最近、パガニーニーの生涯を描いた映画を見ました。
「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」です。
ネット通販会社の○○○○サービスで見ました。
大変興味深く、面白く見ました。
パガニーニ役のデビット・ギャレットは好演です。
才能はお金になる。
この事を嗅ぎ付けて、ダニの様に付きまとう人が、いつの時代もいるのだなと思います。
それで相互に利益がある時は良いですが、相反すると苦痛であり、才能を持つ人には障害そのものです。
たいていそれは、金銭以外の利害が異なる部分が発生する事によって変わって行きます。
この映画でも、パガニーニー本人とプロモートする人との関係が、パガニーニが本気で好きになった女性の事で変化して行きます。
心の中での順位というか、最優先する事が変化するのですね。
才能がある故に、孤独である事もあり…。
自分が利益を生むから、味方だと得だから…と周りにいる人々の中にいる人の、本当の気持ちを知ってしまったら切ないものです。
にぎやかな、大勢の人がいる中で孤独を感じたのなら、何もない原野にひとりでいるよりも孤独を感じる事となります。
街の雑踏の中、フトそんな気持ちに囚われる事が誰にでもあるのではないでしょうか。
画家の山下清さんの生涯の映画を見た事があります。
芦屋雁之助が主演で連続テレビドラマになる前の映画であったと思います。
山下清さんが亡くなる前のシーンがあります。
昏睡状態の山下清さんが、時折目を開けては時計を見るのです。
それを母親役の中村玉緒さんが「時間に追われる事が多かったから時計ばかり気にしている」と涙ながら話すシーンの記憶がおぼろげにあります。
その映画の中で、とても印象に残った言葉があります。
この母親役の中村玉緒さんが「障害のある子供を残し、自分が先に亡くなる事は辛い(正確な台詞は残念ながら覚えていないのです)」と話します。
この事は当時中学生だった自分の心に、とても記憶として残ったのです。
そう思ったのには理由がありました。
よろしければご覧ください(URLは文末にあります)。
本当にその人の才能を世間に広めたり、認めさせたりと当人に心酔して取り組む人も勿論います。
そういう人に出会えなければ、プロモートという名の隷属があり苦しいだけでしょう。
人に売り込む才能がない私には無縁ですが…。
同じく中学生の時、シカゴのヴォーカルだったピーター・セテラが、シカゴを脱退しました。
とても残念だなと思ったのです。
その後、ベストヒットUSAか、音楽雑誌の記事だったか忘れましたが、「僕がシカゴを一流バンドにした。僕が脱退した後に新作は駄作だね」と言ったのです。
ガッカリしました。
また、どうして仲良くやれなかったのだろうと憤慨しました。
しかし、その後に欧米のバンドが様々な事で解散して行く事を見聞きし、理解できる様になりました。
えーっ!と思う理由もありましたが、個人を尊重する部分もあるのだなと思えるようになりました。
そこには自分に嘘をつく事の辛さも含まれている事も学びました。
社会人になってビジネスで欧米人との取引する様になると、ピーター・セテラが特別な人じゃない事を思い知らされます。
自分の意思は表示します。
しなくてはなりません。
でも、自分の才能はこうだと説明する事は、いまだに慣れないし、恥ずかしいし、得意ではありません。
…最後に自分を最も強烈にPRしたのは、自分の奥さん…。
その話はいいですね。
しあわせのランプ(Chapter4) 渇望
http://an-easy-light.cocolog-nifty.com/bloglight/2008/09/chapter4-f2be.html
最近のコメント