諸行無常である事。
人は誰に教わるのではなく、自然に学び悟るのでしょうか。
黄昏時に赤ん坊が泣くといますよね。
一日の終わりは必ずやってきて、沈む夕陽を止める事は誰にも出来ません。
6月22日の日曜日。
夕刻私は自宅にいると、福山雅治さんのラジオ番組をよく聴きます。
福山雅治のSUZUKI Talking F.M. - TOKYO FM
元々ラジオは大好きなのですが…。
それが終了してしばらくして、NHKのニュースを聴こうと思い、NHKラジオにチューニングし、ニュースを聴きました。
ニュースは5分で終わり、そのままラジオ特集の番組が放送されました。
ラジオ特集「沖縄戦孤児たちの戦後69年」でした。
国仲涼子さんの語りです。
コザ孤児院の先生を中心に証言は続きます。
戦地からやっと逃れてきたけれど、親は亡くなり、兄弟はどこにいるかもわからず、途方に暮れている子。
孤児院まで辿り着いたけれど、怪我や病気で亡くなってしまう子。
自分を生かすために母親がとった決断を、その苦しみを背負い生きる子。
暗くなって部屋の明かりをつける事も忘れ、私はその番組をじっと聴きました。
孤児院の先生が話します。
夕方になると、黄昏時になると、さびしくて子供は泣きだす。
母を想い、例えばみんなで一緒に楽しく囲んだ食卓を思い出し。
さびしくて、さびしくて。
夜、就寝時も同じでみんなさびしくなる。
だから、先生の近くで誰が眠るかで子供同士でケンカになる。
仕方なく先生は真ん中に眠り、そこを中心に子供たちが取り囲む様に眠ったとの事です。
先生は夜半にトイレに行きたくても、歩く場所もなく我慢した事があったそうです。
すぐ眠れるように昼間一生懸命に遊ばせたりしました。
でも、ダメだったそうです。
孤児院の先生は当時17歳です。
私の父方の実家のお墓には、もう既に年号が読めない、記載されている文字が判読できない墓石があります。
歴史の教科書に出てくる年号なんかもあります。
その中でいくつか「童」という文字が記載されたお墓があります。
それは幼くして亡くなった子供の墓石だと父から聞いた事がありました。
かつて日本では子供が誕生しても、その後は生き続けるのが難しい時代が続きました。
だから元気であればいいという事が第一でした。
父方の実家では男の子が生まれれば、近所の素性の知れた家の娘と結婚が決まっていました。
女の子が生まれれば、自分の家より大きな家に嫁ぐのが慣例だったそうです。
私の親父はその慣例を決然と拒否し、お袋と当家始まって以来の恋愛結婚をします。
そのラブストリーはここに→親父の恋 お袋の恋
その二人の間に長男として生まれた私は、誕生時にお袋を道連れに三途の川を渡りかけました。
そんな事もあって私の名前には健康の「健」が入っているのです。
当代の当主並びにいとこ(私の親父の兄弟の子)、私の兄弟を含めサラリーマンなのは私だけです。
私の実弟は獣医なのですが、他は医者と作家です。
こういう親父のところで、こういう誕生の仕方であった私は本当に元気で、人様に迷惑をかけなければいい…という基本線のみで育ちました。
だから幼い頃から勉強をたくさんしなければならない、そんないとこ達を見て不憫に思っていました。
…今、不憫に思われていたりして。
ちなみに実弟の獣医は本人の選択です。
愛犬がフィラリアで亡くなったその時、これを撲滅してやると中学生の彼は燃え立ち本当に獣医となりました。
親戚が集まると、いとこ達は公然と遊べるので「健ちゃんこないかなぁ…」と私は人気者でした。
今、コミ障という嫌な言葉があります。
話しが上手に伝わらない人などを揶揄する場合に使われる事があります。
スラングです。
自閉症、アスペルガー症候群やその他の広汎性発達障害に関係するコミュニケーション障害とは異なります。
「子供が元気であればいい」という時代は終わり、「いかに他人より秀でる」に重点が置かれる気がします。
私が小学生の頃はいろんなタイプがいて、最初は奇異に見られるタイプでもやがて受け入れられ、「あいつは、ああいうやつ」と受容され、それぞれ自分の位置があったと思うのです。
育児の情報は何が正しいか判断するのが困難なぐらい氾濫しています。
○歳までに立つ、○歳までに会話をするとか、個人差がある事にも定規をあてはます。
他人との比較の中で、これが遅れているとか、これが出来ないと焦るのは、ひとろひとり個人差のある中で誰かの定規をあてる事に他なりません。
いろいろ格差が生まれている世の中で、子供の将来を思えばこそ、出来ないという否定的な側面がクローズアップされてしまう事は無理がない事です。
しかし欠点に注目すると、それは注視であり、あたたかく成長を見守るというポジションにはなかなかなりにくいと思うのです。
例えば発達障害。
これは近年研究が進んでいる分野で、社会がこれに対応を始めたところです。
一見、市井の人と何も変わらない障害を持った本人が、その事に自身が気がつかず、会社で損な役回りをさせられていたり、自身だけでは乗り越えられない壁の前で、立ち往生し苦しんでいる事があります。
年間3万人を超える自殺者やうつ病の罹患者の増加など無縁でない気がします。
追いつめられないで…と祈ります。
親や教師、周辺の大人が発達障害に理解があれば、その成長の過程で発見する事が出来ます。
様々なパターンがある事もあり、理解がない、知らない大人からは親の躾が悪いと発達障害の子供とその親は糾弾されます。
他人の子供と比較して欠点ばかりが目について、自分の子供への視線が厳しくなる。
特に母親はその負担が増加し、孤立して行きます。
これは児童虐待の遠因ともなります。
追いつめられないで…と祈ります。
発達障害は発見し、自覚する事で対応が可能となります。
自分の子供には未來が無いと悲観する事は絶対ありません。
私の二男はアスペルガー症候群の診断を受けています。
私のこれまでの喜びや、哀しみ、苦しみ、乗り越えなければならなかった人生の様々な事は、彼に会う事に帰結していたのだと思っています。
彼はそんな私を知って、妻を知り、そんな私のところを選んで生まれてきてくれたのだと思っています。
彼をとても愛おしく思っています。
彼のおかげで、私の人生がどれだけ豊かになったか、想像が出来ません。
私が最後まで取り組む事は、彼を私と妻が亡き後でも生きていけるようにする事です。
日々の仕事は大変な事が多いです。
でも、
誰も行った事がない…
誰も考えた事がない…
誰も知らない…
そんな事業をこれまでもたくさんの人と協力しながら作ってきましたし、そんな仕事が大好きです。
大きな石が転がる荒野を、種をまき花を咲かせ、美しい大地にする。
そんなイメージができる仕事が大好きです。
私、エリート営業マンですからね。
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