「条件」という点、「歳月」という面。
ドッキリ番組でよくある企画です。
比較的若い夫婦にドッキリを仕掛け、旦那さんが長年応援しているアイドルと突然出会ったらどうなるか、その様子を奥さんがモニターで見守ります。
しなだれかかるアイドルに、旦那さんはどう対応するか。
見守る奥さんもドキドキしている。
しかし、彼女はこう言い放ったのです。
「私との時間の方が長く、重い」
この潔い言葉に、本物の関係の姿を見た気がします。
大学時代はバブル全盛期。
同じクラスに、まさにブランドが歩いているような友人がいました。
歩くとジャラジャラという音が聞こえてきそうなほど。
互いに恋愛対象外だったので、かえって気軽に話せる関係でした。
しばらくして紹介された彼女の彼氏は、フェラーリに乗っているわけでも、コム・デ・ギャルソンを着ているわけでもありませんでした。
「話していた理想とは、ずいぶん違うね」と私が言うと、彼女は答えました。
「浜辺でさ、私をお姫様抱っこして、本当に嬉しそうにくるくる回ってくれたんだよね。その顔を見ていたら、なんか、もうそれでいいかなって」
それまでのステータスへのこだわりが、霧散した瞬間でした。
私たちはつい、結婚相手や人生に対して「出来上がったもの」を求めてしまいがちです。
条件、環境、あるいは性格の一致……。
最初から自分にぴったりの「完成品」を探し、それを利用しようとしていないでしょうか。
けれど、既にあるものは、人生の一部に過ぎません。
諸行無常のこの世において、形あるものがいつまでもそのままであることはありません。
もし、条件という「形」が失われてしまったら、二人の価値まで損なわれてしまうのでしょうか。
振り返ってみれば、私たちが今手にしている平穏は、最初からそこにあったわけではありません。
結婚当初は生活も苦しく、あらゆることを工夫しなければなりませんでした。
二人で知恵を絞り、生活の形を「作り上げて」きたのです。
何を選んだかではなく、共に何を創ったか。
条件という「点」ではなく、積み重ねた「線」が、やがて豊かな「面」へと広がっていく。
利用する楽しさよりも、作り上げる楽しさ。
そう考える方が、人生はきっと楽しい。
それは、「何を食べるか」よりも「誰と食べるか」でおいしさが変わる。
そんな真理に似ている気がするのです。









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