学問・資格

「希望を見つけ出すのが、医療」

大学入学し、一般教養の講義を受けるようになって感じた事がありました。
高校生までは授業。
授かる…受け身の姿勢でしたが、初めて「学んで問う」という気持ちになりました。

その中でも哲学は全ての学問の始まりであり、この事はその後に物事を体系的に考える良い刺激となりました。
哲学は月曜日の1限目であり、講座が進むにつれて出席者が減少をして行きました。

当時、大学生活は社会人になるまでの最後の4年間。
言うなれば、最後の受験を終えて、少し好きにしては…なんて雰囲気がありました。
特に私はバブル期ど真ん中。
真面目に授業に出席する方が…なんて感じもあったのです。

私も解放感もあって、一生懸命遊びました。
前述の様な気持ちも勿論ありました。

しかし、一般教養で触れた学問は大変な刺激でした。
経済学部でしたから、一般教養はこの経済学を学ぶために準拠するものです。
哲学、心理学、倫理学、政治学。
いずれも授業ではないので、楽しい。
たくさんの本を、そのエッセンスだけ頂戴しているような気持ちです。

経済学は統計と数式と、耳慣れない言葉。
こんなイメージがありましたが、この一般教養が素地となり、人間が行う事であり、それぞれはその延長線上にある事を私なり認識しました。
結局は人間が行う事。
経済学の中にも「人は飽きてしまう」そんな概念がある事で、私は経済学をとても身近に感じるようになったのです。

今、営業職にあって、全ては「人」の、「人間」の行う事であるとの認識は、複雑な問題の解決を探る際にも、粘り強さを生み出す源泉となります。
男であっても、女であっても、宗教が違っても、言葉が違っても、文化が違っても、国が違っても、ビジネスの合意点を見出そう、どこかに妥結できるところがないか…という気持ちになります。

2015年6月8日付け文部科学省からの通知です。
全国の国立大学に対して「文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ廃止を検討」という通知を出しました。
少子高齢化で大学が定員割れや教育の質の低下が言われ、こういう話が出てくる事に一定の理解を示します。
しかし、私はこの通知に大きな違和感があります。

18トリソミーという遺伝子に関わる疾患があります。
18番目の染色体が3本ある事から、この名がついています。
妊娠中、胎児の発育が遅くなったり、羊水過多がきっかけとなって診断されることがあるそうです。
出産が出来ても、90%以上が1歳までに亡くなってしまうそうです。

2014年にNHKプロフェッショナルで「ただ、生まれる命のために」というタイトルで産科医の川鰭市郎先生の事が放映されました。
その放送内容の中に、妊娠中に18トリソミーの診断を受けた女性と川鰭先生とのやり取りがありました。
その女性は絶望と深い哀しみの中にいます。

川鰭先生が女性に語りかけます。
「18トリソミーで生まれてくる子は、みんないい顔して、かわいい顔してるから、楽しみに待っててね」
この言葉では、その女性は「絶望から、今出来る事をして行こう」という気持ちになったと語っていました。
残念ながら、そのお子さんは分娩の途中で亡くなったそうです。

その日の夕方、川鰭先生がその女性とのところに来ました。
「どう?」って。
「ね、いい顔してるでしょ」って。
「悲しんでるパパとママのところには、(赤ちゃんは)帰ってこないよ」って。
その女性は「そう思っていいんだなって思えて」と語っていました。
それから1年後、その女性は二人目の子供に恵まれたそうです。

「意味のない命など、1つたりともない」
川鰭の病院に入院する母親やその赤ちゃんたちは、深刻な症状を持ち、治療が困難な場合も少なくない。
最善の治療を施したとしても、亡くなってしまう命がある。
川鰭は赤ちゃんを亡くした夫婦やその赤ちゃんの姿から、教えてもらったことがあるという。
「その赤ちゃんがいたことで、ご夫婦は向かい合って子どもや家族のあり方について一生懸命話し合う。
その赤ちゃんがいなければ語らなかったことについて語り合う。
それはご夫婦にとって、大きな物を残すことになる。
だから80年生きた命も、10分で亡くなった命も、生まれてきたときには心臓が動いていなかった赤ちゃんも含めて、生まれてこなかった方がよかったという命は、ひとつもない」

NHKプロフェッショナルHP「希望を見つけ出すのが、医療」
産科医 川鰭市郎より引用

「文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ廃止を検討」

医学は様々な難病の解決を期待されており、多くの人材や資金が投入されている学問です。
現在の医療技術では遺伝子を選択する事により、人をデザインできる技術が有効となっています。
私たち人類は今も、これからも、これまでの倫理では判断できない問いを突き付けられています。
私たち人類はこれから、これまで以上に悩み、迷う事は間違いがありません。

だからこそ、文学や社会学部、音楽や絵画などの芸術が必要なのではないでしょうか。
18トリソミーを「症例のひとつ」としてしか理解と判断ができない人に、川鰭先生の言葉を理解できるでしょうか。
2,000年前の物語に、1,000年前の芸術に、200年前の音楽に、私たちは感動します。
これは、2,000年前でも。1,000年前でも、200年前でも、我々はその時に生きる人と同じ喜び、同じ哀しみ、同じ希望、「同じ」があるからだと思います。

人文社会系の学問は、医学部に代表される学問と同じぐらい重要です。
私はそう考えます。

この記事の終わりに川鰭先生の言葉を引用します。
「希望を見つけ出すのが、医療」
哲学の無い人から、この言葉が生まれる事はありません。