あん
時々気分転換を兼ねて、最寄駅から自宅まで歩いて帰る事があります。
最寄駅から自宅までおよそ2㎞でしょうか。
携帯音楽プレイヤーなどで、音楽を聴きながら。
お気に入りのポッドキャストを聴きながら。
無心に歩いてみたり。
そんな時に音を再認識する事があります。
音楽を聴きながら歩き、自宅の前でヘッドフォンを外す。
革靴の歩く音、スーツの生地がすれる音、静けさの中でそんな音に敏感になります。
映画を見ているとそんな事がありまんせか?
歩く音、タバコを吸う仕草で発生するライターの着火音や煙を吐き出す声。
普段は意識しないけれど、妙に気になる事があります。
この映画は見た時から、何か書きたい気持ちがたくさんありました。
あまりに多くの気持ちが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しました。
余韻が大きくて、的確に表現をする能力は持たないし、また表現する言葉も浮かんでも来ませんでした。
でも、この音。
映画の冒頭から、音がとても印象に残りました。
それに伴い景色がとても、その映画の中の季節の移り変わりと共に、印象に残るのです。
評論家ではありませんが、音と景色が、とても細かく作りこまれていると感じたのです。
ストーリの進行で映る景色や背景、聴こえる音に違和感がないのです。
そして、それは誰かの心模様を写す様にさえ、音や景色が仕込まれているように感じるのです。
【ご注意】
少しストーリーに触れる部分があります。
ご覧になる予定のある方は、この段落はスルーしてください。
「自分と同じ哀しい目をしていた。そんな人を放ってはおけなかった」
こんな言葉があります。
その時、伊集院静香さんのエッセイにあった「哀しみにも終わりはあるのよ」という言葉が浮かびました。
映画の中で、この言葉を感じ、この言葉を受けた人は、その哀しみに終わりが訪れた気がするのです。
原作者はドリアン助川さんだと、映画の後で知りました。
環状8号線の井荻トンネルの工事中、工事現場と踏切は渋滞の名所でした。
その渋滞の中で、よくドリアン助川さんのラジオ番組を聴いていました。
…だから当時、叫ぶ詩人の会の「花束」というCDも買ってしまいました。
ほんとにいい映画でした。
でも、やっぱり、その素晴らしさを上手にお伝えするのは難しいですね。
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