夏休みはまだまだこれからさ
お盆休みも終わり、夏休みはいよいよ終盤。
しかし、JRの駅にはまだまだ家族連れが多くいますね。
出張で利用する新幹線ホームでの事。
そこに別れの風景があります。
子供にとっての時間軸は長く「次は正月休みだね」と別れの挨拶をしても、それは果てしなく遠い先の事と感じます。
よく陽に焼けた小学生の男の子が、デッキとホームにそれぞれ無言で別れの挨拶。
親戚だろうか…なんて考えます。
今にも泣きだしそうな、そんな互いの表情は微笑ましくも、どこか気持ちが伝わってくるようです。
今日、携帯電話は距離を縮めるし、スカイプなら互いの表情だって確認出来ます。
他にも密かに思いを抱いていた子が転校をする。
それは子供にとって永遠の別れに等しい事です。
少なからず経験のある人はいると思います。
小学生の頃は夏休みになると母方の祖父母のところへ行きました。
小学3年生になると東京から新幹線に連絡線を乗り継いで、高知県の祖父母のところへひとり合宿です。
やがて3歳違いの弟も一緒に行くようになりました。
祖父母が防犯用にしまっているホイッスルを見つけた時の事。
ホイッスルは先生が吹くものだから、珍しくてしょうがない。
早速、デモの整理さながらにピーピー始めました。
弟とふたりで行進。
近所から、にぎやかでいいですね…なんておばあちゃんが言われていた事を覚えています。
弟とのふたり合宿も、両親と妹が来ると帰京へのカウントダウンです。
高知県にいる間、甘やかされ放題で、帰京してからは買ってもらったおもちゃや雑誌を誰に見せようかと、何して遊ぼうかと考えます。
おふくろは「あまり、帰る帰ると言うとおばあちゃんがさびしがるからね…」と浮かれる私に話しました。
確かにおばちゃんはどことなく、そんな時さびしそうに見える事がありました。
お別れの日。
おばあちゃんが窓の外から、笑顔で手を振っています。
その笑顔は思い出してみても、やっぱりさびしそうです。
幼い弟はこらえきれずに泣き出しました。
私だって泣きたかったけれど、それは兄貴のメンツが許しません。
おばあちゃんの顔を見れば、自分も耐え切れなくなるから、最後に駅で買ってもらった漫画に目を落とします。
泣いている弟を、とてもうらやましく思っていました。
おおよそ50日の夏休み。
その内の40日は高知で遊びほうけています。
帰ったら、何して遊ぼうではなく、締切迫る宿題と格闘する事となるのです。
夏休みはまだまだこれから。
「なんで、俺んちはサザエさんところみたいに、親が宿題手伝ってくれないんだよぉ~」と雄叫びがむなしく響きます。
始業式まで宿題と私の格闘は続きます。
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