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傘ではなく…

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人と人の出会いは本当に不思議だ。

この記事の森田さんは、どうして、なぜ、この時間、この時に、そこを歩いたのだろう。
中学1年生の女子生徒は、どうして「この人になら話しても大丈夫」と直感的に思ったのだろう。

人の窮状を利用する性質の悪い人も、残念ながらこの世にはいるのだ。
孤独を餌にして、絶望に巣くう奴がいるのだ。

家庭内暴力被害の中1女子、大学生が救う 兵庫 7/5(水) 7:33配信 神戸新聞NEXT

父親から暴力を振るわれていた兵庫県西宮市内の中学1年の女子生徒(12)の保護に尽力したとして宝塚署は4日、関西学院大2年の森田悠斗さん(19)=宝塚市=に署長感謝状を贈った。
森田さんは女子生徒の気持ちをほぐして窮状を聞き出し、県警に連絡した。

6月2日夜、森田さんは阪急門戸厄神駅近くの商店の前で、雨宿りする女子生徒に気付いた。
大雨で雷も鳴っていたため、持っていた傘を手渡した。
そのまま帰ろうとしたが、女子中学生が追いかけてきて、涙を流しながら「家に帰れない。父親に殴られている」と打ち明けたという。

森田さんは警察に行くことを勧めたが、女子生徒が嫌がったため、大学の後輩の女性を呼び、森田さんの自宅で話をすることにした。
ジュースとお菓子を出し、後輩の女性とともに約2時間話を聞いた。
女子生徒は徐々に打ち解け、時折笑顔も見せるようになった。

森田さんは話を聞く中で、父親の暴力は「しつけとは違う」と感じた。
顔を殴られていると話す女子生徒は、マスクを一度も取らなかった。
「父親と顔を合わすと殴られる」といい、父親が起きる前に学校に行き、夜は父親が就寝してから家に帰る生活を続けていると打ち明けた。

森田さんは「助けてあげなくては」と思い、「県警なんでも相談電話(#9110)」に通報。
女子生徒は児童相談所に保護され、現在、父親とは離れて暮らしているという。

県警によると、1~5月に寄せられた児童虐待に関する相談は宝塚署で20件(前年同期比3件増)、県内全体では768件(同280件増)に及んでいる。
警察官を目指す森田さんは「虐待がこんなに身近だとは思わなかった。
女子生徒がこれから幸せに暮らしてほしい」と話していた。
(小谷千穂)

私もたくさんの人に助けてもらった。
今も助けてもらっている。
解決が見いだせない問題の前で立ちすくむ時、力を貸してくれた人がいた。
今もいる。
それが、どれだけ素晴らしい事であるか。

父親が起きる前に学校に行き、夜は父親が就寝してから家に帰る生活…この孤独と絶望を思うと胸が痛くなる。
家に帰るまで、どんな思いで過ごさなければならなかったか。
どれだけ孤独だっただろう。
家に帰っても、息する事にすら気を使っていた生活がどんなにつらかったか。
どれだけ怖かっただろう。
そんな彼女が、父親の暴力におびえる事なく生活出来る様になった事がとても嬉しい。

この記事を読んで、目が潤みました。
その記事の事を妻に説明しようとした私は、声が震えました。

地下遊園地

子どもの頃、親には「そこで遊んではダメ!」と言われるところで、内緒で遊びました。

廃墟となっている家屋…。
建設資材置き場…。
洞窟というか、ほら穴…。

そこは未知の世界で、子供心をとてもわくわくさせるところでした。

ユニセフの機関紙に掲載されていた話です。
http://www.unicef.or.jp/kodomo/poster2017/more_info.html
シリアは報道でも繰り返される通り、終わりの見えない戦禍が続いています。
そんな環境でも、子供が安心して遊べるようにと、地下に遊園地を作ったそうです。

太陽の下で元気に、安心して遊べる事。
確かにこれがいちばん。

でも、この遊園地で遊ぶ子どもたちの顔はまた、とてもいい顔。
きっと洞窟は子供たちをわくわくさせます。

道具を使うのは人間の心

先頃亡くなられた、永六輔さんが作詞された「遠くへ行きたい」。

知らない街を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい

知らない海を ながめてみたい
どこか遠くへ 行きたい

遠い街 遠い海
夢はるか 一人旅

愛する人と 巡り逢いたい
どこか遠くへ 行きたい

愛し合い 信じ合い
いつの日か幸せを

愛する人と 巡り逢いたい
どこか遠くへ 行きたい

遠くへ行きたい / 作詞:永六輔

きっと、誰もが一度は心によぎった事にある事。
自分の事を誰も知らない、そんなところへ行ってみたい。
そんなところで、一からやり直してみたい。
それが叶わない事を承知しながら、想像したりする事があったと思います。

青森で自殺をした中学生の少女は、いじめのつらい日々から転換する事を目的に転校を考えた事があったそうです。
しかし、そこもネットを通じて情報が流れ、新しい安住の地とならない事を悟ったそうです。
「ラインやツィッターがある限り…」

あわせて、自分がいなくなれば、他の誰かが、また同じく犠牲になる。
心優しいその彼女は自分の事を顧みず、他の誰かの事を、つらい境遇にありながら思ったのです。
哀しく、深い彼女のやさしさ。
「逃げ場はない」という絶望。
その言葉のやるせなさ。

親の生活基盤がその地にあり、動かせない事情がある。
経済的に離れて暮らす事が出来ない事情がある。

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先日、仕事で西新宿に事務所がある取引先へ行きました。
その帰り道、新宿中央公園に寄ってみました。

凄い

スマートフォンの画面とにらめっこをしている人が多数。
仲間と談笑しながらであったり、ひとりで真剣なまなざしだったり。
新宿中央公園は賑わっています。

ポケモンGOは賛否両論。
いろいろと耳にしますが、私は良いと思います。
…ゲームをしない私が言うのもなんですが。

日経ビジネス 2016年8月22日号に掲載されたポケモンGOの開発に関する記事です。

「家の外に出て健康的に遊べるようなものを目指している」
「子供が遊んでも、親がこれならうれしいと思えるようにしたい」と熱く語るハンケCEO。
当時を宇都宮専務はこう振り返る。

「ハンケCEOと話せば話すほど、この人が言っていることは岩田(聡・任天堂前社長)さんや石原さんが言っていることに近いと思った」

日経ビジネス 2016年8月22日号 / ポケモンGO、大ヒット生んだ3社の理念

*ハンケCEOとはポケモンGOを提供する会社 米 ナイアンテックの創業者でありCEOです。

多くの方にポケモンGOで遊んでいただき、大変うれしく思っています。
配信した国々では街や公園に人が戻ってきたり、病床の子供たちのリハビリに活用されたり、自閉症の子供が外へ飛び出し、人とコミュニケーションを取るようになったり、といったうれしいニュースを聞いています。

ナイアンティックの理念は、プレーヤーの皆さんを現実世界での冒険に誘い、世界に隠された秘密を発見したり、体を動かしたりしてもらって、人々につながりをもたらすことです。そして、世界が少しでも良い場所になる助けとなる、というもの。
我々は、そうした理念を反映したイングレスが、人々にもたらす様々な変化を見てきました。

日経ビジネス 2016年8月22日号 / ポケモンGO、大ヒット生んだ3社の理念

共通のゲームで、知らない人とのコミュニケーションの壁が低くなる。
新しい誰かと、話し、笑い、喜ぶ。
そんなきっかけになるならば、それは素晴らしい事だと思います。
新しい場所で、新しい人との出逢い。
この3社の理念に大賛成です。

道具を使うのは人間です。
人間だけですね。
その道具を使うのは、その人の心ですよね。

傷つける誰かも、傷つけられる誰かも、誰かの誰かに違いない

東京は人口密度が急速に低くなっています。
朝の通勤も快適で、いつもこれぐらい楽だといいのになぁ…と思います。
今日は定時に事務所を出て帰路につきました。

本を読む気持ちにもなれず、音楽を聞きながら窓に映るおじさん(私)を見ていました。
地下鉄は暗いトンネルと明るい駅を繰り返します。
おじさんが映り、おじさんが消えます。

隣に立っている私より少し若い人は、何やら小冊子を一生懸命読んでいます。
地下鉄がトンネルから地上に吐き出され、夕暮れの街が車窓に映し出されると、その若い人は小冊子から目を外し、顔を上げました。
そして、網棚を見て少し微笑みました。

網棚には某有名家電メーカーのジューサーがありました。
大型量販店の包装があります。
箱の包装紙には、貼り直した後があります。
見ていた小冊子は取り扱い説明書で、それを取り出したのでしょうか。

箱を見て微笑む。
家族が、子供が、そのジューサーを喜んだり、美味しいジュースが出来て嬉しそうに飲む姿を想像する。
それだけで楽しくて、嬉しくなる。
その気持ち、とてもわかる気がします。
小冊子を見ているその若い人のワクワクがわかるし、伝わる様な気がします。

今日の日本経済新聞の夕刊1面のコラム「あすへの話題」に涙が出そうになりました。

父は子煩悩だった。
出征の日の朝も、何時(いつ)ものように姉を背に私を懐にしっかりと抱いたあと家を出た。
後、新発田連隊より戦地に向う父と再会を果す。
当然もう一度抱きあげてもらえるものと駈(か)け寄る姉と私に父は鉄像のように冷たく無表情だった。
…私達は人垣を離れ誰もいない線路の端にその汽車を待つ。
あっ! 父が最後尾の貨車のデッキに立ち、大きく手をふりながら何か叫んでいる。
姉と私は柵に身を乗り出して精いっぱい叫んだ。
「行ってらっしゃあーい! 行ってらっしゃあーい!」…お互いの声は届かず、貨車は去って行った。
10月1日暑い日だった。

父の生死が分からないまま2年が経(た)ち公報が届く。
「昭和19年10月26日…バシー海峡に於(お)いて戦死す」母は公報を持参された役場の方に両手をつき「このような紙切れ一枚いただく訳にいきません。
2年前に差し上げた生身の身体でお返し願いたい」と受け取ろうとしなかった。
…そして33回忌を迎えるまで陰膳を据えて父の帰りを待ち続けた。

これは朗読仲間の小林玲子さんに頂いた手記「父(とと)の海」の一部だ。
今年84歳になる彼女はあの10月1日、行進の兵士たちへ「どうか生きて還(かえ)って下さい」と合掌し繰り返していた老人が忘れられないという。
「沿道に万歳が沸き日ノ丸の小旗を打ち振る中でのその姿は、自ら戦争の悲惨さを体験した軍人ならではの祈りの叫びだった」と。

2015年8月12日 日本経済新聞夕刊
「父の海 日本気象予報士会元会長 石井和子」より抜粋

彼は誰かの息子であり。
彼女は誰かの娘であり。

彼は誰かの夫であり。
彼女は誰かの妻であり。

彼は父であり。
彼女は母であり。

彼は兄であり。
彼女は姉であり。

彼は弟であり。
彼女は妹であり。

誰かは、誰かの大切な人であり。

誰かの喜びは自分の喜びであり、誰かの哀しみは自分の哀しみであり。
誰かの笑顔は、自分の笑顔である事。

傷つける誰かも、傷つけられる誰かも、誰かの誰かに違いないですね。

やがて大空に飛翔する

私の名前には健康の「健」が入っています。

私が生まれる少し前、不幸が続いていたそうです。
それ故に、私の誕生は久々の明るいニュースであり、多くの人が心待ちにしてくれていたそうです。

しかし、生まれるその時、おふくろを道連れに私は生死の境をさまよう事となりました。
幸いおふくろも私も、この危機を乗り越える事が出来ました。
何より健康が一番。
そんな事で私の名前には健康を願って「健」の文字が入っているのです。

それから、いくつか障害がある事がわかり、両親には苦労をかけたそうです。
「どうして自分の子供はこんな苦労ばかりしなくてはならないのか…」とおふくろは乳母車(これも私の事情により特注品でした)を泣きながら産院と家を往復した事があったとの話を聞かされた事があります。

長男である私に用意された「こいのぼり」は特大のものでした。
それは、以後健やかに育つ事を祈ってくれた、たくさんの方々の気持ちでした。
おかげさまで、私は以後、名前の通り健康となりました。
心配された障害も残らず、生傷の絶えない元気で生意気なくそガキとなりました。

「こいのぼり」は、その大きさからやがて庭であげる事が出来なくなりました。
また、上げるための支柱を用意する事も出来なくなりました。
小学生の頃、しまってあった「こいのぼり」を勝手に出してきて、トンネルに見立てて遊び、大目玉をくらった事がありました。

初めて知りましたが、東日本大震災の後、青い「こいのぼり」をあげるプロジェクトをある事を知りました。

青い鯉のぼりプロジェクト
http://www.ryukoutengoku.info/koinobori.html

また、昨夏の広島県での局地的豪雨の被害を受けた人たちを励ます事を目的にあげられた「こいのぼり」。

土砂災害被災地にこいのぼり
http://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20150504/4514551.html

大空を泳ぐ「こいのぼり」に、多くの人の思いがある事を改めて感じました。

今年はいろいろあります。
長男が先々週から肺気胸で入院をしています。
過去にも同じ症状があり、はじめて症状がある時に診察を受け、肺気胸と診断されました。
手術を回避して回復する事を目的に闘病生活中です。

本人は「佐藤 健」や「嵐の相葉雅紀」もなるイケメン病。
自分もイケメンである事が証明されたとふざけた事を言っています。

5月5日に病院の夕食で、かしわ餅が出ました。
そこに小さな「こいのぼり」がありました。
その日はこどもの日ですから、少しでも感じてくださいと夕食の膳に添え書きがありました。

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入院生活は曜日の間隔を失わせ、季節の移り変わりを感じる事が出来なくなります。
病院の中、限られた範囲の中でしか移動をせず、談話室や屋上から外の景色は確認出来ても、その実感を感じる事が出来なくなります。

今日、今、この時も多くの人が病と闘っています。
そんな人が、やがて大空を泳ぐ「こいのぼり」の様に、病から解放されますように。

厳しい環境でも、強い生命力の鯉が、激流に逆らい、川を、滝を、のぼり、やがて龍になる。
この故事にならって、子供が様々な困難を乗り越え進み、立派に成長する願いを込めた「こいのぼり」。

「こいのぼり」が多くの人の思いを受け、やがて大空を飛翔しますように。

明日を信じて暖かく、安心して眠れる夜を…。

この世には憎しみや哀しみも、苦しみも、あふれています。
本当の世界を知る方が良いからと、早くから子供にも包み隠さずでいいじゃないか…という意見を聞く事があります。
現実を知る事から、学ぶのだと。
現実を知れば、そこから子供も考えるのだと。

教育の現場で利用された副教材を中心に、そんな論争を見ました。

この世には、人間の所業であっても、目を覆い、耳を塞ぎたくなる事がたくさんあります。
知りたくなくても、避けているつもりでも、メディアであったり、様々な事から知らずにはいられません。
だから、子供であってもその現実から遠のく事なく、ありのままでいいと。

戦場で生まれ、戦場に生きており、そんな状況が避けられない。
そんなところが全てである事。
当たり前ですが、誰もそんな事を望むことはなく。
知りたくなくたって、知ってしまう、知らざるを得なかった…そんな事だってあります。

哀しみは、ある日突然、予期せぬところからやってきます。
では、ありのままの哀しみはそのままで、正反対の喜びはどうするのか。
この世の憎しみや哀しみも、苦しみも、ありのままにして、この世に生きる喜びや、感動や、ふれあいは、どうありのままにするのか。

この世に生きている喜びは、どうして、どうやって、何時の頃から、それは教えるのか。
憎しみや哀しみ、苦しみは早くから触れさせて、生きている喜びはどうやって触れさせるのか。
この世の哀しみは、この世の哀しみが教えてくれても、この世にある素晴らしさは誰が、どうやって教えるのか。
憎しみや哀しみ、苦しみばかりがあふれるこの世界で、でもそれ以上の喜びがあるかもしれないと、いつ、誰が教えるのか。

明日を信じて暖かく、安心して眠れる夜を…。
誰かを愛する喜びを…。
誰かに愛される喜びを…。
やさしい言葉に励まされたり、やさしい言葉で励ます事を…。
友がいる喜びを…。
人のぬくもりを…。
学べる喜びを…。
孤独ではない事を…。
勇気ある事を…。
強く、やさしくある事を…。

カメラを銃口と間違えて手を上げる少女
http://news.yahoo.com/why-photo-surrendering-syrian-child-touches-hearts-163805806.html