人事で無い」という美しい言葉があります。
不運や不幸に見舞われ、苦しみ、悲しんでいる他人に対して、その苦しみと悲しみを自分の身に引き受け、共に感じようという態度です。
文字通り、「他人事」を「自分事」として受け止める、受け止めたい、という気持ちが込もった言葉です。
知人から伝え聞いた話だとしても、テレビのニュースで知った話だとしても、「他人事で無い」という気持ちさえあれば、関わり合いのない遠い国の他者の「哀しみ」を我が胸に抱くことができる――。

「かなしい」には元来、「愛しい」という意味もあつたのです。
「あなたの隣人を愛せよ」という聖句が求める精神は、「他人事で無い」と通じるものなのではないでしょうか。
そして、「哀しみ」によつて、遠くの他者を「隣人」とすることができるのです。
「あなたの隣人を哀せよ」ということです。

人生にはやらなくていいことがある / 柳美里

先日、出張の帰り道。
新幹線でブルックナーの交響曲第7番を聴いていた時に、柳美里さんの著作の言葉が思い出されました。

哀しみにも終わりがあるのよ。

枯野を美しい沃野に

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ビジネスに限らずですが、互いに利害が一致するところを見出す事が出来ない事は多々あります。
多々ありますが、気持ちが入っている案件ほど、上手に行かないとガッカリするものですよね。
そんな事は…日々あります。

芥川龍之介の「枯野抄」を読んだのは高校生の頃。
その内容の凄絶さに、心がうすら寒くなった記憶があります。
人の利己的な部分をこれでもかとあぶり出しながら、「でも、それはいつかの自分かもよ…」と言われている様な気がするのです。
それは間違いなく自分の心の中にある、利己的な部分と共鳴するからだと思います。
私にはホラー小説より怖かったのです。

テレビ番組でよくありますが、ゴールを想定して番組を作る作り方が見ていられないと最近思います。
例えば、その人の死が、遠くないところにあると感じられる時。
後から、この時はとても笑っていましたとか、元気でしたとか、あの日が転機となりました。
…その後の追悼番組の為に、その為に撮影しているのではないかと感じる事がある時。
まさに枯野抄に登場する、その人の様に。
そう感じる私の心が枯野なのでしょうか。

健康を失ってみて、初めて健康の大切さに気づくように…。
大切な人を失って、その人がいかに大切な人であったかを想像以上に思い知る事があるように…。
自分が傷つき、初めて人の哀しみを理解出来たり…。
我々はその当事者にならなければ理解が出来ない事が多々あります。
人の哀しみを、業の深さを思います。

しかし、ゴールを想定作られたその番組を見て、その人の人生をわずかに垣間見て、心が激しく動く事があります。
哀しみが、心に響く事があります。
その反対に、不撓不屈の魂に、心揺さぶられる事があります。
特にビジネスで困難な場面に遭遇して、苦しい時に。

1974年10月30日。
ザイール共和国でのモハメド・アリとジョージ・フォアマンの対決。
キンシャサの奇跡を。

勝利を最後まであきらめない事。
どこかで、取り返しができる事を思う。

モハメド・アリはその時が来るまで、ジョージ・フォアマンの強烈なパンチに耐え、その時を待っていたのだから。
下馬評ではジョージ・フォアマンの圧倒。
ブランクもあり、当時ピークを過ぎたとの評価のモハメド・アリ。
観客はモハメド・アリの負けっぷりを観戦するようなもの…なんて言われていたそうです。

モハメド・アリは諦めなかった。
ジョージ・フォアマンのパンチに耐えながら、その時を待った。
そして勝利した。

1996年アトランタオリンピックの最終聖火ランナーに、病身ながら登場しました。
震える腕で聖火を持っていました。
震えながら立っていました。
あの姿を見た時、彼の言葉「Impossible Is Nothing(不可能な事はない)」を改めて思い出しました。

大好きなバンドのSUM41。
しばらく新作アルバムは発売されず、昨年6年ぶりのアルバムが発売されました。

ヴォーカルのデリック・ウィブリー(Deryck Whibley)は離婚やアルコール中毒に苦しみ、死の直前まで行きました。
相次ぐメンバーの脱退。
しかし、献身的に支えてくれた今の奥さんに、たくさんの先輩に、励まされ見事に復活しました。
そして、仲間も帰ってきたのです。

新作アルバム「13Voices」は、まるで復活の狼煙…ん、叫びかな。
どの楽曲もその復活のエネルギーが満ちていると感じるのです。
最近は気分を盛り上げる時に、よく聴きます。
通勤電車で毎日聴いています。

人生はわからない。
大逆転もあるのだ。

座礁した案件も、あきらめない。
可能性を探る事をやめない。

様々な人の人生から、その生き様に、勇気づけられます。