映画・テレビ

エグモント序曲と誇り

ベートーヴェンのエグモント序曲。
ベートーヴェンが敬愛するゲーテより依頼されて書き上げた曲との事。

このエグモント序曲が宇宙戦艦ヤマト復活編に登場するエトス国のゴルイ将軍のテーマ曲として使われます。
原典のエグモントになぞらえているのかどうか、わかりませんが物語が重なります。
宇宙戦艦ヤマトの戦いを見て、ゴルイ将軍は自分達の戦いが誤りだと気づきます。
そして、かつてあった武人の誇りを取り戻します。

「やがて自らの行いが、いかに恥ずべき事であったか、彼らも知る日が来るだろう」
劇中のゴルイ将軍の言葉です。
この言葉を残し、武人としての誇りを取り戻したゴルイ将軍は戦いの中で死んでゆきます。

ゴルイ将軍の声優は、宇宙戦艦ヤマトには欠かせなかったデスラー総統の伊武雅刀さんです。
映画の中でも、物語を構成する重要なキーパーソンとの位置付けと思います。

さて、誇りとはなんでしょうか。

自らが不利になる事がわかっていながらも、自分の信念に従う事。
誇りには、そんな一面があると思います。

エグモント序曲は原典の物語になぞらえる事は勿論、ゲーテの注文で最後の勝利「勝利のメロディ」が入っています。

「頑張って下さい」と言っている

NHKのドキュメント72時間という番組が好きです。
先般は昭和歌謡を扱うレコード店で、来店する人々の人間模様でした。

そこに40代で働きながら、おとうさんと交代で、おかあさんの介護をしている人がインタビューに応えていました。
病気のおかあさんが歌が好きで、おかあさんの好きな歌を探しに来るとの事。
本人もレコード店に来るのが、仕事と介護から解放される大切な時間との事でした。

その彼(年下でしたので、こう書きます)が、別れ際にNHKの撮影クルーに「頑張って下さい」と言っている映像と音声が見切れるように入っていました。

頑張って…と励まされるのは、あなたの方だ。
頑張って…と言わなければならないのは、こちらの方だ。

その彼の、強さとやさしさが身に染みました。

https://youtu.be/s-O_JV8j8wc


幸せとは星が降る夜と眩しい朝が
繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降り掛かった雨に傘をさせることだ

back number / 瞬き

本当の原因

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前の記事に続く事です。

少し前にトムハンクス主演の「王様のためのホログラム」という映画を見た事を思い出しました。
原作を見たのならもう少し気持ちが入ったのかもしれませんが、なんだか淡々とストーリーを追っていました。

物語は左遷されたサラリーマンの仕事と人生の再生が描かれています。
どちらかに焦点を絞ってもよかったかな‥と思った事を思い出しました。
でも、さすがトムハンクス‥の映画という感じでした。

トムハンクス演じる主人公が背中に大きな腫瘍ができて、医師の診断を受けます。
トムハンクスは不調のすべての原因はこの腫瘍にあると考えて、医師に相談します。
医師は本当の原因は、そこにないと説明します。
ここに、この映画の妙味もあるので、これぐらいに。

前の記事の長先生も同じです。
現れる症状から、本当の病気や原因を見つけます。

私は今、多くの人との関わりの中で仕事をしています。
関係するそれぞれの人には、それぞの利害、それぞれの事情、それぞれの背景、それぞれの思いと様々です。

そういう多くの人達と信頼を築き、仕事を作り上げて行く事の大切さを思います。
その信頼は表に現れる様々な事象を互いが理解し、新しい世界を作り上げる事で醸成されて行くと考えています。

時にその道のりは短く、またとてもつもなく長い事もありますね。
途中で投げ出したり、くじけそうになる事も多々あります。

でも、仕事が出来上がり、人と人の関係の中で築かれる信頼に、たまらなく私は喜びを感じます。
だから、今の仕事である営業がやめられないのかもしれません。

映画「王様のためのホログラム」予告編
https://youtu.be/HQ4kodiyKlo


自分の話を聞いてくる人は、みんな大好き。

自分の話を聞いてくる人は、みんな大好き。

自分の事を話したい人はたくさんいて、聞いてくれる、その反応がとても楽しかったりします。
自分に好意的な人の前、組織における責任者との関係など、作用する事は多くあります。

私は自分の話をする事を、極力我慢する事としています。
自分で極力と言って、7割ぐらいと思っているかもしれませんが、本当は5割ぐらいかもしれません。

昔話に過去の栄光。
特にバブルの時の話。
聞く方はたまりません。

先日のNHKプロフェッショナルは石巻のお医者さんの事でした。
この先生が心がけている事は、相手の話を聞く事。
それは、表に現れる言葉だけでなく、その背後に大きな苦しみがある事を知っているからこその事でした。
先生のお名前は長 純一先生。

東日本大震災のPTSDで苦しむ患者さん。
でも、誰もが苦しみ、必死に立ち上がる環境では、自分はまだ苦しいという話が出来ない。
取り残される、傷ついた心。

そんな気持ちが汲みとれるように、長先生は患者さんの心にある言葉を待ちます。

…どんな時も、そばにいる
…困難にこそ、飛び込む
…声なき声をひろう
…地域を診る

この言葉が患者さんの信頼を得て、患者さんの苦しみに寄り添い、患者さんの心を開かせるのでしょう。
誰かに、本当の自分の気持ちを伝える事できるようになってから、治療は始まります。
自分はひとりじゃない…と思えた時からです。

長先生が診察しているところを撮影していました。
長先生は診察室で患者さんの話を聞きます。
その時、椅子の背もたれに寄りかかって聞くのではなく、必ず患者さんの方に身体を乗り出しています。
これは気持ちの表れでしょう。

長先生は患者さんに触れる手を、冷たくならない様に気をつけているそうです。
これも「あなたの話を心で聞くよ」という、言葉ではないメッセージです。
気持ちが姿勢に表れます。

…どんな時も、そばにいる
…困難にこそ、飛び込む

この姿勢と長先生自身の真摯な姿勢が信頼を生むのでしょう。
真似できないですね。

どんな時も、そばにいる
地域医療 医師・長純一
http://www.nhk.or.jp/professional/2018/0312/index.html

心通じること、生きること。

谷川俊太郎さんの「いきる」はあまりにも有名で、教科書にも掲載され教材になっています。
特に合唱にたずさわる方には、この「いきる」や他の谷川俊太郎さんの作品はお馴染みだと思います。
私の蔵書(そんな立派なわけではありませんが‥)にも、谷川俊太郎さんの「いきる」があります。
「いきる」を筆頭に、それを職業とするわけでない様々な人の思いが綴られています。

学生の頃、この「いきる」が教材として使用された時、とても退屈極まりないものでした。
今よりさらに未熟な感受性では理解ができませんでした。
少し齢を重ね、日常が連続ではない事。
諸行無常のわずか一旦でも知る事。
そうして様々な物事の捉え方は「いきる」がまったく理解できない頃からは変化しました。

素敵な人との出逢い。
美しい音楽に感動する事。
美味しいものを食べて、しあわせな気持ちになる事。
哀しい事も相変わらずやっぱりありますが、人生が豊かになったと感じています。

「君の膵臓をたべたい」
この書籍を購入して読んだ後、アスペルガーの二男に読むように勧めました。
通学時、電車の中で読んだそうですが、本人は今ひとつピンとこなかった模様です。
それは私が谷川俊太郎さんの「いきる」を初めて読んだ時の私と、あまり変わりがないのでしょう。

読後に書評をいくつか読みましたが、酷評が随分とありました。
ごもっともな指摘も大変多く、楽しんで読む事が出来た私は改めて未熟さを認識しました。
でも、得かなと‥思います。

私はハッとさせられました。
というか、言葉を得たと思いました。

「生きるってのはね」
「……………」
「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」
……ああ、そうか。
僕はそれに気づいて、鳥肌が立った。
彼女の存在そのものと言える言葉が、視線や声、彼女の意思の熱、命の振動となって、僕の魂を揺らした気がした。
「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。それが、生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。そうして形成された私は、今、生きてる。まだ、ここに生きてる。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに」


君の膵臓をたべたい / 住野よる

谷川俊太郎さんの「いきる」にもある、どこか普遍的な事を感じるのです。
人が生きることの普遍的な事を感じるのです。

この原作が映画化された事を後に知りました。
Amazonプライム・ビデオの見たい候補に入れておきましたが、先日他の書籍を買いにTSUTAYAに立ち寄った際に、DVDをレンタルして見ました。

原作を損なわない素晴らしい出来で、付け加えられたストーリーもとてもよかったです。
先ほど引用した言葉も映画の中で使われています。

この主人公を演じる浜辺美波さんがとても可愛い。
若ければ夢中になってしまったでしょう。
すっかりファンになりましたが‥。
引用した言葉も劇中に台詞で彼女が話します。
それは本当に名シーンです。

この小説にもう一つ、私がとても印象に残る言葉があります。

「違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」

君の膵臓をたべたい / 住野よる

人生は肯定的に捉えられる事ばかりではないけれど、すぐには出来なくても、どこかで自分を肯定できる日が来る事。
それが、その後をしあわせに生きること事が出来る近道じゃないか‥と思います。

タイトルにかけた構成もシビれました。
この映画の最後にMr.Childrenのhimawariが流れます。
先日、街で同じMr.Childrenの「つよがり」が流れていました。
フト思い出し、帰宅した後に家で聴きました。
これが主題歌でもよかったかな‥なんて思いました。

原作も映画もとてもよかった。
とても得した気分でした。

自己PRは苦手です。

最近、パガニーニーの生涯を描いた映画を見ました。
「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」です。
ネット通販会社の○○○○サービスで見ました。

大変興味深く、面白く見ました。
パガニーニ役のデビット・ギャレットは好演です。

才能はお金になる。
この事を嗅ぎ付けて、ダニの様に付きまとう人が、いつの時代もいるのだなと思います。
それで相互に利益がある時は良いですが、相反すると苦痛であり、才能を持つ人には障害そのものです。

たいていそれは、金銭以外の利害が異なる部分が発生する事によって変わって行きます。
この映画でも、パガニーニー本人とプロモートする人との関係が、パガニーニが本気で好きになった女性の事で変化して行きます。
心の中での順位というか、最優先する事が変化するのですね。

才能がある故に、孤独である事もあり…。
自分が利益を生むから、味方だと得だから…と周りにいる人々の中にいる人の、本当の気持ちを知ってしまったら切ないものです。
にぎやかな、大勢の人がいる中で孤独を感じたのなら、何もない原野にひとりでいるよりも孤独を感じる事となります。
街の雑踏の中、フトそんな気持ちに囚われる事が誰にでもあるのではないでしょうか。

画家の山下清さんの生涯の映画を見た事があります。
芦屋雁之助が主演で連続テレビドラマになる前の映画であったと思います。

山下清さんが亡くなる前のシーンがあります。
昏睡状態の山下清さんが、時折目を開けては時計を見るのです。
それを母親役の中村玉緒さんが「時間に追われる事が多かったから時計ばかり気にしている」と涙ながら話すシーンの記憶がおぼろげにあります。

その映画の中で、とても印象に残った言葉があります。
この母親役の中村玉緒さんが「障害のある子供を残し、自分が先に亡くなる事は辛い(正確な台詞は残念ながら覚えていないのです)」と話します。
この事は当時中学生だった自分の心に、とても記憶として残ったのです。

そう思ったのには理由がありました。
よろしければご覧ください(URLは文末にあります)。

本当にその人の才能を世間に広めたり、認めさせたりと当人に心酔して取り組む人も勿論います。
そういう人に出会えなければ、プロモートという名の隷属があり苦しいだけでしょう。
人に売り込む才能がない私には無縁ですが…。

同じく中学生の時、シカゴのヴォーカルだったピーター・セテラが、シカゴを脱退しました。
とても残念だなと思ったのです。
その後、ベストヒットUSAか、音楽雑誌の記事だったか忘れましたが、「僕がシカゴを一流バンドにした。僕が脱退した後に新作は駄作だね」と言ったのです。
ガッカリしました。
また、どうして仲良くやれなかったのだろうと憤慨しました。

しかし、その後に欧米のバンドが様々な事で解散して行く事を見聞きし、理解できる様になりました。
えーっ!と思う理由もありましたが、個人を尊重する部分もあるのだなと思えるようになりました。
そこには自分に嘘をつく事の辛さも含まれている事も学びました。

社会人になってビジネスで欧米人との取引する様になると、ピーター・セテラが特別な人じゃない事を思い知らされます。
自分の意思は表示します。
しなくてはなりません。
でも、自分の才能はこうだと説明する事は、いまだに慣れないし、恥ずかしいし、得意ではありません。

…最後に自分を最も強烈にPRしたのは、自分の奥さん…。
その話はいいですね。

しあわせのランプ(Chapter4) 渇望
http://an-easy-light.cocolog-nifty.com/bloglight/2008/09/chapter4-f2be.html

ぼくたちはすれ違ってない。

【ご注意】「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」のストーリーに触れる部分の記載があります。

大阪支店に単身で赴任をしている時、休日に出かけた京都の風景が見えて、この映画を見てみたいなぁと思っていました。
またこの映画の主題歌になっていたback numberのハッピーエンドはとてもいいですね。

なかなか映画館に足を運ぶ機会が得られず、DVD発売を心待ちにしておりました。
先日レンタルDVDが出たことを知り、早速レンタルして来て妻と一緒に見ました。

まもなく齢も50を数えるとなると、若者の気持ちを甘酸っぱいと感じても遠い想いです。
映画のストーリーは女性の方を中心に話が進み、その子細な感情表現に、小松菜奈さんのお芝居は素晴らしいと感じました。

自分のことだけを思って泣く、福士蒼汰さん演じる男性に少々がっかりしました。
ところが、彼がやがて嘆き悲しむのは自分だけではなく、相手も同じなのだと気がつくところに、彼の大人の男としての成長を見ました。
何故か、見る視線が違うなぁ…と感じました。
感情の向かう方向が違う気がします。
すっかり、おっさんになってしまった証です。

京都の冬の風景はとても美しいし、哀しみを含んだ物語にとてもよく合っているなぁ…と思う部分もたくさんありました。
この映画の大事な要素に、やはりback numberのハッピーエンドがあると思います。
私が映画を楽しみしながた、何度もこの楽曲を聴いた事があるのでしょうか。
歌詞や映画の内容から、ハッピーエンドではなく、ハッピーのエンド…だなと思います。

このストーリーを見ながら、ふと考えた事があります。
映画のストーリーに同じく、時間軸が逆であるならば…。
自分の大切な人が苦しんでいるときに、この哀しみはもうすぐ終わるから、この苦しみはもうすぐ終わるからと、そっと囁くことができたら…。
今日が、今が辛くても、哀しくても、さびしくても、苦しくても、やがて必ず終わるよ…とね。

ぼくたちはすれ違ってない。
端と端を結んだ輪になって、ひとつにつながってるんだ。

やっぱり、また京都に行きたくなりました。

あなたが勇気を出して 初めて電話をくれた
あの夜の私と 何が違うんだろう

どれだけ離れていても どんなに会えなくても
気持ちが変わらないから ここにいるのに

青いまま枯れてゆく
あなたを好きなままで消えてゆく
私をずっと覚えていて
なんてね 嘘だよ 元気でいてね

back number / ハッピーエンド

ぼくは明日、昨日のきみとデートする
映画のロケ地案内がありますよ。
私は東山周辺が好きでした。

電話帳から消せない人。

事業年度末の日、遅くに帰宅すると妻がテレビを見ていました。
「鶴瓶&松本&ウエンツの電話帳から消せない人」という番組でした。
私も横で見ていました。

その中で、山田邦子さんが、亡くなったヒップアップの小林すすむさんの携帯電話番号が消せないとの話がありました。
番組で山田邦子さんは、その番号に発信をしていました。
その電話は呼び出し音が鳴っていました。
もう同じ番号の契約者は別人かもしれません。

でも、山田邦子さんは奥様が途切れないもの…として、継続しているかもしれないと話していました。
それは、小林すすむさんが生きていた証として。

我々の情報は様々な場所で利用をされています。
子供が受験の時期が近づけば、予備校のダイレクトメール。
成人式が近づけば、成人式用のスーツや着物のダイレクトメール。
様々な買い物の購入履歴によるダイレクトメール。

宛名の人が故人になっても、その情報はないのでダイレクトメールは無遠慮に届きます。
やっと薄れた記憶を呼び戻され、深い哀しみが蘇ります。
生きていれば…という思いが、激しく胸を締め付けます。
やがて、故人宛の郵便は届かなくなります。

先日、取引メーカーの社長さんが急逝した事がわかりました。
本年の1月に急逝され、その後の事業の継続や後継代表者の選出など、大変だったとの事です。
亡くなられた代表者の方とは、東日本大震災による風評被害を乗り越える仕事を、微力ですが手伝わせて頂く事となりました。
知恵を絞った記憶があります。

この方の父親にあたる会長は、その1年2か月前に亡くなられています。
巨大な組織の言われなき攻撃に決然と戦い、マスコミにも多く取り上げられた方です。
その奥様は、会長を、そして今度は自身の子供をおくる事となりました。
その哀しみは深く、耐えがたき事と思います。

弔問が遅くなった事を、先日お詫びに参りました。
帰社してから、その取引先の現在の担当者に、仕入先情報の変更を指示しました。
その作業は大至急に行うようにと。

6月の株主総会が終了すると、挨拶状を取引先各社へお送りします。
その時には、必ず現代表者宛となる様に。

私の携帯の電話帳にも、亡くなった方が残っています。
殆どが取引先の方ですが、残っています。
それは一時期ですが、互いに真剣に仕事をしてきた証であり、その時の思いがそこにあるのです。

本当の心は誰にも縛られることがない


映画「沈黙 ~サイレンス~ 」

本当に素晴らしい映画だった。
映画を見ながら私は時としてロドリゴあり、時としてキチジローであり、登場する様々な人の気持ちと自分の気持ちが交錯した。

この映画を素晴らしいと思うのは、遠藤周作さんの小説をいくつも読んでいるからかもしれない。
特に著書「イエスの生涯」で描かれている永遠の同伴者であるイエスの姿が心にあるからかもしれない。

湖畔の村々で彼は人々に見棄てられた熱病患者のそばにつきそい、その汗をぬぐわれ、子を失った母親の手を、一夜じっと握っておられたが、奇跡などはできなかった。
そのためにやがて群集は彼を「無力な男」と呼び、湖畔から去ることを要求した。
だが、イエスがこれら不幸な人々に見つけた最大の不幸は、彼等を愛する者がいないことだった。
彼等の不幸の中核には愛してもらえぬ惨めな孤独感と絶望が何時もどす黒く巣くっていた。
必要なのは「愛」であって病気を治す「奇跡」ではなかった。
人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。
自分の悲しみや苦しみをわかち合い、共に涙してくれる母のような同伴者を必要としている。

イエスの生涯 / 遠藤周作

生きる事が辛かった10代の頃、その終わりはこの言葉と出会った事だった。
これまでの多くの出来事が結びつき始め、孤独がどれだけ絶望的な事であるかを知る、その言葉を得た思いだった。

自分の居場所…。
自分の生きる意味…。
自分を許す事が出来る安堵の思い…。

哀しみを理解し、共に分かち合いたいと思う永遠の同伴者の姿がある。
だから踏み絵を踏むクライマックスで、「私はお前の苦しみをわかっている」と言う声が聞こえてきた時、涙が止まらなかった。
あの時に、著書「イエスの生涯」に書かれた言葉を知った時の再現に近かったのだろう。

涙で字幕が良く見えなかった事もあるが、英語のセリフが心に残った。
後から、低い能力だが、この時ほど英語を理解できることに喜びを感じた事はなかった。

遠藤周作さんの原作が発売されたのは1966年。
私が生まれる前だ。
そのこともあったのか鑑賞をしている人は圧倒的に高齢者というか、お年を召した方々ばかりだった。

映画には原作にはないロドリゴの最後がある。
そこで最後まで棄教をしていない表現がある。
本当の心、本当の気持ち。
心は誰にも縛られることがないと言う思いなのだろうか。
それは信仰の勝利と言う単純な事ではないと思う。

感動なのか、心の内面が現れた表現できない気持ちなのか、私はしっかり心をとらえられてしまった。
原作本は著者のサイン入りで、私の大切な宝物だ。

私の断片が多く存在する。

TVのCMで、映画「沈黙-サイレンス-」の宣伝を初めて見ました。
いよいよ公開なのだなと思います。

「沈黙」は20代の頃に読み、大きな衝撃があった小説です。

恨みと同じ気持ちを抱えていた10代の頃。
その気持ちだけが支えであり、その気持ちがあるからこその時期がありました。
「このままでは、絶対に終わらない」という自身が生きるための原動力となっていた時期もありました。

それから、たくさんの人との出会いや出来事で、私は変わり、いつしかそんな気持ちが薄れてゆく事を思う日が訪れました。
それまでの様々な出来事の中で、この小説の内容が占める部分はとても大きかったと思います。

アスペルガー症候群の二男は、中学校生活の中で自分と友人関係、他の生徒との関係の中で、とても傷つき忘れられない事があります。
今でもそれを時折思い出し、涙ぐんでいる事があります。

私に「忘れられない」といいます。
私は「忘れなくていい。忘れようとしなくていい」と話しています。

なぜ弱きわれらが苦しむのか―

この映画に与えられたコピーですが、ストリーを本当によく表す言葉だと思います。

映画「沈黙-サイレンス-」
http://chinmoku.jp/

予告「沈黙-サイレンス-」
https://youtu.be/0cUtOR-DL1A

私はこの小説を読んだ時、私の断片が多く存在する事を感じたのです。