見えるものを使って、見えないものを志向する芸術。
何故なら、美術とは、見えるものを使って、見えないものを志向する芸術だからだ。
(武蔵野美術大学教授)
2024年8月2日日本経済新聞「プロムナード」 新見隆 アートの本義
いつも興味深く読んでいる、日本経済新聞のこのコラムに、今日もまた唸りました。
作品を作る側は、自らの意思をその表現物に投影し、かたちあるもを創造します。
それは、洞窟に人類が住んでいる頃から行われている作業で、遺跡の中で作った人の意思と、今を生きる我々が製作を行う動機に大きな違いがないと思います。
人が生き続けているその時代に、必ず流れる、流れている、人が生きていた、生きている、その命脈です。
自らの思いを、心を投影し作品とする。
作品を観て、その思いを感じ取った人は、感じ取れた人は、感動するのだと思います。
それが、時として作者の意図とは異なる誤解であったとしてもです。
作る側と受ける側が同じでは、作る側に新しい発見はありません。
これまで生きてきた人生が違うのです。
これまで感じてきた事が違うのです。
同じである事がないです。
同じであるはずがないです。
洋楽の英語は全部理解出来ない事が殆どです。
でも、メロディだけでなく、心が動く事があります。
歌い方であったり、楽器の使い方であったり。
何故なら、美術とは、見えるものを使って、見えないものを志向する芸術だからだ。
この言葉に同意し、唸ってしまいます。
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