育児

こどもの成長

1日タフな交渉が続いたその日、交渉相手だった取引先の元宮専務(仮称)さんと夕食をご一緒しました。
仕事の間は互いにプライベートな事は話はしませんので、会食しながらそんな事が話題になります。

ビジネスは、その日に妥結する事はできませんでした。
しかし、互いのタフな交渉を称えて夕食は盛り上がりました。
電車の時間も迫り、駅へ向かう私を元宮専務さんは断っているにも関わらず「送る送る」と一緒に来てくれました。

地方で電車の数が少ないので、21時を過ぎていましたが、まだ学生がいます。
部活動かな…なんて、ふたりで話していました。

私は酔いが少し回ったのか、自分の子供の事を話しました。
自分の長男が大学の楽団で指揮をしている。
その姿をホールで見ながら、長男に対する私の役割は終わったと思ったと話したのです。

自分が指揮したい曲を、楽団員を初めとする皆に了解をしてもらう。
了解してもうらうための作業をする。
人に聴かせるための練習を繰り返す。
自分が思うところに、楽団員を導いてゆく。
これから社会で生きて行く上で、いくつもの大切な要素を理解したのだなと思ったのです。

ああ、これで私が教える事はない。
長男は大丈夫だと思った…と私が話しました。

すると元宮専務さんは、実は自分の子供でもそう思った事があったと語り始めました。
元宮専務さんの息子さんは学生時代に野球を続けていたそうです。
キャッチャーで、その姿をバックネット裏で見ながら、そんな気持ちになったそうです。
確かにキャッチャーはゲームを作ってゆくポジションです。

そして、元宮専務さんはその後、前を見つめたまま唇を強く噛み、黙ってしまいました。
やがて、瞳からポロポロと大粒の涙を流し始めました。

電車が到着するまで、もう少し時間があります。
「もう電車が来るから、帰ります」と元宮専務は言って後ろを振り返る事なく去ってゆきました。

Christina Aguileraの「The Voice Within」がとても聴きたくなりました。
携帯音楽プレーヤーを少し薄暗い車内で用意しました。
電車に乗ってから降りるまで、改めてこの楽曲の素晴らしさを噛み締めました。

Just trust the voice within
Then you'll find the strength
That will guide your way
If you will learn to begin
To trust the voice within

心の中にある本当の声(思い)を信じて
あなたを導いてゆく その声(思い)の強さに気づくでしょう
あなたは学び始める 心の中にある本当の声(思い)を信じることを

Christina Aguilera/The Voice Within
あやしい和訳 ケンシロウ

愛情飢餓だなんて

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昨日、妻が実家に預けていた洋服を整理に行くというので、妻の実家に立ち寄りました。
衣替えの時期ですからね。

そんな中、妻が私の空手着を探し出してきました。
久々に見る道着と帯。
帯の黒、名前の金色の刺繍は自身の想像より、すいぶん薄くなっていると感じました。
最後に利用したのは、もう26年ほど前になります。

空手は私の逃げる場所でした。
高校1年生の夏休み前に始め、それから稽古に明け暮れる日々となりました。
当時、10代後半で自分の存在や生きる意味に苛まされていました。
しかし、空手の稽古をしている時だけは、その事を考えないでいる事が出来ました。

ストイックの稽古に取り組むので、周りからは上達が早いと言われていました。
それは違いました。
そうしていなければ、いられなかったのです。

親の庇護から、名実ともに離れて行く時。
自身のよって立つべきところを確立させる過程で、個人の差こそあれ、きっと誰もが通る道なのだと思います。
時が立ち、自分の存在や生きる意味に回答を得る事が出来たのか?

出来ていません。

ただ、生きていなければ、永遠にたどり着く、いいえ近づく事すら出来ない事だけは、理解できた気がします。

実弟の奥さんのお姉さんの子供。
実弟から見れば、甥っ子になります。
私からは、かなり遠い親戚ですね。

高校生の女の子と中学生の男の子の姉弟です。
両親は離婚をし、母親は東京で生活。
姉弟は少し離れた別の場所で、祖父母と離れて暮らしています。

5年ほど前に、2度ほど一緒に遊ぶ機会がありました。
わが子を含めて、とても楽しそうで、だから私もとても楽しかった覚えがあります。
先日実弟とゴルフのラウンド中に、ふと思い出し、元気にしているかと訊きました。

姉は高校に進学をしたけれども、上手に友達を作る事が出来ず、とても苦しんでいる様子。
SNSデビューしての、最初のつぶやきは、とてもさびしくなるものである事を聞きました。
弟は登校拒否の状況であり、泣きながら校長室までの登校を、やっとしているとの事でした。

心が痛みました。

気持ちだけは鮮明な記憶があります。
それは私が幼い頃の事です。
3歳離れた弟は、ご近所のお宅におり、私は母親と幼稚園のワークブックをしたのです。
その時、母親を独占できた事に、とても満足していた覚えがあるのです。
ワークブックの内容は記憶にありません。
しかし、母親を独占できた。
後にも先にも、その一度の事を、その事をとても鮮明に記憶に、感情として留めているのです。

幼い頃に、両親から、両親のいずれから特別な感情をもってもらった記憶がない。
子供には負担の大きな事です。
親の関心を引くために、物わかりのいい子になったり、反抗的な態度を態度をとる事があります。

さびしい。
満たされない、その思いをわかってほしい事が、様々な形となって現れます。

いつもいい子でいる。
自分の本当の心を殺し、家庭が平穏である事を願う。
そうすれば両親は可愛がってくれる。
自分が犠牲になっていれば、自分がこの家庭の漆喰になっていれば、安心なところが、そんな日々が続く。
だから自分の心を殺す事ぐらい、平穏な日々が続くなら厭わない。

いつもいい子じゃなくて、本当は甘えたい。
もっと大切にして欲しい。
私が頑張っている事をわかって欲しい。
そんな頑張っている、みんなのために心を殺して頑張っている、本当の私を褒めてほしい。

さびしい。
でも、素直にその気持ちを表現が出来ないし、上手に甘える事も出来ない。
傷つけるつもりはないのに、口をついて出る言葉は傷つける言葉ばかり。

大学時代に地方から上京し、一人住まいをしている友人がいました。
彼の両親は夫婦喧嘩が日常茶飯事だったそうです。
そんな彼が幼い頃、お母さんが怒りにまかせて、出てゆくと荷物をまとめ始めた事がありました。
彼も大急ぎで自分の荷物をまとめ始めると、幼い妹を抱えた母親が「おまえは来なくていい」と言ったそうです。
彼は私に笑って話してくれましたが、その時の絶望を思うと、心が苦しくなります。
彼は盆暮れにも帰郷する事はありませんでした。

ひとりになるのは嫌だ。
だから、自分の心を殺す。
居場所を失うのは嫌だ。
だから、自分が犠牲になってもコミュニティが維持されるならいい。
もう傷つくのは嫌だ。
だから自分の絶望は心の奥底に沈めておく。

そんながんばっている、誰にも理解されず、孤独な闘いを続ける日が終わるといい。
本当に大変だったね。
よくこんな苦しみに耐えたね。
温かいぬくもりと共に、そんな哀しみが昇華される日が来るといい。

きっと、まずは孤独な、厳しい闘いを続ける自分を褒めてあげるのがいいと思うのです。
自分はがんばっている。
これまで本当に、自分の心を殺しながら、本当にがんばって来た。
えらいぞ…そう思う事がスタートである気がします。
そこから、始まると思うのです。

この事は、まだまだ続く思いがあります。
ひとつの記事ではとても書ききれないので、また改めて書こうと思います。

僕はこの家でしあわせになりたいんだ

アスペルガー症候群の二男は、先日無事に中学を卒業する事が出来ました。
3年間の内、1年と2年生は環境の変化や友人関係に悩み、大変でした。
3年生になってからは、担任の先生の理解にも、友達にも恵まれ、3年生が一番よかったと本人も認めています。

卒業式の日、学年主任の先生と担任に先生には、個別のお礼を申し上げました。
3年間同じだった学年主任の先生も、3年生の生活が安定していて良かったと話しておられました。
4月からは高校生として、新たなスタートを切ります。

通級の先生と最後の面談が先般ありました。
通級でお世話になった先生も、一様に二男の成長ぶりを認め、今後に期待しているとのお話しでした。
特に英検2級の合格は大きく、通級の先生から海外での仕事を含め将来を検討するのがいいのではとの提案を頂きました。
それも確かに一考だな…と本気で考えています。

海外へ向かう事は、通級の女性の先生から特に勧められました。
東京大学「異才発掘プロジェクト ROCKET」ではありませんが、持てるの能力を最大限活かす場所がある。
ネットでも英語の原文で読み、広く自分の活躍できそうな場所を探すのが良いとの提案でした。

この通級で、二男が仲良くしている友達がいました。
彼は二男より二つ年下でした。
同じゲームが好きな事で会話が始まり、仲良くなったそうです。
その彼は、中学校に通学はしていませんでした。
通級の出席率も高くありません。
通級に通ってきても、なかなか先生を含め、他の生徒となじめず、会話も出来なかったそうです。
しかし、そんな事がきっかけで二男とはよく話をするようになったとの事でした。

二男もどこかで敏感にその事は感じていた模様で、自分が面倒を見るのだという気持ちを示していたそうです。
通級授業の最終日、残念ながらその彼は欠席で、二男は会う事ができませんでした。
その彼は「○○(二男の名前)の弟だったり、○○みたいなお家だったらよかったな」と言った事があったそうです。

以前、里親をしている方のドキュメンタリー番組を見た事がありました。
その番組の中で、年端もゆかぬ幼い子供が、その母親にこういうのです。

「僕はこの家でしあわせになりたいんだ」

幼い子供が使う「しあわせ」という言葉は、どういう意味で使うのでしょうか。
うれしいとか、楽しいではなく、この「しあわせ」という言葉に、どんな意味がこめられているのでしょうか。

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彼岸の日。
立ち寄った本家の庭に花桃が美しく咲いていました。
桃の花言葉をご存じですか。

私はあなたのとりこ…。
天下無敵…。
気立ての良さ…。

幼い時から、しあわせになりたいとせつなく思う心の背後に何があるのか。
その背後の哀しみや、苦しみや、さびしさが昇華された時、どれだけ強くて、やさしい人になるのだろう…。
そんな日が1日でも早く訪れるように。
だから…。

そんな思いの日、面談からの帰り道にふと、心に浮かんだ楽曲がありました。
繰り返し繰り返し、心の中で鳴り響くのです。
それは、妥協なんかなくて、全速力で駆け抜ける。
こんなストレートなロックは、そんな誰かの応援歌です。
涙がこぼれそうだけれど、パワーがわいてくる。

Grasping to control
So I better hold on

コントロールするために握るから
掴まってろ

Basket Case / GREEN DAY

とっても切ない。
そして、二男に心開いてくれた彼の行く道が、素晴らしい事を祈らずにはいられません。
そして、応援は疾走するロックンロールのリズムで。

やさしさで溢れるように。

地球上の生物で、人間は主に言葉でコミュニケーションをする動物です。

私の仕事である営業は、モノやサービスを売る事で結果が示されます。
これは営業という活動の結果であり、営業全体で言えば大きいですが、その一部分に過ぎません。

メールにパワーポイントと、便利な道具は増加しましたが、これも人と人とのコミュニケーションツールのひとつでしかありません。
対面で話をする時、言葉を使って意思の伝達を行います。
しかし、表情やしぐさ、声のトーンや抑揚などで伝わる事が、言葉以上に多くあります。
直接対面でその人に会う。
そのコミュニケーションに勝るものはないでしょう。

直接会ってコミュニケーションをしている時に使う言葉ですら、その言葉の意味以上の事を多く、その言葉に込めます。
例えばそれは、幼い子供に「えらいね」と褒める時などにあると思います。
その子供が本当に尊敬の対象になるのではなく、その事が出来た事の喜びや、可愛さ、これからの期待、進歩の喜びなど、たくさんの気持ちが「えらいね」に込められていると思います。
この「えらいね」に込めた発信側の多くの思いは、全てはその通り伝わらなくても、受け取る側も、その「えらいね」以上の思いを受け取ると思います。
「えらいね」に込められた気持ちを感じると思います。
直接会ってコミュニケーションが可能ならば、メールや電話より多くの事が、多くの気持ちを、きっと伝えられます。

子供が、
あなたが生まれてきた、その事だけで嬉しい…
あなたが生きている事、それだけで素晴らしい…
困難の中にある日、「大丈夫、お母さんの子供だもの」と勇気づけられたら…
そんな気持ちを感じる事ができたら。
そんな気持ちを受け取りながら育つ事が出来たら、それはどんなに素敵な事でしょう。

世界中の子供が、今つらい環境にある子供が、やさしさで溢れるように。

ふれあい…素敵な思い出

幼い頃、近所に生活雑貨店がありました。
駄菓子屋でもあるし、パンや洗剤、トイレットペーパーなども販売をしていました。
かつては、どこにでもあったタイプのお店です。

私は会社へ行く父親を送って行くと言いながら、その途中の店でガムを買ってもらうのが目的であり、その店まで行っていた記憶がかすかにります。
そのお店のおばちゃんは近所の子供の顔もよく知っていました。

「くださいな」とお店に入ると、「はい、いらっしゃい」と応えてくれる、そんなお店でした。
私はそのお店の構造にも非常に興味がありました。
坂の途中にあり、構造は3階建ての店舗兼住宅です。
しかし、小さなお店の入り口は1ヵ所しかありません。

…では、閉店をしてシャッターを閉めたのなら、お店のおばさんはどうやって家に帰るのか?
疑問が高じて、小学生の低学年の頃だったと思いますが、買い物に行ったついでに、その事を思い切った訊いてみたのです。
その答えは小学生の私にはファンタジーでした。

お店は入り口を入ると、アイスクリームの冷蔵庫やパンなどが所狭しと並べられています。
一番奥はカウンターで、おばさんはそのカウンターの向こう側にいました。

おばさんは私を、普段は入れないそのカウンターの裏側へと連れて行ってくれました。
その裏側には、おばさんがお店番をするスペースがありました。
なんとそのスペースの天井に、2階へと続く格子状の入り口があったのです。

そこには階段が掛けられるようになっており、おばさんはその階段を使って行き来していたのです。
アメイジング。

私は階段を登らせてもらい、2階へ上がりました。
そして、その天井扉をつたって、お店におりました。
消防署で緊急時に控え所から車庫に降りる、上り棒のある出入り口みたいでした。

その秘密基地の様な仕組みにワクワクしました。
長い間の疑問の解決が、こんなに素敵な答えであった事。
私は、たまらなく素敵な気分でした。

お礼を言う私の頭を、微笑みながらなでてくれたおばさんの顔を覚えています。
そのお店は私が高校生になるぐらいまでは営業をしていましたが、やがてひっそりと閉店をしました。

そういうお店は今、コンビニエンスストアに代わりました。
私もよく利用します。
お店に入れば「らっしゃいませぇ~」と声が聞えます。
勿論、店舗やチェーン、オーナーの方針で、お店の雰囲気は変わると思います。
しかし、なかなか「くださいな」とお店に入ると、「はい、いらっしゃい」と応えてくれる関係は難しいですね。

子供の頃の、誰かとふれあった思い出は、とても素敵な思い出になります。
「ふれあい」という言葉は、使い古されていると思う時がありますが、それは極めて単純だけれども、重要な事ですね。

そして、マイケルは同じスピーチの中で、このように自らの幼少期を振り返っている。
「でも、私が4歳くらいの頃に、こんなことがありました。
小さなお祭りで、父が私を抱き上げ、子馬の背中に私をひょいと乗せてくれたんです。
それはほんのちょっとした出来事で……、おそらく彼は5分もすれば自分のしたことなど忘れてしまったことでしよう。
しかし、私はその瞬間、心の特別な場所に、父への思いを焼きつけたんです……。

子供ってそういうものなんです。

ほんの些細な、ちょっとした出来事が彼らに大きな意味味を持つんです。
私にとっても、あの一瞬がすべてとなりました。
父とのそんな経験はたったった一度きりでしたが、そのお祭りでの想い出は、私の、父とこの世界に対する気分を素敵なものにしてくれたんです。
私はここに、本当の子供でいることの意味を知らない世代の代表者としてやってきました。
皆さんのほぼすべてが少年・少女の時代があった人々だと思います。
しかし、私はその少年時代がなかった人間です。

皆さんのように私に親密な気持ちを持ってくださっている方々ならご存知かも知れませんが、私は5歳でジャクソン・フアイヴのメンバーになった時からパフオーマンスを始め、今日に至るまで、歌ったり踊ったりすることを止めたことがありません。
疑うまでもなくステージでのパフオーマンス、音楽制作はこれまでずっと私の至上の喜びでありました。

しかし、少年の頃の私は、なによりも『典型的な普通の少年』になりたかったのです。
木の上に家を造り、水風船をぶつけあい、友達とかくれんぼをする、そのようなことに強く憧れていました。
私は、周りで遊んでいる子供達の笑い声をうらやむことしか出来ませんでした。
私のプロフエッシヨナルとしての人生に、そういった小休止は存在しなかったんです」

マイケル・ジャクソン / 西寺郷太
講談社現代新書

妻の幼い頃からの友人がいます。
彼女の父は酒乱の気があり、幼いころから家で暴力を振るう父親を忌み嫌っていました。

そんな彼女が成人式の日、義父に妻と一緒に車で、会場まで送ってもらう事となりました。
ワンボックス車に乗っていた義父が、着物を着た彼女を座席まで抱え上げ、座席に座らせたのです。
その時、彼女は全身でその喜びを表したそうです。
「抱っこしてもらっちゃったよ」
今でもその話を、嬉しそうにする事があるそうです。

明日を信じて暖かく、安心して眠れる夜を…。

この世には憎しみや哀しみも、苦しみも、あふれています。
本当の世界を知る方が良いからと、早くから子供にも包み隠さずでいいじゃないか…という意見を聞く事があります。
現実を知る事から、学ぶのだと。
現実を知れば、そこから子供も考えるのだと。

教育の現場で利用された副教材を中心に、そんな論争を見ました。

この世には、人間の所業であっても、目を覆い、耳を塞ぎたくなる事がたくさんあります。
知りたくなくても、避けているつもりでも、メディアであったり、様々な事から知らずにはいられません。
だから、子供であってもその現実から遠のく事なく、ありのままでいいと。

戦場で生まれ、戦場に生きており、そんな状況が避けられない。
そんなところが全てである事。
当たり前ですが、誰もそんな事を望むことはなく。
知りたくなくたって、知ってしまう、知らざるを得なかった…そんな事だってあります。

哀しみは、ある日突然、予期せぬところからやってきます。
では、ありのままの哀しみはそのままで、正反対の喜びはどうするのか。
この世の憎しみや哀しみも、苦しみも、ありのままにして、この世に生きる喜びや、感動や、ふれあいは、どうありのままにするのか。

この世に生きている喜びは、どうして、どうやって、何時の頃から、それは教えるのか。
憎しみや哀しみ、苦しみは早くから触れさせて、生きている喜びはどうやって触れさせるのか。
この世の哀しみは、この世の哀しみが教えてくれても、この世にある素晴らしさは誰が、どうやって教えるのか。
憎しみや哀しみ、苦しみばかりがあふれるこの世界で、でもそれ以上の喜びがあるかもしれないと、いつ、誰が教えるのか。

明日を信じて暖かく、安心して眠れる夜を…。
誰かを愛する喜びを…。
誰かに愛される喜びを…。
やさしい言葉に励まされたり、やさしい言葉で励ます事を…。
友がいる喜びを…。
人のぬくもりを…。
学べる喜びを…。
孤独ではない事を…。
勇気ある事を…。
強く、やさしくある事を…。

カメラを銃口と間違えて手を上げる少女
http://news.yahoo.com/why-photo-surrendering-syrian-child-touches-hearts-163805806.html

誰かの正解は自分の正解じゃない

仕事でたくさんの方とお会いします。
新しい方を紹介して頂く時、紹介して頂く方から「この人は○○な人です」と事前に案内をして頂く事があります。
その内容はいい場合と悪い場合があります。

職場に問題がある時。
誰々が悪いとか、誰々がするべき事をしていないとか、人物に関わる評価が多く出てくる事があります。

関係者が一致する評価や、個人的な感情に基づく評価。
関わる立場や地位、責任で評価は様々変わる事があります。

初めて会う方を、自分のフィルターを通して整理したりします。
この時、加点法で人物を判断する事が勿論いいわけで、その方のどこが素晴らしいかと思う方が話しも楽しくなります。
「俺はすごいんだぞ」「俺は偉いんだぞ」と前面にグイグイ来れば、あまり愉快ではありません。
また、減点法は今後の可能性を潰す事が多いです。

いつも余裕があるわけではないのですが例えば、どうしてこの人はこんなに自分を尊大に見せる必要があるのかなんて考える事があります。
どうして、この人はいつでも笑顔でいられるのだろう。
そうして、この人はいつも困難な事に躊躇せず、取り組んで行くのだろう。
それには喜び、あまりにも厳しい背景や哀しい過去、うれしい事、誓いなど、本人の本意とは別にそうしなければならない事情が裏にある事があります。

今、教育場面では出来る事、出来る様になった事に喜びを見出すのではなく、共通化する環境の中で、どう秀でるかに重きが置かれていると思います。
これが出来るなら加点という判断が入ります。
その加点は共通化する土台に加点をされます。
即ち、共通化する土台に乗れない場合は、加点する対象にすらなり得ない事となります。
スタートラインに立っていない…という評価になります。

共通化する土台に乗っていない場合は、あれが出来ない、これが出来ないの減点限りで、スタートラインの後ろにいる事になります。
でも、草花にとても詳しい。
生き物にやさしくて、詳しい。
彼がいるだけで、その場が愉快な雰囲気になる。
彼女がいると、場がとても和む。
スタートラインの後ろから、大きくジャンプできる魅力を持っている人はたくさんいます。

この年齢なら、この事ができなければならない。
この年齢なら、この能力がなければならない。

目安であってもいいと思いますが、あまりそれにしばられる必要はないと考えます。
誰かの正解は自分の正解ではありません。

スタートラインの後ろから走り出す方が、勢いがついて高く飛び上れる。
反則なぐらいにね。

今日は悔しいけれど、明日はきっと素晴らしい日だよ

「The Ballads ~Love & B'z~」というB'zのアルバムがあります。
楽曲も勿論ですが、アルバムの装丁も美しく、歌詞カードはブックレットの様に素晴らしいです。

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先日、中学2年生の二男が通学路を外れて帰り、妻からとても怒られました。
怒った妻はとても心苦しく、でも安全を優先にする事から二男を怒ったのです。
顛末は次の通りです。

中学1年生の時に仲の良かった友達、A君を追いかけて行ったのです。
A君は中学1年生の時、不登校でした。
たまたま近所に住んでいた事があり、休みの日に花火をしたり、相互の家を行き来していました。
やがてA君は通学が出来る様になり、本来の明るさもあって多くの友達が出来たのです。

次第に、二男とは疎遠となっていました。
しかし、二男には数少ない友達との認識があり、A君を追いかけまわし疎まれていました。
アスペルガー症候群に見られる、時間軸と冗談が通じない部分がわざわいしました。

過去にA君から「一緒についてくればいいよ」という言葉を時間軸を超えて思い起こしていたのです。
A君が他のB君と遊ぶ約束をしていたのだと思います。
仲間に入れて欲しい一心で、そのふたりの後をついていったのです。
正確には、ふたりにわかる距離でつけていったのだと思います。
やがて、巻かれてしまい二男はひとり帰る事となりました。

帰宅時間がいつもより遅かった事と二男の落ち込む様子を見て、妻が問いただしました。
二男は泣きました。
怒られた事よりも、さびしいのと悔しい気持ちが複雑に交錯していたのだと思います。

親は友達になる事は出来ません。

私はこの話を妻から聞き、二男の事をとても不憫に思いました。
その日、電話で話した二男はとても明るく、好きなゲームの話をしていました。
実際には出来ないけれど、抱きしめてやりたかったです。
その晩は二男の心を思い、よく眠れませんでした。

君のA君へのやさしさは、いつか、誰かの、あなたへのやさしさとなって帰ってくるよ。

戦いの記憶を たどっても
悔やむのは一夜に 歓びは永遠に

誰より一番 あなたの
心の平和を祈ろう
何も心配しないでいいから 明日へと無邪気に進め

欲望にも 期待にも 不安にも絶対押しつぶされない

惜しまずに 自分に火をつけて
私を染めていった あなたの炎忘れない

誰より一番あなたが
無垢な情熱をくれるよ
透きとおる鐘の音のように さみしげな世界に響け

誰より一番私が
あなたを最後まで見届けよう
羽にくるまれて寝るように ひたすら最高の瞬間を想え

新しい日々が始まるよ

B'z / GOLD

この楽曲の「GOLD」はイタリア語の朝陽だってWikipediaに書いてあったんだよ。

大きな石が転がる荒野を、種をまき花を咲かせ、美しい大地にする。

諸行無常である事。
人は誰に教わるのではなく、自然に学び悟るのでしょうか。

黄昏時に赤ん坊が泣くといますよね。
一日の終わりは必ずやってきて、沈む夕陽を止める事は誰にも出来ません。

6月22日の日曜日。
夕刻私は自宅にいると、福山雅治さんのラジオ番組をよく聴きます。
福山雅治のSUZUKI Talking F.M. - TOKYO FM
元々ラジオは大好きなのですが…。
それが終了してしばらくして、NHKのニュースを聴こうと思い、NHKラジオにチューニングし、ニュースを聴きました。
ニュースは5分で終わり、そのままラジオ特集の番組が放送されました。
ラジオ特集「沖縄戦孤児たちの戦後69年」でした。
国仲涼子さんの語りです。

コザ孤児院の先生を中心に証言は続きます。
戦地からやっと逃れてきたけれど、親は亡くなり、兄弟はどこにいるかもわからず、途方に暮れている子。
孤児院まで辿り着いたけれど、怪我や病気で亡くなってしまう子。
自分を生かすために母親がとった決断を、その苦しみを背負い生きる子。
暗くなって部屋の明かりをつける事も忘れ、私はその番組をじっと聴きました。

孤児院の先生が話します。
夕方になると、黄昏時になると、さびしくて子供は泣きだす。
母を想い、例えばみんなで一緒に楽しく囲んだ食卓を思い出し。
さびしくて、さびしくて。

夜、就寝時も同じでみんなさびしくなる。
だから、先生の近くで誰が眠るかで子供同士でケンカになる。
仕方なく先生は真ん中に眠り、そこを中心に子供たちが取り囲む様に眠ったとの事です。
先生は夜半にトイレに行きたくても、歩く場所もなく我慢した事があったそうです。
すぐ眠れるように昼間一生懸命に遊ばせたりしました。
でも、ダメだったそうです。
孤児院の先生は当時17歳です。

私の父方の実家のお墓には、もう既に年号が読めない、記載されている文字が判読できない墓石があります。
歴史の教科書に出てくる年号なんかもあります。
その中でいくつか「童」という文字が記載されたお墓があります。
それは幼くして亡くなった子供の墓石だと父から聞いた事がありました。

かつて日本では子供が誕生しても、その後は生き続けるのが難しい時代が続きました。
だから元気であればいいという事が第一でした。
父方の実家では男の子が生まれれば、近所の素性の知れた家の娘と結婚が決まっていました。
女の子が生まれれば、自分の家より大きな家に嫁ぐのが慣例だったそうです。
私の親父はその慣例を決然と拒否し、お袋と当家始まって以来の恋愛結婚をします。
そのラブストリーはここに→親父の恋 お袋の恋

その二人の間に長男として生まれた私は、誕生時にお袋を道連れに三途の川を渡りかけました。
そんな事もあって私の名前には健康の「健」が入っているのです。
当代の当主並びにいとこ(私の親父の兄弟の子)、私の兄弟を含めサラリーマンなのは私だけです。
私の実弟は獣医なのですが、他は医者と作家です。

こういう親父のところで、こういう誕生の仕方であった私は本当に元気で、人様に迷惑をかけなければいい…という基本線のみで育ちました。
だから幼い頃から勉強をたくさんしなければならない、そんないとこ達を見て不憫に思っていました。
…今、不憫に思われていたりして
ちなみに実弟の獣医は本人の選択です。
愛犬がフィラリアで亡くなったその時、これを撲滅してやると中学生の彼は燃え立ち本当に獣医となりました。
親戚が集まると、いとこ達は公然と遊べるので「健ちゃんこないかなぁ…」と私は人気者でした。

今、コミ障という嫌な言葉があります。
話しが上手に伝わらない人などを揶揄する場合に使われる事があります。
スラングです。
自閉症、アスペルガー症候群やその他の広汎性発達障害に関係するコミュニケーション障害とは異なります。
「子供が元気であればいい」という時代は終わり、「いかに他人より秀でる」に重点が置かれる気がします。
私が小学生の頃はいろんなタイプがいて、最初は奇異に見られるタイプでもやがて受け入れられ、「あいつは、ああいうやつ」と受容され、それぞれ自分の位置があったと思うのです。

育児の情報は何が正しいか判断するのが困難なぐらい氾濫しています。
○歳までに立つ、○歳までに会話をするとか、個人差がある事にも定規をあてはます。
他人との比較の中で、これが遅れているとか、これが出来ないと焦るのは、ひとろひとり個人差のある中で誰かの定規をあてる事に他なりません。
いろいろ格差が生まれている世の中で、子供の将来を思えばこそ、出来ないという否定的な側面がクローズアップされてしまう事は無理がない事です。
しかし欠点に注目すると、それは注視であり、あたたかく成長を見守るというポジションにはなかなかなりにくいと思うのです。

例えば発達障害。
これは近年研究が進んでいる分野で、社会がこれに対応を始めたところです。
一見、市井の人と何も変わらない障害を持った本人が、その事に自身が気がつかず、会社で損な役回りをさせられていたり、自身だけでは乗り越えられない壁の前で、立ち往生し苦しんでいる事があります。
年間3万人を超える自殺者やうつ病の罹患者の増加など無縁でない気がします。
追いつめられないで…と祈ります。

親や教師、周辺の大人が発達障害に理解があれば、その成長の過程で発見する事が出来ます。
様々なパターンがある事もあり、理解がない、知らない大人からは親の躾が悪いと発達障害の子供とその親は糾弾されます。
他人の子供と比較して欠点ばかりが目について、自分の子供への視線が厳しくなる。
特に母親はその負担が増加し、孤立して行きます。
これは児童虐待の遠因ともなります。
追いつめられないで…と祈ります。

発達障害は発見し、自覚する事で対応が可能となります。
自分の子供には未來が無いと悲観する事は絶対ありません。

私の二男はアスペルガー症候群の診断を受けています。

私のこれまでの喜びや、哀しみ、苦しみ、乗り越えなければならなかった人生の様々な事は、彼に会う事に帰結していたのだと思っています。
彼はそんな私を知って、妻を知り、そんな私のところを選んで生まれてきてくれたのだと思っています。
彼をとても愛おしく思っています。
彼のおかげで、私の人生がどれだけ豊かになったか、想像が出来ません。
私が最後まで取り組む事は、彼を私と妻が亡き後でも生きていけるようにする事です。

日々の仕事は大変な事が多いです。
でも、
誰も行った事がない…
誰も考えた事がない…
誰も知らない…
そんな事業をこれまでもたくさんの人と協力しながら作ってきましたし、そんな仕事が大好きです。

大きな石が転がる荒野を、種をまき花を咲かせ、美しい大地にする。
そんなイメージができる仕事が大好きです。

私、エリート営業マンですからね

私はひとりじゃない…と思える時、力が湧いてくると思いませんか?

通勤時に新入社員と思しき集団を見かける時期になりましたね。
どうして、そうだとわかるのでしょうか。
もう、はるか昔に失ってしまった初々しい輝きのせいでしょうかね。

集合研修を終えて、それぞれの部署に配属されてゆくのでしょう。
着任当初は何をしていいかわからないし、戸惑いもいっぱいで結構気疲れするものです。

居場所がない…。
これほどきつい事はそうないと思います。

幾年か前ですが、東京で大雪が降った日の事です。
交通機関がマヒ状態で、最寄駅から自宅までのバスは運行休止となったのです。
雪道を歩いて帰っている時の事。
近くの公民館の駐車場から歓声が聞こえるのです。
時間はもう深夜11時を過ぎていたと思います。

中学生と思われる一団が、公民館の壁に雪玉を当てて、誰が一番高いところまで投げられるかを競っているのです。
とても楽しそうでした。

本当なら雪の中、外で集まってこんな事していなくてもいいんだと思います。
憶測の範囲を超えませんが、彼らには居場所がないのだと思います。

親から虐待をされていたり…。
ネグレクト(育児放棄)状態で、食事もまともにとれない…。
だから、雪が降っていても、寒くても、仲間といる方がどれだけ心休まるのか…。
どれだけ安心なのか…。
どれだけ楽しいのか…と思うのです。

NNNドキュメントで里子の子が、これまで抱えてきた劣等感を払拭しようとする姿を放映していました。
孤独感に苛まされ、不安で、苦しくて、さびしくて、哀しくて、でも、そんな自分を受け入れ育んでくれる人と出逢えた事で変わって行く。
「ぼくはこの家でしあわせになりたいんだ」
これが子供の言葉なのかと思います。
その深い哀しみに、例えようのない気持ちになります。

マスコミでも親に所得による教育の格差が取り上げられる事が多くなりました。
家計に占める教育費の増大は顕著で、他人事ではない状況です。
それぞれの事情がありますが、親があきらめる事は、余程の事がない限り、子供にも伝播します。
そうして、絶望で行き場を失った子供たちが漂流をする。
そのさびしさと不安を、悪い大人が利用する。
たまらない孤独の中にいる時、自分の生きている価値を認めてくれる人がいれば、それが悪人であっても、飛び込んでしまう事もあるのです。
決して不思議な事ではありません。

前述の彼は劣等感を払拭する事を目的に自分の境遇を隠さない事とします。
そして彼が選んだ道は、同じ事で苦しむ人の力になる事でした。

人の哀しみを知り、その哀しみを自分の力にかえられる人が一番強いのだと思います。
自分と同じ様に苦しむ人に、苦しんできた人に、あなたはひとりじゃない…そう話せるやさしさ。
自分と同じ様に哀しむ人が、孤独に絶望する事がない様に、あなたはひとりじゃない…寄り添える強さ。
「…なんだか、あなたの言う事がわかるよ」と言える、受け入れられる、やさしさと強さ。

生きてゆくことが手さぐりでも…。
ひとりでやらなければならない事でも…。

でも、私はひとりじゃない…と思える時、力が湧いてくると思いませんか?
そんな大人でいたいと思います。

20131010002