読書

2023年10月31日 (火)

彼の本当の哀しみをわかっていたのは、あの人だったかもしれない。

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彼の本当の哀しみをわかっていたのは、あの人だったかもしれない。

三島由紀夫の小説「金閣寺」
読んだのはずいぶん前ですが、金閣寺に火をつける主人公が、精神的に追い込まれていく様は迫力でした。
迫力というより、怖い。
迫力でしたと書くのは、それが実際にあった事件である事を、当時は知らなかった事によります。
金閣寺が消失した事は知っていても、その背景は知らなかったのです。

先日、NHKのアナザーストーリーで、実際の金閣寺焼失の事件を取り扱っていました。
犯人の林養賢の生い立ち、実際の事件経過とその後の家族の事。
林養賢の人物像を語る、幼馴染や周辺の人々。
そして、林養賢の師としての、金閣寺住職の慈海の事。

金閣寺の再建に取りかかる慈海住職。
托鉢から始め、その姿に人々が動き出す。

林養賢は心を病み、病気でこの世を去ります。
この間、慈海住職は林養賢に差入を続けます。

林養賢が亡くなった後、事件後に投身自殺した林養賢の母親と共に戒名をつけ金額時で供養します。
放火焼失事件の事を聞かれても、「私の不徳です」と、それ以上の事は語りません。

苦しんでいた、林養賢のその哀しみを、金閣寺を放火焼失させるという事実まで、気づいてやる事が出来なかった。
その事実があって、初めて弟子であった林養賢の本当の哀しみと苦しみを知った。

彼の本当の哀しみをわかっていたのは、あの人だったかもしれない。

遠藤周作の「イエスの生涯」
この中、ユダの記述が多く書かれています。

ユダと言えば、裏切り者の象徴。
しかし、「イエスの生涯」の中では、イエスの弟子の中で、唯一師の本当の苦しみを理解していたのは、ユダだったとあります。

なぜ、嘲りを受け、誤解と裏切りの中で、イエスは死なねばならなかったのか。
その本当の理由を知ったユダは、生きてはいられなかった。

彼の本当の哀しみをわかっていたのは、あの人だったかもしれない。

人の世の、繰り返されるこの哀しみに終わりがあるのだろうか。
絶望しそうになる、その時、それを終わらそうとしているのも、この世の人である事。
その事に、勇気が湧いてきます。

*文中敬称略としております。

2023年10月 4日 (水)

現実と思い込み。

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ジャニーズ事務所の問題は、マスコミを連日にぎわせ、ニュース番組のトップになります。
同じ内容が繰り返され続け、少々食傷気味です。

ベストセラーになったファクトフルネス。
先日ブックオフで、同書がワンコイン(500円)で販売されていました。
良書なので、多くの人の目に触れるといいな…とその時思いました。

この第9章犯人捜し本能「誰かを責めれば物事は解決する」という思い込み…があります。
犯人捜し本能を抑えるには、誰かを責めても問題は解決しないと肝に銘じよう…とあります。

マスコミは、世界中で発生している不幸な状況を報道します。
マスコミの使命でもありますが、視聴者の関心をひくためにも、センセーショナルであったりします。
我々はそれを注視します。

自分の環境と比較して、恵まれている事を認識し、安堵します。
過酷な環境にある人々へ、憐憫の情を送ります。
私を含む人は、どうしても否定できない、そういうところがあります。

フジテレビのワイドナショーで、ダウンタウンの松本さんが言っていた事。
その後はどうなったのか。
それが、とても大切な事だと思う事があります。

人の不幸は蜜の味で、大きな変化の無い話は退屈な事柄なのかもしれません。
でも、それが思い込みを解消して行く大きなファクターなのだと、著者の意見に賛同するのです。

同書は豊富な図案とわかりやすい表現で、とても読みやすい本でした。
我々が陥りやすい事例が豊富で、誰でも思い当たる部分があるのではないか。

ネットニュースなど、センセーショナルなるで思い込みを誘発しやすい記事があふれています。
それを冷静に判断するとは、どういう事か。
とてもわかりやすいと感じたのです。

しかし、目前の厳しい現実に対し、世界は良く、良い方向に変化していますと理解するのは難しいです。
でも、事例は希望に変化する事がある。
約2年前に、新型コロナウィルスをただセンセーショナルに伝えるワイドショーを、冷静な目で見る事が養えるヒントがあります。

訳者さんのあとがきが、この本の性格を言い当てていると思います。

この本が世の中に残る一冊になるだろうと考える理由は、この本の教えが「世界の姿」だけではなく、「自分の姿」を見せてくれるからです。
知識不足で傲慢な自分、焦って間違った判断をしてしまう自分。
他人をステレオタイプにはめてしまう自分、誰かを責めたくなってしまう自分。
そんな自分に気づかせてくれ、少しだけ「待てよ、これは例の本能では?」とブレーキをかける役に立ってくれるのが、ファクトフルネスなのでしょう。

ファクトフルネス /  ハンス・ロスリング、 オーラロスリング、 アンナ・ロスリング・ロンランド
P340

2023年9月 8日 (金)

仲の良い夫婦は、顔が似てくる。

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私たち人間が、他の生物と異なるのは、それぞれ違う人同士でも物語を共有できるからだ。
目の前にある現実が、やがてこうなると理解し、その物語を信じていれば今だけでなく、これからを見据えて生きる事が出来る。
…と、ユヴァル・ノア・ハラリ氏のホモデウスに書かれていたと思います。
引用ではなく、私の理解の範囲であり、一部分の要約です。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著作は、いつも新鮮な驚きや新しい発見や理解があります。
読み進めるのに時間が必要ですが、好んで読んでいます。

じつを言うと、経験する自己と物語る自己は、完全に別個の存在ではなく、緊密に絡み合っている。
物語る自己は、重要な(ただし、唯一のというわけではない)原材料として私たちの経験使って物語を創造する。
するとそうした物語が、経験する自己が実際に何を感じるかを決める。
私たちは、断食月の間に断食するときと、健康診断のために食事を抜くときと、お金がなくて食べられないときとでは、空腹の経験の仕方が違う。
物語る自己によって空腹の原因として挙げられた意味次第で、実際の経験も大幅に違ってくるのだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ / ホモ・デウス(下巻)

こちらは引用です。

新・ドキュメント太平洋戦争は、その時代を生きた方々のエゴドキュメント(その時代を生きた人々の日記や手記)を時間軸として構成されています。
世間で起きた事象を、前述の引用の通り、そのおかれた環境下で異なっています。
経験から物語が作られますが、その物語は同じものがありません。

こうして書いているブログも、2023年の…なんて、個人の所感から検証され、構成される日が来るのでしょうか。
デジタルの記録は、その時代より多くの証言や所感をまとめられる事と思います。
発言が容易であり、誰の言葉かわからない。

人と人が理解しあうのは、大変な事だと、こういう論拠からも思います。
国が違い、文化が違う事からは勿論、言葉が違う事も、理解のための障壁となります。

仲の良い夫婦は、顔が似てくると言います。
同じものを見て、同じように笑い、哀しみ、喜ぶ。
共通の出来事が増える事によって、価値観が同じに近づいて行きます。
それを別の表現で、顔が似てくるというのでしょう。

夫婦に限らないと思います。

恋人同士が別々の場所から、空を見上げて同じ月を見て「きれいだね」と言えるのはわずかな時間です。
互いに理解しあうのは、時として傷つく事があり、気づく事があり、その先なのだと思います。
これは、なかなかシンドイ作業です。
なぜなら、誰も傷つく事など、望んでいませんものね。

2023年3月13日 (月)

終点、終わりだと思っていた場所は、実は始まりの出発点だった。

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捉え方で、他の視点を示してくれる事が、誰かの言葉や小説などの物語であります。

原田マハさんの小説に「生きるぼくら」に、こんな言葉があります。

いろいろショックがあるのはわかる。
わかるけど、うつむくのはいま、この瞬間で終わりにしないさい。
まず、とにかく顔を上げなさい。

原田マハ / 生きるぼくら

今、目の前にある事。
おこった事。
これは、どうにも変える事が出来ない。
でも、これからの事、これからどうするのかは、選択し進んでゆく事が可能になる。

そう思えたのなら、あとは動き出すだけです。
まず、とにかく顔を上げなきゃ。
これからの事は、これからどうするのかを、選択し進んでゆく事は可能なのだから。

新宿駅は小田急線も、京王線も、西武線も終点です。
例えば、これ都心に通勤するなら、終点の乗換駅。

しかし、帰り道は始発駅となります。

桜木紫乃さんの小説のタイトルは「起終点駅(ターミナル)」。
文字通り、終点であり、出発点でもあります。

物語は、今と過去がつながる物語です。
流れ着いたと思った最果ての地(終点)は、出発点であった。
最果ての地(終点)は、出発(起点)の地であり、未来を思う地点であった。
どちらにもとれるその意味は、起終点駅ならではですね。

終点、終わりだと思っていた場所は、実は始まりの出発点だった。
なんか、新しい希望が湧き上がってくる、そんな感じがしませんか。

起終点駅(ターミナル)

2023年2月11日 (土)

夜が明ける。交響曲「新世界より」第4楽章。

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読み始めから、心が激しく動きました。
読み進めるのも辛いところもあり、よく効くきつい薬を利用している。
だから、読み進めたいのですが、身体が持たなくなるのでこれぐらいでやめておこうとページをめくる手を止めました。
読了までにページ数と比較して、非常に時間が必要でした。

人として生きてゆく意地。
人として生きてゆく矜持。
人として生きてゆく拠り所。

物語はドキュメンタリーの様です。
制度や知識や知恵を得る事が出来ないなかで、苦境の中から抜け出す機会に辿り着く事が出来ない。
だから、ただ空腹が満たされる事に感謝しながら、今日という日が平穏無事に終わる事を祈る。

誰かに価値ある人間と思われたい。
誰かに愛されたい。

その思いが時に空回りし、自らの思いとは正反対の方向へ力が働く。
それは、自分を苦境へと追い込む、その道を自ら作り出してしまう。

社会で生きているので、誰かと比較してしまう。
時に妬み、時に羨み、時に絶望してしまう。

自己責任。

言葉が独り歩きし、誰もが誤る事がある事を否定してしまう。
一度も間違う事がない、誤る事がない人はいない。
この言葉の持つ、異様な冷たさを再認識した。

そして、長いページに綴られる思い。
それは、交響曲のコーダに向けて盛り上がって行く姿の様だった。
息継ぎをする事も出来ない連続性で、でも力強さと愛と信念で聴いている誰もの心を捉える。

私はドヴォルザーク交響曲「新世界より」の第4楽章を思いました。
第4楽章の終わりは、余韻を残し終わります。
長いページに綴られる思いと、最後にタイトル通りのまもなく夜が明ける予感。

購入してからしばらく積読でした。
もっと早く読めばよかったと後悔です。

2022年11月 1日 (火)

人それぞれに、私たちは生きている。

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【ご注意】小説「流浪の月」のストーリーに関する記載があります。

私には小説はご褒美で、仕事で読む必要のある本の間に読む楽しみです。
少し前に購入して積読となっていた「流浪の月」を読みました。
凪良ゆうさんの作品を読むのは初めてでした。

面白い。
人物の描写は勿論、その仕草や動きまで伝わってきます。
物語に引き込まれ、私は既にストーリーに存在しない登場人物です。

赦されたい、救われたいという弱くて身勝手なわたしの願い。

中略

誰かを指さしながら、みんななにかに怯えていて、赦されたいと願っているように感じてしまう。
一体誰に、なにを赦されたいのかわからないまま。

流浪の月 / 凪良ゆう

私はこの言葉に物語は集約され、この言葉の裏に今を生きる我々を縛るものがある気がしてなりません。
だからこそ、この言葉に、この物語に魅かれます。

「たくさん幸せになってね」

流浪の月 / 凪良ゆう

この1行に、なぜか生きることの素晴らしさを、私は感じました。

小室さんの試験の合否を、どうして報道する必要がある。
目の前を横切った女性のコートから、香ってくる樟脳の香り。
お父さんに、自慢の靴を見せている女の子。

人それぞれに、私たちは生きている。

2022年8月23日 (火)

歓びの種と種をまく人。

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TBSのモニタリングという番組のカラオケ企画で、JUDY&MARRYの楽曲を歌っている人をたまたま見ました。
その時、思い出しました。

私はJUDY&MARRYの楽曲はあまり知りません。
でも、このバンドのヴォーカルであるYUKIさんのそろ楽曲である「歓びの種」という楽曲が大好きです。
メロディもアレンジも、そして歌詞のひとつひとつ、一言一言が大好きです。

この楽曲の事を思い出し、もう一つ思い出しました。
種をまく人(著者:ポール・フライシュマン 翻訳:片岡 しのぶ あすなろ書房)です。

亡くなったお父さんの話をする時、お母さんや姉には記憶が、そして思い出がある。
お父さんの事を思い出すとき、泣く事も出来るが自分には出来ない。
お父さんが生きている時、幼かった自分には、お父さんの思い出がない。

でも、お父さんと同じ様に畑で一生懸命頑張って働いていたら、自分の娘だと気づいてくれる。
よく頑張っていると、きっと褒めてくれる。

少女がそんな思いを抱きながら、荒れ野に種を蒔きます。
そこから多くの人と関わり、その物語は発展して行きます。

人の心に種を蒔く。
その種が芽を出し、強く美しく育って行く。

「歓びの種」も、「種をまく人」も、とても未来への希望を感じさせるのです。
「歓びの種」は、哀しみの中から生み出された楽曲であるとのエピソードもあり、その思いが強くなります。

間違いだらけと 判っていても
2人は進んでいく つまりそれは
恐れずに 幸せになる
切符を 手にしている

歓びの種 / YUKI

以前にも、この歌詞を引用した事があります。

実らせてみよう この歓びの種を
愛という水を 注ぎましょう

歓びの種 / YUKI

種は誰が運ぶかは、わからない。
種は誰が蒔くのか、わからない。

人の心に種を蒔く。
その種が芽を出し、強く美しく育って行く。

信じてくれるでしょうか 君のくれた愛の種が
空にそびえる 大樹に育ったことを

やさしく愛して… / BORO

その時は傷つけたり、互いに傷つけあったりして、わからなかった事がたくさんあります。
今なら、あんなにひどく傷つける事なんて、きっとなかった…なんてね。

でも、過ちを繰り返しながら、互いを傷つけあい、大切な事がわかる。
そうしないと、大切な事がわからない。

愛の種が大樹の育つまで、繰り返してしまうのは、人の性なのでしょうか。
罪深いし、辛いですね。

2022年7月10日 (日)

空に星があるように。

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幼い頃に雑誌「ムー」を戦慄しながら読んでいる時です。
時はノストラダムスの大予言で、世界がフィーバーしていました。

その記事に記憶がある事。
なぜ、ノストラダムスを始め、当時はエドガワ・ケーシーなどが予言を出来るのかという仕組みの説明がありました。

我々は視点の位置が、身長やその時の状態で異なります。
例えば、一本道の向こう真ん中に岩があるのは認識できる。
しかし、その道の先に山があれば、その山の向こうはわからない。

ところが予言者は、この山よりも先を見通す位置で確認が出来る。
つまり我々とは、その先まで見通す力が異なっているとの説明でした。

なんだか、とても納得しました。

幼い子が、いわれなき折檻やネグレクトなどで亡くなるニュースを知るに、とても辛くなります。
どんなに寂しかっただろう、どんなにお腹がすいていただろう。
世界は狭く、他の誰に頼る事も出来ない絶望を思うに、とても辛くなります。

30代の後半に体を壊し、1カ月ほど会社を休んだ事があります。
それは急性肝炎でした。
復帰してずいぶん時間が経過した後の事です。
中島らもさんの「今夜、全てのバーで」を読みました。

肝硬変寸前で病院に担ぎ込まれる物語の主人公に、治療の過程など実地でなぞる様な内容に興味深く読んだ覚えがあります。
その物語の中で、若年の患者が亡くなる事に対し、医師が自身の思いを吐露する場面があります。

小学生には、壁の棚に何がのかっているなんて見えないじゃないか。
(中略)
一センチのびてゆくことにものが見えだして、風景の本当の意味がわかってくるんだ。
(中略)
なのになんで子供のうちに死ななくちゃならんのだ。
つまらない勉強ばかりさせられて、噓っぱちの行儀や礼儀を教えられて。
大人にならずに死ぬなんて、つまらんじゃないか。
せめて恋人を抱いて、もうこのまま死んでもかまわないっていうような夜があって。
天の一番高い所から、この世を見おろすような一夜があって。
死ぬならそれからでいいじゃないか。

今夜、すべてのバーで / 中島らも

今、あしたのジョー2を観るのが楽しみで、毎日少しずつ観ています。
物語はクライマックスで、過去には気付かなかった、新しい気づきもあります。
しかし、終わりに向けて、なんだか気持ちがざわざわしています。
若い頃に観た時とは、明らかに違います。

後半、主題歌は荒木一郎さんの「MIDNIGHT BLUES」に代わっています。
荒木一郎さんと言えば「空に星があるように」です。

小さな夢は 消えました
淋しく 淋しく 星を見つめ
ひとりで ひとりで 涙にぬれる

空に星があるように / 荒木一郎

次は、さびしい思いをしなくていいところに。
いつも、安心できるところに。
いつも、ぬくもりがある場所に。
いつも、愛される場所に。

2022年4月18日 (月)

人生は種まきの時で、収穫の時ではないという。

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原田マハさんの「たゆたえども沈まず」を読んでからの事。
およそ20年前以上前に出かけたゴッホ展で、自分は何を見ていたんだろうと考えました。
この著作をスタートに、原田マハさんの作品はたくさん読みました。

ゴッホ展で買った大きな展覧会の概要本は、開かれぬまま本棚の大きな段に鎮座していました。
「たゆたえども沈まず」を読んでから、ゴッホ作「星月夜」のアートポスターを手に入れようと考えています。
札幌の別宅には大きな白い壁があったのですが、今の部屋にはありません。
先ずは、そこからです。

そんな前段があり、映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」を観ました。
その映画の中で、こんなゴッホの台詞があります。

もしかしたら神は…時を間違えたのだと。
未来の人々のために神は、僕を画家にした。
人生は種まきの時で、収穫の時ではないという。

映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」より
(一部抜粋)

このセリフはイエスの生涯と重ねて、ゴッホが話をします。
死後、本人が話していた通りの事となる事は今の歴史が証明しています。

こんな言葉を、こんな意思を持つほどに達観したのか。
その思いが、本人を支えていたのか。
哀しみの果てに、何を見据えていたのだろう。

到底わからない思いに、思いを巡らす週末でした。

2022年3月10日 (木)

あなたは私の涙が見えません。

Akatsuki102

テレビではウクライナとロシアの戦争が連日放映されます。
報道で見るにつけ現地で起きている、その事に心が痛みます。

リモートで現在日本国内にいる人と、ウクライナ現地にいる家族と会話している様子を放映します。
心配でないわけない。
悲しくない理由がない。
涙が出ないわけがない。
この部分は、こんな報道が必要なのだろうか…と思う事がありました。

小説「流(東山彰良著・敬称略)」のこんな言葉があります。

魚が言いました。
わたしは水のなかで暮らしているのだから、あなたは私の涙が見えません。

流 / 東山彰良

報道を見ながら、この言葉が心に浮かびました。

Akatsuki101

この冒頭の言葉が、小説の物語を凝縮させていると思います。

読んだのは少し前ですが、台湾が舞台の小説で、最初は登場人物の名前の呼び方、読み方に少々戸惑いがありました。
小説は台湾の歴史、中国の歴史、大陸の歴史が関係し、壮大な物語となって行きます。

不勉強で作者が台湾の方とは知らず、物語の背景の書き込みも、細かいところまで出来るのだなと後から思った次第です。
恋愛の事も、第二次世界大戦の歴史の波に翻弄されます。
ストーリーは、その展開もテンポよく、楽しく読む事が出来ました。

物語の中に素敵な詩を書く人物も登場します。
その詩が様々な意味と解釈を持たせながら、物語を彩ります。

http://kodanshabunko.com/ryu/

小説の言葉が心に浮かんで、記憶からよみがえりました。