からなずら母上のもとに参ります。
幼い頃の記憶です。
日産自動車の販促品で、「金のなる木」を親父が頂いてきました。
「金のなる木」
カネノナルキ(金のなる木、学名: Crassula ovata)は、ベンケイソウ科クラッスラ属の多肉植物。
カゲツ(花月)とも呼ぶ。
和名はフチベニベンケイ[1](縁紅弁慶)であるが、あまり使われない。
私は珍しくて、しばらく眺めた後、その事を高知に住んでいた母方の祖母に電話で伝えたのです。
「おばあちゃん、家に金のなる木があるんだよ。」
「なんだい?それはお父さんの事かい?」
当時は「違うよ」と説明をしました。
しかし、今思い出すとおばあちゃんのブラックジョークに笑ってしまいます。
おばあちゃんとはいろいろと話をしました。
中学生の頃、親父とは上手に関係が持ていない時期がありました。
その事をおばあちゃんに愚痴っぽく話すと「あんたのお父さんは真面目で、よく働いていいじゃないか」なんて言われた事がありました。
確かにおばあちゃんの旦那、おじいちゃんは帝国海軍で厳しく、酒はよく飲んだし、おばあちゃんとは夫婦喧嘩もよくしていました。
3月末事業年度末の会社が、4月から新体制へ移行します。
現在の勤務先も例外ではありません。
取引先の多くも同様の事があり、来週は新任のあいさつに来られる方との予定が多くあります。
その中に、大学を卒業した子息が家業に入り、これから将来の経営者としてスタートされる方がいます。
この取引先の現代表は女性です。
30代の頃、よく仕事をさせて頂きました。
その方とは鹿児島へ一緒に出張した事がありました。
その際、現地の事業会社の方が、知覧の特攻隊記念館(知覧特攻平和会館)へ案内をしてくれました。
その女性は当時営業部長であり、今度お見えになる予定の子息は中学生ぐらいではなかったかと思います。
記念館の展示を見られながら、涙していました。
特に自分の子供と変わらない年齢の子の遺書は、たまらない気持ちとなります。
母親に宛てたそれは、少しでも身を置き換え考えるだけで苦しくなります。
私の身は粉々になっても、からなずら母上のもとに参ります。
*記憶を元に引用しています。
先日、地下鉄のドアに映る自分を見ながら、この事を急に思い出しました。
私の二男は、特攻作戦で出撃し、亡くなった方々と同じ年齢になりました。
生きて青春を、生きる事を謳歌したかった事に違いありません。
これから彼と仕事をする事が楽しみです。
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