恋愛

2023年10月26日 (木)

恋に恋する頃の、小学6年生が聴いたなら。

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恋に恋する頃の、小学6年生が聴いたなら。

現在は知らないのですが、小学6年生の音楽の授業で、グリーグのピアノ協奏曲イ短調作品16を聴く授業がありました。
短い授業時間なので、第1楽章だけで、それも中盤まで。
その時、初めて聴きました。
授業時間の事もあり、全部という事にはいかなかったですね。

印象的な楽曲ですから、記憶に残っていました。
ただし、その冒頭部分だけ。
そして、この楽曲が忘れられなくなるのは、その少し先の事です。

SONYのウオークマンⅡのCM曲に使用したのです。
あっ、これ。
小学生の頃から、使わずに使用していたお年玉を使って、そのウオークマンを購入しました。
新宿のお店で格安で販売される事を、おふくろが教えてくれた事も覚えています。
特売のピンクの台紙だったチラシまで、なぜか覚えています。

このウオークマンにデモテープが付属していました。
それが、CMでも利用したグリーグのピアノ協奏曲イ短調作品16だったのです。
テープには、第1楽章の中盤部分までが入っていたと思います。

魅了されました。

すぐに探しました。
FM放送の番組表で、オンエアされる日を見つける事が出来ました。
心待ちににし、カセットで録音の準備をします。

第1楽章は、こう続いてゆくのか。
第2楽章の甘美なメロディー。
第3楽章の壮大な終わり方。

繰り替え返し聴きました。

6歳下の妹まで、この楽曲が教科書にあり、授業で聴いたそうです。
習い事としてピアノもやっていた妹は「短調の曲は暗いから…」と好きでないと言っていました。

授業には、時間制限と必修の事項がある事は承知の事です。
50分の授業でなら、全曲を聴く事が出来ます。

例えば、第2楽章は好きな人の事を思いながら、聴いてみて下さい。
…と言って聴かせたら、どう感じるか。
この第2楽章はグリーグが新婚生活の中で、充実した毎日を過ごしながら作られたそうです。
それなら、そういう前置きをして、恋に恋する頃の小学6年生に聴かせたなら、感じ方が違うと思います。
この第2楽章は効くと思います。

ベートーヴェンの運命も、第1楽章だけでなく、闘争からの勝利となる第4楽章までを聴かせると印象が変わると思います。
ヴィヴァルディの四季も、春だけでなく、夏や冬を聴く事で、授業というイメージが薄くなると思います。
今でも、様々な映画やドラマ、番組でアレンジが異なるをものを含め使用されています。
そこから音楽へのイメージが膨らみ、変わる事が、とても人生を豊にすると思うのです。

授業が様々なきっかけとなるならば、音楽の授業は感受性の豊かな人を育てる、所期の目的を達成できます。
文部省さん、どう思います?

恋は、人をいちばん成長させるそうですよ。

2023年10月 3日 (火)

愛だけじゃ お腹がすくから 早く大人になって 強く抱きしめて。

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愛だけじゃ お腹がすくから
早く大人になって 強く抱きしめて

こごえてるキスが 不安だから
早く大人になって 強く抱きしめて

LITTLE DARLING / レベッカ

レベッカのアルバム「BLOND SAURUS」の一曲です。

このアルバムが発売された時、社会人になる少し前だと思います。
この歌詞に、現実に生きて行く、その現実を感じた覚えがあります。
大切な人と生きてゆくには、絵空事だけではダメな事。
社会に出る前に、享楽の宴が終わる予感があったのかもしれません。

モーツアルトのピアノ協奏曲第21番の第2楽章の美しいメロディに心奪われたの先です。
これが「みじかくも美しく燃え」という別名で表記される事があり、その映画へと引き寄せられました。

映画は制作されたのが、自分の誕生年と重なります。
物語の主人公は、とても美しい。
また、背景の景色はどこをとっても、いちいち美しい。
まるで絵画の様で、舞台のスウェーデンへ行ってみたいという気持ちになりました。

劇中で使われているモーツアルトのピアノ協奏曲は、とても印象的です。
別名で表記される事がある事を、理解できます。
他にヴィヴァルディの「四季」の「夏」が記憶にあります。

しかし、美しい景色が、美しい主人公が余計に引き立てるのかもしれませんが、物語が進むにつれて苦しくなってきます。
それは徐々に、逃げ場を失い、追いつめられてゆくふたりの焦燥感が伝わってくるからかもしれません。
演じているふたりが上手なのでしょうか。

私には結末は、不愉快でした。

愛だけじゃ お腹がすくから

LITTLE DARLING / レベッカ

この歌詞と、この映画への思いが、どこで結びついたのか覚えはありません。
映画の様な道なき恋には、幸い落ちる事はなかったので、どこまでも他人事なのですね。

このレベッカのアルバム「BLOND SAURUS」が発売された頃、私の恋は終わりを告げていました。
ふられました。

もう忘れて、新しい恋に邁進だと考えていた私には、このアルバムの楽曲「Vanity Angel」が響きました。
この楽曲のリズムと音階を上がるキーボードの音、途中のギターソロ。
「さあ、進もう」と、とても心地よかったです。

恋の話は、埃をかぶった記憶です。

2023年9月 8日 (金)

仲の良い夫婦は、顔が似てくる。

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私たち人間が、他の生物と異なるのは、それぞれ違う人同士でも物語を共有できるからだ。
目の前にある現実が、やがてこうなると理解し、その物語を信じていれば今だけでなく、これからを見据えて生きる事が出来る。
…と、ユヴァル・ノア・ハラリ氏のホモデウスに書かれていたと思います。
引用ではなく、私の理解の範囲であり、一部分の要約です。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著作は、いつも新鮮な驚きや新しい発見や理解があります。
読み進めるのに時間が必要ですが、好んで読んでいます。

じつを言うと、経験する自己と物語る自己は、完全に別個の存在ではなく、緊密に絡み合っている。
物語る自己は、重要な(ただし、唯一のというわけではない)原材料として私たちの経験使って物語を創造する。
するとそうした物語が、経験する自己が実際に何を感じるかを決める。
私たちは、断食月の間に断食するときと、健康診断のために食事を抜くときと、お金がなくて食べられないときとでは、空腹の経験の仕方が違う。
物語る自己によって空腹の原因として挙げられた意味次第で、実際の経験も大幅に違ってくるのだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ / ホモ・デウス(下巻)

こちらは引用です。

新・ドキュメント太平洋戦争は、その時代を生きた方々のエゴドキュメント(その時代を生きた人々の日記や手記)を時間軸として構成されています。
世間で起きた事象を、前述の引用の通り、そのおかれた環境下で異なっています。
経験から物語が作られますが、その物語は同じものがありません。

こうして書いているブログも、2023年の…なんて、個人の所感から検証され、構成される日が来るのでしょうか。
デジタルの記録は、その時代より多くの証言や所感をまとめられる事と思います。
発言が容易であり、誰の言葉かわからない。

人と人が理解しあうのは、大変な事だと、こういう論拠からも思います。
国が違い、文化が違う事からは勿論、言葉が違う事も、理解のための障壁となります。

仲の良い夫婦は、顔が似てくると言います。
同じものを見て、同じように笑い、哀しみ、喜ぶ。
共通の出来事が増える事によって、価値観が同じに近づいて行きます。
それを別の表現で、顔が似てくるというのでしょう。

夫婦に限らないと思います。

恋人同士が別々の場所から、空を見上げて同じ月を見て「きれいだね」と言えるのはわずかな時間です。
互いに理解しあうのは、時として傷つく事があり、気づく事があり、その先なのだと思います。
これは、なかなかシンドイ作業です。
なぜなら、誰も傷つく事など、望んでいませんものね。

2022年10月29日 (土)

物語の初恋も、現実の初恋も、実らない事が多い。

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映画「銀河鉄道999」は、当時小学生6年生で大人の入り口と子供が交じり合う、その時期でとても印象に残っています。
松本零士さんの主要キャストが勢揃い。
キャプテンハーロックにエメラルダス。
ヒーローの活躍と、鉄郎のメーテルに対する淡い恋心と、映画の最後にあるとお別れ。

別れの時、メーテルが鉄郎に語りかけます。

私はあなたの青春の幻影。
私があなたの目の前にたっても、あなたは私に気づかないでしょう。

二度と会う事が出来ない事を示唆するこの言葉に、胸が締め付けられます。

そして、汽笛が鳴り999は走り出します。
蒸気機関車の走り出し、車輪の滑る音や、その全てがたまりません。

青木望さんの美しいメロディは、鉄郎がメーテルの名前を叫ぶのと同時に最高潮となります。
野沢雅子さんの真骨頂です。
流れて行く999と鉄郎の感情爆発が、青木望さんの楽曲と重なります。

空に消えて行き点になる999。
見つめる鉄郎。
そこに城達也さんの素敵な声で、少年の日々が終わるとのナレーションが入ります。

城達也さんのナレーションと青木望さんの楽曲が余韻を残して終わります。
すると、ゴダイゴの主題歌となります。

鉄郎が線路を最初にトボトボ歩き、やがて走り出します。
これ、初恋が成就せず諦めるけど、新しく頑張って行こうという感情と、どこか同じだと思うのです。
ゴダイゴの銀河鉄道999の歌詞もピッタリです。

まさしく青春の幻影。
そして、新し旅立ちです。

原田知世さんが初主演した映画「時をかける少女」。
バリバリのヘヴィメタルだった私が、一瞬で心奪われてしまいました。

物語の中、原田知世さんは未来から来た高柳君に淡い恋心を抱きます。
でも、高柳君は未来に帰らなければならない。
互いに同じ思いを抱えながらも、未来から来た秘密を知った原田知世さんの記憶を消さなければならない。
その時、原田知世さんは「忘れない…」というのです。

そして、約10年前後が経過したと思われるその時、ふたりは再会します。
わずかな記憶がよみがえる、そんな雰囲気が醸し出されます。
その時流れている楽曲名は「いつかどこかで」。

なぜ知っているか。
隠れるようにしてサウンドトラックを買ったからです。
サウンドトラックは映画の場面入り、台詞入りです。
原田知世さんにうっとりです。

話がそれましたが、忘れないと思う気持ちに、高柳君と同じ(多分)薬剤師を志す。
再会をした時、なぜか、どこか、懐かしい気持ちが湧きあがる。
どこかに残る初恋の思い。
原田知世さんの「忘れない…」が思い出されるのです。

そして、これ以上に切なさを感じるのが北の国からの初恋です。
互いを意識し、恋が芽生える、そして別れが来る。
子供にはどうしても、どうする事も出来ない事情。
追うこともできず、やるせない気持ちが、ただ残ります。

雪の中、静かに残る思い。
尾崎豊さんのI Love You が響きます。

初恋は実らない、その物語が多いと思うのです。

しあわせのランプ(Chapter2) ナラタージュ

2020年12月31日 (木)

弦楽六重奏曲は人が恋する思い。

手術後の経過は順調で、診察をした医師からは経過観察へ移る事を説明されました。
おかげさまで転移もなく、今目の前に迫る危機は去りました。

ひと安心です。

ここまでも一連の事を思い起こし、先ずは本当に小さな病変に気づいてくれた妻に感謝です。
私が同じ事に気づく事が出来たのかと思うと、自信がありません。

「マチネの終わりに」の事をフト思い出しました。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。
だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。
変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。
過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?

マチネの終わりに / 平野啓一郎

この事をこれから先と、それを未来に思う時、どう変化するのだろうと思いました。
私自身とこの過去の出来事です。

ここ最近はブラームスの弦楽六重奏曲が、お気に入りでよく聴いています。
同曲はブラームスが。生涯叶わぬ恋として思いを寄せたクララ・シューマンから気持ちが揺れた時期。
アガーテ・フォン・ジーボルトとの恋が燃え上がった時期に前後するとの事。

第1番は特に恋する喜びや切なさが、そこここに散りばめられている。
その喜びが伝播する気さえします。
しかし、第2番の第3楽章になると、何か切ないとは違う、心配な影が忍び寄ってきている事を感じずにはいられません。

ブラームスとアガーテは婚約をしますが、その婚約は破綻します。

弦楽六重奏曲の第1番は作品18、第2番は作品36といずれも若い時期の作品です。
以後、この弦楽六重奏曲は作曲されていません。

ブラームスは未来から、過去自分の作品を見たのでしょうか。
未来は過去を変えたのでしょうか。
それが弦楽六重奏曲を以後は作曲しなかった理由なのでしょうか。

花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中で、もう同じ蕾じゃない。
音楽は、未来に向かって一直線に前進するだけじゃなくて、絶えずこんなふうに、過去に向かっても広がっていく。

マチネの終わりに / 平野啓一郎

この言葉に弦楽六重奏曲を作曲した頃のブラームスの気持ちを思います。
平野啓一郎さんのこの表現は素晴らしいです。
初めて小説を読んだ時は唸ってしまいました。

私は第1番に恋の華やかさを感じ、とても好きです。

私は人生の次のステージの扉を開けたと感じています。