思い

2024年8月21日 (水)

ソウルフード 自らの身体を、今あるこの時まで作ってきた食事。

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自らの身体を、今あるこの時まで作ってきた食事に、思いをはせる瞬間があります。
それがソウルフードの、ひとつの側面である思いです。

義理の親父は昭和11年生まれの新潟出身です。
中学校を卒業後に上京し、苦労しながら独立して事業を確立させました。

少し前ですが、そんな親父と新潟県へ行った事がありました。
その際、(義理の親父からすると)孫の希望もあり、新潟県立歴史博物館(https://nbz.or.jp/)に立ち寄りました。

親父からすると、展示物は少し前の日々の生活であり、それを珍しく観る気持ちにはならないとの事でした。
そりゃ、そうだわなと思いながらも、「子供は興味深く観ているから」と私は苦笑いしながら言いました。

本年、親父は新型コロナに罹患し、治りましたが体調の回復が思わしくなく、一緒には出掛けられませんでした。

車で走行中に二男が、おいしそうだとロードサイドで店を見つけました。
FARM FRONT SEKI NOEN(https://farmfront.jp/) です。
お昼時であった事もあり、店外に行列です。
幸い駐車場が確保出来たので、待つ事としました。

40分程待って店内に。
とても清潔で、店を囲む田園風景と相まって素晴らしいです。

土鍋炊き塩むすびセットを注文。
塩おにぎり(2個)とみそ汁に漬物と海苔が1枚。

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おいしい。

塩むすびだから、主役のお米がおいしい事は勿論、みそ汁がまた格別。
何で出汁をとっているのか、知りたいぐらいです。
これには妻も唸っていました。

親父はいませんでしたが、40分前後も待つ。
おにぎり2個に1,000円以上を払って食べる。
理解は出来ないでしょう。

博物館の風景に同じく、自らの歴史の一部であり、体験した事です。
都会からの客が、ありがたがって食べる。
もしかしたら、奇異に映る場面があるかもしれません。

でも、一緒だったらおいしく食べた気がします。
それは、幼い頃から食べ、自らの身体を作ってきたものです。
どこかに、うれしい思い、辛い思いが隠れているかもしれないですが、今も郷土の米を実家から取り寄せ、日々食べています。

今は別宅で、日々ジャンクフード付けの私には、とてつもないごちそうです。
仕事で、生産者の方々が自家用で食べるとっておきを、頂戴する事があります。
そのおいしい事。

子供もいましたが、これがごちそうである事は、まだ理解出来ないでしょう。
「肉はないの?」「おかずはないの?」「ごはんだけ?」
子供の頃の私なら、そう思います。

自らの身体を、今あるこの時まで作ってきた食事に、思いをはせる瞬間があります。
それがソウルフードの、ひとつの側面である思いです。

2024年8月11日 (日)

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

Akatsuki208

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

この世に発表された作品は、様々な評価を受けます。
今の日本では、その評価を自由に発言出来る。
この事はいい事だなと思います。
でもやっぱり、公共の福祉に反しない範囲は大切です。

「公共の福祉」という言葉を、中学3年生の公民の授業で学習した記憶があります。
日本は自由な発言や表現が可能だけれど、「公共の福祉」に反しない事が大切。
学習した頃は「公共の福祉」とは、その自由を阻害する要因にならないとか、誰かが傷つかないとか、そんな記憶があります。
授業中にオナラをした人がいて、「臭すぎて、公共の福祉に反する」と誰かが言って、笑った覚えがあります。

映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」をサブスクで観ました。
公開当時、泣けるがプロモーションに多用されていたと思います。
特攻に絡めて、誰かが亡くなる事で、涙するとか、感動するとか、ちょっと残念な気がしていました。
年の候だけ、書籍や様々な作品で事実に触れ、記念館で現物を見て、その時の所感があります。
齢を重ねるにつれ、誰かが、特に若者が亡くなる事が、とても辛い事です。
だから、死が、誰かが亡くなる事が、それが生きている事の実感につながるなら、それはさびしい事だと思うのです。

映画を観てから、作品に対する印象が変わりました。
現代からタイムスリップする人が、当時の事を当時の人々に「なぜ、そうしなければならないのか」と問います。
当時を生きた人々が、矛盾とわだかまりを抱えながら、様々な思いを抱えながら、折り合いをつけてその時を生きていたと思います。
これは、日本で今を生きる我々が考えなくてはならない命題だと思います。

この映画を観たと妻に話したところ、前述の様な「冷ややかなお話でしたよ」と言われてしましました。
素直に印象が変わった事を伝えました。
この記事の源泉はそこです。

この映画を観る観点で、様々な評価があると思います。
史実に忠実なのか、セットなど時代考証に誤りはないか、演技は、台詞は、ストーリーは?
公共の福祉に反しない範囲で、様々な評価があっていいと思います。
タイムスリップで出会った男女が恋に落ちる…という単純な映画ではないと私は感じたのです。
今を生きる我々に問いかけてくる命題を、映画を観て感じたのです。

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

知覧の記念館を訪れた事があります。
ビジネスの合間で、取引先の方と一緒に訪問しました。
その方は取引先の代表者で、女性でした。

記念館の様々な資料を見て、大粒の涙をこぼしていました。
当時、自身のお子さんと同じ年齢、あるいはそれよりも若い人たちが残した手紙に、母としても悲しいと言っていました。

あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。

2023年11月 8日 (水)

でも彼は、そこに間違いなく存在しています。

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でも彼は、そこに間違いなく存在しています。

ショッピングモールへ出かけても、冷やかしばかりです。
柔軟性を欠いてきているこの頃では、身に着けるものも粗方傾向決まっています。

冒険をする事が、少なくなりました。

書籍やCDも、ネットで購入する事が圧倒的です。

書店は見ていても楽しいのです。
しかし、家には以前に買い込んだ書籍が山積みになっていると思うと、買う決断が鈍ります。

11月にしては、暑すぎます。

風通しの良い飲食用のオープンスペースで、座席を確保し一息。
ぐるりと見まわすと、クレープやたい焼きの他、ラーメンにうどんのチェーン店。
食事も出来ます。
たまたま一緒に来ていた二男が、退屈そうに座る私を見つけて同じテーブルの椅子に座ります。

「暑いな」と私。
「11月とは思えないよ」と二男。
「31アイスクリームあるんだな。しばらく食べてないけど、食べたいな」と私。
「買ってくるよ」と二男。

財布から、二男に2人分の現金を渡します。
どれがいいかとネットのメニューを見せられ、「ロッキーロード」をお願いしました。
手際がいいな。

カップいいのかとか、シングルかダブルかとか、やけに詳しい。
31アイスクリームのポイントカードを持っているとの事。
(そんな、よく食べるんだと)と少し驚きを持って、二男の顔を見る私。

美味しい。

しばらくして、となりのテーブルに私より少し若いと思われるご同輩(以後は彼とします)が座りました。
食パンを1斤持っています。
どこのスーパーにも市販されている、有名メーカーの6枚切り食パンです。

レジ袋が有料になってから、商品をそのまま手に持っている事は不自然ではありません。
コンビニでそれだけ買ったら、袋に入れないで手に持つ事もよくあります。

しかし、その彼は食パンのあの独特のクリップ(バッグ・クロージャー)を外し始めました。
一枚づつ、小さなサイズに切りながら、口に運びます。
よく噛みながら、眼を閉じて食べています。
とても味わいながら…という感じです。

勿論、焼いてもいないし、バターもジャムもつけていません。
何か挟んでいるわけでも、ありません。

少し手を止めて、どこから何か紙片を取り出しました。
どうやら手紙の様です。
何度も何度も読み返したのか紙片は少し、くたびれていました。
しばらく食べるのをやめて、その紙片を見つめています。

紙片を大切にポケットに収め、また袋から食パンを取り出し、食べ始めました。
休日の14時頃。
まだ、ショップでそれぞれ買い求めた遅い昼食を食べている家族連れが、たくさんいます。

4人掛けのテーブルにひとりで座り、眼を閉じて食パンを黙々と食べる。
周辺には子供の声や、誰かが誰かを呼ぶ声、お店の人の声、お店から聴こえてくる音楽。
その彼とは、そぐわない景色や音が満ちています。

私以外の誰も、そこにいる人を気にかけていない。
彼も、周りの事は目にも見えない、音も聞こえない…といった感じです。

食パンを全て食べ終えると、大きくため息をひとつ。
少し目を閉じて、動きが止まっています。
やがて、ゆっくり目を開けると、袋を小さくしばり、立ち上がりました。
椅子とテーブルを整えます。
少し離れたゴミ箱に袋を捨て、別の方角へ歩いて行きました。

ここのどこかで、働いている人だろうか。
節約のために、昼食は食パンのみと決めているのだろうか。
この場所で、ひとりで食べなければならない事情があるのだろうか。

でも彼は、そこに間違いなく存在しています。

2023年10月25日 (水)

石が入った靴をそのまま履いている様な気持ち悪さ。

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そんなに早く大人になる必要があるのか?

書籍「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」のシリーズは、2冊とも読みました。
長生きする様になったのだから、仕事人生だけでは後半戦はつまらないですよ。
極端に要約すると、こういう内容だなと思いました。

確かに、この書籍を読みながら、
定年後は何をするかな…。
会社の看板を外したら、自分に何が残るか…。
友人と呼べる人が、どれだけいるのか…。

今、時間や〆切を意識しながらの毎日。
毎日追われています。
これに、時間や〆切の制限がなくなったら、紐の切れた凧みたいになってしまうかもしれないな。
そんなつまらない事を、ふと思う事があります。

勤め先なんて、参考になっても、効力はありません。
これまでも、自治会の集まりなどで、〇〇で部長してました…なんて自己紹介がありました。
わかりやすい説明ではありますが、こういう風にはなりたくないなと思った事があります。

今、仕事でも過去の経験を事例として話す事はあっても、武勇伝にはならない様に気をつけています。

人として、どう生きるのとか、なんのために生きているのとか、哲学者ですら回答出来ない命題を突き付けられていると思います。
それも若い頃から。

回答がない事、回答出来ない事。
それも回答です。
どうにも、それを許してくれない風潮があります。

そういう気持ちに、迷う悩む気持ちにつけ込む連中もいます。
周りに理解してくれる人もいないから、どうせ誰もわかってくれないと孤独になる。
絶望する。
その隙間に、その気持ちから一時だけ解放されるものを提供し、苦しみから解放されたと見せかける卑劣な連中がいます。

書籍「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」のシリーズは、これまでの価値観と尺度では、測れなくなりますよという事もあります。
書籍「ホモ・デウス」でも、不死を手に入れる人類が、どこへ向かうかの問題提起があります。

悩む人がいて、追い込む人がいて、陥れいる人がいて、提言をする人がいる。

高校生の私の写真を見て、妻が「尖がっているね」と言った事があります。
それは、目つきの事。
人として、どう生きるのとか、なんのために生きているのとか、思春期から始まるそんな悩みの渦中にある事が表れていたのだと思います。

答えが無いと、苦しい。
なんだか、石が入った靴をそのまま履いている様な気持ち悪さは、確かにあります。
答えがない事、それも答えだと誰かがささやいてくれたら、人生100年はもっと楽しくならないかと思います。

幼い頃から、受験勉強で志望校合格へ努力する。
今はそれでいい。
でも、それがゴールでない事を知っていたら、違う道を思う時、絶望はしないのではないだろうかと思います。
勝つとか、負けるとか二律背反…なんて単純な言葉で、解決しなくてもいい場面が必ずあります。

勝ち組と負け組。
〇〇出来る人と〇〇出来ない人。
出世する人と出世しない人の差。

いろいろな事は、そんなに単純に区別は出来ません。
便宜上、そうする事がわかりやすいから、そう区別するのだと思います。
わかりやすいからです。

映画「ムーン・ライト」の中で、孤独な少年に、自分の面影を見た薬の売人が言います。
「自分の人生は、自分で決めろ。他人に決めさせるな」
それは、まやかしを見極め、自分の人生を自分で生きろ…という事と私は思いました。
なぜなら、それが後悔をしない事だ…と伝えたのです。

答えがない事、それも答えだよ。

そんなに早く大人になって、答えを出す必要はないです。
答えを探す事、その事がきっと自分なりの答えを引き出すと思うのです。

答えがない事、それも答えなのだから。

2023年10月24日 (火)

もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

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もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

数日前に書いて記事にある通りですが、仕事上の失敗で二男は結構なダメージを受けていました。
自分との比較は意味がありませんが、私は失敗が多く、もう数えきれないのが現実です。
覚えきれないというか、忘れてしまったが近いです。
しかし、その時の痛い教訓が活きている事もあります。

二男曰くは、1週間に二度も怒られる(改善の指摘を受ける)は、ショックな様です。

指摘を受けた、その事が自分でも認識がなかった模様です。

小学生の頃から、鼻歌が止まらない。
自分では歌っている認識がない。
ひとり言が、止まらない。
同じ職場の人は、話かけられているのか、ひとり言なのか困惑する。
この事を職場の別の方から本社宛に問い合わせがあり、本人が指摘されました。

アスペルガーが故の独特な事もあり、本人から初めてカウンセリングへ行こうかと考えているとの話がありました。

自分の気づかない事を教えてくれる誰かがいる。
客観的な指摘をしてくれる人がいる。
話を真剣に聞いてくれる人がいる。

そういう環境があるのは、大切であり、恵まれている事だと思います。
肉親は心配で、話が詰問調になったり、命令口調となる事があります。

日本経済新聞の1面コラム「春秋(2023年10月21日)」に、掲載された内容です。

20年ほど前、あるフリースクールを取材したことがある。ダンスを踊りながら覚える九九。絵の具まみれになって描く美術。よくあるのとはちょっと違う、でも子供が中心の教室だった。「どこから来たの」「僕らの記事を書くの」。子供たちからは質問攻めにあった。

子供らしい生き生きとした感じが、伝わってきます。
安心して、様々な事に取り組む環境があるのだと思います。

▼印象に残ったのが、社会の偏見を薄めたいと奔走する大人の姿だ。積極的に情報発信したり、行政との相談を繰り返したり。公教育の否定ではないんです、別の居場所が必要なだけ。そう懸命に訴え続けていた。多様な学びの場を認める教育機会確保法の施行は2017年。それは長く地道な努力の積み重ねの上にあるのだ。

人は学び、変わり、強くなって行きますよね
そして、強さは他人へのやさしさに変わります。

誰でもが社会の一員となって行く過程で、その関わり方は違います。

ミサイルのように急角度で飛び立てる人。
戦闘機のように早い人。
プロペラ機のように、ゆっくり、緩い角度で飛び立つ人。

▼滋賀県東近江市長がフリースクールを巡り、国家の根幹を崩しかねないと発言したという。「大半の善良な市民は嫌がる子供に無理してでも義務教育を受けさせようとしている」とも。そんな市民が大半だとも、善良だとも寡聞にして知らぬ。意見表明は自由だ。ただ時計が随分前に止まっていないかは気にした方がいい。

市長さんが幼い時と、決定的に違う事がひとつ。
昔と比較して、地域のコミュニティを保つ事が、とても難しくなっている事だと思います。
記憶にある事ですが、中学生の時、下校途中でケンカとなりました。
場所は畳屋さんの店の前。
大ゲンカとなりました。

その時、畳屋の親父が店から飛び出してきて「こんなところで、ケンカするんじゃねぇ」と怒鳴られました。
「ケンカするな」ではなく、「ここで、ケンカするな」です。
今なら、直ちに警察に通報されます。

他人の子供も、自分の子供も、地域の子供としての意識は極めて低くなっています。
何より、自分がそうです。
そして、狭い世界に親も閉じ込める事で、親も行き詰まります。
それが、虐待につながったりします。
地域のコミュニティで、いろんな事を自然と肩代わりしたり、担ったり、その世界が欠落しています。

▼子供に留守番をさせたら虐待、という目をむく条例案が飛び出した県議会もあった。公の立場にある人々が、安易に「親の責任」を言いつのる。それが当の子供たちをもどれほど傷つけていることか。学校へ行くのがつらい君たち、無理にがんばることはない。もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

最後の二文節は、ジャーナリズムへの期待と気持ちが減退する自分の気持ちの中に、仄かに灯りがともりました。

2023年10月20日 (金)

音楽は心の支えになります。

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昨日、TBSのモニタリングという番組を、洗濯を干しながら見ていました。
スキマスイッチが正体を隠して歌い、最後に本人でした明かすドッキリです。

正体がわかっているのか、わかっていないのかは別として、その歌を聴きながら泣いている人がいました。
音楽で、歌で、人を感動させられる。
素晴らしい事だなと思います。

先日の記事でも少し触れましたが、我が家の二男が勤め先の本社に呼び出されました。
それは、仕事中の鼻歌と不規則な発言の事。
同じ職場で働く方々には奇異に映った様です。

鼻歌は子供の頃からで、小学校の先生に指摘されていました。
余裕がなくなると、一種パニック状態で、深いため息やひとり言の嘆きなどの不規則発言が出ます。

やっぱり、これを指摘され、派遣されている職場の更新はされない事となりました。
本人もお小言を頂戴し、反省。
しかし、そういう態度があった事は、無意識にしている部分もあり、認識していません。
本人のアスペルガー症候群の、ひとつの特徴でもあります。

話がそれました。
幼い頃、チャリンコで冒険に出かけます。
それは知らない場所です。

そんなところで不安になると、よくウルトラシリーズの主題歌を歌っていました。
恐怖心を抑える事。
冒険から家へ帰ってくる事が出来ると、その達成感を感じて歌ったいました。
ウルトラシリーズではありませんが、マジンガーZがリメイクされ、その主題歌がリニューアルされました。
その主題歌をCMで聴いただけで、全身に電流が走りました。
50歳を超えているのに。

音楽は心の支えになります。

アーティストが作った歌詞は、必ずしも自分と同じシチュエーションではないかもしれません。
でも、歌った内容が、自分の心象と同じであれば、共鳴し心が震えます。

モーツァルトとも、ベートーヴェンも、その楽曲へ込めた思いは、知る事は出来ないし、本当の意味は理解できないです。
ディープパープルの叫びも、ジョンコルトレーンの鬼気迫る演奏も、作り手の本当に意味は、きっと理解できないです。
でも、自分の心が震えたのなら、それでいいのです。

私はもっぱら聴く専門ですが、音楽を作り出す人、音楽を奏でる事が出来る人を尊敬します。

人の心を震わせる。
人の心の支えとなる。
人の心を勇気づける。

素晴らしいです。

最近は歌う機会はありませんし、求めませんが、カラオケでロックンロールすると、酔っぱらい扱いです。
次は何を歌います?と聞かれる事がなくなります。
酷いんだな。

2023年10月16日 (月)

新作のプレッシャー。

Akatsuki195

マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」は、世界的な大ヒットであった事は言うまでもありません。
中学生だった私も、飽きるほどよく聴きました。
その頃の友達と、必然的に次の作品の話になります。
次はどんな作品が発表されるのか。

しばらくして発売が決まり、大騒ぎ。
当時新しい音楽の音源はFM放送でしたが、それだけで連日大フィーバー。
まだ、音源がないのに、期待が増大して行きます。

発表されたアルバム「BAD」は、やっぱり聴きごたえあり。
夢中でした。

しかし、様々な媒体で、様々な評価。
これは好き嫌いも入る事ですし、やむを得ない事。
特に好き嫌いがどこかに入っている話は、感情的な問題を含み熱くなります。
中学生なんて、そんなもの。
良い悪いを超えて、感情的な論争です。

ふと、いちファンとして、マイケル・ジャクソンの事を考えました。
大ヒットしたアルバム「スリラー」を超える作品を作り出すのは、大変だっただろなと思いました。
そのプレッシャー。

いい意味で期待を裏切るとか、ファンが求めているもの、自分が伝えたいもの。
その葛藤は少なからず、あっただろうなと思いを巡らせました。
また、お金が集まるところには、様々な思惑の人が集まってきます。
その事も、マイケル・ジャクソン本人を悩ませた事が、その後の生涯からわかる気がします。
中学生の自分も、今の自分も想像を超えています。
きっと。

やっぱり後日談で、11曲入りのアルバム「BAD」をリリースするのに、作った楽曲は300曲以上だったとの事。
それだけで、どれだけ苦労しただろうと考えます。
その未発表曲の中には、Run-D.M.C.とのコラボ楽曲もあったとの事。
それだけでも、聴いてみたくなります。

仕事でも様々な事を期待されます。
いつも、わくわくする施策や話を示せる事は、ありません。
仕事は地味な作業の繰り返しと積み重ねです。
示した方針に沿って事業を進め、新しい発見や気づきを共有し、どう高めて行くか。

マイケル・ジャクソンとは比較にならないプレッシャーに、日々悶絶しています。

2023年10月 6日 (金)

いじられやすい人。

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話しかけやすい人、話しかけにくい人。
様々あると思います。

私は話しかけやすい人だと思います。
よく道を尋ねられます。
日本人に限らず、外国人も多いので、ワールドワイドです。

この事とは別です。
俗に言う、いじられやすい人がいます。

自身に関心をもってもらえる事がうれしいという人もいますが、大抵はそうでないです。
いじるには、多分にからかいがあります。
お笑い芸人が、いじるをきっかけに笑いや話題を作る事とは、根本的に違います。
それには予定調和があります。

これまでも営業場面で後進が同行し、取引先に紹介する事がありました。
その際、本人の趣味や特技などを案内する事がありました。
これは、本人に関心を持ってもらいたい事が目的でした。

本人が気づかない事をいい事に、誘導自問でつまらない発言を誘う。
そして、その発言を嗤う。
問い合わせに答えられない事を知りながら、質問をする。
その取り繕っている様を笑う。

自身にも、分が悪い厳しい商談で、様々な発言から言質をとる事もありました。
しかし、その時に相手を今後の商談で、侮蔑する事を目的として、言質をとった事はありません。

陥れ、それを嗤う。
本当は自分の心に巣食う不安と恐怖を、同じような誰かがいる事で安心する。
そこに安心も、やすらぎもありません。

同じ気持ちの人がいたら、その気持ちを分かち合う。
その方が安心も、安らぎもあります。
そこに孤独と、その孤独からの絶望はありません。

2023年10月 3日 (火)

愛だけじゃ お腹がすくから 早く大人になって 強く抱きしめて。

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愛だけじゃ お腹がすくから
早く大人になって 強く抱きしめて

こごえてるキスが 不安だから
早く大人になって 強く抱きしめて

LITTLE DARLING / レベッカ

レベッカのアルバム「BLOND SAURUS」の一曲です。

このアルバムが発売された時、社会人になる少し前だと思います。
この歌詞に、現実に生きて行く、その現実を感じた覚えがあります。
大切な人と生きてゆくには、絵空事だけではダメな事。
社会に出る前に、享楽の宴が終わる予感があったのかもしれません。

モーツアルトのピアノ協奏曲第21番の第2楽章の美しいメロディに心奪われたの先です。
これが「みじかくも美しく燃え」という別名で表記される事があり、その映画へと引き寄せられました。

映画は制作されたのが、自分の誕生年と重なります。
物語の主人公は、とても美しい。
また、背景の景色はどこをとっても、いちいち美しい。
まるで絵画の様で、舞台のスウェーデンへ行ってみたいという気持ちになりました。

劇中で使われているモーツアルトのピアノ協奏曲は、とても印象的です。
別名で表記される事がある事を、理解できます。
他にヴィヴァルディの「四季」の「夏」が記憶にあります。

しかし、美しい景色が、美しい主人公が余計に引き立てるのかもしれませんが、物語が進むにつれて苦しくなってきます。
それは徐々に、逃げ場を失い、追いつめられてゆくふたりの焦燥感が伝わってくるからかもしれません。
演じているふたりが上手なのでしょうか。

私には結末は、不愉快でした。

愛だけじゃ お腹がすくから

LITTLE DARLING / レベッカ

この歌詞と、この映画への思いが、どこで結びついたのか覚えはありません。
映画の様な道なき恋には、幸い落ちる事はなかったので、どこまでも他人事なのですね。

このレベッカのアルバム「BLOND SAURUS」が発売された頃、私の恋は終わりを告げていました。
ふられました。

もう忘れて、新しい恋に邁進だと考えていた私には、このアルバムの楽曲「Vanity Angel」が響きました。
この楽曲のリズムと音階を上がるキーボードの音、途中のギターソロ。
「さあ、進もう」と、とても心地よかったです。

恋の話は、埃をかぶった記憶です。

2023年10月 2日 (月)

誰かと話す。誰かに話す。

Aktsuki194

取引先の代表者で、齢も70を超える方が第一線から退かず日々活動しています。
その会社は、その代表者が若い頃から苦労して、一代で築き上げられました。

苦杯をなめ、様々な艱難辛苦があった事が話の内容やその話し方に、かもし出す雰囲気から少なからず伝わってきます。
そして、他人を信用する事が出来ない、その孤独と辛さが伝わって、それを私は感じる事があります。

武勇伝を語る。
弱さを見せる事は出来ない。
警戒心が伝わる。

人は話しながら、自らの気持ちに新たに気づいたり、改めて気づいたり、気持ちや心の整理が出来る事があります。
だから、心を守る砦の塀を低くして、心情を吐露できる場所がある事、そんな人がいる事は、いいと思います。

家族や恋人に大切ない人。
上司や同僚に仲間。
スナックやクラブの麗しいママさん達等々…。

例えば歌舞伎町で、同じ思いを抱える者同士が集まる。
自分ひとりぼっちで、考えていたのではない。
同じ悩みを抱える人がいる。

ひとりじゃない。

孤独が全ての原罪であるならば。
孤独から生まれる絶望が、どす黒く心にとぐろを巻いているならば。

その事をわかる事が、次に進める一歩になる。
今日を生きたいと思う。
今を生きたいと思う、そんな気持ちです。

より以前の記事一覧