旅行・地域

2023年10月30日 (月)

私の故郷にメロディーは、あるのでしょうか。

Akatsuki198

私の故郷にメロディーは、あるのでしょうか。

松山千春さん楽曲「人生の空から」
発売された当時、珍しい2枚組で4曲入のシングルの1曲でした。
この曲のイントロは特徴的で、FM放送で聴きましたが、すぐに心奪われました。

ジャケットの道路に座る松山千春さんの姿が、知らない北海道を象徴する道路の様子とは、勿論当時は知りません。
あれは、旭川辺りなのでしょうか。
自分で走り、なんとなくなるほど…と勝手に思う次第でした。

他に楽曲「帰ろうか」

帰ろうか 帰ろうか まだ寒い北国へ
だけどそこには 僕の愛した人がいる

帰ろうか / 松山千春

故郷を思う松山千春さんの、その風景が浮かびます。
北海道の広い道路を走りながら、その風景を思いました。
足寄という地名は「あしょろ」とは。なかなか読めません。

Akastuki196

中島みゆきさんのアルバム「Goodbye Girl」の終曲である「吹雪」
このイントロは迫力ですが、低い声で抑え気味に歌う中島みゆきさんに迫力を感じます。
また、作り手の意思は計り知れませんが、歌詞が様々な事を示唆していると、聴いている側に迫ります。

私は「吹雪」が雪の日に自分で運転して走った、積丹半島の国道の景色と重なりました。
当時、報道で注目された事があり、その事が余計にイメージを膨らませました。

疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて
静かになる日が来たら 予定どおりに雪が降る

吹雪 / 中島みゆき

Akatsuki199

贈答品として、「國稀」を買い求めに行った時の事。
留萌(るもい…これも読めなかった地名)地方の増毛町(ましけ…これも難しい地名)。
到着したのが、夕刻であり天気は雨となっていました。

ここは、映画「駅 STATION」 の舞台になったところ。
映画を観た頃は幼くて、よく物語も理解できませんでした。
改めて見直し、倉本聰さんの作品に唸りました。
物語なのに、人生の不条理を、男女の愛憎を。

鉄道は廃線となっていましたが、駅舎などは残してあるとの事で、立ち寄りたかったのですが間に合いませんでした。
でも、そこの空気を感じる事が出来たのは嬉しかったです。

Akatsuki197

竹内まりやさんの道ならぬ恋の楽曲、例えば「マンハッタン・キス」には絶対重ならない風景です。
「シングル・アゲイン」は、近いけれど利用された番組の影響で、岸壁の風が強い風景が浮かんでしまいます。
「告白」…。
ところで、竹内まりやさんの楽曲に、少なからず道ならぬ恋の楽曲が多いのはなぜでしょうか。

話がそれました。

転勤で札幌に住み、北海道各地を仕事で出かけていました。
それ以前に北海道へ行ったのは、道東に取引先との接待旅行ぐらいでした。

暮らして、すっかり魅了されました。
桜木紫乃さんの小説にもどっぷりと漬かり、多くの著作を読みました。

ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」の第2楽章。
私が小学生の頃に歌わされた「家路」とうい楽曲に編曲されています。
この第2楽章は、アメリカ滞在中のドヴォルザークが、インディアンの民謡や黒人霊歌にもヒントを得ているとの事。
楽曲を生み出す、その土地の環境は思いの中に影響される事が、あるのでしょうかね。

私の故郷にメロディーは、あるのでしょうか。

2023年5月 9日 (火)

人工的な音が聞こえない。

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札幌での生活はわずか2年でした。
最初の1年目は取引先への挨拶やらで、様々なところへ行きました。
移動には時間が必要な北海道です。
仕事以外にも休日を利用しても、そういろいろ行く事が出来ません。

残り1年は本州より早く流行した新型コロナウィルスの影響で、ほぼ軟禁状態でした。
しかし、わずかな時間でしたが北海道の魅力は、私を虜にしました。

テレビドラマの北の国からは言うまでもなく、倉本聰さんの映画やドラマで、その舞台の風景が記憶に残っています。
ロケ地巡りをしたのではありませんが、北海道の風景に酔いました。

札幌の別宅から事務所までは、歩いても行ける範囲にありました。
まだ実態もわからない新型コロナウィルスの流行で、地下鉄に乗る事も憚られる時に、徒歩で通勤しました。

その時々の風景は素晴らしく、歩くのが苦ではありませんでした。

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仕事では、誰もいない様なところに行く事も多いのです。
人工的な音が何も聞こえない。
人の気配がない。
こんな贅沢はないな…と思っていました。

単身赴任なので、帰宅してもひとりですが、別宅のマンションは人の出入りもあり、生活音もあります。
付近の道路を走行する車の音。
緊急車両の音。
そんな音がなく、人の気配がない場所はある。

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護岸工事をされていない川は、せせらぎの音が違う。
凍てつく空気が、空気として存在する。
そんな事に、とても感動していました。

Akatsuki170

桜木紫乃さんの小説が、より風景としてリアリティを持ちます。
高倉健さんの映画「駅 STATION」や映画「糸」など、北海道を舞台とした物語を求めて読んだり、観たりしました。
寿都町が文献調査の事で話題となり、中島みゆきさんの「吹雪」がそのイントロから、冬の積丹半島近く、日本海の風景に重なります。

帰京後、二男の卒業就職を前に、家族で北海道へ行きました。
単身赴任中は新型コロナウィルスの影響で、北海道へは来れなかったし、私が感じた魅力も伝えたかったのです。

Akatsuki168

降るような星空を観れなかった事。
ダイヤモンドダストを観れなかった事。
他にも魅力ある場所がたくさんあります。
思い残しがある方が、次の機会を作り出すと思っています。

身勝手で、そんな静けさを、時に感じたくなります。

2022年4月19日 (火)

自らを律するには、自らの心構えに他人の目も必要。

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先日、小田原を訪問した際に昼食をしました「だるま料理店」です。
開店後30分ぐらいで伺いましたが、大行列でした。

少し入口で待っている間に、フト上を見上げました。
そこには達磨様が鎮座しておられました。

達磨様には大変失礼ですが、見つけられた事がうれしくてパチリと撮影しました。
始めてでしたが、お料理も大変美味しく頂きました。

だるま料理店 https://darumanet.com/

先日、緑内障の診断をされ、治療が始まる事から地域の中核病院へ行きました。
その病院の診療代の会計は自動精算機です。
最近、この生産方式が増えました。

自動精算機の上に、番号が表示されたら精算して下さいと案内があります。
電光掲示板に自分の番号が表示されるのを、みんな黙って待っています。

自分の親父より、まだ年上と思われる先輩が、おもむろに精算機に近づいて行くのが視界に入りました。
画面の表示と格闘しています。
しばらくして、うまく行かないので近くにいた事務員さんに声をかけます。

「ちょっと、うまく出来ない」ともう少々イライラ気味。
事務員さんが覗き込みます。
「ああ、これ上の電光掲示板にお手持ちの番号が表示されたら、お支払いが可能となるのです」
と、言ったところで大先輩は待てません。
「だから、どうすればいいんだ!」
フロアーでカンツォーネぐらい、大きな声です。

みんなの視線が注がれます。

事務員さんは恐縮しながら「ここにですね、番号が出たら…」と言っていますが、大先輩は掲示板には目もくれません。
…と、話している時に掲示板に番号が表示され、会計が実行できました。
大先輩は何事もなかった様に、正面玄関へと歩いて行きます。

緑内障の治療を始めなければならない50歳も半ばとなると、いろいろ図々しい部分が出てきます。
大先輩の様に初めて見る機械の操作方法がわからない場面では「すみません、これどうやるの?」と聞けてしまいます。

PCはMS-DOSの頃から、その仕組みに慣れ親しんだので、少しは自信があります。
でも、この世界の技術は日進月歩です。
スマホアプリの利用方法なんて、子供達にはかないません。
世の中で、そのスマホアプリが果たす役割が理解できても、操作がよくわからない事もあります。

ある規模の企業では、責任者となれば様々な事をたくさんの人が助けてくれます。
おもんばかって、いろいろ配慮してくれる事もあります。

でも、そういう立場を終われば、市井の一人です。

産まれた時に何も身に着けてはいません。
亡くなる時も、あの世へもって行けるものはありません(多分)。

恥の上書きを続ける毎日ですが、世間様が見る自分の姿を意識しておいた方がいいと考えています。
好々爺になれるかどうか、それを求めているのかどうか、自分でもよくわかりません。
それは、これからの生き方がきっと大きく影響します。

自らを律するには、自らの心構え。
そして。他人の目を意識する事は少なからず、社会の一員として大切ですね。

社会で孤立、孤独になって行くのは、そんなところにも原因があるかもしれません。
自分が自分らしく生きる。
言葉では簡単ですが、人の世のしがらみは、それを許してくれない場面があります。
なかなか難しい事と思うのです。

どこからか、視線を感じる…。
屋根から達磨さんが、見ていました。

2021年3月12日 (金)

ふるさと。

毎日通る道は、風景そのものが当たり前になります。
毎日のその道に、新たに建設の工事をしている事を気づくと、それ以前はここに何があっただろうと思い出せない事があります。
関心がないと言ってしまえばそれまでですが、歩くその場所に差し迫った危険がない事の証です。
だから、風景の移り変わりに関心がわかないのだと思います。

その場所と記憶が結びつく事は多々あります。

小学生の頃、仲が良かった友達と取っ組み合いのケンカになった場所。
悔しくて、泣き出しそうなのを我慢して、自転車を押したあの坂道。
運転中にコールされ、道路の端に車を寄せて応対したクレーム電話の場所。

この場所で、こんな事があったと、思い出す場所があります。

東日本大震災で町が消失。
今、そこにあった生活が忽然と消える。
よみがえった新たなその場所は、なかなか消える前の同じ場所とは認識が出来ない。

その場所、その場所の物語があります。
だから、一瞬にして物語も、思い出も持ち去られてしまう事は辛い。
まして、そこに生活する人が、自ら望むわけもなく、さよならも言わずに去ってしまう。
筆舌に尽くしがたい事です。

我々はこんなにも、その土地、その場所と結びついているのだと思います。
生まれた場所でなく、ここが故郷、ふるさとと思える場所は、そうして作られて行くのですね。

テレビ番組「ポツンと一軒家」のファンでよく見ています。
不便で生活が大変な場所も、その場所への愛着があり、皆そこを離れません。
そこに自分の人生と、人生の様々な事と重なる原風景があるのだと思います。

玄関の三和土の傷。
柱の色やドアの取っ手。。
電灯のスイッチの場所。

思い入れが強いからこそ、そこへは二度と行きたくない。
そんな場所も存在します。
そんな場所になってしまう事もあります。

ドラマ「北の国から」が連続ドラマが終わり、最初の特番となった「北の国から'83冬」。
笠智衆さんの演技が圧巻です。

そのドラマの中で、中島みゆきさんの「異国」が流れます。
逃げる様に去ったけど、やはり最後は故郷に戻ってきた人と。
もう、故郷を捨てなければならない、ここへは戻れないという人と。
いつまでもここが故郷だとやさしく迎え入れる人と。

悪口ひとつも自慢のように
ふるさとの話はあたたかい
忘れたふりを装いながらも
靴をぬぐ場所があけてある ふるさと

異国 / 中島みゆき

帰る事はかなわない。
帰りたくても帰れない。
帰りたくない。

今日の朝の通勤時。
信号待ちで少し私の前にたった人は、信号機ではなく、遠くの空を見ていました。
私も同じ方角を見上げました。

その時私は、故郷の風景との違いを思いながら、信号機のその先を見つめていました。