人が生きた場所に連綿と残る思い。
妻と交際をしている頃。
過去の思い出から行きたくない場所があったとの事。
私と交際をする様になってからは、その思いは消えたと話されました。
むしろ、その場所へ私と行き、新しい思い出に塗り替える方が良いとの事でした。
私にもあります。
私は忌むべき場所というより、戒めの場所です。
そこは社会人になって、傲慢で自意識過剰、私が自身を見誤った場所です。
今でも、その近くに行くと、「戒めの地」としてわが身と心を引き締めます。
昨日まで仕事で金沢におりました。
ここにも多くの思い出がありますが、仕事で訪れている時に、いちいち感傷に浸る事はありません。
しかし、朝移動のために在来線のホームで電車を待っている時の事。
向かいのホームの電車を見て、少しいくつかの思いがよぎりました。
電車には詳しくないのでわかりませんが、ずいぶん長いこと現役だろうな…と思う車両でした。
そんな事からの連想です。
メンデルスゾーンの交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」を思い出しました。
弱冠20歳のメンデルスゾーンがバッハの《マタイ受難曲》蘇演という歴史的快挙を成しとげたのは、1829年3月のこと。
その1ケ月後、彼は初めてのイギリス旅行に出発する。
しばしのロンドン滞在の後、7月末に彼はスコットランドに赴き、悲運の女王メアリ・ステュアートにゆかりの城を訪れた。
「深い黄昏の中、私達は今日、女王メアリが生き、そして愛した宮殴に行きました。
…そばの礼拝堂は今は屋根がなく、芝や蔦がはびこっていました。
そこの壊れた祭壇で、メアリはスコットランドの女王として戴冠したのです。
何もかもが壊れ、朽ち果てており、明るい空の光が射し込んでいます。
今日そこで、私はスコツトランド交響曲の冒頭を見つけました。」
彼は16小節分の楽想を書き留めた。
メンデルスゾーン交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」
指揮:クルト・マズア
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
CD楽曲解説より引用 1988年10月吉成 順
偉大な音楽家と自分を同列にする気は毛頭ありませんが、人が生きた場所に連綿と残る思いがあるのだと考えるのです。
人はそういう事を感じるのだと思うのです。
いい事ばかりじゃないかもしれないけれど、悪いことばかりじゃない。
故郷は様々な思いがあり、とても素晴らしい場所であったりします。
風景はもちろん、空気や言葉。
料理や食べ物。
人は永遠ではないので、その場所で変わらずに続きものに思いをはせるのではないでしょうか。
この交響曲大好きです。
第1楽章は本当に悠久の歴史を回顧するようにちょっと寂しげに始まります。
でも、第4楽章のフィナーレは賛歌の様な気がするのです。
人が生きることはきっと…。
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