最初の飼い犬が残してくれた大切なこと
自分が生きている事が、誰かの負担になっていると思う事はとても辛い事です。
意思の疎通が困難な場合はなおさらにその気持ちが増します。
犬や猫は人間の言葉を話すことが出来ません。
しかし、彼らが我々の言葉を理解していないとどうして言えるでしょうか。
幼い頃に近所のおばちゃんから聞いた話です。
飼っていた犬が老犬となり、次はどんな犬を飼おうかと家族で話をしていたそうです。
するとその老犬が間もなく亡くなったとの事。
「聞えたように亡くなったんだよね」
幼いながら、ひどい話だなと思った覚えがあります。
私が生まれる前から飼っていた犬がいました。
幼稚園の頃の記憶なんて殆どないのに、覚えている事があります。
私がその飼い犬をいじめたのです。
その時、尻尾を振りながら「どうして?」問うている様なその姿が忘れられません。
ある日、幼稚園から帰ってくると犬の姿はありませんでした。
私が母親に「どうしたの?」と訊くと「星になったのよ」と答えました。
いじめた事を思い出し、ひどい事をした心から詫びた事を覚えています。
近所のおばちゃんを責める資格は私にはありません。
近所のおばちゃんはその老犬に生きる事の絶望を与えたかもしれませんが、いじめた事のある私も受容されるべきとろこを否定し、飼い犬は行き場を無くしている状況ですから変わりありません。
自分の思いを表現するのが、上手な人と下手な人がいます。
自閉症などの障害が重いと、考えている事と表面に現れる言葉と行動が異なる事があります。
人前で話す機会が多いと、どうしたら上手に伝わるかと考えたり、そんなレッスンを受けたりします。
でも、大部分は思う事の半分も伝えられない事が殆です。
でも、会って話す方が表情、言葉の抑揚、しぐさで伝わる事が増えます。
そして、相手から受け取る事も増えます。
誤解があっても互いが理解をした思える時は、素晴らしい時だと思います。
生きているだけでいいんだ…。
自分は誰かに負担をかけている事にたまらない気持ちになっても、生きていなければすべては始まらないですね。
幼い私がその飼い犬と仲良く、そしてやさしく包んでいてくれる写真がたくさん残っています。
最近のコメント