ご先祖様の墓標に思う事。
昨日は父親の77歳、喜寿の祝いを家族でしました。
私を頭に、弟、妹のそれぞれの家族を連れ、郊外の可愛いレストランを昼時に貸し切りで行いました。
2歳から77歳まで、12人が集まりました。
その後、ご先祖様が眠る墓に全員で参りました。
2歳の子が母親から「なむなむして」と言われ、見よう見まねで「なむなむ」していました。
可愛い姿です。
お墓には天明や享保という元号や、墓標に刻まれた文字が読めなくなっているものもあります。
その中に「童」の文字が入った墓標が、いくつかあります。
幼くして亡くなったご先祖様の墓標です。
本年の1月1日の日本経済新聞に、熊本県の慈恵病院が設置する、どうしても育てられない赤ちゃんを匿名で預けられる「こうのとりのゆりかご」に関する記事が掲載されました。
15年度までに全国から125人が預けられた。定期的に検証している熊本市の有識者らによる専門部会は、母親の匿名性について容認できないとし、「安易な預け入れ」が一部にあったと指摘してきた。
しかし貧困や若年であることから育児が困難だったり、不倫相手の子供だったりして「親にも誰にも知られたくない」と自宅や車の中で一人で産む女性は少なくない。
林に入り、スコップで掘った穴に埋めれば、誰にも知られずに命は終わる。
母親が「ゆりかご」まで来るのは、赤ちゃんの命を思っているからだと、蓮田さんは考える。虐待の連鎖や道徳観の低下―。
母親を取り巻く問題は一筋縄で解決できない。設置当時の看護部長、田尻由貴子さん(66)は「よく来てくれた」と母親を抱きしめ続けてきた。
「孤独に産み、へその緒をつけた赤ちゃんを命からがら連れてきた。
安易な母親などいない。私が一番知っている」と蓮田さんの信念を共有する。「母親の子供への思いを社会が受け止めるべきだ」
子供が出自を知る権利を阻害するという批判に対しても、蓮田さんは「出自より命が大切」と言い切る。
死んでしまえば取り返しがつかない。
それ以上に、生きて愛情を注がれれば、幸せに育つことができる。
赤ちゃんポスト設置した医師 蓮田太二さん
血縁超える愛、幼い命を守る
2017/1/1 日本経済新聞掲載
手を合わせて、生きている事に感謝をします。
子供が健やかに育つ事は当たり前と思わず、感謝と不断の努力が必要である事を思います。
宮尾登美子さんの小説「櫂」に、愛人が産んだ子を連れてくる場面があります。
それは出産後に、最初の乳をやりたいという母親の申し入れを断り、生まれた子供の顔も見せず、母親の元から連れ去ります。
「こうのとりのゆりかご」に子の命を思うからこそ連れてくる母親の、その哀しみに重なる思いを感じます。
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