心と体

ホントの自由は真実求める心にあるはずと

大学に入学して履修する一般教養の授業に哲学がありました。
初めて学びました。

月曜日の9時からの講義で、履修届を出した人は多かったのかもしれませんが、100人以上が入る講義室はいつも閑散としていました。
私は毎週欠かさず出席しました。

これまで読書で得た知識や見聞した事、様々な事象が説明可能な範囲になったり、気づいたりと結構心がざわざわしました。
足元にも及ばない知識人たちが、この世が始まった頃から今でも同じ事に悩んでいる事実が刺激的でした。

長いトンネルから、日の当たるとこへ出てきた頃でした。
人がなぜ生きるのかという命題に、古今東西の人々が悩み続けている。
凡人の自分がそうやすやすと答など得られるはずがない…そんな思いがとても気持ちをほぐしてくれました。

お天道様が見ているよ。
子供の頃、よく大人に言われました。

誰も見ていないと思う悪事も、お天道様は知っているよ。
だから、悪い事をしてはいけない…そんな戒めと思っていました。

大人になるにつれ、もっと様々な意味が込められている事を感じる様になりました。
TBSドラマの白夜行にこんなセリフが出てきます。


どうか子供たちに、本当の罰は心と記憶に下されると伝えて下さい。
飲み込んだ罪は魂を蝕み、やがて身体さえ、命さえ食い尽くす。
どうか、その前に。

TBSドラマ「白夜行」より

自分に嘘をつくこと。
自分の思いと違う事を話すこと、すること。
自分の心を殺すこと。

それが、どれだけつらいことなのかを示唆していると思うのです。

浜崎あゆみさんの楽曲にアルバムタイトルにもなった「Secret」という楽曲があります。
アコースティックギターの音から始まり、切々と歌い上げます。
この楽曲だけ、そのアルバムの他のどの楽曲とも異なるのです。
これを初めて聴いた時は衝撃的でした。
すぐに繰り返し聴きました。


そこから見える私の姿は
どんな風に映っていますか
こんなこんないつわりだらけの
日々を笑い飛ばして下さい
手遅れになるその前に

今もここで私は変わらず
居場所をずっと探しています
どうかどうかあなたにだけは
この想いが伝わりますように
欲しい物など他にない

浜崎あゆみ / Secret

今はいないその人から、あなたの今いる場所から、私はどう見えるのか。
嘘や偽りのない、飾る事も隠す事も出来ない私はどう見えるのか。
本当の私はどう見えるのか。

同時に、本当の私を知っている人がいる。
不思議とそんな安堵感も生まれてくるのです。
それはまさに、嘘をつかなくてもいい。
そのままの自分でいい。
あなたの真実を知っている。

あなたは、ひとりじゃない。

そう言われている事と同じだと感じたのです。

自分のこころを殺す事は、自分を裏切ったという後悔で、自分を殺してしまう事なのでしょう。
あの時こうしていれば…。
あの時、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう…。
あの時…。

その思いに苦しみ、でも明日を目指して立ち上がる時、光が差してくるのではないでしょうか。
その時、同じ事に苦しむ人に「あなたは、ひとりじゃない」と言える強さとやさしさをきっと持っている。

ほら、お天道様が見ているよ。
ひとりじゃないね。

復活…とは、こういう事なのだろうと思います。

SNSにおける人と人との関係は極めて希薄と私は感じています。
SNS上で表明した意見に多くの知らない方からの賛同を得たり、相談をいただく事も。
誤りの指摘や誹謗中傷など様々です。

現在の仕事が商取引なので、ワッーと売れる商品やサービスは非常に寿命が短いと感じています。
ペースはゆっくりながら、着実に販売される商品やサービスの方が商品の寿命も長いし、結果実績も大きいのです。
また、そこから派生する商品やサービスも多いと思っています。

LINEは家族のみ。
facebookとツィッターも利用していません。
勿論、インスタグラムも。
SNSはこのブログのみです。

ブログを始めた頃はアクセス数も気になったし、「いいね」なんてされるとうれしかったのです。
ところがしばらくして、記事を書くのにその事を意識する自分を感じ始めたのです。

今までも記事を書く時は、こんなつたない内容でも下書きをし、内容や誤字脱字を確認しています。
それでも誤字脱字はあるし、後から読み直して内容の稚拙さに頭を抱える事も度々あります。

評価される事は率直にうれしいのです。
しかし、私の場合はその事に意識を囚われ過ぎた事があったのです。
評価される事を想定し、そんな記事を書いた事があります。

読んでいただける方を意識するのは当たり前だと思います。
例えば、現在の仕事業界の人のみが使う言葉を利用しても、記事の趣旨を理解頂くには何も役に立ちません。
それを理解するのは特定の人だけです。
言葉や表現を変える必要がありますよね。

そんな記事は稚拙さを二乗したようなもので、恥の上塗りの様な気持ちになりました。
一度、アップした後にそんな記事を削除した事があります。
それから評価される事を意識した記事は、書かないように努めてきました。
それでも隠し切れないその気持ちは否定出来ず、あると思います。

SNS上で多くの評価と共に、たくさんの人が見てくれる事があります。
人がたくさん集まってきます。
でも、さっきの商品やサービスの販売に同じく、集まるのは早いのですが、去るのもまた早いです。

例えて、クラブのきれいなお姉さんと同じです。
その時は楽しくても享楽は終わり、フト我に帰った時たまらなくさびしくなったり、むなしくなったり…。
最近は仕事以外でクラブのきれいなお姉さんにも興味なく、すっかり枯れておりますが…。

一見、SNSで出来る関係は即効的で、簡単な部分があります。
しかし、妻や子供、親に親戚。
近所のおじさん、おばさん。
お隣の夫婦‥など。
面倒くさい関係があります。
これには手間と時間が必要です。

こうして出来上がる、この人と人との関係は、長い時間をかけて互いを理解する事となります。
集まるのは、早くありません。
そのかわり、去るのも早くありません。
やっかいな部分も多くありますが、ネット空間にないリアルがあります。

本当に困った時は、こういう関係の中にいる人が頼りになります。
電車男の物語もあるので一概には言えませんが、ネットで賛同してくれた人もクラブのきれいなお姉さんも、現実では助けにならない事があります。

50の齢を重ね、これまで多くの出会いがありました。
その中で忘れる事の出来ない出会いが多くあります。

心を託してくれた人。
心を授けてくれた人。
心を教えてくれた人。

もうダメか…と思ったその時に、心を託してくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、もう一度がんばるんだと力が湧いてくる事があります。

投げ出したくなったその時に、心を授けてくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、ここで諦めてはいけないと気持ちを新たにします。

怒りや哀しみ、絶望に気力を失うその時に、心を授けてくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、生きなければならないという気持ちが心を強くします。

今でも、会える人がいます。
もう、会えない人もいます。
残念ながら会う事は出来ませんでしたが、心を残してくれた人がいます。
残された作品に心を感じる事があります。

ある日、これまでわからなかった言葉に、その意味を理解する時。
生前の言葉が、何を伝えたかったか知る時。
理解できなかった行動の意味を、理解出来たその時とその意味を知る時。

復活…とは、こういう事なのだろうと思います。
心は心によみがえり、その心は永遠に心で生きるのだと思います。
百年も千年も前の作品に心震える事があるのは、その証だと考えます。

蛇足ですが…私はマーラーの交響曲第2番「復活」第5楽章を聴くと、そんな思いがよみがえる事が度々あります。

生まれかわる

【ネダバレ】映画「水曜日のエミリア」のストーリーに触れる部分があります。

少し前に見た映画で「水曜日のエミリア(原題:LOVE AND OTHER IMPOSSIBLE PURSUITS/THE OTHER WOMAN)」の事を思い出しました。

ニューヨークで弁護士として働いていたエミリア(ナタリー・ポートマン)が、既婚者の上司ジャック(スコット・コーエン)と恋に落ち、ジャックの妻で医師のキャロリン(リサ・クドロー)から奪って結婚。
しかし、生まれたばかりの娘が乳幼児突然死症候群で亡くなってしまいます。
一緒に暮らす夫の息子ウィリアム(チャーリー・ターハン)とはよい関係ができない状況に。
エミリアは娘を死なせてしまったという自責の念を抱え、多くの人との関係が上手に保てない状況が続きます。

映画のストーリーが進むにつれ、息子ウィリアムとエミリアの関係に変化があります。
終盤、ウィリアムが亡くなった娘(ウィリアムからすると妹)を自分の妹と認識します。
エミリアとジャックが別れても、亡くなったその子は自分の妹である事に違いはないと言います。

ウィリアムがエミリアに聞きます。
輪廻転生を知っている?
仏教徒は「人は生まれかわると信じている」と話すのです。

僕は仏教徒になると話します。
そして、妹は生まれかわってくる。

毎朝4時に起きて、ひらがなの練習をさせられていた。
この事に始まり虐待の内容が報道され、心が痛みました。
もう、ここでその事について書く必要はないと思います。

とてもかわいい笑顔の写真、同じ報道で見ました。

マイケル・ジャクソンの「Smile」。
元々はNat King Coleが歌った「Smile」です。
マイケル・ジャクソンのバージョンはアレンジが素晴らしく、私はこれが大好きです。
このアレンジにマイケル・ジャクソンの声がぴったりで、とてもやさしい気持ちになる楽曲です。
特別な意味があるアルバム「History」に、その最後の楽曲として入っています。

少し神様のところで、あたたかくて、何も不安になる事がなく、ゆっくり休めるように。
次はしあわせなところに、生まれかわって来る事が出来ますように。
マイケル・ジャクソンの「Smile」を聴きながら、祈りました。
歌詞はそぐわないのですが、女の子が神様と手をつないで、とてもしあわせそうに天国を歩いている姿を想像したくなるのです。

眞鍋かをりさんと、その有志の方々がSNS上で「こどものいのちはこどものもの」というハッシュタグを用いた虐待防止策を求める活動を開始したとラジオで聴きました。
それは、この事件がきっかけで、立ち上がったそうです。

人の強い思いに、この記事を書く勇気をもらいました。

エグモント序曲と誇り

ベートーヴェンのエグモント序曲。
ベートーヴェンが敬愛するゲーテより依頼されて書き上げた曲との事。

このエグモント序曲が宇宙戦艦ヤマト復活編に登場するエトス国のゴルイ将軍のテーマ曲として使われます。
原典のエグモントになぞらえているのかどうか、わかりませんが物語が重なります。
宇宙戦艦ヤマトの戦いを見て、ゴルイ将軍は自分達の戦いが誤りだと気づきます。
そして、かつてあった武人の誇りを取り戻します。

「やがて自らの行いが、いかに恥ずべき事であったか、彼らも知る日が来るだろう」
劇中のゴルイ将軍の言葉です。
この言葉を残し、武人としての誇りを取り戻したゴルイ将軍は戦いの中で死んでゆきます。

ゴルイ将軍の声優は、宇宙戦艦ヤマトには欠かせなかったデスラー総統の伊武雅刀さんです。
映画の中でも、物語を構成する重要なキーパーソンとの位置付けと思います。

さて、誇りとはなんでしょうか。

自らが不利になる事がわかっていながらも、自分の信念に従う事。
誇りには、そんな一面があると思います。

エグモント序曲は原典の物語になぞらえる事は勿論、ゲーテの注文で最後の勝利「勝利のメロディ」が入っています。

自分の心を…

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忙しい事が続き、食事がファストフードに偏る事があります。
そんな食事ばかり続くと、無性に誰かが作ってくれた暖かい食事が欲しくなります。
湯気が出ている食事。
今日は午後からの出張で少し早めに事務所を出て、東京駅のラーメンストリートでラーメンを食べて行く事にしました。

いくつもの美味しいお店が並んでいる東京駅ラーメンストリートは、外国人の旅行者を含め12時前には長い行列ができます。
私はこの名店の中でもソライロのしょうゆ味の中華そばが大好きです。
出汁もいいので、スープもほとんど最後まで飲み干します。
日本人には定期的にアミノ酸の補給が必要ですね。
お腹も満たされ、新幹線に乗車しました。

身も心も温かくなります。

夏目漱石のこころを読み直しました。
最後に読んだのは間違いなく学生の頃です。

人して誰かを恋うる心とそれにより浮き彫りになる孤独。
自分がその人のいちばんでいたい思う心。
そのためにむき出しになるエゴと、その醜いと思う気持ちに葛藤する心。
読み継がれる傑作だなと改めて思います。

恋と戦争は手段を選ばない。
恋は盲目。
その時の気持ちを表す言葉は多く残っています。

この恋と戦争は手段を選ばないは、好きな人の為には何でもするであり、これが無秩序なら世界はカオスですね。

新潟県の米山知事が女性スキャンダルで辞任しました。
その記者会見を報道で見て、とても印象に残りました。

好きな女性をつなぎとめておきたい気持ち。
その媒介にお金を使ってしまった事。
お金に頼ってしまった事。

あまりにも正直な気持ちを吐露する姿に驚きました。
ご本人の、誰もが羨む経歴と能力がギャップを生み、その正直すぎる気落ちを際立たせていた気がします。
地位や名誉、能力でもない。
そのままの自分を愛しんでくれる事が、本当に自分を認めてくれる大切な証である事に、気づいていただろうと思います。

さびしかった。

カナダのトロントで車を暴走させ、10人もの人が亡くなった事件。
犯人はインセルである事を口外していたとの事。

私はこのインセルと言う言葉をそれまで知りませんでした。
AFPのサイトに事件の詳細とインセルの解説があります。

お酒に溺れる芸能人について、報道番組でも取り上げていました。
家族とも別れ、酒に溺れなければやりきれなかった気持ちの底には何があったのか。
スポットライトと声援を受けるステージと満たされない自分の心。
その心の隙間に流し込んだ酒は、どれだけ飲んでも満たされなかったのでしょうか。

学生の頃、心を閉ざして生きている事がありました。
極端な言い方ですが、心を閉ざしていても生きていられたのです。
私の周りの人が、そんな私でもそうして生きることを許してくれていたのです。
もちろん、当時はそんな事を微塵も考える事はありませんでした。

反対にいつも笑顔でいなければ生きて行く場所が、居場所がなかった人がいます。
自分が我慢することで、家族の関係が上手くゆく。
自分が笑顔でいる事が家族関係の漆喰になる。
本当は泣きたい、わがままを言いたい、甘えてみたい。

幼い頃から、何かと受け入れてもらえなかった事が多々ある場合、だんだん自分の気持ちをストレートに表現するのが難しくなってしまいます。
自分の言った言葉や行動で、相手(その時は親である事が多々あると思います)が、怒りだしたり、明らかに不愉快な態度を示されたら、とても傷つくし、怖くなってしまいます。
何度もそんな事が繰り返されたら、自分の気持ちを表現する事自体が恐ろしくなってしまいます。
自分を、自分自身を否定されている気持ちになります。

でも、自分が我慢する事でうまく行くなら、自分の心を殺す事も厭わない。
そうして、大人になって多くの人と関わりあう中でも、この気持ちと恐怖を引きずるほど怖い事はない。
それは、いつもとても苦しく辛いです。

本当の自分の気持ちは、自分の心にはここにあるのだけれど、それは表現をする事ができない。
表現する事が怖い。
本当の自分の気持ちを思いを、心を伝えたら…。
相手に嫌われる。
相手が不愉快に思う。
とても怖くなる。

自分が傷つくのも嫌だ。
伝えられないから、自分の心は伝えられない。
だから、本当の事が言えない不満がつのります。
そういう事もとても辛い。

心は同じところを戻り、めぐってしまう…とても辛いです。
幼いころから、誰かに助けを求めず、だから助けを求める方法も知らない。
周囲にそれを理解してくれる人もいない。

ずっと孤独で、生きてきた。
ひとりで戦ってきた。

そんな自分に気づいたら、そんな自分を褒めてあげる事がいい。
私はよく頑張って生きてきたって。
たっぷり褒めてあげるのがいい。

勿論、自分が傷つく事も嫌ですが、自分が誰かを不愉快にさせたりするのが嫌で、自分の心を殺してきた。
そのやさしさと強さを褒めていい。
そんな人は、本当はとても強くて、やさしいと思うのです。

いつか、どこかで聴いたメロディ。

「頑張って下さい」と言っている

NHKのドキュメント72時間という番組が好きです。
先般は昭和歌謡を扱うレコード店で、来店する人々の人間模様でした。

そこに40代で働きながら、おとうさんと交代で、おかあさんの介護をしている人がインタビューに応えていました。
病気のおかあさんが歌が好きで、おかあさんの好きな歌を探しに来るとの事。
本人もレコード店に来るのが、仕事と介護から解放される大切な時間との事でした。

その彼(年下でしたので、こう書きます)が、別れ際にNHKの撮影クルーに「頑張って下さい」と言っている映像と音声が見切れるように入っていました。

頑張って…と励まされるのは、あなたの方だ。
頑張って…と言わなければならないのは、こちらの方だ。

その彼の、強さとやさしさが身に染みました。

https://youtu.be/s-O_JV8j8wc


幸せとは星が降る夜と眩しい朝が
繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降り掛かった雨に傘をさせることだ

back number / 瞬き

本当の原因

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前の記事に続く事です。

少し前にトムハンクス主演の「王様のためのホログラム」という映画を見た事を思い出しました。
原作を見たのならもう少し気持ちが入ったのかもしれませんが、なんだか淡々とストーリーを追っていました。

物語は左遷されたサラリーマンの仕事と人生の再生が描かれています。
どちらかに焦点を絞ってもよかったかな‥と思った事を思い出しました。
でも、さすがトムハンクス‥の映画という感じでした。

トムハンクス演じる主人公が背中に大きな腫瘍ができて、医師の診断を受けます。
トムハンクスは不調のすべての原因はこの腫瘍にあると考えて、医師に相談します。
医師は本当の原因は、そこにないと説明します。
ここに、この映画の妙味もあるので、これぐらいに。

前の記事の長先生も同じです。
現れる症状から、本当の病気や原因を見つけます。

私は今、多くの人との関わりの中で仕事をしています。
関係するそれぞれの人には、それぞの利害、それぞれの事情、それぞれの背景、それぞれの思いと様々です。

そういう多くの人達と信頼を築き、仕事を作り上げて行く事の大切さを思います。
その信頼は表に現れる様々な事象を互いが理解し、新しい世界を作り上げる事で醸成されて行くと考えています。

時にその道のりは短く、またとてもつもなく長い事もありますね。
途中で投げ出したり、くじけそうになる事も多々あります。

でも、仕事が出来上がり、人と人の関係の中で築かれる信頼に、たまらなく私は喜びを感じます。
だから、今の仕事である営業がやめられないのかもしれません。

映画「王様のためのホログラム」予告編
https://youtu.be/HQ4kodiyKlo


目線(後編)

前の記事からの続きです。

現場の情報を的確に掴んでおく事の重要性を多くの場面で思うのです。

自分が現場にいた時の感覚。
市場は常に変動をしますので、「自分の時はこうだった」へこだわる怖さもあります。
しかし、現場にいる気持ちに大きな変化はありません。

他の事業部や国内の他地域の同じ立場の方から、甘いと指摘を受ける事があります。
そういう方々から感じるのは、等しく司令官の目線です。

現場の感覚は勿論大事ですが、全体を俯瞰できる能力も必須だと思っています。
しかし、自分の命令は絶対として、現場が変化をして全体が変化する認識がなければ、命令が独り歩きを始めます。

インパール作戦に同じく、自分が現場におり、一兵卒として泥水の中で餓え、苦しい戦いを強いられている事が想定出来ないのなら必ず失敗します。
それは司令官の目線のみだからです(理解していて、あえて司令官の目線のみ…という事もある事は認識しています)。

私は学生時代に空手を続けていました。
生涯成績は間違いなく負け越しです。

今、何事につけ、負けた人(何を持って負けとするかはありますが…)には、とても厳しいです。
自己責任…という負けた人を裁く都合の良い言葉があります。

弱い人。
貧しい人。
運の悪い人。
厳しい環境で育った人。
勉強ができない人。

人はなぜ弱者にやさしくするのか…という命題を読んだ事があります。
その答えは、いつ自分がその立場になるかという思いがある事。
自分がその立場であった事があるからとの事でした。

負けて悔しくて、滲んだ空を見上げながら、何を思ったか…。
だからこそ、うれしくて喜びで見上げた空が滲んだら、戦った相手を称える事があるのではないでしょうか。

営業は上手く行く時もあるし、どんなにガッバっても上手く行かない事もあります。
何もしなければ、上手く行かないのは当たり前です。
だから上手く行かせるために、長い時間をかけて準備をするのです。
大事なのは、その準備を応援し、様々な事態に対応できる能力を、選択肢を増加させる事です。

勝ち組司令官の目線だけでは失敗します。
勝ち続ける人はいないのですから。

目線(前編)

取引先との会食でお酒が進み、ホテルに帰ってからコートも靴も脱がずにベットに倒れこむ様に眠ってしまう事があります。
そんな時、数時間眠った後に目が覚めます。
反省しながら、いそいそと着替え、お風呂に入ったり、歯を磨いたり。

すっかり眠気も覚めてしまいます。
ベットに横になりながら、テレビを見ます。
深夜も深夜で買い物番組ばかり…。

チャンネルを変えていると、BS放送でインパール作戦の特番を放映していました。
第二次世界大戦中、計画は無謀、実施は都合の良い情報と見込で10万人を動員した作戦です。

誰の発案で、どういう目的で、どうして作戦は実施されたのか…。
なぜ、これだけ多くの人が亡くならなければならなかったのか…。
その時の組織、判断経路、関係者の意思を分析する番組でした。

伊藤桂一さんの「遥かなるインパール」を読んだ事があります。
英軍と戦闘能力の彼我の差は大きく、日本軍は夜襲に頼る犠牲の大きな戦闘を強いられる描写が次々と。
同書は小説の形態をとった戦記であると私は思っています。

最前線の人が、戦闘中どういう心持であったか。
どう戦ったのか。
仲間が次々に倒れて行く。
前線に取り残された動けない傷ついた兵士が、ガソリンをかけて焼かれてゆく。
でも、その仲間を助けに行くことが出来ない…。

現場の状況を知らない司令部からは、成功の見込みがない厳しい命令が次々と来る。
武器弾薬、糧秣は限られる。
満足な量は殆どない。
補給されない。
不足分を精神論で補えと来る。

そもそも目的それ自体が達成困難な環境で、目的が達成できなければ無能と現場司令官が更迭される。
どうして目的が達成されないのかの検証がない。
重なり、繰り返される犠牲をいとわなくなる。
現場の情報がない環境で、現場と司令部の意思はますます乖離して行く。

ここに自分がいたら…。
ここに自分の親族がいたら…。
ここに自分の大切な人がいたら…。

泥水をすすり、餓えて、歩き疲れ、気力を失い倒れて行く。
たまらなく、辛くなります。

ブラック企業で、例えば業績が伸び悩むと、精神力で切りぬけろという会社があります。
糧秣なくても、弾がなくても、精神で戦えというインパール作戦になぞらえて、これをインパール会社という事があると聞きました。
そこで働かなければならない人は心も身体もすり減らす事となります。

今、多くの人と仕事をしています。
現場で起きている事の本質を見極める事の重要性を改めて思います。
それが一過性の事象なのか、発言力のある誰かの恣意的な行為なのか、その事の本質はどこにあるのか…。

見誤れば、事態の収拾に多大な時間と労力が必要になります。
それは、携わる多くの人の負担を増加させる事でもあります。

新聞の見出しに就職戦線スタートの文字と集まる多くの学生さんの写真を見て思いました。

心通じること、生きること。

谷川俊太郎さんの「いきる」はあまりにも有名で、教科書にも掲載され教材になっています。
特に合唱にたずさわる方には、この「いきる」や他の谷川俊太郎さんの作品はお馴染みだと思います。
私の蔵書(そんな立派なわけではありませんが‥)にも、谷川俊太郎さんの「いきる」があります。
「いきる」を筆頭に、それを職業とするわけでない様々な人の思いが綴られています。

学生の頃、この「いきる」が教材として使用された時、とても退屈極まりないものでした。
今よりさらに未熟な感受性では理解ができませんでした。
少し齢を重ね、日常が連続ではない事。
諸行無常のわずか一旦でも知る事。
そうして様々な物事の捉え方は「いきる」がまったく理解できない頃からは変化しました。

素敵な人との出逢い。
美しい音楽に感動する事。
美味しいものを食べて、しあわせな気持ちになる事。
哀しい事も相変わらずやっぱりありますが、人生が豊かになったと感じています。

「君の膵臓をたべたい」
この書籍を購入して読んだ後、アスペルガーの二男に読むように勧めました。
通学時、電車の中で読んだそうですが、本人は今ひとつピンとこなかった模様です。
それは私が谷川俊太郎さんの「いきる」を初めて読んだ時の私と、あまり変わりがないのでしょう。

読後に書評をいくつか読みましたが、酷評が随分とありました。
ごもっともな指摘も大変多く、楽しんで読む事が出来た私は改めて未熟さを認識しました。
でも、得かなと‥思います。

私はハッとさせられました。
というか、言葉を得たと思いました。

「生きるってのはね」
「……………」
「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」
……ああ、そうか。
僕はそれに気づいて、鳥肌が立った。
彼女の存在そのものと言える言葉が、視線や声、彼女の意思の熱、命の振動となって、僕の魂を揺らした気がした。
「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。それが、生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。そうして形成された私は、今、生きてる。まだ、ここに生きてる。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに」


君の膵臓をたべたい / 住野よる

谷川俊太郎さんの「いきる」にもある、どこか普遍的な事を感じるのです。
人が生きることの普遍的な事を感じるのです。

この原作が映画化された事を後に知りました。
Amazonプライム・ビデオの見たい候補に入れておきましたが、先日他の書籍を買いにTSUTAYAに立ち寄った際に、DVDをレンタルして見ました。

原作を損なわない素晴らしい出来で、付け加えられたストーリーもとてもよかったです。
先ほど引用した言葉も映画の中で使われています。

この主人公を演じる浜辺美波さんがとても可愛い。
若ければ夢中になってしまったでしょう。
すっかりファンになりましたが‥。
引用した言葉も劇中に台詞で彼女が話します。
それは本当に名シーンです。

この小説にもう一つ、私がとても印象に残る言葉があります。

「違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」

君の膵臓をたべたい / 住野よる

人生は肯定的に捉えられる事ばかりではないけれど、すぐには出来なくても、どこかで自分を肯定できる日が来る事。
それが、その後をしあわせに生きること事が出来る近道じゃないか‥と思います。

タイトルにかけた構成もシビれました。
この映画の最後にMr.Childrenのhimawariが流れます。
先日、街で同じMr.Childrenの「つよがり」が流れていました。
フト思い出し、帰宅した後に家で聴きました。
これが主題歌でもよかったかな‥なんて思いました。

原作も映画もとてもよかった。
とても得した気分でした。

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