育児

2026年6月25日 (木)

1歳という奇跡の日に想う、命を寿ぐということ。

Akatsuki233

七五三という行事は、かつて子どもが過酷な環境を生き抜いた(サバイバルした)ことを祝うものであり、それが現代とは比較にならないほど困難なことであった歴史を私たちに思い起こさせます。

歴史上でいかに偉大な業績を成し遂げた人物であっても、病などによって幼い我が子を失う悲劇に見舞われ、なす術もなかったことが数多く語り継がれています。

ご先祖のお墓に目を向ければ、墓石に「童」という文字が刻まれたものを見かけることがあります。
それは、幼くしてこの世を去らねばならなかった子どもたちのお墓です。

生きたかったはずなのに、生きられなかった。
幼い命がそれほどまでに儚く消えていった時代が、確かにありました。

だからこそ、この世に生まれ、今を生きているということ自体が、どれほどの奇跡であり、素晴らしいことでしょうか。

「1歳」という日。

生まれ来ることがもう奇跡ですが、その最初の節目を、私たちは心から祝福します。

まだ言葉のわからない子どもであっても、周りの人たちが自分を見て心から喜んでくれている空気を感じ取れば、それだけで大きな安心感に包まれるものです。
お祝いの本質とは、その命が今日ここにあることを、ただ愛おしみ、感謝することに他なりません。

それなのに、現代の流行や悪ノリの中で、ケーキに顔を押し付けられ、戸惑いと不安の中に置き去りにされる子どもがいます。

周りの大人たちは大笑いして盛り上がっているけれど、主役であるはずの本人は、呼吸を塞がれるような恐怖と孤独の中にいる。何度も繰り返される理不尽な行為に、子どもがどれほど怯えていても、大人はカメラを向けて笑っている。

生きていることを、1歳という日を迎えられたことを、心から喜び、慈しむべき大切な日に、なぜそのような主役を置き去りにした消費的な笑いが生まれてしまうのでしょうか。

大人にとっての一瞬の「映え」や「娯楽」のために、子どもの尊厳が軽んじられている姿に、深い違和感と悲しみを覚えざるを得ません。

「生きたくても生きられなかった命」の重みと、過去から繋がる「今ここに生きている奇跡」に対する敬意。

それらがもし胸の中にあれば、子どもの不安をよそに笑うような真似は決してできないはずです。

幼い命の尊さを心から寿(ことほ)ぐとはどういうことか。
私たちは今一度、その原点にある優しさと、命への畏敬の念を思い起こす必要があるのではないでしょうか。

2026年5月21日 (木)

福岡の空、遠くの孫 ― 亡き義父の記憶を呼び起こしたテレビの言葉。

Akatsuki233

先日、出勤の支度をしながら流れていた朝の情報番組に、目が留まりました。
松村北斗さんが、静岡県のアンバサダーに就任したとのニュースです。

そのインタビューで、「どんな時に故郷の静岡県を感じますか?」と尋ねられていました。
回答は、東京に住んでいても「静岡県の天気を見てしまう」、あるいは「気になってしまう」という内容だったと思います。

その時、ふとあることを思い出しました。

長男が3歳の時、福岡県へ転勤になりました。
当時は妻の実家の近くに住んでおり、長男はよく「じいじ、ばあば」と(実家に)立ち寄っていました。

毎日のように会えていた、かわいい盛りの孫が、九州という遠い地へ行ってしまう。
どれほど寂しかったことかと思います。

3年が過ぎ、今度は東京への転勤が決まりました。
その時、義父はこう言いました。
「これで、福岡の天気予報を気にしなくてもよくなる」

孫が遠い福岡の地で、今日はどうしているだろうと思いを巡らす。
だからこそ、福岡の天気が気になる。

「ああ、今日は晴れている」
「台風が近づいている」
「暑いけれど、幼稚園に行ったかな……」

松村北斗さんの言葉に、亡くなった義父の言葉がよみがえりました。
孫への深い愛情と共に。

2026年5月14日 (木)

生まれてきてくれて、ありがとう。

Akatsuki233

先日、25歳になる二男と、将来のことについて少し話をしました。

彼はアスペルガー症候群という特性を持っています。
その彼が、ポツリと言いました。
「自分と同じ苦労をさせるのは忍びないから、子供は作らないつもりだ」と。

今、彼は日々業務の中で戸惑い、葛藤しながらも、周囲の支援を受けながら懸命に働いています。
そんな彼が、姪っ子が生まれた時には、無事に生まれてきた喜びで涙を流し、今も本当によく可愛がってくれています。
命の尊さを誰より知っているからこそ、自分の抱える「生きづらさ」を、まだ見ぬ誰かに背負わせたくないと願う…。
その不憫なほどに誠実な思いに、胸が締め付けられる思いでした。

私は、父として彼に伝えました。
「○○が我が家に生まれてきてくれて、本当によかったと思っている。もし違っていたら、雑に扱われたり、もっとひどい目に遭っていたのではないかと考えてしまう。お前が私たちの子供であることに、マイナスな気持ちなんて何一つないんだよ」

そしてこれは、本心からの言葉です。
彼がいたからこそ、私の仕事に対する向き合い方は、大きく変わりました。

🎀「教育」ではなく「共生」から学んだこと
今、リーダーとして組織を率いる中で、私はかつて「なぜこれができないのか」と、欠けている部分にばかり目が行く時期がありました。
しかし、二男を育てる日々は、私に全く別の視点を与えてくれました。

「できないことを叱責するより、できたことを共に喜ぶほうがいい」

言葉にすれば簡単ですが、これを心底納得できたのは、二男の成長を一番近くで見守ってきたからです。
彼が一つひとつハードルを越えていく姿に、私はリーダーとして大切なことを教わりました。

仕事の仲間と良い関係を築くために必要なのは、正論で追い詰めることではなく、その人の存在を認め、小さな一歩を共に喜ぶこと。
私が「養育」していたつもりが、実は二男によって、私自身が「リーダーとして、一人の人間として」養育されていたのです。

🎁存在そのものが、誰かの力になっている
彼がいなければ、今の私の仕事のあり方は、もっと殺伐としたものになっていたかもしれません。
二男が周囲の助けを借りながら働いている姿は、裏を返せば「人に頼る勇気」や「助け合う喜び」を、その職場に提供しているとも言えるでしょう。

🎀「子供を作らない」という彼の決意。
それは今の彼の精一杯の誠実さです。
その思いも丸ごと抱えて、私はこれからも彼の父であり、彼から学んだ「受容」を大切にするリーダーでありたい。

○○へ。
お前が教えてくれた「できたことを喜ぶ」という魔法を、今日もお父さんは仕事の現場で使っているよ。
生まれてきてくれて、本当にありがとう。

2025年9月29日 (月)

映画「きみはいい子」、痛ましいニュースから考える「誰かを救う力」の事。

Akatsuki224

先日、胸が締め付けられるような痛ましいニュースが報道されました。
わずか2歳の幼い命が、親からの虐待によって奪われたという出来事です。
痩せ細った身体、治療されることのないまま傷つけられた骨折の痕。

その絶望は、想像するに余りあります。

亡くなった女の子にはお兄さんがいたそうです。
彼が背負うことになった心の傷は、どれほど深く、容易には癒えないだろうと考えると、言葉を失います。

世界を救えなくても、「誰か」は救える
そんな時、ふと頭に浮かんだのが、中脇初枝さんの小説、そして映画化された作品「きみはいい子」です。

私は映画を先に観て、その後に原作を読みましたが、どちらも素晴らしかった。
作品が問いかけるのは、虐待や育児放棄という現実の厳しさ、そして、それにどう向き合うかという、「優しさの連鎖」というテーマです。

物語を通して描かれるのは、「子供に優しくすることで、その子供もまた誰かに優しくする。やがて、世界はやさしさで満たされる」という希望です。

もちろん、これは夢物語のように聞こえるかもしれません。
しかし、映画のCMに使われた「世界を救うことはできなくても、誰かを救うことはできる」という言葉には、単純でありながらも底知れぬ深さがあります。

底知れぬ深さを持つ、小さな優しさ
私たちは皆、世界中の悲劇を止めることはできません。
大きな社会システムや構造を変えることは、非常に困難です。

しかし、目の前にいる「誰か」に、優しく声をかけること、温かい手を差し伸べること、話を聞いてあげることはできます。

「誰か」を救うという、手の届く範囲の希望。
この個人的な行為の積み重ねこそが、絶望に満ちた世界に光を灯し、痛ましい連鎖を断ち切る唯一の方法ではないでしょうか。

今、私たち世界中の人に求められているのは、この単純だけど奥の深い、「誰かを救う力」なのかもしれません。

*映画『きみはいい子』予告編

映画の雰囲気に触れてみたい方は、ぜひ予告編をご覧ください。
映画「きみはいい子」予告編

2024年11月 7日 (木)

生まれてきたなら、生きて、生きて、生きて、しあわせになりたい。

Akatsuki213

我が家の二人兄弟である二男は、もう24歳。
本人が生まれた頃の記憶は、24年前からとなります。

YouTubeで赤ちゃんの動画を観たりすると、レコメンドで同様の動画が案内されますね。
時折、いくつもの動画を観る事があります。
どの子も可愛いし、撮影している親の愛情も伝わってきます。
最近は犬や猫と乳幼児が仲良くしているのが、私のお気に入りの様で、同様のレコメンドが多いです。

2017年のお正月、慈恵病院(熊本県西区)の「こうのとりのゆりかご」に関する記事を読み、強烈に印象が残っています。
赤ちゃんポストです。
当時、発案設置した院長の蓮田太二さん(記事掲載時80歳)は、様々な賛否両論の意見があったと書かれていました。
その中に、子供が出自を知る権利を阻害するという批判があったとの事です。
これに対し蓮田さんは、「出自より命が大切」と言い切ります。
そして、死んでしまえば取り返しがつかない。
それ以上に、生きて愛情を注がれれば、幸せに育つことができると語ったと記事にはありました。

とても強い印象が残りました。

蓮田太二さんが2020年にお亡くなりになったと、別の記事で読み知りました。
今はご子息のご長男が理事長になられ、遺志を継いでいると書かれていました。
この事業の継続には、多くの時間と労力に経費が必要な事と、察するに余りあります。

同じ記事(2017年1月1日)には、看護部長さんの言葉もありました。

虐待の連鎖や道徳観の低下――。
母親を取り巻く問題は一筋縄で解決できない。
設置当時の看護部長、田尻由貴子さん(66)は「よく来てくれた」と母親を抱きしめ続けてきた。
「孤独に産み、へその緒をつけた赤ちゃんを命からがら連れてきた。安易な母親などいない。私が一番知っている」と蓮田さんの信念を共有する。

赤ちゃんポスト設置した医師 蓮田太二さん 血縁超える愛、幼い命を守る
日本経済新聞 2017年1月1日掲載

ご先祖様のお墓には、墓石に刻まれた文字が、もうよく読めなくなっているものもあります。
読めるのものでは、歴史の教科書に出てくる年号があります。
累々と自分まで、命がつながれている事を感じます。

(1)人口動態総覧率の年次推移
 出生率(人口千対)と死亡率(人口千対)の年次推移をみると、明治から大正にかけて出生率・死亡率ともに高かったが、死亡率は昭和の初めから徐々に低下し始め、出生率は戦後急激に低下し、多産多死から少産少死へと推移し、自然増加率(人口千対)は年々低下している。
 乳児死亡率(出生千対)の推移をみると、昭和14年までは100以上、即ち、生まれたこどものおよそ10人に1人が1年以内に死亡していたが、乳児死亡率は51年に、新生児死亡率(出生千対)は42年に10を下回り、現在は乳児死亡は250人に1人、新生児死亡は500人に1人の割合となっている。

出典 厚生労働省 人口動態統計100年の年次推移
https://www.mhlw.go.jp/www1/toukei/10nengai_8/hyakunen.html

墓石に刻まれた戒名に、「童」の文字が刻まれているのが複数あります。
前述の資料が示す事実です。

生まれてきたなら、生きて、生きて、生きて、しあわせになりたい。
しあわせにならなければならないですね。

 

2024年2月18日 (日)

自分の子の涙も、他の子の涙も変わらない。

Akatsuki201

自宅にユニセフから、郵便が届いていると妻から連絡がありました。
経費節減を含めて、季刊誌は止めたのではなかったかな…と思いました。
例年の寄付の領収証にしては、大きさが違う様です。
開けてくれて構わないと妻に話しましたが、そのまま置いておくとの返答でした。

子をもって知る親の心。
よく言ったもので、長男が生まれて思い知りました。

同時に誰の子供でも可愛くなりました。
そんな思いから、本当にわずかな金額ですが、マンスリーサポーターに登録し寄付をする事としました。

いつもより大きいその小包は、マンスリーサポーターになってから20年が経過したお礼でした。
家族の前で開封した事を後悔しました。

協会の人のお礼の言葉。
まあ、これはいい。

1枚のハガキが入っていました。
それは5~6歳と思われる男の子が、A3サイズの黒板を持って微笑んでいる写真です。
その黒板には、私の名前と「Thank you for 20years!」と書かれていました。

つまんない事を考えれば、それはハメ込みかもしれない。
でも、うれしくて、うれしくて、涙があふれてきました。

同封されていた小冊子には、私が寄付を始めた時0歳だった子供が20歳になりました。
そんな事が書かれていました。
もう、ヤメテくれ…そんな感じです。

本当に毎月わずかな金額で、それがいかに役に立ったかは知る由もありません。
私が感謝の言葉で満たされました。

2023年11月11日 (土)

生き抜いてやれ 昨日と明日の間。

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生き抜いてやれ 昨日と明日の間

二男のアスペルガー症候群の内、新しい環境への適応能力が低い事があります。
現在の職業はシステムエンジニアで、派遣先への常駐となっています。
仕事が一区切りつくと、新しい職場へと移ります。

今般、現在の職場で、仕事中の鼻歌(これは小学生の頃より)と大きな声のひとり言がクレームとなりました。
本人は自覚がない中で、行っていた模様です。
派遣先の会社、同じフロアで共同作業をする会社からのクレームにより、異動する事となりました。
本人は、青天の霹靂だったと思います。

この失敗を後悔し、本人は消沈の日々です。
私は本人に、仕事で失敗した事がない人がいるなら、連れてこいと慰めにもならない慰めの言葉をかけています。
近頃は後悔から、新しい職場への不安に変わっています。

仕事の形態としては向いていないかもしれない…と思う気持ちが私にもあります。
しかし、幸いにも上司をはじめ、周りの方々には大変恵まれている模様です。
それは、とてもうれしい事で、また安心の材料です。

努力は見えないコップに、水をそそいで行く事と同じ。
努力を継続する時に、よく話される話ですね。

コップの中の水は見えない…。
成果が実感できない努力は、終わりが見えず苦しいです。
あと、どれくらい頑張れば、水が満タンになるのか。
終わりを感じる事が出来る努力なら、あともう少しと力が湧いてきます。

日々の生活に希望が見いだせず、日々の事に追われる。
今日の事に精一杯。
未来など見いだせず、一日はただ終わって行く。
明日がある時にわかるのは、疲れと不安が確実なだけ。

必ず、こんな日に、こんな日々に終わりが来る。

哀しいから 笑うんだろ?
街角の 天使たち
傾いた 陽の光
眩しげに 睨みつけ

きっといつの日か 誰かの腕に抱かれ
傷だらけのその心に 熱いキスの雨が降る
きっといつの日か 愛の嵐に溺れ
戦った数年前を 振り返れると信じて

生き抜いてやれ 昨日と明日の間
お前はLONELY WILD

LONELY★WILD / 布袋寅泰

生き抜いてやれ 昨日と明日の間を。
いつまでも、どこまでも、私はあなたの味方だ。

2023年10月24日 (火)

もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

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もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

数日前に書いて記事にある通りですが、仕事上の失敗で二男は結構なダメージを受けていました。
自分との比較は意味がありませんが、私は失敗が多く、もう数えきれないのが現実です。
覚えきれないというか、忘れてしまったが近いです。
しかし、その時の痛い教訓が活きている事もあります。

二男曰くは、1週間に二度も怒られる(改善の指摘を受ける)は、ショックな様です。

指摘を受けた、その事が自分でも認識がなかった模様です。

小学生の頃から、鼻歌が止まらない。
自分では歌っている認識がない。
ひとり言が、止まらない。
同じ職場の人は、話かけられているのか、ひとり言なのか困惑する。
この事を職場の別の方から本社宛に問い合わせがあり、本人が指摘されました。

アスペルガーが故の独特な事もあり、本人から初めてカウンセリングへ行こうかと考えているとの話がありました。

自分の気づかない事を教えてくれる誰かがいる。
客観的な指摘をしてくれる人がいる。
話を真剣に聞いてくれる人がいる。

そういう環境があるのは、大切であり、恵まれている事だと思います。
肉親は心配で、話が詰問調になったり、命令口調となる事があります。

日本経済新聞の1面コラム「春秋(2023年10月21日)」に、掲載された内容です。

20年ほど前、あるフリースクールを取材したことがある。ダンスを踊りながら覚える九九。絵の具まみれになって描く美術。よくあるのとはちょっと違う、でも子供が中心の教室だった。「どこから来たの」「僕らの記事を書くの」。子供たちからは質問攻めにあった。

子供らしい生き生きとした感じが、伝わってきます。
安心して、様々な事に取り組む環境があるのだと思います。

▼印象に残ったのが、社会の偏見を薄めたいと奔走する大人の姿だ。積極的に情報発信したり、行政との相談を繰り返したり。公教育の否定ではないんです、別の居場所が必要なだけ。そう懸命に訴え続けていた。多様な学びの場を認める教育機会確保法の施行は2017年。それは長く地道な努力の積み重ねの上にあるのだ。

人は学び、変わり、強くなって行きますよね
そして、強さは他人へのやさしさに変わります。

誰でもが社会の一員となって行く過程で、その関わり方は違います。

ミサイルのように急角度で飛び立てる人。
戦闘機のように早い人。
プロペラ機のように、ゆっくり、緩い角度で飛び立つ人。

▼滋賀県東近江市長がフリースクールを巡り、国家の根幹を崩しかねないと発言したという。「大半の善良な市民は嫌がる子供に無理してでも義務教育を受けさせようとしている」とも。そんな市民が大半だとも、善良だとも寡聞にして知らぬ。意見表明は自由だ。ただ時計が随分前に止まっていないかは気にした方がいい。

市長さんが幼い時と、決定的に違う事がひとつ。
昔と比較して、地域のコミュニティを保つ事が、とても難しくなっている事だと思います。
記憶にある事ですが、中学生の時、下校途中でケンカとなりました。
場所は畳屋さんの店の前。
大ゲンカとなりました。

その時、畳屋の親父が店から飛び出してきて「こんなところで、ケンカするんじゃねぇ」と怒鳴られました。
「ケンカするな」ではなく、「ここで、ケンカするな」です。
今なら、直ちに警察に通報されます。

他人の子供も、自分の子供も、地域の子供としての意識は極めて低くなっています。
何より、自分がそうです。
そして、狭い世界に親も閉じ込める事で、親も行き詰まります。
それが、虐待につながったりします。
地域のコミュニティで、いろんな事を自然と肩代わりしたり、担ったり、その世界が欠落しています。

▼子供に留守番をさせたら虐待、という目をむく条例案が飛び出した県議会もあった。公の立場にある人々が、安易に「親の責任」を言いつのる。それが当の子供たちをもどれほど傷つけていることか。学校へ行くのがつらい君たち、無理にがんばることはない。もしも励ましになるのなら、いくらでも応援の記事を書こう。

最後の二文節は、ジャーナリズムへの期待と気持ちが減退する自分の気持ちの中に、仄かに灯りがともりました。

2023年9月 5日 (火)

子供に謝りたい事。

Akatsuki189

不思議な夢を見た。

長男が近くにいる。
本人はこれまで坊主にした事はなかったが、夢の長男は坊主だった。
今は28歳の息子が、4歳前後の姿だっただろうか。

ケンシロウ君じゃないか。
今まで、呼んだ事がない呼び方で、私を呼んだ。
抱っこした感覚がある。
記憶を呼び覚ます、そんな感覚。

長男は20歳の時、肺の病気である「気胸」になった事があった。
入院して加療は長期となり、一度退院出来たが、再度の入院となった。
根治には手術が良いと勧められた。

本人は手術時の人工呼吸器が嫌で、手術はしたくなかった。
しかし、根治には手術が必要との事を、本人もわかっていた。

根治には手術が必要なら、私が「避けられないだろ」と言うと、本人は考えていた。
嫌だったと思う。

以前に小椋佳さんの話を読んだ記憶があった。
小椋佳さんは優秀な銀行マンであり、自分の子供にも部下に接する様にしていた事があったらしい。

部下と子供は違う。

子供は追い詰められる。
それまで、様々な経験を素地に話を聞く部下と、いろんな事が初めての経験である子供は違う。
小椋佳さんも、そうして子供を追い詰めた事があったらしい。

そして子供は、疑いなく親を信用する。

私がそう言うと考えていた息子に、申し訳ない気持ちになった。
とても可哀そうになった。
大学を卒業し就職する時に障害にならないかと考えた。
根治に手術が必要なら、今我慢した方がよいのではないかと考えた。

そこに、本人の気持ちはなかったのだ。
そんな事を、言えない様にしていたのだ。

そこから、私は何も言わなくなった。
自力で治す道を選択し、退院する事が出来た。
8年経過した今も再発はしていない。

不思議な夢と共に、そんな気持ちがよみがえった。

2023年5月28日 (日)

泣きすぎて、自分が水滴になりそうだ。

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小説や映画は、いろいろな人の人生を疑似体験し、その物語の中に引き込まれてゆきます。
私はハラハラドキドキする映画よりも、静かに淡々と進む物語が引き込まれやすい気がします。
非日常として疑似体験や、物語の傍観者となり溶けている思いが、何かの拍子によみがえる事があります。

映画「ムーンライト」の劇中のセリフです。

「泣きすぎて、自分が水滴になりそうだ」

こんなに切ない言葉があっただろうか…と思いました。
何か思い出すきっかけがあったのではなく、会社からの帰り道、運転中にふと浮かんだのです。

子供が習い事を始めるのは、4歳からとマスコミが報道していました。
時代背景が異なりますので、自分と比較は適当ではありません。
私は小学校に入学してまもなく、やむを得ない事情で書道教室へ通う事となりました。

自分の長男は、歌うことが大好きで、3歳からピアノを始めました。
二男は年少さんから、水泳でした。
水遊びの延長からで、選手を目指すという事ではなく、身体を動かす事が優先でした。

今、家庭の事情で習い事をしたくても、出来ない子も多いとの事。
学校で遊んでいた友達が、習い事があるから帰る…と言われた時のさびしさは私も経験があります。
小学1年生の間は、親に勉強しなさいと言われる事もなく、中学生になるまでは学習塾へも通っていませんでした。
書道教室は土曜日の午後で、憂鬱でした。
当時土曜日は半日授業でしたので、お腹は空くし、帰っても遊べない事は嫌でした。

そうして育ってきた私は、自分の子供にも強制はしませんでした。

でも、通いたくても通えない。
これは辛いと思います。
マスコミの報道は、習い事でいっぱいの毎日と習い事が出来ない境遇の子供を比較する内容でした。
子供はその事情を、家庭の事情を理解しています。

例えば3人で遊んでいて、その内2人が同じ習い事はあるから帰る。
しかも、ふたりは同じ習い事。
そんな時の疎外感は、たまらないです。
つまらないです。
ひとりぼっちです。
さびしいです。

私は習い事は嫌だったけれど、なんだかテンションが急に下がります。

なんだか孤独で、どうせ家は…というあきらめ。
環境が厳しくても、頑張る人はいます。
それを標準として、すべての結果を自己責任という便利な言葉で解決するのは乱暴です。

映画「ムーンライト」には、こんなセリフもあります。

「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」

映画のストーリーに触れるので避けますが、様々な事がひとつの面だけでない事を示唆します。
派手な映画ではないですが、ひとりの男性の人生を通し、いろいろ考える事と感じる事がありました。