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2017年11月

よそゆき顔で

松任谷由美さんのアルバム「日本の恋とユーミンと。」
今週末は車で移動する時、妻と聴いていました。
80年代が青春の私たちには、耳に馴染んだ楽曲が多くあります。

それぞれに風景やチクチクとした想い出がよみがえる事があります。
いろいろありますが、その時に恋した人の事は顔も思い出せない昨今です。

このアルバムの選曲はいいな…と思います。
松任谷由美さんの楽曲は、それぞれに思入れが強い方もいて、その選曲にはいろいろあるだろうなと感じます。
誰もが良いと思うのは、ベートーヴェン交響曲全集ではありませんが、CDのBOX売りが必要です。
松任谷由美全曲集という事ですね。

このアルバムで好きな楽曲をひとつだけ選ぶとしたら、結構大変です。
あえてひとつなら「幸せになるために」を私は選びます。

まず、イントロのキーボードの音がたまらない。
楽曲の内容にかかって、時間とそれを超越する、あたたかいイメージがあります。
誰かが、うれしい温かい涙を流している感じがします。
そして、長くないイントロ。
唐突に楽曲が始まる様に聴こえます。

加えて、歌詞のいちいちが全てタイトルにかかっている気がするのです。
いろいろな気持ちといろいろな決断は、お互いが「幸せになるために」です。
思いを閉じ込める様に、ギターが余韻を残して終わります。

残念ながら、このアルバムの選曲が漏れている楽曲で1曲だけ加えるとしたら…。
私は「よそゆき顔で」がいいです。

この「よそゆき顔で」は当時のB面収録曲でした。

歌詞に出てくる観音崎は免許を取得してから、とてもなじみ深い場所であった事。
歌詞に出てくる「ドアのへこんだ 白いセリカ」。
当時乗っていたのは、親父のお古の白いスカイライン。
その車は私が免許を取得したその日にガードレールと接触し、ドアが少しへこんでた事。

楽曲中の女子の過去と決別しようとする決意を、とても切なく感じました。
なぜ、切なく感じたのか…、それは内緒です。

知らん顔しました。

朝、人が行き交い混み合う地下鉄のホームを、無人の野を歩くがごとく進む人がいます。
胸を張り、まさに人を蹴散らすように進みます。
文句があるならば、挑戦して来い…そんな感じです。
男性だけでなく、女性でもそんなタイプの方がいました。

混み合う地下鉄のホームなので、僅かづつでも譲り合う事がスムーズに進むための秘訣だと思います。
以前は空手で鍛えた身のこなし(?)がありましたので、混雑する中を歩いても人にぶつかる事はありませんでした。
人ではなく、最近は柱に引っかかったり、家の隅で足の小指をかけてもんどりうっているので、そんな事が気になる様になったのでしょうか。

胸を張り、まさに人を蹴散らすように進み、それで満足なのだろうか…と少しさびしい気持ちになります。
どうして、なぜそうなのだろうと少し哀しくなります。

今日の事。
朝、電車に乗り込むと、社内の中央に黒い物体。
おっ…瞬間的によけましたが、よく見ると誰かの手袋です。
電車内で手袋をはずした人が、落としてしまったのでしょう。

知らん顔しました。

遺失物として、駅員さんに届けてもいいし…。
拾って網棚にのせておけば、終点では忘れ物になるし…。
自分の子供が忘れたものを、誰かが拾って届けてくれたらうれしい…。

先日、コンビニで会計をした際に折り畳み傘をレジに忘れました。
すると外国人の店員さんが「お客さん、お客さん」と走って追いかけてくれて、渡してくれました。
少し前、これまたコンビニで折りたたみ傘を忘れた時の事(鞄と別々に持つので、よく忘れます)。
後ろに並んでいた学生さんが、追いかけてきてくれて、無言で傘を渡してくれました。

そういう親切だけ、受け取っているのは誰なのでしょう。

私の眼の端に移る手袋は、次の駅で乗車して来た女子高生に拾われました。
彼女は躊躇する事なく、手袋を拾い上げました。

私は自分が、どうして、なぜそうなのだろうと哀しくなります。

許容できる容量

道路の合流でクルマ1車分のに進路を譲ると、目的地までの到着時間にどれくらいの差が発生するかご存知ですか?
0.38秒だそうです。
学生の頃に定期購読していたクルマ関連雑誌の記事にありました。

通勤電車はマスヒステリー状態です。
押したの押さないの、腕があたったあたらないのと些細な事で揉め事が始まります。
意図的にしたのでなければ、みんなこの状況を仕方なく受け入れ、我慢しているので愉快な人はいませんね。

飲食店で、メニューの内容により料理の提供時間が異なります。
薬局で、薬の処方により、お渡しまでの時間が異なります。
あらかじめ理不尽に怒らないでね…とエクスキューズする内容が掲示されているのを見ます。

誰でも軽んじられたくないし、無視されたくない。
そう思う気持ちに、周辺環境がマスヒステリー状態であると、少しのミスも不当な扱いを受けたという事になります。
大きな不安を抱え心に余裕がない時も、強烈に感情的な反応となる事があります。
人が行う以上、例えば飲食店内でもオペレーションに誤りが発生するという認識が消えてしまいます。
それ故に苛烈な反応になります。

報道では店員さんに土下座を強要する。
理不尽な理由(理不尽じゃないのに)で不当な扱いを受けたと抗議する。
こういう事が、サービス業を敬遠する人が増え始める理由との報道がありました。

仕事では販売部門に属します。
自らが製造して販売をする製品もありますが、いろいろな取引先から仕入れて販売するものがあります。
恰好のいい言い方をすると、様々な製品や商品を組み合わせて販売するのが主な業務となります。

その販売に関わる市場はどうかというと、自分の勤務先だけではなく多くの競合先があります。
購入してくれる取引先は、何が購入の動機になるかと言えば、得られる利益であったり、取扱い品に惚れ込んで頂いてたりと様々です。

しかし、購入の大きな動機の中に「人」に関わる部分が大きくなっていると感じています。
製品も商品も均一化し、驚くようなアイデアや新性能が生まれにくい環境にあります。
それゆえ、競合では価格や納期までの時間、アフターサービスなど様々な対応が決断をするための評価軸になります。
今の仕事が結果が示されるまでに時間が必要な事もあると思いますが「この人と仕事がしたい」「この人なら任せられる」という基本の部分のウェイトが、会社の知名度やこれまでの実績よりも重要な要素になっていると思っています。

グレートカンパニー(2015年)/リッチ・カールガードの著作でも、持続的な成功に必要な要素として、ソフトエッジと表現をして人のパーソナルな部分が重要である事を示していた事を心にとめています。
商品を購入する、サービスを購入する、その対価の中に見積もりできない要素が契約の成否をわける重要な部分を占めていると私は思っています。

同僚と昼食で入った飲食店で、最後に食べれないものが混ざっている事がありました。
その同僚は会計時に「当たりくじが引けたよ」とにこやかに店員さんに伝えました。
店長さんや店員さんは恐縮してお詫びしています。

別の店で、私もオーダーしてから、明らかに忘れられたかなと思う時間が経過してから店員さんを呼び止めて言った事があります。
「ずいぶんいい子で待っているのだけれど、そろそろ出てくる?」

定食屋さんの昼食で、ひとりチキンカツを頼んだ同僚がいました。
ずいぶん時間が空いたので「さっき店員さんが、鳥を買いに行くバイクを見たよ」とか「ちょっと前に店の奥で鳥の断末魔の鳴き声がした」などと提供されるまでつまらない話をします。
「大変お待たせして申し訳ありません」と料理が運ばれてきます。

「当たりくじがひけたよ」と言った同僚に「お前が入れたんだろ」と返答が帰ってきたら。
忘れていたオーダーを「これは時間がかかるんですから、しかたありません」と言われたら。
「チキンカツは最初から時間がかかると言ったでしょ」と言われたら。
それはやっぱりおもしろくない。

例えば自衛官や警察官など過失が許されない、即生命の危険に関わる職種があります。
だからこそヒューマンエラーは必然と考え、そのミスを無くす仕組みを作るのです。

たぶん人であるが故に、人の失敗を少々の部分なら処理できる能力が誰にでもあると思うのです。

ところで「ずいぶんいい子で待っているのだけれど、そろそろ出てくる?」と訊いたお店の対応はどうだったと申しますと…。
問い合わせて直ぐに、レジ付近から厨房カウンターまでが、にわかにざわつき始めました。
何やら店員さんがゴソゴソと話しています。

料理は大急ぎで仕上げられました。
私は怒りをあらわにしている事などなかったのですが、誰が運ぶかともめています。
そんな様子が見えているのです。
テーブルに運ばれてきました。
店員さんは一言も話す事なく、黙って大急ぎで厨房の方へ戻って行きました。

食事を終えると、料金を払って黙って店を出ました。
それ以来、そのお店には行っていません。

…私がひとりマスヒステリー状態ですか?

自己PRは苦手です。

最近、パガニーニーの生涯を描いた映画を見ました。
「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」です。
ネット通販会社の○○○○サービスで見ました。

大変興味深く、面白く見ました。
パガニーニ役のデビット・ギャレットは好演です。

才能はお金になる。
この事を嗅ぎ付けて、ダニの様に付きまとう人が、いつの時代もいるのだなと思います。
それで相互に利益がある時は良いですが、相反すると苦痛であり、才能を持つ人には障害そのものです。

たいていそれは、金銭以外の利害が異なる部分が発生する事によって変わって行きます。
この映画でも、パガニーニー本人とプロモートする人との関係が、パガニーニが本気で好きになった女性の事で変化して行きます。
心の中での順位というか、最優先する事が変化するのですね。

才能がある故に、孤独である事もあり…。
自分が利益を生むから、味方だと得だから…と周りにいる人々の中にいる人の、本当の気持ちを知ってしまったら切ないものです。
にぎやかな、大勢の人がいる中で孤独を感じたのなら、何もない原野にひとりでいるよりも孤独を感じる事となります。
街の雑踏の中、フトそんな気持ちに囚われる事が誰にでもあるのではないでしょうか。

画家の山下清さんの生涯の映画を見た事があります。
芦屋雁之助が主演で連続テレビドラマになる前の映画であったと思います。

山下清さんが亡くなる前のシーンがあります。
昏睡状態の山下清さんが、時折目を開けては時計を見るのです。
それを母親役の中村玉緒さんが「時間に追われる事が多かったから時計ばかり気にしている」と涙ながら話すシーンの記憶がおぼろげにあります。

その映画の中で、とても印象に残った言葉があります。
この母親役の中村玉緒さんが「障害のある子供を残し、自分が先に亡くなる事は辛い(正確な台詞は残念ながら覚えていないのです)」と話します。
この事は当時中学生だった自分の心に、とても記憶として残ったのです。

そう思ったのには理由がありました。
よろしければご覧ください(URLは文末にあります)。

本当にその人の才能を世間に広めたり、認めさせたりと当人に心酔して取り組む人も勿論います。
そういう人に出会えなければ、プロモートという名の隷属があり苦しいだけでしょう。
人に売り込む才能がない私には無縁ですが…。

同じく中学生の時、シカゴのヴォーカルだったピーター・セテラが、シカゴを脱退しました。
とても残念だなと思ったのです。
その後、ベストヒットUSAか、音楽雑誌の記事だったか忘れましたが、「僕がシカゴを一流バンドにした。僕が脱退した後に新作は駄作だね」と言ったのです。
ガッカリしました。
また、どうして仲良くやれなかったのだろうと憤慨しました。

しかし、その後に欧米のバンドが様々な事で解散して行く事を見聞きし、理解できる様になりました。
えーっ!と思う理由もありましたが、個人を尊重する部分もあるのだなと思えるようになりました。
そこには自分に嘘をつく事の辛さも含まれている事も学びました。

社会人になってビジネスで欧米人との取引する様になると、ピーター・セテラが特別な人じゃない事を思い知らされます。
自分の意思は表示します。
しなくてはなりません。
でも、自分の才能はこうだと説明する事は、いまだに慣れないし、恥ずかしいし、得意ではありません。

…最後に自分を最も強烈にPRしたのは、自分の奥さん…。
その話はいいですね。

しあわせのランプ(Chapter4) 渇望
http://an-easy-light.cocolog-nifty.com/bloglight/2008/09/chapter4-f2be.html

任せてあるから、何も心配するな

老舗企業で後継者に恵まれず、私が所属する事業部とその事業継承について協議をしていた代表者の方がいます。
先日、残念ながら他界されました。
その方とは、多くの商談をしてきました。
息子ほどに年齢の離れている私を尊重して下さり、可愛がってくれました。
また仕事の事を含め、いろいろと教えて頂きました。

亡くなる少し前、自宅で吐血し救急車で病院へと運ばれました。
病院に駆けつけると、痛みと格闘しておりとても苦しそうでした。
コミュニケーションも難しい状況となっていました。

ベットの横で、事業を継承するグループ会社の社長と私が声をかけました。
このグループ会社の社長も途中から協議に加わり、多くの時間を共に費やしました。
声をかけたその時は、痛みに苦しみながらも、それに応えてくれたのです。

病室にいたご家族は、その様子を見ておられました。
それ以後、コミュニケーションを取る事は出来ず、しばらくの後、お亡くなりになられました。
奥様からは「やっぱり仕事が好きなのね」とその日の事をお話しされた事を聞きました。

時間は少し遡ります。
亡くなるおよそ1年前、その方が病院に運ばれた時の事です。
病院嫌いでしたが、意識が朦朧としており、家族に強制的に連れられて診察を受けました。
診察室には歩いて入っていきましたが、診察室を出る時は車椅子だったそうです。

診察室から出てきたその時、奥様を車椅子に座る自分の近くに来るように手招きしました。
すると朦朧とする意識の中、かすれた声で、でもしっかりと奥様の耳元で話しました。

「会社の事は○○○○○に任せてあるから、何も心配するな」

この事を奥様から、しばらくしてお伺いをしました。
その時、自分の生命の危うさを感じ取り、奥様に伝えたのです。

営業として、人と人の間に立つ仕事をしながら、これ以上の信頼はないと思いました。
自身の死後、事業を頼むと言われている事と代わりません。
あいつなら信用できるから…と太鼓判を頂いている事と同じと感じました。

しばらく加療の後、退院する事が出来ました。
その後は出社する時間を減らし、体調管理を優先としました。

事業譲渡の件は互いに合意に至り、契約を結ぶ事が出来て無事に終了しました。
それから肩の荷が下りたのか、厳しい経営者の表情は徐々に少なくなりました。

事業はグループ会社に移管された事から、その方との商談はなくなりました。
それでもアポイントを取ってお伺いをすると「もう私との用は無いのに、何しに来た?」と聞かれる事がありました。
「ええ、おしゃべりに来たんですよ」と私が返答します。
すると「給料貰って、おしゃべりに来るとはいい御身分だな」とニヤニヤしながら言われました。
とても喜んで頂き「また来いよ」と言って下さったのです。

通夜の日。
とても大きな、白い花を中心にして作られた祭壇がありました。
穏やかな笑顔の遺影に手を合わせました。
(安らかにお眠り下さい)と心で伝える以外に他に言葉はありませんでした。

「任せてあるから、何も心配するな」
これは私の心の金字塔です。
だから、他に言葉はないのです。

座敷わらしがいたらどうする?

引っ越しをしました。
以前の契約物件から狭くなるので、荷物を収めるのに大変です(…と言っても、頭を悩ましているのは妻です)。

今度も日当たりがとても良い物件で、とても気に入っています。
他に困っている事がひとつ。

庭がとても荒れています。
日当たりが良い事が、強烈な雑草を跋扈させる原因になっています。
これを先週末から土壌改良も兼ねて掘り起し、マイクロソフトも真っ青の雑草(根)ネットワークと格闘しています。

作業を二男としています。
手伝ってくれと話したら、文句も言わず手伝ってくれています。

物件の場所も角地で、庭は東と南の方角に面しています。
作業するとその広さを実感します。

二男と時々話をしながら作業します。
「今度の家に、座敷わらしがいたらどうする?」と私が問い合わせました。
すかさず「仲良くなる」と返答が帰ってきました。

アスペルガー症候群の二男、現在は高校2年生です。
二男なら見えるかもしれない、仲良くなれるかもしれない…と思いました。
「いいな。仲良くなったら紹介してくれよ」と私は言いました。

必ず約束の場所で逢いましょう。

安室奈美恵さんの引退発表が行われ、朝の情報番組で繰り返し見る事がありました。
その引退発表報道に安室奈美恵さんの楽曲である「Don't Wanna Cry」のプロモーションビデオが、同じように繰り返し流されていました。
同楽曲はミリオンセラーであり、様々な賞を受賞している事の解説もありました。

私はこの楽曲が大好きです。
リズムも安室奈美恵さんの声も、とてものびのびと歌っている様に聞こえるのです。
引退報道を見た後に、携帯音楽プレイヤーに転送をして久々に聴きました。
やっぱりいい。
古さを感じさせない。
名曲の条件とはこれだなと思います。

いじめを苦に自殺をする。
先生の執拗に繰り返される、人格を否定する叱責に耐えかねて自殺する。
報道で知る度に胸が痛みます。

およそ30年前ですが、「青春したかったぜ」という言葉を残して自殺をした中学生の事が報道されました。
自分自身が生きる事に苛まされていた事から這い上がる頃で、記憶に残っています。
苛烈ないじめがあった事が報道されました。
その報道で、自殺した中学生の妹が自宅でコーヒーを飲んでいる映像が忘れられません。

ミルクがたっぷり入った色をしたコーヒーの入った白いカップを、両手で大切そうに膝の上で抱えています。
体育座りで、身体をこれ以上小さくならないと言う程に膝を抱え込んでいます。
伏し目がちに顔を近づけて、コーヒーを飲んでいました。

その姿は哀しみそのものでした。

安室奈美恵さんの「Don't Wanna Cry」が発表されたのは、おそらくその10年後です。
初めて聴いた時に、この楽曲の歌詞は誰に、どんな境遇の人に書かれたのだろうか。
これは、誰かへのメッセージなのだろうかと思ったのです。

今日が終わるたび
胸をなで下ろすなんてやめよう
あきらめること 許したら
HELLO だって言えなくなるから

どこへでもつづく道がある
いつの日かI'll be there…

I've gotta find a way, so let me go
やめちゃえばいいのにね
Because baby I don't wanna cry
ツライ・イタイ事なんか

祈るだけじゃもう届かない
いつの日かI'll be there…

一部抜粋
安室奈美恵/Don't Wanna Cry

祈るだけじゃ今の事態は解決できないから、この場所から去ろう。
どこへでも続く道があるのだから。
I'll be there…は直訳すると、私はここにいるでしょう…ですが、ここは「ここで待っているよ」がこの場合の適当な和訳である気がします。

必ず約束の場所で逢いましょう。

逢いたい人がいる
I'll be there…

安室奈美恵/Don't Wanna Cry

ユニセフの機関紙の表紙です。
とても素敵な表紙写真と思いました。

P1060844

その機関紙に以下の記事があります。

生後8ヵ月の赤ちゃんが楽しそうに笑っています。
目の前に差し出された1枚の紙。
それをビリッとお父さんがちぎると、けらけらと高い笑い声を上げます。
何度も何度も、ちぎるたびに、それはもう面白くて面白くてたまらないというように。
そして自分でも紙の切れ端に触ってみます。
そこでまたお父さんが紙を破くと…ほら、ふと気づけば、観ている私たちも、笑顔。
心の底から楽しそうに笑う赤ちゃんを前に、胸の奥から自然とあたたかな感情が湧き出して、顔がほころぶのです。

中略

「赤ちゃんはこの白い平たいものをおとながビリッと破ると、おもしろい音がするという現象が気に入っています。
自分が笑うと、相手も目を合わせて一緒に笑ってくれるし、自分が楽しいと思うことを繰り返しやってくれる。
世界はそういう風に自分にあたたかく反応してくれるものだということを学習しています。

その約束を待っている人がいます。

死んでしまう方が楽だと思う日があります。
でも、それは自分だけじゃないかもしれない。

同じ哀しみを知り、だからこそ、そんな互いを理解し合えるかもしれない。
あなたが乗り越えた哀しみと同じ哀しみに苦しんでいる人がいる。
そして、そんなあなたが現れるのを待っている人がいる。

必ず約束の場所で逢いましょう。

こどもの成長

1日タフな交渉が続いたその日、交渉相手だった取引先の元宮専務(仮称)さんと夕食をご一緒しました。
仕事の間は互いにプライベートな事は話はしませんので、会食しながらそんな事が話題になります。

ビジネスは、その日に妥結する事はできませんでした。
しかし、互いのタフな交渉を称えて夕食は盛り上がりました。
電車の時間も迫り、駅へ向かう私を元宮専務さんは断っているにも関わらず「送る送る」と一緒に来てくれました。

地方で電車の数が少ないので、21時を過ぎていましたが、まだ学生がいます。
部活動かな…なんて、ふたりで話していました。

私は酔いが少し回ったのか、自分の子供の事を話しました。
自分の長男が大学の楽団で指揮をしている。
その姿をホールで見ながら、長男に対する私の役割は終わったと思ったと話したのです。

自分が指揮したい曲を、楽団員を初めとする皆に了解をしてもらう。
了解してもうらうための作業をする。
人に聴かせるための練習を繰り返す。
自分が思うところに、楽団員を導いてゆく。
これから社会で生きて行く上で、いくつもの大切な要素を理解したのだなと思ったのです。

ああ、これで私が教える事はない。
長男は大丈夫だと思った…と私が話しました。

すると元宮専務さんは、実は自分の子供でもそう思った事があったと語り始めました。
元宮専務さんの息子さんは学生時代に野球を続けていたそうです。
キャッチャーで、その姿をバックネット裏で見ながら、そんな気持ちになったそうです。
確かにキャッチャーはゲームを作ってゆくポジションです。

そして、元宮専務さんはその後、前を見つめたまま唇を強く噛み、黙ってしまいました。
やがて、瞳からポロポロと大粒の涙を流し始めました。

電車が到着するまで、もう少し時間があります。
「もう電車が来るから、帰ります」と元宮専務は言って後ろを振り返る事なく去ってゆきました。

Christina Aguileraの「The Voice Within」がとても聴きたくなりました。
携帯音楽プレーヤーを少し薄暗い車内で用意しました。
電車に乗ってから降りるまで、改めてこの楽曲の素晴らしさを噛み締めました。

Just trust the voice within
Then you'll find the strength
That will guide your way
If you will learn to begin
To trust the voice within

心の中にある本当の声(思い)を信じて
あなたを導いてゆく その声(思い)の強さに気づくでしょう
あなたは学び始める 心の中にある本当の声(思い)を信じることを

Christina Aguilera/The Voice Within
あやしい和訳 ケンシロウ

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