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ドナーにはなれない

飛行機が空港に着陸し、機内モードを解除すると不在着信と留守番電話のメッセージのお知らせ。
電話番号に覚えがなく、空港のデッキを歩きながら、留守番電を確認しました。

それは骨髄バンクからの連絡で、私がドナー候補になった連絡でした。
留守番電話は書類が近々に手元に届く事と、問い合わせ表への回答要請と疑問点の問い合わせ番号の案内でした。

今年満49歳になります。
登録はいつだったのか記憶はなく、まもなく提供の期限が来る事をふと思った事があります。

その知らせがあって、私が率直に思ったのは、スケジュールの事だけでした。
自身の入院も必要な事は理解していたので、忙しい時でなければいいな…そんな事を考えていました。
でも、優秀な仲間と仕事はしており、私の不在はそんなに問題にはならないな。
それもなんだか、面白い事ではないな…。
自身のつまらない事を思っていました。
提供する事には躊躇も疑問も感じてはいませんでした。

出張から帰宅すると、骨髄バンクからのオレンジ色の目立つ封筒が到着していました。
返信は急ぐ必要があり、問い合わせ表に記載をしました。
その時、既往歴記載欄のところで、手が止まりました。

昨年から私は頻脈性心房細動と診断され、月1回の検査と投薬治療を受けています。
薬は血液に作用する成分が入っています。
嫌な予感が胸をよぎりました。
症状はしばらく自覚もない。
主治医と相談で薬をやめる期間を決め、今般の要請には応えられると自分で考えていました。

回答書を送って数日後の事です。
同じオレンジ色の封書で、骨髄バンクから手紙が届いていました。
この時はドキドキしながら、封を切りました。
それはドナーとして採用の連絡ではなく、回答書の督促状でした。

翌日、出張前に空港から回答書は送付済みの電話連絡を入れました。
確認をすると、督促の案内と回答書到着のわずかな到着の入れ違いである事が確認できました。
しかし、その時電話口で思いもよらぬ事を聞きました。

ドナーにはなれない。

嫌な予感は的中しました。
原因は頻脈性心房細動です。
最近の症状から、主治医との相談で投薬期間を決め、対応する事も相談する旨を話しました。
コーディネーターの方からは、とてもやさしい声で、やさしい話し方で、今般のコーディーネートを終了する事を話されました。

搭乗してから、何もする気がしませんでした。
何か大きな穴が開いたように、何もする気が起きませんでした。

しばらくして、私は思いました。
実は適合する可能性がある人が見つかり、期待していた人がいたのではないのか…。
期待する家族がいたのではないのか…。
ガイダンス書にはドナー候補は単独ではなく、複数とあったが、それは不適合となったドナーの心理的負担を和らげるための詭弁ではないのか…。

頻脈性心房細動はストレスや過労、加齢が数ある原因で代表的なものです。
学生時代に空手で鍛えてきた身体はなんだったのか…。
仕事でのトラブルも、ストレスよりもそれを解決する事に楽しみを見いだそうと心がけてきた事はなんだったのか…。
これまでの哀しみも、怒りも、喜びも、何も、頻脈性心房細動に及ばない事に…。

骨髄バンクへの登録は妻しか知りません。
ドナー候補となった事も、妻にしか話していません。
妻にドナーになれない事を伝えました。

出張から帰ると、骨髄バンクからオレンジ色の封筒が届きました。
そこには、頻脈性心房細動はドナー側のリスクが高い事。
今般のコーディネートが終了となる事。
回答書にしか記載されていない事を記載した、丁寧なお礼の言葉が書き添えてありました。
間違いなく定型文書ではない事が、私にはわかりました。
それはやさいい言葉で、ドナーとなる事を希望した私の気持ちを最大限忖度してくれた内容でした。

最後に、今後ドナー登録が削除される事も記載されていました。

先日、3人の同僚と仕事の後に会食をしました。
滅多に二次会に行く事はないのですが、その日はなぜか行く事としました。
そこはピアノがお店の中央にあって、専属のプレイヤーがおり、生演奏を聴けるバーでした。

あまり会話もせず、飲んでいました。
店内の誰がリクエストしたのか「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water )」が流れ始めました。
ああ、この曲、中学の頃に聴いたのが初めてだったなぁ…と思い出していました。

でも、その歌詞に私は涙が出そうになりました。
どうして、この楽曲をここで耳にしたのか…。

独りよがりの絶望感に浸る事が何になるのか…。
本当に苦しんでいる人は誰なのか…。
苦しみの中から、希望を見出し、がんばっているのは誰なのか…。

I'll take your part when darkness comes
And pain is all around
Like a bridge over troubled water
I will lay me down

暗闇の中にいる時も、私はあなたの味方だよ
激流の中にかかる橋の様に
あなたのために身を差し出そう

Your time has come to shine
All your dreams are on their way
See how they shine

輝くときがやって来たよ
あなたの夢があなたの行く道を照らすよ
見てごらん どれだけ輝いているだろう

あやしい和訳:ケンシロウ
Simon And Garfunkel / Bridge Over Troubled Water

20160402_152007

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コメント

ケンシロウさん、こんばんは。

色々なことがあったのですね。正義感の強いケンシロウさんですので、途中の文面で「ドナーの方が待っていたのに裏切ってしまった」ようなことが書いてありましたね。 

病気ですので仕方ないことです。それは判っていてショックだったのでしょう。私は多くの癌の患者さんを見てきました。 その中にもドナー登録をされていた方もいました。 やはりその方もご自身の病気を気にしながらドナーとなれないことへの自責の念を語ってくれていました。

1人のレシピエントに何名かのドナーの候補がいます。ドナーの方が万全でなければレシピエントの方も安心して移植を受けることが出来ません。今回は仕方なかったのです。

ケンシロウさんを大切に思っている方々が沢山いるはずです。ドナーになれなくても、このように考えているケンシロウさんが好きだと思うのです。

サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」・・いい曲です。

omoromachiさんへ

コメントありがとうございます。

今般の事でショックなのは、ふたつです。
ひとつは登録していたにもかからず、役に立てない事。
ふたつめは忍び寄る老化が現実として、目の前に現れた事です。

やはり大きなショックは前者です。
後者は意識しなくても、いろいろな場面で感じ始めていた事です。

でも、omoromachiさんからのコメントにありました通り、私はまだ深刻な病で身体が不自由なわけではありません。
私が可能な選択肢は、まだまだある…最近そんな考えが出来るようになりました。

コメントありがとうございました。
日々命と向き合う医療の現場におられる方のお言葉は、余計に響きます。

「明日に駆ける橋」の素晴らしさを改めて感じました。
メロディも歌詞も楽曲そのものの素晴らしさに加え、この邦題をつけた方も素晴らしい。
歌詞を読み返し、改めて思います。

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