日記・コラム・つぶやき

自分の中の真実を探す旅でした。

ブログはある日の講演で挨拶をした経営コンサルタントから勧められました。
当時はブログの事を自分の生活を切り売りし、他人からの関心を集める…という硬直的な考えに囚われていました。
その経営コンサルタントの方は、自分を見つめる事になるからと私に話してくれました。

始めてみました。

最初は読んでくれる方も少なかったのですが、おかげさまで徐々にアクセス数が増加して行きます。
記事を更新すると必ず読んで頂ける方。
コメントを頂ける方。
コメント欄には書けない、書きたくないとの事でメールを頂く方。
ともてもうれしく思いました。
また、他の方が書いたブログも、とても楽しく読む事が出来る様になりました。

表現が秀逸なブログ。
いつも思わず笑ってしまうブログ。
毒があり、いつもニヤリとしてますブログ。
様々な方のブログを読む事は、とても参考になりました。

自分と向き合うブログは、その表現に悩みました。
この「太陽と月」より、自分の過去がある「しあわせのランプ」の方が大変でした。

記憶をたどる事。
その時の思いをよみがえらせる事。
その時の記憶と思いが、本当にどこまでその時の自分なのかを確認する事。

ブログの開設を勧めてくれた経営コンサルタントの言っていた事が理解出来ました。
この作業はまさに、自分を見つめる事、見つめ直す事でした。
自分の中にある、自分の真実を探す作業でした。

記事を書く間隔が長くなって行きます。
下書きをし、繰り返し推敲します(この程度で…と言われそうですが)。
そして、自分に常に問います。
それが、その時の真実であったか。

そうする事で、かっこいい事ばかりでなく、本当は書きたくないみっともない事も、思い起こし書く事が出来ました。
そういう事は、やはり自分の心のどこかに格納されているだけで、とてつもない後悔がよみがえったりもしました。
心が激しく動きました。
でも、自分の記憶が自分のつじつまに合わせて変わっている事も、否定は出来ません。

しかし、こんなの誰か読みたいと思うか…。
いろいろな思いに逡巡しました。

こうなるとアクセス数ではありません。
どうしたら、自分が納得できるものが書けるかと自分と格闘します。
これが経営コンサルタントの方が言った、自分の真実を探す、自分を見つめる作業なのだと思いました。

得意気にアップした記事の中にも、自分でもよくも恥ずかしくもなく…と、今にして思う記事もあります。
それを削除してしまうと、一方でその時の自分の気持ちを削除する様で、そのままにしてあります(特にどれがとは書きません)。

でも、そんな記事を読んで頂き、共感頂いた事や、まして感動をしたなんて言葉を頂く事はともてうれしい事でした。
自分の、自分の中の真実を探す。
とても楽しい作業でした。

なんとか記事200本を書こう。
それを最後にしよう。
そう決めてから、ずいぶん時間が経過しました。

これが、その200本目の記事です。

この拙いブログを読んでくださった方。
メールを頂いた方。
コメントを頂いた方。
いいねを頂い方。
いろいろアドバイスを頂いた方。
本当に感謝です。

ブログ「太陽と月」はこれで終わりです。
現在はもう、新たなブログを書く気力がありません。
自分の中の、自分の真実を探す旅も、ひと休みです。
これからは自らの心の中で、日々その探求は続けて行きたいと思っております。

最後までお読み頂きました事に、とっても感謝です。
ありがとうございました。

いつものように家に帰ろう。

日々、いろいろな事が起こります。
例えば、今日は…と思っていたら、結局深夜まで仕事をする事になった。
こんな事は一度や二度じゃないですね。

営業ではクレームがつきもので、避けて通れません。。
今、自分は取引先を直接担当する立場ではありませんが、自分が同じ立場であった時の事を思います。

クレームや問題が発生すると、重大な場合は私に連絡が来ます。
連絡の内容を聞き、解決に指示やアクションが必要な事がある場合は、その場で行います。

そして、一連の作業の最後に当該担当者に必ず聞く事にしている事があります。
「今日出来る事は全てやったね?」

重大なクレームや取引先から激しく怒られたりすれば、すぐに気分転換をする事はとても難しいです。
しかし、その日に可能な事を全て行ったのなら、ジタバタしても始まりません。
特に国内にいない時は、もどかしく、どうしようもない事が多々あります。

「今日出来る事は全てやったか?」
自分が取引先を担当する立場の時でも、この事をそういう場面では自問していました。

いつもいつも、そんな簡単ではありませんでしたが…。
心がけです。



眠そうなストアーのレジスター
自動ドアが連れて来た秋の風
信号機が街角染めて
少しは気分もかわったら
いつものように家に帰ろう



September Blue Monn / 松任谷由美

この楽曲が入っているアルバムは「Delight Slight Light kiss」です。
かの有名な「リフレインが叫んでいる」からスタートするアルバムです。

このアルバムを初めて聴いた時、やっぱり「リフレインが叫んでいる」はそれなりの衝撃でした。
しかし、アルバムの最後が「September Blue Moon」で、なんだかとてもしあわせな気分になるのです。
特に「いつものように家に帰ろう」というこの歌詞がとても好きです。
これ隠れた名曲です。

私には楽曲のイメージに、湘南海岸のロケーションがあります。
話を聞いてくれる友達がいて、気がすんだなら帰ろう。
そんな想い出と重なります。
背中を丸め、足をぶらぶらさせながら、あの海岸に座る自分が見えるようです。

いろいろあったけど、あるけれど、家に帰ろう。
大変だった今日一日を終えて、明日も頑張ろう…。
ここでの家は、自分の一番いい場所とするのがいいなと思います。

映画アンタッチャブルでも、ション・コネリーが演じるベテラン警官が、ケビン・コスナー演じる新任に心得を伝授します。
その第1条は「仕事が終わったら、必ず家に帰る…」という事でした。
これにどれだけの意味が込められているか、映画を見るとわかります。

斉藤和義さんの楽曲「歩いて帰ろう」も大好きです。
街は急いでいる、雲は流れている。
でも、私は今日歩いて帰る。
自分のホームグランドへ。

いつものように家に帰ろう。

真夏の雨・真夏の通り雨

ハワイではサンゴ礁の生態系に悪い影響があるので、日焼け止めの使用が中止されると報道で見ました。
そういえば、ハワイ在住の人々は雨は、シャワーと言って傘を利用しないと聞いた事がありました。
確かに日中の暑さの中、一服の清涼剤として通り雨は気持ちがよいかもしれません。

レベッカのアルバム「Poison」に「真夏の雨」という楽曲があります。
真夏の雨は、大切な人の腕の中にいるような心地よさがあるという内容です。
秀逸な表現で、聴く人の心を捉えると感じます。

Ah Beaten in the warm rain
It makes me feel like I´m in your love

真夏の雨は
It makes me like I´m in your love

レベッカ / 真夏の雨

ギターとドラムのリズムが、この世界に引き込んで行かれます。
ハワイの雨に近い世界ですね。

宇多田ヒカルさんの「真夏の通り雨」はアルバム「fantome」を聴いている時にグッと引き込まれました。
作業をしながら聴いていましたが、歌詞を見ながら再度聴き直しました。

思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない


宇多田ヒカル / 真夏の通り雨

あの時の空気、あの時の音、あの時の音楽…今いる場所から、あの時に急に引き戻される事があります。
確かにあの時は、ふいに、突然によみがえり、乱暴に掴んで離さないと思います。

楽曲のタイトルは「真夏の通り雨」。
通り雨なのに、

ずっと止まない止まない雨に

宇多田ヒカル / 真夏の通り雨

雨は降り止まず、いつまでも終わりの見えない心を示唆します。

激しく心をかき乱されました。
心に降る雨も、地表に降る前も、降りやまない雨は誰も望まないですね。

ホントの自由は真実求める心にあるはずと

大学に入学して履修する一般教養の授業に哲学がありました。
初めて学びました。

月曜日の9時からの講義で、履修届を出した人は多かったのかもしれませんが、100人以上が入る講義室はいつも閑散としていました。
私は毎週欠かさず出席しました。

これまで読書で得た知識や見聞した事、様々な事象が説明可能な範囲になったり、気づいたりと結構心がざわざわしました。
足元にも及ばない知識人たちが、この世が始まった頃から今でも同じ事に悩んでいる事実が刺激的でした。

長いトンネルから、日の当たるとこへ出てきた頃でした。
人がなぜ生きるのかという命題に、古今東西の人々が悩み続けている。
凡人の自分がそうやすやすと答など得られるはずがない…そんな思いがとても気持ちをほぐしてくれました。

お天道様が見ているよ。
子供の頃、よく大人に言われました。

誰も見ていないと思う悪事も、お天道様は知っているよ。
だから、悪い事をしてはいけない…そんな戒めと思っていました。

大人になるにつれ、もっと様々な意味が込められている事を感じる様になりました。
TBSドラマの白夜行にこんなセリフが出てきます。


どうか子供たちに、本当の罰は心と記憶に下されると伝えて下さい。
飲み込んだ罪は魂を蝕み、やがて身体さえ、命さえ食い尽くす。
どうか、その前に。

TBSドラマ「白夜行」より

自分に嘘をつくこと。
自分の思いと違う事を話すこと、すること。
自分の心を殺すこと。

それが、どれだけつらいことなのかを示唆していると思うのです。

浜崎あゆみさんの楽曲にアルバムタイトルにもなった「Secret」という楽曲があります。
アコースティックギターの音から始まり、切々と歌い上げます。
この楽曲だけ、そのアルバムの他のどの楽曲とも異なるのです。
これを初めて聴いた時は衝撃的でした。
すぐに繰り返し聴きました。


そこから見える私の姿は
どんな風に映っていますか
こんなこんないつわりだらけの
日々を笑い飛ばして下さい
手遅れになるその前に

今もここで私は変わらず
居場所をずっと探しています
どうかどうかあなたにだけは
この想いが伝わりますように
欲しい物など他にない

浜崎あゆみ / Secret

今はいないその人から、あなたの今いる場所から、私はどう見えるのか。
嘘や偽りのない、飾る事も隠す事も出来ない私はどう見えるのか。
本当の私はどう見えるのか。

同時に、本当の私を知っている人がいる。
不思議とそんな安堵感も生まれてくるのです。
それはまさに、嘘をつかなくてもいい。
そのままの自分でいい。
あなたの真実を知っている。

あなたは、ひとりじゃない。

そう言われている事と同じだと感じたのです。

自分のこころを殺す事は、自分を裏切ったという後悔で、自分を殺してしまう事なのでしょう。
あの時こうしていれば…。
あの時、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう…。
あの時…。

その思いに苦しみ、でも明日を目指して立ち上がる時、光が差してくるのではないでしょうか。
その時、同じ事に苦しむ人に「あなたは、ひとりじゃない」と言える強さとやさしさをきっと持っている。

ほら、お天道様が見ているよ。
ひとりじゃないね。

復活…とは、こういう事なのだろうと思います。

SNSにおける人と人との関係は極めて希薄と私は感じています。
SNS上で表明した意見に多くの知らない方からの賛同を得たり、相談をいただく事も。
誤りの指摘や誹謗中傷など様々です。

現在の仕事が商取引なので、ワッーと売れる商品やサービスは非常に寿命が短いと感じています。
ペースはゆっくりながら、着実に販売される商品やサービスの方が商品の寿命も長いし、結果実績も大きいのです。
また、そこから派生する商品やサービスも多いと思っています。

LINEは家族のみ。
facebookとツィッターも利用していません。
勿論、インスタグラムも。
SNSはこのブログのみです。

ブログを始めた頃はアクセス数も気になったし、「いいね」なんてされるとうれしかったのです。
ところがしばらくして、記事を書くのにその事を意識する自分を感じ始めたのです。

今までも記事を書く時は、こんなつたない内容でも下書きをし、内容や誤字脱字を確認しています。
それでも誤字脱字はあるし、後から読み直して内容の稚拙さに頭を抱える事も度々あります。

評価される事は率直にうれしいのです。
しかし、私の場合はその事に意識を囚われ過ぎた事があったのです。
評価される事を想定し、そんな記事を書いた事があります。

読んでいただける方を意識するのは当たり前だと思います。
例えば、現在の仕事業界の人のみが使う言葉を利用しても、記事の趣旨を理解頂くには何も役に立ちません。
それを理解するのは特定の人だけです。
言葉や表現を変える必要がありますよね。

そんな記事は稚拙さを二乗したようなもので、恥の上塗りの様な気持ちになりました。
一度、アップした後にそんな記事を削除した事があります。
それから評価される事を意識した記事は、書かないように努めてきました。
それでも隠し切れないその気持ちは否定出来ず、あると思います。

SNS上で多くの評価と共に、たくさんの人が見てくれる事があります。
人がたくさん集まってきます。
でも、さっきの商品やサービスの販売に同じく、集まるのは早いのですが、去るのもまた早いです。

例えて、クラブのきれいなお姉さんと同じです。
その時は楽しくても享楽は終わり、フト我に帰った時たまらなくさびしくなったり、むなしくなったり…。
最近は仕事以外でクラブのきれいなお姉さんにも興味なく、すっかり枯れておりますが…。

一見、SNSで出来る関係は即効的で、簡単な部分があります。
しかし、妻や子供、親に親戚。
近所のおじさん、おばさん。
お隣の夫婦‥など。
面倒くさい関係があります。
これには手間と時間が必要です。

こうして出来上がる、この人と人との関係は、長い時間をかけて互いを理解する事となります。
集まるのは、早くありません。
そのかわり、去るのも早くありません。
やっかいな部分も多くありますが、ネット空間にないリアルがあります。

本当に困った時は、こういう関係の中にいる人が頼りになります。
電車男の物語もあるので一概には言えませんが、ネットで賛同してくれた人もクラブのきれいなお姉さんも、現実では助けにならない事があります。

50の齢を重ね、これまで多くの出会いがありました。
その中で忘れる事の出来ない出会いが多くあります。

心を託してくれた人。
心を授けてくれた人。
心を教えてくれた人。

もうダメか…と思ったその時に、心を託してくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、もう一度がんばるんだと力が湧いてくる事があります。

投げ出したくなったその時に、心を授けてくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、ここで諦めてはいけないと気持ちを新たにします。

怒りや哀しみ、絶望に気力を失うその時に、心を授けてくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、生きなければならないという気持ちが心を強くします。

今でも、会える人がいます。
もう、会えない人もいます。
残念ながら会う事は出来ませんでしたが、心を残してくれた人がいます。
残された作品に心を感じる事があります。

ある日、これまでわからなかった言葉に、その意味を理解する時。
生前の言葉が、何を伝えたかったか知る時。
理解できなかった行動の意味を、理解出来たその時とその意味を知る時。

復活…とは、こういう事なのだろうと思います。
心は心によみがえり、その心は永遠に心で生きるのだと思います。
百年も千年も前の作品に心震える事があるのは、その証だと考えます。

蛇足ですが…私はマーラーの交響曲第2番「復活」第5楽章を聴くと、そんな思いがよみがえる事が度々あります。

陽が沈む

019


夏は夕刻に帰宅できると、最寄バス停から美しい夕陽を見る事が出来ます。
地名通り人里離れた山の上に住まいがある私は、これがひとつの楽しみです。

同じ姿は二度はないのに、どうしていつも美しいのだろうと思います。

バスを降りても、気がつかない日もあります。
バスを降りて顔を上げたら、その美しさにハッとする時もあります。
バスを降りて、その姿を楽しみにする事もあります。

日々様々な事が起こります。
様々な事に忙殺され、そんな事を忘れてしまう日もあります。

人の様々な思いを、その悠久の時間が全て飲み込みます。
今日も陽が沈みます。

*写真は長崎県の千綿駅から見えた夕陽です。

生まれかわる

【ネダバレ】映画「水曜日のエミリア」のストーリーに触れる部分があります。

少し前に見た映画で「水曜日のエミリア(原題:LOVE AND OTHER IMPOSSIBLE PURSUITS/THE OTHER WOMAN)」の事を思い出しました。

ニューヨークで弁護士として働いていたエミリア(ナタリー・ポートマン)が、既婚者の上司ジャック(スコット・コーエン)と恋に落ち、ジャックの妻で医師のキャロリン(リサ・クドロー)から奪って結婚。
しかし、生まれたばかりの娘が乳幼児突然死症候群で亡くなってしまいます。
一緒に暮らす夫の息子ウィリアム(チャーリー・ターハン)とはよい関係ができない状況に。
エミリアは娘を死なせてしまったという自責の念を抱え、多くの人との関係が上手に保てない状況が続きます。

映画のストーリーが進むにつれ、息子ウィリアムとエミリアの関係に変化があります。
終盤、ウィリアムが亡くなった娘(ウィリアムからすると妹)を自分の妹と認識します。
エミリアとジャックが別れても、亡くなったその子は自分の妹である事に違いはないと言います。

ウィリアムがエミリアに聞きます。
輪廻転生を知っている?
仏教徒は「人は生まれかわると信じている」と話すのです。

僕は仏教徒になると話します。
そして、妹は生まれかわってくる。

毎朝4時に起きて、ひらがなの練習をさせられていた。
この事に始まり虐待の内容が報道され、心が痛みました。
もう、ここでその事について書く必要はないと思います。

とてもかわいい笑顔の写真、同じ報道で見ました。

マイケル・ジャクソンの「Smile」。
元々はNat King Coleが歌った「Smile」です。
マイケル・ジャクソンのバージョンはアレンジが素晴らしく、私はこれが大好きです。
このアレンジにマイケル・ジャクソンの声がぴったりで、とてもやさしい気持ちになる楽曲です。
特別な意味があるアルバム「History」に、その最後の楽曲として入っています。

少し神様のところで、あたたかくて、何も不安になる事がなく、ゆっくり休めるように。
次はしあわせなところに、生まれかわって来る事が出来ますように。
マイケル・ジャクソンの「Smile」を聴きながら、祈りました。
歌詞はそぐわないのですが、女の子が神様と手をつないで、とてもしあわせそうに天国を歩いている姿を想像したくなるのです。

眞鍋かをりさんと、その有志の方々がSNS上で「こどものいのちはこどものもの」というハッシュタグを用いた虐待防止策を求める活動を開始したとラジオで聴きました。
それは、この事件がきっかけで、立ち上がったそうです。

人の強い思いに、この記事を書く勇気をもらいました。

エグモント序曲と誇り

ベートーヴェンのエグモント序曲。
ベートーヴェンが敬愛するゲーテより依頼されて書き上げた曲との事。

このエグモント序曲が宇宙戦艦ヤマト復活編に登場するエトス国のゴルイ将軍のテーマ曲として使われます。
原典のエグモントになぞらえているのかどうか、わかりませんが物語が重なります。
宇宙戦艦ヤマトの戦いを見て、ゴルイ将軍は自分達の戦いが誤りだと気づきます。
そして、かつてあった武人の誇りを取り戻します。

「やがて自らの行いが、いかに恥ずべき事であったか、彼らも知る日が来るだろう」
劇中のゴルイ将軍の言葉です。
この言葉を残し、武人としての誇りを取り戻したゴルイ将軍は戦いの中で死んでゆきます。

ゴルイ将軍の声優は、宇宙戦艦ヤマトには欠かせなかったデスラー総統の伊武雅刀さんです。
映画の中でも、物語を構成する重要なキーパーソンとの位置付けと思います。

さて、誇りとはなんでしょうか。

自らが不利になる事がわかっていながらも、自分の信念に従う事。
誇りには、そんな一面があると思います。

エグモント序曲は原典の物語になぞらえる事は勿論、ゲーテの注文で最後の勝利「勝利のメロディ」が入っています。

自分の心を…

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忙しい事が続き、食事がファストフードに偏る事があります。
そんな食事ばかり続くと、無性に誰かが作ってくれた暖かい食事が欲しくなります。
湯気が出ている食事。
今日は午後からの出張で少し早めに事務所を出て、東京駅のラーメンストリートでラーメンを食べて行く事にしました。

いくつもの美味しいお店が並んでいる東京駅ラーメンストリートは、外国人の旅行者を含め12時前には長い行列ができます。
私はこの名店の中でもソライロのしょうゆ味の中華そばが大好きです。
出汁もいいので、スープもほとんど最後まで飲み干します。
日本人には定期的にアミノ酸の補給が必要ですね。
お腹も満たされ、新幹線に乗車しました。

身も心も温かくなります。

夏目漱石のこころを読み直しました。
最後に読んだのは間違いなく学生の頃です。

人して誰かを恋うる心とそれにより浮き彫りになる孤独。
自分がその人のいちばんでいたい思う心。
そのためにむき出しになるエゴと、その醜いと思う気持ちに葛藤する心。
読み継がれる傑作だなと改めて思います。

恋と戦争は手段を選ばない。
恋は盲目。
その時の気持ちを表す言葉は多く残っています。

この恋と戦争は手段を選ばないは、好きな人の為には何でもするであり、これが無秩序なら世界はカオスですね。

新潟県の米山知事が女性スキャンダルで辞任しました。
その記者会見を報道で見て、とても印象に残りました。

好きな女性をつなぎとめておきたい気持ち。
その媒介にお金を使ってしまった事。
お金に頼ってしまった事。

あまりにも正直な気持ちを吐露する姿に驚きました。
ご本人の、誰もが羨む経歴と能力がギャップを生み、その正直すぎる気落ちを際立たせていた気がします。
地位や名誉、能力でもない。
そのままの自分を愛しんでくれる事が、本当に自分を認めてくれる大切な証である事に、気づいていただろうと思います。

さびしかった。

カナダのトロントで車を暴走させ、10人もの人が亡くなった事件。
犯人はインセルである事を口外していたとの事。

私はこのインセルと言う言葉をそれまで知りませんでした。
AFPのサイトに事件の詳細とインセルの解説があります。

お酒に溺れる芸能人について、報道番組でも取り上げていました。
家族とも別れ、酒に溺れなければやりきれなかった気持ちの底には何があったのか。
スポットライトと声援を受けるステージと満たされない自分の心。
その心の隙間に流し込んだ酒は、どれだけ飲んでも満たされなかったのでしょうか。

学生の頃、心を閉ざして生きている事がありました。
極端な言い方ですが、心を閉ざしていても生きていられたのです。
私の周りの人が、そんな私でもそうして生きることを許してくれていたのです。
もちろん、当時はそんな事を微塵も考える事はありませんでした。

反対にいつも笑顔でいなければ生きて行く場所が、居場所がなかった人がいます。
自分が我慢することで、家族の関係が上手くゆく。
自分が笑顔でいる事が家族関係の漆喰になる。
本当は泣きたい、わがままを言いたい、甘えてみたい。

幼い頃から、何かと受け入れてもらえなかった事が多々ある場合、だんだん自分の気持ちをストレートに表現するのが難しくなってしまいます。
自分の言った言葉や行動で、相手(その時は親である事が多々あると思います)が、怒りだしたり、明らかに不愉快な態度を示されたら、とても傷つくし、怖くなってしまいます。
何度もそんな事が繰り返されたら、自分の気持ちを表現する事自体が恐ろしくなってしまいます。
自分を、自分自身を否定されている気持ちになります。

でも、自分が我慢する事でうまく行くなら、自分の心を殺す事も厭わない。
そうして、大人になって多くの人と関わりあう中でも、この気持ちと恐怖を引きずるほど怖い事はない。
それは、いつもとても苦しく辛いです。

本当の自分の気持ちは、自分の心にはここにあるのだけれど、それは表現をする事ができない。
表現する事が怖い。
本当の自分の気持ちを思いを、心を伝えたら…。
相手に嫌われる。
相手が不愉快に思う。
とても怖くなる。

自分が傷つくのも嫌だ。
伝えられないから、自分の心は伝えられない。
だから、本当の事が言えない不満がつのります。
そういう事もとても辛い。

心は同じところを戻り、めぐってしまう…とても辛いです。
幼いころから、誰かに助けを求めず、だから助けを求める方法も知らない。
周囲にそれを理解してくれる人もいない。

ずっと孤独で、生きてきた。
ひとりで戦ってきた。

そんな自分に気づいたら、そんな自分を褒めてあげる事がいい。
私はよく頑張って生きてきたって。
たっぷり褒めてあげるのがいい。

勿論、自分が傷つく事も嫌ですが、自分が誰かを不愉快にさせたりするのが嫌で、自分の心を殺してきた。
そのやさしさと強さを褒めていい。
そんな人は、本当はとても強くて、やさしいと思うのです。

いつか、どこかで聴いたメロディ。

普遍的な価値に心震える時

若い頃、営業担当でよく移動中に見た景色などは、その時の思い出と結びついている事があります。
ここでクレームの電話を受け取った事があったな…。
ここで取引先の懇意にしていた窓口担当者から、会社を辞めるという残念な連絡があったな…。
取引先の事業譲渡交渉のスタートはここだったな…。
いろいろつきません。
場所と思い出が結びついています。

広島平和記念資料館を3度訪問しています。
最後に訪問したのは、約3年前大阪に単身赴任している時、休日を利用して行きました。
外国の方が多く、来館していました。

その時、たくさんの人がいるのに、管内は異様な静けさでした。
多くの外国の方が、いろいろな言葉に翻訳された資料解説の音声レシーバーを付けています。
レシーバーからの解説音声が聞こえる…と思うくらい静かです。
息をのんで、資料を凝視しています。

ここで、何があったのか…。
資料と解説音声が見ているその人の心の中で、その時にそこであった、その出来事を再現しています。

私も大好きな映画監督の大林宣彦さんが、NHKの番組で語っていました。
自分の映画を「ゲルニカ 映画」と呼ぶそうです。
自分の映画は100年後に見た人が、素晴らしいと思ってくれるとうれしい。
それはピカソのゲルニカの様に。
それが「ゲルニカ 映画」の語源との事。
ピカソのゲルニカは1937年のスペイン内戦中に、当時ナチス・ドイツ空軍がゲルニカに対して行った無差別爆撃を表現したものです。

大林宣彦さんは事故や事件の凄惨な現場の写真は、なかなか2度見ようという気持ちが起こりにくい。
ピカソのゲルニカは象徴的な表現。
「もしあれがリアルに描かれていたらたぶん後世まで残らなかったんじゃないか」
「象徴的だからどんな意味があるんだろうと考える」と感じている。
だから映画も「今分かるような映画じゃだめだ。100年後ぐらいに分かればいいんだ」と考えているとの事でした。
「ゲルニカ 映画」との思いは、そんなところにもあるそうです。

ピカソのゲルニカに並びに写真家ロバート・キャパの撮影した「崩れ落ちる兵士」。
頭部に弾丸が当たり、倒れる瞬間を撮影したとされる写真です。
ゲルニカと共に反ファシズムの象徴的な写真として位置づけられていたそうです。
この写真にも長らく続く論争がありますね。

ゲルニカは見る者に、多くの思いを想起させます。
映画は制作する人の意図やそれを超える思いを想起させる事があります。
写真はそこに映り込む事実に、様々な思いを想起させます。

誰かの作品は、その誰かの意思が込められている事に違いがないと思います。
様々な媒体からの刺激であっても、そこに普遍的な価値を見出す時、我々の心は震えるのだと思うのです。

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画像はユニセフから発行されている機関紙の背表紙です。
タイトルの下に写真の解説文が掲載されています。

今、同じ空の下で

あたりに散乱する避妊具やティッシュは、ここで何が売られているかを語ります。
人身売買によってナイジェリアから連れて来られた女性の多くは、未成年。
生活は「元締め」に厳しく管理され、日が傾き始める頃には車で宿舎へと連れ戻されます。
シチリア島の夕景には、客を待つ彼女たちが座る椅子だけが残ります。

unicef news vol.257


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