育児

2024年2月18日 (日)

自分の子の涙も、他の子の涙も変わらない。

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自宅にユニセフから、郵便が届いていると妻から連絡がありました。
経費節減を含めて、季刊誌は止めたのではなかったかな…と思いました。
例年の寄付の領収証にしては、大きさが違う様です。
開けてくれて構わないと妻に話しましたが、そのまま置いておくとの返答でした。

子をもって知る親の心。
よく言ったもので、長男が生まれて思い知りました。

同時に誰の子供でも可愛くなりました。
そんな思いから、本当にわずかな金額ですが、マンスリーサポーターに登録し寄付をする事としました。

いつもより大きいその小包は、マンスリーサポーターになってから20年が経過したお礼でした。
家族の前で開封した事を後悔しました。

協会の人のお礼の言葉。
まあ、これはいい。

1枚のハガキが入っていました。
それは5~6歳と思われる男の子が、A3サイズの黒板を持って微笑んでいる写真です。
その黒板には、私の名前と「Thank you for 20years!」と書かれていました。

つまんない事を考えれば、それはハメ込みかもしれない。
でも、うれしくて、うれしくて、涙があふれてきました。

同封されていた小冊子には、私が寄付を始めた時0歳だった子供が20歳になりました。
そんな事が書かれていました。
もう、ヤメテくれ…そんな感じです。

本当に毎月わずかな金額で、それがいかに役に立ったかは知る由もありません。
私が感謝の言葉で満たされました。

2023年11月11日 (土)

生き抜いてやれ 昨日と明日の間。

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生き抜いてやれ 昨日と明日の間

二男のアスペルガー症候群の内、新しい環境への適応能力が低い事があります。
現在の職業はシステムエンジニアで、派遣先への常駐となっています。
仕事が一区切りつくと、新しい職場へと移ります。

今般、現在の職場で、仕事中の鼻歌(これは小学生の頃より)と大きな声のひとり言がクレームとなりました。
本人は自覚がない中で、行っていた模様です。
派遣先の会社、同じフロアで共同作業をする会社からのクレームにより、異動する事となりました。
本人は、青天の霹靂だったと思います。

この失敗を後悔し、本人は消沈の日々です。
私は本人に、仕事で失敗した事がない人がいるなら、連れてこいと慰めにもならない慰めの言葉をかけています。
近頃は後悔から、新しい職場への不安に変わっています。

仕事の形態としては向いていないかもしれない…と思う気持ちが私にもあります。
しかし、幸いにも上司をはじめ、周りの方々には大変恵まれている模様です。
それは、とてもうれしい事で、また安心の材料です。

努力は見えないコップに、水をそそいで行く事と同じ。
努力を継続する時に、よく話される話ですね。

コップの中の水は見えない…。
成果が実感できない努力は、終わりが見えず苦しいです。
あと、どれくらい頑張れば、水が満タンになるのか。
終わりを感じる事が出来る努力なら、あともう少しと力が湧いてきます。

日々の生活に希望が見いだせず、日々の事に追われる。
今日の事に精一杯。
未来など見いだせず、一日はただ終わって行く。
明日がある時にわかるのは、疲れと不安が確実なだけ。

必ず、こんな日に、こんな日々に終わりが来る。

哀しいから 笑うんだろ?
街角の 天使たち
傾いた 陽の光
眩しげに 睨みつけ

きっといつの日か 誰かの腕に抱かれ
傷だらけのその心に 熱いキスの雨が降る
きっといつの日か 愛の嵐に溺れ
戦った数年前を 振り返れると信じて

生き抜いてやれ 昨日と明日の間
お前はLONELY WILD

LONELY★WILD / 布袋寅泰

生き抜いてやれ 昨日と明日の間を。
いつまでも、どこまでも、私はあなたの味方だ。

2023年10月24日 (火)

もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

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もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

数日前に書いて記事にある通りですが、仕事上の失敗で二男は結構なダメージを受けていました。
自分との比較は意味がありませんが、私は失敗が多く、もう数えきれないのが現実です。
覚えきれないというか、忘れてしまったが近いです。
しかし、その時の痛い教訓が活きている事もあります。

二男曰くは、1週間に二度も怒られる(改善の指摘を受ける)は、ショックな様です。

指摘を受けた、その事が自分でも認識がなかった模様です。

小学生の頃から、鼻歌が止まらない。
自分では歌っている認識がない。
ひとり言が、止まらない。
同じ職場の人は、話かけられているのか、ひとり言なのか困惑する。
この事を職場の別の方から本社宛に問い合わせがあり、本人が指摘されました。

アスペルガーが故の独特な事もあり、本人から初めてカウンセリングへ行こうかと考えているとの話がありました。

自分の気づかない事を教えてくれる誰かがいる。
客観的な指摘をしてくれる人がいる。
話を真剣に聞いてくれる人がいる。

そういう環境があるのは、大切であり、恵まれている事だと思います。
肉親は心配で、話が詰問調になったり、命令口調となる事があります。

日本経済新聞の1面コラム「春秋(2023年10月21日)」に、掲載された内容です。

20年ほど前、あるフリースクールを取材したことがある。ダンスを踊りながら覚える九九。絵の具まみれになって描く美術。よくあるのとはちょっと違う、でも子供が中心の教室だった。「どこから来たの」「僕らの記事を書くの」。子供たちからは質問攻めにあった。

子供らしい生き生きとした感じが、伝わってきます。
安心して、様々な事に取り組む環境があるのだと思います。

▼印象に残ったのが、社会の偏見を薄めたいと奔走する大人の姿だ。積極的に情報発信したり、行政との相談を繰り返したり。公教育の否定ではないんです、別の居場所が必要なだけ。そう懸命に訴え続けていた。多様な学びの場を認める教育機会確保法の施行は2017年。それは長く地道な努力の積み重ねの上にあるのだ。

人は学び、変わり、強くなって行きますよね
そして、強さは他人へのやさしさに変わります。

誰でもが社会の一員となって行く過程で、その関わり方は違います。

ミサイルのように急角度で飛び立てる人。
戦闘機のように早い人。
プロペラ機のように、ゆっくり、緩い角度で飛び立つ人。

▼滋賀県東近江市長がフリースクールを巡り、国家の根幹を崩しかねないと発言したという。「大半の善良な市民は嫌がる子供に無理してでも義務教育を受けさせようとしている」とも。そんな市民が大半だとも、善良だとも寡聞にして知らぬ。意見表明は自由だ。ただ時計が随分前に止まっていないかは気にした方がいい。

市長さんが幼い時と、決定的に違う事がひとつ。
昔と比較して、地域のコミュニティを保つ事が、とても難しくなっている事だと思います。
記憶にある事ですが、中学生の時、下校途中でケンカとなりました。
場所は畳屋さんの店の前。
大ゲンカとなりました。

その時、畳屋の親父が店から飛び出してきて「こんなところで、ケンカするんじゃねぇ」と怒鳴られました。
「ケンカするな」ではなく、「ここで、ケンカするな」です。
今なら、直ちに警察に通報されます。

他人の子供も、自分の子供も、地域の子供としての意識は極めて低くなっています。
何より、自分がそうです。
そして、狭い世界に親も閉じ込める事で、親も行き詰まります。
それが、虐待につながったりします。
地域のコミュニティで、いろんな事を自然と肩代わりしたり、担ったり、その世界が欠落しています。

▼子供に留守番をさせたら虐待、という目をむく条例案が飛び出した県議会もあった。公の立場にある人々が、安易に「親の責任」を言いつのる。それが当の子供たちをもどれほど傷つけていることか。学校へ行くのがつらい君たち、無理にがんばることはない。もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

最後の二文節は、ジャーナリズムへの期待と気持ちが減退する自分の気持ちの中に、仄かに灯りがともりました。

2023年9月 5日 (火)

子供に謝りたい事。

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不思議な夢を見た。

長男が近くにいる。
本人はこれまで坊主にした事はなかったが、夢の長男は坊主だった。
今は28歳の息子が、4歳前後の姿だっただろうか。

ケンシロウ君じゃないか。
今まで、呼んだ事がない呼び方で、私を呼んだ。
抱っこした感覚がある。
記憶を呼び覚ます、そんな感覚。

長男は20歳の時、肺の病気である「気胸」になった事があった。
入院して加療は長期となり、一度退院出来たが、再度の入院となった。
根治には手術が良いと勧められた。

本人は手術時の人工呼吸器が嫌で、手術はしたくなかった。
しかし、根治には手術が必要との事を、本人もわかっていた。

根治には手術が必要なら、私が「避けられないだろ」と言うと、本人は考えていた。
嫌だったと思う。

以前に小椋佳さんの話を読んだ記憶があった。
小椋佳さんは優秀な銀行マンであり、自分の子供にも部下に接する様にしていた事があったらしい。

部下と子供は違う。

子供は追い詰められる。
それまで、様々な経験を素地に話を聞く部下と、いろんな事が初めての経験である子供は違う。
小椋佳さんも、そうして子供を追い詰めた事があったらしい。

そして子供は、疑いなく親を信用する。

私がそう言うと考えていた息子に、申し訳ない気持ちになった。
とても可哀そうになった。
大学を卒業し就職する時に障害にならないかと考えた。
根治に手術が必要なら、今我慢した方がよいのではないかと考えた。

そこに、本人の気持ちはなかったのだ。
そんな事を、言えない様にしていたのだ。

そこから、私は何も言わなくなった。
自力で治す道を選択し、退院する事が出来た。
8年経過した今も再発はしていない。

不思議な夢と共に、そんな気持ちがよみがえった。

2023年5月28日 (日)

泣きすぎて、自分が水滴になりそうだ。

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小説や映画は、いろいろな人の人生を疑似体験し、その物語の中に引き込まれてゆきます。
私はハラハラドキドキする映画よりも、静かに淡々と進む物語が引き込まれやすい気がします。
非日常として疑似体験や、物語の傍観者となり溶けている思いが、何かの拍子によみがえる事があります。

映画「ムーンライト」の劇中のセリフです。

「泣きすぎて、自分が水滴になりそうだ」

こんなに切ない言葉があっただろうか…と思いました。
何か思い出すきっかけがあったのではなく、会社からの帰り道、運転中にふと浮かんだのです。

子供が習い事を始めるのは、4歳からとマスコミが報道していました。
時代背景が異なりますので、自分と比較は適当ではありません。
私は小学校に入学してまもなく、やむを得ない事情で書道教室へ通う事となりました。

自分の長男は、歌うことが大好きで、3歳からピアノを始めました。
二男は年少さんから、水泳でした。
水遊びの延長からで、選手を目指すという事ではなく、身体を動かす事が優先でした。

今、家庭の事情で習い事をしたくても、出来ない子も多いとの事。
学校で遊んでいた友達が、習い事があるから帰る…と言われた時のさびしさは私も経験があります。
小学1年生の間は、親に勉強しなさいと言われる事もなく、中学生になるまでは学習塾へも通っていませんでした。
書道教室は土曜日の午後で、憂鬱でした。
当時土曜日は半日授業でしたので、お腹は空くし、帰っても遊べない事は嫌でした。

そうして育ってきた私は、自分の子供にも強制はしませんでした。

でも、通いたくても通えない。
これは辛いと思います。
マスコミの報道は、習い事でいっぱいの毎日と習い事が出来ない境遇の子供を比較する内容でした。
子供はその事情を、家庭の事情を理解しています。

例えば3人で遊んでいて、その内2人が同じ習い事はあるから帰る。
しかも、ふたりは同じ習い事。
そんな時の疎外感は、たまらないです。
つまらないです。
ひとりぼっちです。
さびしいです。

私は習い事は嫌だったけれど、なんだかテンションが急に下がります。

なんだか孤独で、どうせ家は…というあきらめ。
環境が厳しくても、頑張る人はいます。
それを標準として、すべての結果を自己責任という便利な言葉で解決するのは乱暴です。

映画「ムーンライト」には、こんなセリフもあります。

「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」

映画のストーリーに触れるので避けますが、様々な事がひとつの面だけでない事を示唆します。
派手な映画ではないですが、ひとりの男性の人生を通し、いろいろ考える事と感じる事がありました。

2023年5月11日 (木)

大人も、みんな昔は子供だったのにね。

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メンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番を、先日久々に聴きました。

二男が20歳になる時、それまでの歩みをフォトストーリーとして作成しました。
第2楽章から利用し、幼稚園の入園から小学校の卒業までに使用しました。
私は特に第3楽章、明るくて華やかなところが大好きです。

二男はミレニアムベイビーなので、産まれた時からデジタルの記録があります。

作成をする際に、写真を選び、何度もこのピアノ協奏曲を聴きながら作業しました。
そんな事もあり、聴くだけで写真が頭に浮かんできます。
やっぱり、かわいい。

二男はアスペルガー症候群です。
学生生活も苦労した事が多かったと思います。

妻にメンデルスゾーンの楽曲とリンクする事を話しました。
すると、言葉が遅かった事もあり、私が積み木の色を覚えさせる事から始めたり、計算カードを一緒に遊びの中でやっていた事を話してくれました。
そんな事、すっかり忘れていました。

そんな二男も、今年の4月から社会人となりました。
これからも、いろいろと苦労をする事と思います。

二男が大学に入学した時の事です。
義務教育の時の通級の先生から、同じ通級に通う生徒や児童の保護者向けに、その道筋を講演して欲しいと妻に依頼がありました。

原稿は私が書きました。
「いろんな事、よく覚えているね」と妻がいいました。
そうです。
過去のブログの記事に、二男はよく登場するからです。
記録があります。

しかし、これは…と言われた内容があります。
その部分は、父親である私からのメッセージとして読んでいい、という事で披露される事になりました。

子供は生まれる前に、あの両親のところへ行けばきっと自分は、しあわせになれると選んで生まれてきます。
だから、大切にいつくしんで育てたい。
ここならしあわせになれる…生まれる前にそう思った気持ちに、私は答えてやりたいと思っています。

児童虐待は後を絶ちません。
私の同僚のひとりは、子宝に恵まれませんでした。
虐待の悲惨なニュースを聞くたびに彼は「俺にくれればいいのに…」とつぶやいていました。

里親のドキュメント番組を観ていた時の事です。
幼い子がお母さん(里親)のお手伝いをしています。
その子がいいました。

「ぼくは、ここでしあわせになりたいんだ」

しあわせなんて言葉が、幼い子供から出る。
その子の記憶にある少し前は、積極的にお手伝いをしなければならなかった環境だったのでしょう。
その事を思うと、せつなくなります。

大人もみんな、昔は子供だったのにね。

2022年9月23日 (金)

赤ん坊の初めての笑いが妖精だから。

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お母さん、突然娘をビンタしました。
娘は年の頃、中学1年生ぐらいだと思います。
驚愕の表情を浮かべ、ビンタされた左ほほを手でおさえています。

時間は19時半頃。
行き交う人も少なくない時間です。
駅に直結するショッピングモールです。
中央にエスカレーターがあり、そのエスカレーターが吹き抜けで、上層階へとつながります。

下りのエスカレーターの私には、入口でのその様子が見えたのです。
「大事なものをなくすと、こういう事になるの」とお母さんはひと言。
のぼりのスカレーターに無言でのり、その後を娘がついて行きます。

自宅のある山へ帰るバスを待っている時です。
曇りの夜空を見ながら、ある映画の事が心に浮かびました。

赤ん坊が生まれた初めて笑うと
笑いが砕け散って
ぴょんぴょん飛んで妖精になるんだ

赤ん坊の初めての笑いが妖精だから
どの子にも妖精が1人いるべきだ

妖精なんて信じないと子供が言うたびに
どこかで妖精が死んじゃうんだ

ジョニー・デップが主演した映画「ネバーランド(原題:Finding Neverland)」の台詞です。
とても切ない物語ですが、この映画の中のシーンでとても好きな場面があります。

孤児院の子供たちが観劇(ピーターパン)に来るシーンです。
当時、観劇は大人の文化として描かれたおり、子供が席に着くことを大人が訝しげに見ています。
芝居が始まると、その内容に大人が眉をしかめます。

ところが、やがて大人もその世界に魅了されてゆきます。
そして、たまらないのは、その子供たちの活き活きとした表情です。

ビンタしたお母さんに、妖精が戻ってきますように。

映画「ネバーランド(原題:Finding Neverland)」
https://filmarks.com/movies/20524

2022年9月20日 (火)

二男が声をあげて泣いた日の事。

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二男が通学する大学の後期授業料を払い込み、教育費はこれが最後となりました。
長男が中学入学と同時に学習塾に入り、そこからスタートした教育費はまとまった金額になったと思います。
厳しい中、よく調整をしてくれた妻に感謝です。

二男が大学に入学した時の事。
中学まで通っていた通級の、お世話になった先生に本人が報告へ行きました。
するとしばらくして、通級の先生から妻に依頼がありました。
それは、二男の大学入学までの出来事を、他の保護者の皆様の前で、話して欲しいとの内容でした。

アスペルガー症候群の二男が、大学に入学をした。
それは優良事例として、同じ境遇の保護者には役に立つとの事でした。

優良事例…。
ゴールなど見据えて二男と成長したのではなく、その時その時で必死だったのです。
正解なんてありません。

妻は講演を引き受けました。
…というか、大変お世話になったので、お断りできません。
原稿を準備する妻から記憶にある事を、いくつかあげて欲しいと言われました。

アスペルガー症候群は、例えば印象に残ったその言葉で、時間軸が失われる事があります。
小学3年生の頃だったと思います。
住まいの近くに住んでいた同級生は、登校拒否の状態でした。
そのきっかけはわからないのですが、二男はその子と仲良く遊ぶようになりました。
二男は毎日通学していました。

やがて、その子は通学も可能となり、二男の事はすっかり忘れてしまいました。
二男は近づいて行き、「次、今度遊ぼう」とあしらわれたのだと思います。
ずいぶん前に言われたその言葉は、時間軸が理解できないと、いつでも今になります。

しかし、それをそういう受け取り方が出来ない二男は、ある日、その子が他の子と遊ぶところを追いかけて行ったのです。
隠れる様な器用な事は出来ませんが、隠れているつもりで、いつ声がかかるかと期待しながら追いかけて。

声がかかる事はありません。

その日は、すっかり日も暮れて、妻と約束した時間より帰宅が遅くなりました。
妻はなぜ遅くなったのか、心配していた、どこにいたのと矢継ぎ早に問い詰めます。

二男は大声を上げて泣き出しました。

それは妻に問い詰められた事も勿論でしょう。
でも、本当は仲がいいと思っていた、友達と思っていたその子に裏切られたショックでした。
そして、その事に気づいた、気づいたしまった事でした。
気づきながら、家に帰るまで泣かない…と我慢していたのでしょう。

私は今、22人の仲間と仕事をしています。
私を含め、誰にも得手不得手があり、また長所と短所があります。

二男と生活し、共に成長して来る事で大きな学びがありました。
それは、出来ない事を否定するのではなく、出来る事を喜ぶ事でした。
そして、出来る事を発展させ、苦手を克服して行く事。
そうして、二男と成長してきた事が、多くの仲間と仕事をする際に人を短絡的に見て、自分勝手に判断しないという貴重な思いを抱かせてくれています。
この事がわからなければ、私は今よりも更に、とてつもなくいけ好かない野郎だったと思います。

講演は水を打ったように会場が静かで、とても緊張していたと話していました。
妻が話す事を、参加された方々が熱心にメモを取っていたそうです。

妻に渡したメモの中で、私(父親)からのメッセージとして読まれたものがあります。

子供は生まれてくる時に、このお父さんとお母さんのところなら、しあわせになれると思って生まれてきます。
きっと選んで生まれてくる。
ここがいいと選んで来てくれる。
そんな子供を大切にしたい。
なぜなら、お父さんとお母さんがしあわせになるのだから。

2022年6月 6日 (月)

反抗期の終わり。

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自分が傷つかない環境で、自分が守られている環境では強い。
でも、世間では思い通りには行かず、時として自らの気持ちを曲げ、自らの意思に反した事も行う。

その自分の小さなところに、果てしなく嫌気がさしました。
自分が愛されている絶対的な環境で、その事に甘え傍若無人になる。
違うところでは、自らの気持ちを曲げ、自らの意思に反した行動もする。

なんか、言ってる事とやってる事が違わないかい。
安心できる場所とそうでない場所では、違うじゃない。
それって、弱くないかい。
それって、小っちゃい。

そんな自分を思いました。
反抗期は、この時終わりました。

私が中学生の頃は「腐ったミカン」の時代です。
学校の窓ガラスを壊してまわったり、盗んだバイクで走りだす事はありませんでした。
家族に暴力を働いたり、器物損壊なんて事はありません。

ただ、群雄割拠でケンカは多かったです。
ケンカがあるという事は、少年の世界にも政治が必要となるのです。
この政治に嫌気がさしたのです。

その後、特に高校3年間は、誰もが一度は悩む、自らの存在に囚われました。
このトンネルはとてつもなく長く、でも通らなければならなかった道であったと思っています。

 

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人は一人で生きているのではないので、政治は避けられない事と思います。
自分勝手に進めるのが可能な事など少なく、多くの場面で妥協を強いられます。

しかし、自分の心に嘘をつき続けるのは辛いです。
様々な圧力がある中で、真実を求める事が出来ない事は辛いです。

本当の自由は、真実を求める心にあるはずです。

自分ひとりで生きているのではない事を知る。
多くの人々との関わりの中で、自分の事を客観的に見る目を持つ事。
その時、反抗期は終わるのでしょう。

同時に自分を愛しむ人々の気持ち、そして愛しんでもらう事が非凡であり、その尊さを知る始まりだと思うのです。