趣味

2023年9月28日 (木)

地図に国境が残っていても、心から国境が消える。

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現在の別宅周辺には、外国から働きに来られている方が多くいます。

少し過ごしやすくなった最近では、窓を開けています。
時々、料理の匂いが入ってきます。
その匂いは、ニンニクを炒める匂いであったり、あまり嗅いだ事のない、でも香辛料の様な匂いです。

近隣には読み方や発音を想像する事も出来ない、店舗があります。
国旗があるので、故国の品物を売っているのだと思います。
その国旗も、よくわからないのですが…。
海外出張で日本ブランドの食品を見ると、つい手にとってしまう感情に似ています。

休日はたくさんの家族連れや、若者の集まりが買い物などで外出しています。
特に女性で、勉強不足で区別がつかないのですが、特別な服をまとっています。

夜半に建物のかげで、ひそひそ声で電話をしている人がいます。
時差もある事だと思いますが、故国の家族と連絡しているのかな…と勝手に想像します。
同じ国の誰かと共同生活をしていれば、部屋では通話はしにくいでしょう。

朝、集団登校する小学生の中に、ランドセルを背負う外国人家庭の子供がいます。
特別な前提を持つ事なく、小学生の頃から互いに違いを認め、当たり前に生活出来る。
大切な事だと思います。

故国の文化や生活、そして自分の故国としての誇りが、あって当たり前。
それぞれが、これまで育ってきた、その場所に様々なものがあります。

地図に国境が残っていても、心から国境が消える。
私たちは互いに理解しあうために、何が必要であるか。
本当は気づいてくいる人がたくさんいる。

ですよね。

2023年9月21日 (木)

井上陽水さんの楽曲で「海へ来なさい」が好きです。

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井上陽水さんの楽曲で「海へ来なさい」が好きです。
アルバム「ガイドのいない夜」に収録されています。

名曲ぞろいのアルバムですが、1曲目「つめたい部屋の世界地図」から、引き込まれます。
冒頭の胸騒ぎする様なストリングスから、しなやかに入る井上陽水さんの声。
どこか知らない場所だけど、丘の上から海を見ているイメージを抱きました。
井上陽水さんでなければならない、そんな楽曲が続きます。

「海へ来なさい」は、3曲目。
この楽曲は自身の子供宛に作ったとの事。

そして心から、幸福になりなさい。

海へ来なさい / 井上陽水

娘さんに贈る、素敵な楽曲です。
楽曲の流れの中で、この歌詞の前からの流れが素晴らしいです。

2021年3月16日 (火)

のび太くんは草むしりが大嫌い。

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のび太くんは草むしりが大嫌い。
私も大嫌い。
正確に言うと、嫌いなのは過去形です。

幼い頃、親父が庭の手入れを始めると、何時からか子供の私は、手伝いをしなければならない状況でした。
何をするって、草むしり。
そんなに広い庭ではないのだけれど、これが1日仕事になるのです。
親父がその作業をするのは、当たり前ですが休日。

近所の遊び仲間がドタバタ足音をさせながら、近づいて来ます。
しかし、私が草むしりをしているのがわかると、声も出さずにまるで、合図したか様に、黙って去って行きます。

遊びに行きたい~。

今、休日にひとりで黙々と草むしりをします。
ラジオのポッドキャストなどを聴きながら、一生懸命に。
余計な事を考えずに作業をする事から、とてもストレス解消になっている様です。
私は自分の楽しみなので、子供に手伝わせていません。

今の我が家は戸建ての賃貸住宅です。
オーナーさんからは、庭は自由にして下さいとの事でした。

私の前にお住まいの方は、あまり興味がなかった人の様でした。
入居した際、ドクダミなどの雑草を処理するのに苦労しました。
でも、それも楽しみです。

徐々に手を入れて、きれいになって行く庭。
樹々も成長し、思い描いていた風景に近くなって行きます。
ご近所さんからは咲く花をほめられ、オーナーさんからは素敵だと喜ばれる。
私もうれしくなります。

私は自分で黙々と作業する事が、庭を整える様で自分を整えています。
植物に興味もなく、草むしりが嫌いだった私が不思議なものです。

*ドラマ「風のガーデン」のストーリーに触れる部分があります。

倉本聰さんが脚本の「風のガーデン」のストーリーです。
主人公が翌シーズンの開花を思い、エゾエンゴサクの球根を植えます。
咲く姿を自分が見る事がない事をわかりながら…。

翌シーズン。
生前に植えたエゾエンゴサクが咲き誇ります。
それはそこにあったものを思い起こさせる、そこに生きていた人の印を残すように咲いています。
ドラマはそこで終わります。

地下の球根が春と共に芽を出し、やがて鮮やかな花を咲かせる。
いつか、来年か、その先か、花が咲くと思いながら準備するのは楽しいです。
そして、美しい花が咲く。
それも本当に楽しいです。

人生に重なる思いです。

2020年9月15日 (火)

姿は変わっても、まだ走り続ける事が出来る…

自分の愛車を自分以外の人が運転して走っている姿を見る事は、めったにありませんでした。
例えば、修理工場へ向かうのに引き取りに来てもらった時。
ガソリンスタンで洗車をしてもらう時。
最近では長男が免許取得後に運転をするので、そんな光景を見る事が多くなりました。
愛車に惚れ惚れ。

 

父親から譲ってもらった最初の愛車は、事故で見るも無残な姿にしてしまいました。
私は無傷でした。
その愛車を引き取りに来た日、(車で一番重要な安全性が証明されたよ。守ってくれてありがとう)お礼と共にお別れをしました。

 

社会人になって最初に自分で購入した車は弟に譲りました。
それからしばらく、弟の手足となり元気である事を知っていました。

 

次の車は納車される際に、次の相棒との交換でした。
キーを渡し、これまでの相棒と共に自分じゃない誰かが運転する。
その後姿が小さくなって見えなくなるまで、見つめていました。
見慣れた道を自分ではない誰かが運転し、遠くに消えて行く姿は切なかったです。

 

次の相棒は、これまで乗り継いできたスカイラインからの乗り換えがありました。
直列6気筒のエンジンはこれが最後で、時代のひとつの区切りを感じていました。

 

新しい相棒との交代をするその日、納車に来た人に問い合わせました。
この相棒は、これからどうなるのか?

 

走行距離が多いので、車両そのままの販売は出来ず、解体してパーツを売る事になるとの事でした。
可愛いのでメンテナンスは欠かさず行ってきました。
その日もバリバリでした。

 

そうか…。
姿は変わっても、まだ走り続ける事が出来る…そう思うと、どこかホッと安心するところがありました。

 

乗り継いできた愛車のプラモデルがあります。
古いのは、もう30年以上前に購入したものです。
定年になったら、ゆっくり作ろうと思いましたが、今でも厳しい老眼は更に進む事予測され、ますます困難な状況が見込まれます。
しばらくはそのままでしょう。

 

これに、自分では所有できなかったけれど、好きな車のプラモデルを買い足しています。
妻から「趣味はプラモデルの箱集め」と言われます。
結構なコレクションになり、定期的に引っ越しをするので、引っ越し屋さんの営業担当の人が覚えていました。