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2018年7月

ホントの自由は真実求める心にあるはずと

大学に入学して履修する一般教養の授業に哲学がありました。
初めて学びました。

月曜日の9時からの講義で、履修届を出した人は多かったのかもしれませんが、100人以上が入る講義室はいつも閑散としていました。
私は毎週欠かさず出席しました。

これまで読書で得た知識や見聞した事、様々な事象が説明可能な範囲になったり、気づいたりと結構心がざわざわしました。
足元にも及ばない知識人たちが、この世が始まった頃から今でも同じ事に悩んでいる事実が刺激的でした。

長いトンネルから、日の当たるとこへ出てきた頃でした。
人がなぜ生きるのかという命題に、古今東西の人々が悩み続けている。
凡人の自分がそうやすやすと答など得られるはずがない…そんな思いがとても気持ちをほぐしてくれました。

お天道様が見ているよ。
子供の頃、よく大人に言われました。

誰も見ていないと思う悪事も、お天道様は知っているよ。
だから、悪い事をしてはいけない…そんな戒めと思っていました。

大人になるにつれ、もっと様々な意味が込められている事を感じる様になりました。
TBSドラマの白夜行にこんなセリフが出てきます。


どうか子供たちに、本当の罰は心と記憶に下されると伝えて下さい。
飲み込んだ罪は魂を蝕み、やがて身体さえ、命さえ食い尽くす。
どうか、その前に。

TBSドラマ「白夜行」より

自分に嘘をつくこと。
自分の思いと違う事を話すこと、すること。
自分の心を殺すこと。

それが、どれだけつらいことなのかを示唆していると思うのです。

浜崎あゆみさんの楽曲にアルバムタイトルにもなった「Secret」という楽曲があります。
アコースティックギターの音から始まり、切々と歌い上げます。
この楽曲だけ、そのアルバムの他のどの楽曲とも異なるのです。
これを初めて聴いた時は衝撃的でした。
すぐに繰り返し聴きました。


そこから見える私の姿は
どんな風に映っていますか
こんなこんないつわりだらけの
日々を笑い飛ばして下さい
手遅れになるその前に

今もここで私は変わらず
居場所をずっと探しています
どうかどうかあなたにだけは
この想いが伝わりますように
欲しい物など他にない

浜崎あゆみ / Secret

今はいないその人から、あなたの今いる場所から、私はどう見えるのか。
嘘や偽りのない、飾る事も隠す事も出来ない私はどう見えるのか。
本当の私はどう見えるのか。

同時に、本当の私を知っている人がいる。
不思議とそんな安堵感も生まれてくるのです。
それはまさに、嘘をつかなくてもいい。
そのままの自分でいい。
あなたの真実を知っている。

あなたは、ひとりじゃない。

そう言われている事と同じだと感じたのです。

自分のこころを殺す事は、自分を裏切ったという後悔で、自分を殺してしまう事なのでしょう。
あの時こうしていれば…。
あの時、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう…。
あの時…。

その思いに苦しみ、でも明日を目指して立ち上がる時、光が差してくるのではないでしょうか。
その時、同じ事に苦しむ人に「あなたは、ひとりじゃない」と言える強さとやさしさをきっと持っている。

ほら、お天道様が見ているよ。
ひとりじゃないね。

復活…とは、こういう事なのだろうと思います。

SNSにおける人と人との関係は極めて希薄と私は感じています。
SNS上で表明した意見に多くの知らない方からの賛同を得たり、相談をいただく事も。
誤りの指摘や誹謗中傷など様々です。

現在の仕事が商取引なので、ワッーと売れる商品やサービスは非常に寿命が短いと感じています。
ペースはゆっくりながら、着実に販売される商品やサービスの方が商品の寿命も長いし、結果実績も大きいのです。
また、そこから派生する商品やサービスも多いと思っています。

LINEは家族のみ。
facebookとツィッターも利用していません。
勿論、インスタグラムも。
SNSはこのブログのみです。

ブログを始めた頃はアクセス数も気になったし、「いいね」なんてされるとうれしかったのです。
ところがしばらくして、記事を書くのにその事を意識する自分を感じ始めたのです。

今までも記事を書く時は、こんなつたない内容でも下書きをし、内容や誤字脱字を確認しています。
それでも誤字脱字はあるし、後から読み直して内容の稚拙さに頭を抱える事も度々あります。

評価される事は率直にうれしいのです。
しかし、私の場合はその事に意識を囚われ過ぎた事があったのです。
評価される事を想定し、そんな記事を書いた事があります。

読んでいただける方を意識するのは当たり前だと思います。
例えば、現在の仕事業界の人のみが使う言葉を利用しても、記事の趣旨を理解頂くには何も役に立ちません。
それを理解するのは特定の人だけです。
言葉や表現を変える必要がありますよね。

そんな記事は稚拙さを二乗したようなもので、恥の上塗りの様な気持ちになりました。
一度、アップした後にそんな記事を削除した事があります。
それから評価される事を意識した記事は、書かないように努めてきました。
それでも隠し切れないその気持ちは否定出来ず、あると思います。

SNS上で多くの評価と共に、たくさんの人が見てくれる事があります。
人がたくさん集まってきます。
でも、さっきの商品やサービスの販売に同じく、集まるのは早いのですが、去るのもまた早いです。

例えて、クラブのきれいなお姉さんと同じです。
その時は楽しくても享楽は終わり、フト我に帰った時たまらなくさびしくなったり、むなしくなったり…。
最近は仕事以外でクラブのきれいなお姉さんにも興味なく、すっかり枯れておりますが…。

一見、SNSで出来る関係は即効的で、簡単な部分があります。
しかし、妻や子供、親に親戚。
近所のおじさん、おばさん。
お隣の夫婦‥など。
面倒くさい関係があります。
これには手間と時間が必要です。

こうして出来上がる、この人と人との関係は、長い時間をかけて互いを理解する事となります。
集まるのは、早くありません。
そのかわり、去るのも早くありません。
やっかいな部分も多くありますが、ネット空間にないリアルがあります。

本当に困った時は、こういう関係の中にいる人が頼りになります。
電車男の物語もあるので一概には言えませんが、ネットで賛同してくれた人もクラブのきれいなお姉さんも、現実では助けにならない事があります。

50の齢を重ね、これまで多くの出会いがありました。
その中で忘れる事の出来ない出会いが多くあります。

心を託してくれた人。
心を授けてくれた人。
心を教えてくれた人。

もうダメか…と思ったその時に、心を託してくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、もう一度がんばるんだと力が湧いてくる事があります。

投げ出したくなったその時に、心を授けてくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、ここで諦めてはいけないと気持ちを新たにします。

怒りや哀しみ、絶望に気力を失うその時に、心を授けてくれた人の言葉がよみがえります。
よみがえった言葉に、生きなければならないという気持ちが心を強くします。

今でも、会える人がいます。
もう、会えない人もいます。
残念ながら会う事は出来ませんでしたが、心を残してくれた人がいます。
残された作品に心を感じる事があります。

ある日、これまでわからなかった言葉に、その意味を理解する時。
生前の言葉が、何を伝えたかったか知る時。
理解できなかった行動の意味を、理解出来たその時とその意味を知る時。

復活…とは、こういう事なのだろうと思います。
心は心によみがえり、その心は永遠に心で生きるのだと思います。
百年も千年も前の作品に心震える事があるのは、その証だと考えます。

蛇足ですが…私はマーラーの交響曲第2番「復活」第5楽章を聴くと、そんな思いがよみがえる事が度々あります。

陽が沈む

019


夏は夕刻に帰宅できると、最寄バス停から美しい夕陽を見る事が出来ます。
地名通り人里離れた山の上に住まいがある私は、これがひとつの楽しみです。

同じ姿は二度はないのに、どうしていつも美しいのだろうと思います。

バスを降りても、気がつかない日もあります。
バスを降りて顔を上げたら、その美しさにハッとする時もあります。
バスを降りて、その姿を楽しみにする事もあります。

日々様々な事が起こります。
様々な事に忙殺され、そんな事を忘れてしまう日もあります。

人の様々な思いを、その悠久の時間が全て飲み込みます。
今日も陽が沈みます。

*写真は長崎県の千綿駅から見えた夕陽です。

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