心と体

2024年9月 1日 (日)

おじちゃんは、おばちゃんを愛してたんや!

Akatsuki208

薬師丸ひろ子さんの「Wの悲劇」と、原田知世さんの「天国に一番近い島」は同時上映でした。
二本立て…懐かしい響きですね。

「Wの悲劇」は力作。
物語もドラマチックで、見応えがありました。

しかし、私は「天国に一番近い島」が真打です。
「Wの悲劇」が先でしたが、立ち上がって帰る人は殆どいなかっと思います。

この映画で何より印象に残ったのは、原田知世さんではなく、乙羽信子さんでした。
演技は秀逸であり、それ故にとても印象に残っているのです。
乙羽信子さんの役柄は、太平洋戦争で夫を亡くした未亡人役でした。
映画では南太平洋の夫が戦死した海へ、献花に行くシーンです。
その海域で「お国の貴金属供出にも出さなかった」指輪を「あなたにもらったものだから、あなたに返します。私だったと思って下さい」と海に投げます。
そこで、同乗している女性が問いかけます。

教えて下さい。
39年も経って、それでも忘れないっていうのはなんなんですか?

それはこんなお婆さんが言うと恥ずかしいんですが、愛ですわ。
それとも自分自身の誇りかしら。
誰かを好きになった。
その事への人間としての誇りね。
うまく言えないけれど、愛ってそういうもんじゃないかしら。
誰かを愛した。
その時の自分の心だけは決して忘れちゃいけないわね。
愛って結局は自分のための物語ね。

映画「天国にいちばん近い島」より

当時、私はこのシーンで涙が止まりませんでした。
誰かを愛するという事の崇高さ、愛し、愛される事が、人の誇りとして、人が生き続ける理由になる事に感動しました。
愛される事も、愛し続ける事ができる事も羨ましく、素晴らしいと思いました。
高校生に何がわかる…というところですが、本当に私は感動したのです。
周りに泣いている人がいるかどうかは、確認もしませんでしたが…。
多分…いないですよね。

先日、日本経済新聞の夕刊コラム「プロムナード」を読んで、この事を思い出しました。

その日の海は荒れていた。叔母は元気な声を絞りだすように、生前の叔父について話を始めた。

「おじちゃんはなあ、私がご飯を持っていかないと食べなかったんや。
他の家族が持っていってもダメで、私の時だけ食べたんや。
おじちゃんは、おばちゃんを愛してたんや!」。
そう言ったあと、うわーんと豪快に泣いた。

愛してた。その一言に、私は完全に心が射抜かれた。

おばちゃん、最高だね。
いまそう言えるおばちゃんも、愛がある二人の人生も最高だね、と私は言った。

川内有緒 荒れた海で愛を叫ぶ
2024年8月31日 日本経済新聞

グッとこらえました。

2024年8月17日 (土)

もう一つの光。

Akatsuki209 

Linkin Parkの楽曲は、アルバム「Hybrid Theory」「Meteora」「Minutes To Midnight」に心奪われた事から始まりでした。
それも取引先の社長と音楽談義となり、Linkin Parkを紹介してもらったのです。
歳と共にクラッシック音楽を聴く機会が増えていました。
ところが、しっかりとハマってしまったのです。

「In Pieces」「The Little Things Give You Away」はハートを鷲掴みされました。

アルバムは発売され、その都度で評論家やファンからの賛否両論はありましたが、私はどれも好きです。
自らの音楽を極めて行く…そんな道(書や武道の様に)を求める姿勢が好きで、そこから生み出された楽曲やアルバムは聴き応えがありました。

このブログの記事でも、楽曲についていくつか記事を書きました。
そんな中で、どうしても、この楽曲への思いを記事にしたくて、チャレンジしました。

自分がひとりぼっちだ…と思うのは、誰もいない夜明け前の海にいるよりも、たくさんの人がいる場面の事が多い気がします。

なんとなく、今そこにいる仲間や人々の会話に入れないとか、ついて行けないとか。
周りにはたくさん人がいるのに、誰も自分の存在に気づいていない、気にしていないとか。
あの人の周りには、いつもたくさんの人がいるのに、どうして自分はいつもひとりなんだろうと考える時とか。

どうせ、自分の哀しも、苦しみも、孤独もわかってくれない。
そう思う時…。

Who cares if one more light goes out
In the sky of a million stars
It flickers, flickers
Who cares when someone's time runs out
If a moment is all we are
Or quicker, quicker
Who cares if one more light goes out

Well I do

もうひとつの灯りが消えたところで誰が気にするものか
空には百万も星があって
チカチカ瞬いているんだから
誰かの時間が尽きたって、誰も気にしないさ
俺たちが刹那な存在でしかないなら
いや、もっと早い、もっと短い
もうひとつ灯りが消えたって気にするやつはいるか

あぁ、俺がそうだよ

Linkin park / One More Light
出典アルバム「One More Light」より対訳 染谷和美

たくさんの人がいる中で、こんなちっぽけで、孤独な自分が消えたって、誰も気にする人などいない。
自分の存在なんて、そんなものだ…。
誰が、自分の存在を気にするか!
そう思う日が誰にでもあるだろう。

そんな時、そばにいて「俺は気にするぜ」
そう言ってもらえたら、どれだけ気持ちが和らぐだろう。

*文章中は敬称略としております。

2024年8月13日 (火)

見えるものを使って、見えないものを志向する芸術。

Akatsuki209

何故なら、美術とは、見えるものを使って、見えないものを志向する芸術だからだ。

(武蔵野美術大学教授)

2024年8月2日日本経済新聞「プロムナード」 新見隆 アートの本義

いつも興味深く読んでいる、日本経済新聞のこのコラムに、今日もまた唸りました。

作品を作る側は、自らの意思をその表現物に投影し、かたちあるもを創造します。
それは、洞窟に人類が住んでいる頃から行われている作業で、遺跡の中で作った人の意思と、今を生きる我々が製作を行う動機に大きな違いがないと思います。
人が生き続けているその時代に、必ず流れる、流れている、人が生きていた、生きている、その命脈です。

自らの思いを、心を投影し作品とする。
作品を観て、その思いを感じ取った人は、感じ取れた人は、感動するのだと思います。
それが、時として作者の意図とは異なる誤解であったとしてもです。
作る側と受ける側が同じでは、作る側に新しい発見はありません。

これまで生きてきた人生が違うのです。
これまで感じてきた事が違うのです。

同じである事がないです。
同じであるはずがないです。

洋楽の英語は全部理解出来ない事が殆どです。
でも、メロディだけでなく、心が動く事があります。
歌い方であったり、楽器の使い方であったり。

何故なら、美術とは、見えるものを使って、見えないものを志向する芸術だからだ。

この言葉に同意し、唸ってしまいます。

2024年8月12日 (月)

余分なものをそぎ落とし、シンプルになるほどに迫力増すものがあります。

Akatsuki208

余分なものをそぎ落とし、シンプルになるほどに迫力増すものがあります。

Linkin Parkのアルバム「A Thousand Suns」に収められている「The Messenger」
このアルバムが、従前のLinkin Parkのアルバムと大きく異なるので、賛否両論。
私は好きなアルバムです。

そのアルバムに含まれている楽曲「The Messenger」
余分なものをそぎ落とし、シンプルになるほどに迫力増すものがあります。
その典型的な楽曲だと思います。

When you suffered it all
And your spirit is breaking
You're growing desperate from the the fight
Remeber your love
And you always will be
This melody wii always bring
You right back home

When life Leaves us blind
Love, keeps us kind
When life Leaves us blind
Love, keeps us kind
It keeps us kind

十分苦しんできて
心がくじけそうなとき
戦いからの絶望がどんどん大きくなる
忘れるな、お前は愛されている、これからもずっとそうだ
このメロディがちゃんと家に連れ戻してくれる

人生に光を奪われても
愛があればやさしくいられる
人生に光を奪われても
愛があればやさしくいられる
やさしいままでいられる

出典:Linkin Park アルバム「A THOUSAND SUNS」より「THE MESSNGER」
対訳:網田有紀子
*敬称略

近頃、よく聴く楽曲は思い返すと、こういう勇気を与えてくれる楽曲が多くなった気がします。
Linkin Parkの楽曲は、苦しみや哀しみから生まれたと思われる楽曲が多く、その中に希望が見える楽曲があると、やさしさと強さを感じるのです。
同じように近頃よく聴くようになった「U2」
同じ動機と気持ちで新たにシビレています。

胃痛と闘う私の応援歌です。

The Messenger - Linkin Park (A Thousands Suns)

2024年8月11日 (日)

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

Akatsuki208

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

この世に発表された作品は、様々な評価を受けます。
今の日本では、その評価を自由に発言出来る。
この事はいい事だなと思います。
でもやっぱり、公共の福祉に反しない範囲は大切です。

「公共の福祉」という言葉を、中学3年生の公民の授業で学習した記憶があります。
日本は自由な発言や表現が可能だけれど、「公共の福祉」に反しない事が大切。
学習した頃は「公共の福祉」とは、その自由を阻害する要因にならないとか、誰かが傷つかないとか、そんな記憶があります。
授業中にオナラをした人がいて、「臭すぎて、公共の福祉に反する」と誰かが言って、笑った覚えがあります。

映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」をサブスクで観ました。
公開当時、泣けるがプロモーションに多用されていたと思います。
特攻に絡めて、誰かが亡くなる事で、涙するとか、感動するとか、ちょっと残念な気がしていました。
年の候だけ、書籍や様々な作品で事実に触れ、記念館で現物を見て、その時の所感があります。
齢を重ねるにつれ、誰かが、特に若者が亡くなる事が、とても辛い事です。
だから、死が、誰かが亡くなる事が、それが生きている事の実感につながるなら、それはさびしい事だと思うのです。

映画を観てから、作品に対する印象が変わりました。
現代からタイムスリップする人が、当時の事を当時の人々に「なぜ、そうしなければならないのか」と問います。
当時を生きた人々が、矛盾とわだかまりを抱えながら、様々な思いを抱えながら、折り合いをつけてその時を生きていたと思います。
これは、日本で今を生きる我々が考えなくてはならない命題だと思います。

この映画を観たと妻に話したところ、前述の様な「冷ややかなお話でしたよ」と言われてしましました。
素直に印象が変わった事を伝えました。
この記事の源泉はそこです。

この映画を観る観点で、様々な評価があると思います。
史実に忠実なのか、セットなど時代考証に誤りはないか、演技は、台詞は、ストーリーは?
公共の福祉に反しない範囲で、様々な評価があっていいと思います。
タイムスリップで出会った男女が恋に落ちる…という単純な映画ではないと私は感じたのです。
今を生きる我々に問いかけてくる命題を、映画を観て感じたのです。

鑑賞した人、それぞれの思いでいいですね。

知覧の記念館を訪れた事があります。
ビジネスの合間で、取引先の方と一緒に訪問しました。
その方は取引先の代表者で、女性でした。

記念館の様々な資料を見て、大粒の涙をこぼしていました。
当時、自身のお子さんと同じ年齢、あるいはそれよりも若い人たちが残した手紙に、母としても悲しいと言っていました。

あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。

2024年8月10日 (土)

誰も自分の事知らない世界へ、行ってみたい。

Akatsuki208

誰も自分の事知らない世界へ、行ってみたい。

この感情は、人間関係に疲れていたり、自らの実力を本当に試してみたいと思う時に呟く言葉だと思います。

昨今は柔軟な対応が示されますが、1990年からサラリーマンとなった自分には、転勤は当たり前でした。
同じ営業部にいた後輩が、転勤となる時の事です。
その後輩は、公私ともに賑やかな人物でした。

彼の転勤に際し、当時の上司が言った事が記憶にあります。
「この転勤の機会に、自分自身をモデルチェンジしてバージョンアップしなさい。行く先の人は、君の事を知らないのだから」

これは確かに機会だなと思いました。

昨今、恋人同士が不幸にして別れても、相手の動向を知る手段が残される事があります。
東京に住んでいたおじさん世代は、卒業すれば相手の事はわからなくなるし、住む場所が変われば行方知れずです。
ふられて未練があったとしても、わからなくなってしまえば、心の整理も楽で次へ進めます。
次はもっといい人が待っていると、根拠のない希望も生まれる事もあります。

しかし、今は気になれば確認できる環境がある。
これは様々な意味で、辛い事があるなと私は考えてしまいます。

心に湧き上がる疑問、後悔、思い出等々、繰り返し考えてしまう事があります。
過去は変える事が出来ません。
答えが出ない事がたくさんありますが、答えが出ない事も答えだとわかるのは、ひと回りしてからです。

松任谷由実さんの楽曲に「幸せはあなたへの復讐」という楽曲があります。
タイトルの通りですが、そこには以前との比較があります。
それがエネルギーになるなら、一時はそのエネルギーを借りてもいいと思います。
でも、比較の範囲は前の人の事がついて回るので、歌詞の通りです。

いつかあの思い出が
ほかの記憶と同じ色になってゆくまで

幸せはあなたへの復讐 / 松任谷由実

いつかの思い出を忘れてしまう、そんな幸せがきっと待っています。
その時、あの悲しみは、このしあわせのためのレッスンだった。
きっとそう思えると思います。

誰も自分の事知らない世界へ、行ってみたい。
それよりも、早く断ち切ってしまう方がいい。
別れた人が、しあわせになっていても、たまたま不幸でも、もう心を砕く必要はないのだから。

2024年8月 8日 (木)

人間関係の難しさ。

Akatsuki208

人は分かり合えると私は思うが、現実の世界ではなかなか難しい。
今、世界で起こっている争いが、果てしなく続いている時に、この事が説得力を持つアイデアは思い当たらない。

仕事でも、特に利害の絡む仕事だからこそ、様々な思惑が多方面からあり、それを一致させるのは非常に難しい。
乱暴な話であるが、仕事が出来上がるという事は、この利害の調整が妥協や打算で、落ち着きどころを見出す事だ。

人間関係も様々な事がある。
同じと思っていた事が、違う事もある。
積み重なった思いが、ある違いを見出した瞬間に不満となって爆発する事もある。

分かり合えないと思った瞬間に、停止する人間関係もある。
それを動かそうと、その関係や過去の事を清算して進めようとしても、完全に切り替えるのは出来ない。
困難な事にさしかかると、清算したはずの事が一瞬してよみがえって、分かり合えない地点に戻ってしまう。

誰かに死ぬほど愛されているなら、誰かが殺したいほど憎んでいるかもしれない。

神様は人間をつくる時、忘れる…という機能を持たせてくれた。
この世は無常であり、同じ瞬間は一度としてないと仏様は教えてくれる。

でも、嫌だなと思っていた人から傷つけられれば、ショックだし腹も立つ。
分かり合っていると思う人からなら、なおさらにショックだ。

だから、自分を守るためにも、人は分かり合う事が困難なんだと思う。
そう思って、自分を守る事の方が良いと思う事がある。

それは難しい事であり、気持ちから外そうとしても、気になる事となる。
簡単に割り切れるなら、世界から胃炎が消える。
誰にも地位や立場など、社会的な背景がある。

人は分かり合う事が困難だ。

だから、理解のため、わかってもらうため、互いの共通認識を作るため、様々な作業をする。
ところが、感情的な問題が横たわっているのが常なので、それを行う気力がわかない事も多々ある。
別にあの人にわかってもらわなくてもいい…とかね。

そう思う人とも、コミュニケーションをしなければならないのが、人間の世界だ。
でも、壊れた関係を急いで修復する必要はない。
毎日コミュニケーションをしなければならないとしても、その事にとらわれると自分が苦しくなる。
そんなふうに心がけていないと、心がけていても、その人の気配を感じられるところなら、嫌な世界だ。

分かり合えない人もいる…と自分に言い聞かせて事態を乗り越える時も必要。
そう、解決するのではなく、乗り越えるだ。

逡巡するので、まとまりのない文章が長くなる。

ところが、分かり合えたと思う瞬間はうれしい。
生きているよろこびの、きっといちばん大きな事だろう。
だから人は、その瞬間に向けて努力してしまうのが性らしい。

誰もがそれぞれの事情を抱えながら、今を生きている。

2024年8月 7日 (水)

おじいちゃん、ゴメンな。

Akatsuki208

おじいちゃん、ゴメンな。

幼い頃、母親の実家である高知県には、夏休みになると東京から新幹線に連絡船と土讃本線を乗り継ぎ出かけていました。
7歳の事からひとりで。
10歳ぐらいからは、3つ年違いの弟も一緒に。

甘やかしてくれる祖父母とうるさい事を言わない両親が近くにいないので、バカンスです。
おおよそ1カ月程滞在していました。

大学生になると、アルバイトなどがあり、小学生の頃に様には滞在出来ません。
でも、たまに訪れていました。

そんあ時分のある日、外出から祖父母の家に帰って来たところ、おじいちゃんとすれ違いました。
おじいちゃんから「ビールを買うお金を貸してくれ」と言われ、ふたつ返事でいいよと貸しました。

ところが、その晩に「孫から酒を買うお金を借りるとは何事だ」とおばあちゃんとおふくろに、おじいちゃんはこっぴどく叱られました。
当時は祖父母の家計は、おばちゃんが管理しているので、子供の買い食いよろしく、お金を持っていないおじいちゃんが、ビールを飲んだ後がある。
不自然極まりない事です。

この事がずーっと、心に引っかかっていました。
どうせ買うなら、箱買いしてくればよかった。
みんなで一杯やろうと買ってくればよかった。
肝心なところで、気が利ないなぁ俺は…と思っていました。

幼い頃から、本当に可愛がってくれたおじいちゃんに、申し訳ない思いをさせた。
そんな事を思っていました。

高知での夏休みは、甲子園の金属バットの音から始まりました。
おじいちゃんは、県大会の予選から全て観戦していました。
朝目が覚めると、おじいちゃんが背を丸くして、テレビの前に座り、そのテレビから金属バットの音が聴こえていました。
その後ろで、おばあちゃんが作ってくれた朝食を食べながら、今日は何して、どこへ行って遊ぶと考えていました。
おじいちゃんの大きな背中が、背中越しのテレビと金属バットの音を合わせて、ひとつの風景の切り取りとして残っています。

おじいちゃんは帝国海軍で、非常に厳しい人でした。
初孫の私は例外でした。
その時の事は、ひと言も話した事がありませんでした。

妻の前で、そんな後悔がある事を、ふとした時に話しました。

すると、妻は「おじいちゃん、お酒を禁止されていたんじゃないの」と言いました。
「だからあなたに、そんなお願いをしたのではないの」と言いました。

そういえばおじいちゃんは油絵を描いていましたが、書もやっていました。
身体を壊して入院してから、医師から酒をやめるように言われていました。
部屋の机近くに「〇〇(おじいちゃんの名前)酒を断つ 〇月〇日」と書でしたためていました。
それを思い出しました。

私の後悔は軽くなりました。
おじいちゃん、ゴメンな。

2024年6月 8日 (土)

解放とは何もかも捨てて見知らぬ地へ旅立つ事じゃなかったんだ。

Akatsuki207

フジコ・ヘミングさんの逝去の報は、世界中で多くのマスコミに取り上げられたそうです。
NHKでは、5月26日に「魂のピアニスト逝く〜フジコ・ヘミング その壮絶な人生〜」が放映されました。
才能に恵まれながらも、チャンスの時は聴力を失う高熱に見舞われる事があったり、幾度も苦しく、くやしい思いをして来た事が、改めて番組の中で語られます。
番組中のインタビューで「涙が枯れてしまった」と本人が言います。
まさに、その言葉通りです。

フジコ・ヘミングさんのCDは、何枚か所蔵しています。
その中でも、私が好きなのはシューマンの「春の夜」です。
シューマンがクララと結婚して、しあわせな時期に作曲された作品との事。
タイトルの通り、そのメロディは春の夜の様に、心地いい。
繰り返し聴いてしまいます。
これをフジコ・ヘミングさんは、自らの心に、この楽曲をどう投影して演奏していたのだろうと考えます。

冬の寒さが去り、季節が春の訪れを知らせる。
体を強張らせ、風を避ける様に下を向いて歩く人々を解放させるイメージを私は持っています。
それは季節の冬だけでなく、辛い思い、哀しい思いを続けていた人生の冬の終わりにもつながるのです。

ルロイ・アンダーソンの「春が来た」にも、同じイメージを持っています。
その日の演目はマーラーの交響曲第5番でした。
ライブの終わり、アンコール演奏がルロイ・アンダーソンの「春が来た」でした。
死を見つめるマーラーの交響曲の後に「春が来た」を聴いて、それは更に苦しみや、哀しみからの解放をイメージさせるものでした。
始めて聴いた、その時より感動しました。

もうひとつ。
シベリウスの「春の歌」です。
紆余曲折を経て、「春の歌」になったこの楽曲。
春の大地から、新しい芽吹きを感じ、これもまた苦しみや、哀しみの解放を感じるのです。
最初は楽曲タイトルとは、正反対の内容だったとの事。

この楽曲の最終稿は、結婚して長女が生まれた時期と重なっているそうです。
だからですね。

シベリウスの夫人は、貧しかった家庭を支え、献身的にシベリウス本人を支えたそうです。
シベリウスの楽曲は神の言葉。
その近くにいる私は、だからしあわせなんだと言ったそうです。

不思議だ。
上手に言葉に出来ない。
何か 優しい透明なものが僕の体を支配している。
何もかも忘れようと踊ったあの頃のぼく。
けれど あの感じとも違う。
体はちっとも動かないのに、体がまるで羽が生えたように軽い

今の僕には、今の僕には、憎むべきものが何一つ無い!!
これだったんだ。
僕が探していたものは、これだったんだ。

解放とは何もかも捨てて見知らぬ地へ旅立つ事じゃなかったんだ。
今まで許せなかったものが全て許せるようになったこの瞬間。
解放とは僕の心の内にあったんだ!!

今までの僕は他人の欠点にばかり目がいって、それがどうしても許せなくて、悩んだ揚句にそこから逃げる事ばかり考えていたんだ

結局、僕はいつだって人からの愛だけを一人占めしたい。
自分を振り返る事すらできない、ただの自分勝手な子供だったんだ。

これから先、辛い事が多くても自分の方から人を愛していけるようなそんな人間にならなくてはいけない…。

「C」―マゼンタ・ハーレム  第6巻  きたがわ翔 著

2024年5月10日 (金)

アスペルガーの二男は今、厳しい局面にあります。 vol.8「暁」

Akatsuki204

4月29日金曜日に二男は人事部長と面談を行います。
その席で、ついに5月1日からの自宅待機を通告されます。
残る出社日は4月30日の1日となります。

結果は予測出来た事であり、本人にその覚悟と準備があったと思います。
しかし、本人からすれば遂にダメの烙印を押されるとの意識です。
GW前半は本人とって判決を待つ気持ちであり、他の事で紛らわそうとしながらも、度々心の中に浮かんでいる様です。

家族にいつまで自分は心配と迷惑をかけるのか…。
どうして、自分だけこんなに不出来なんだ…。

身体中をめぐるこの気持ちに、身体が耐え切れなくなり、言葉としてつぶやきます。
自分が情けなくって、少し涙したりします。

4月30日の出社日に、予定通りに翌日からの自宅待機が告げられます。
本人から、期間がどれくらいになるかかと問い合わせました。
返答は少なくとも1か月。

在宅期間中に取り組む業務はあるのかと問い合わせます。
返答は取り組む業務は無し。

人事部長からは、次の派遣先が決まっても、早くても6月1日からとなるとの説明です。

人の気持ちが慮る事が苦手な二男でも、察します。
取り組む業務は無い。
次に向けてのスキルアップ等の話も無い。

本人は両親とも相談し、新しい仕事へ向けて取り組む方向である事も話します。
(それは、前の記事にあります様に、本人が話してしまっています)
但し、4月は与えられた業務に取り組んでいたので、活動は一切出来ていないと説明します。

人事部長からは、「継続して派遣先は探しているので、転職の意思があるなら退職が何時になるのか教えて欲しい。
せっかく派遣先が確保出来てから、ダメではお客様に申し訳ない。」

二男もそれが嘘であり、方便である事がわかっています。
二男も派遣先など、会社が自分のために探していない事をわかっています。
自身に対する評価の自宅待機という結論と、4月入社の新入社員の派遣が優先である事を承知しています。

人事部長からは繰り返し、「両親とよく相談して下さい」と話されます。
本人の能力では、この状況を的確に判断出来ないと考えている節が窺えます。

午前9時30分からの面談は、30分程で終了したとの事。
その後、所属長のところに戻って、当日が期限の業務の件を確認します。
仕上がりを確認していた所属長は、「ここまで出来ていればいい」と言ったそうです。
事情が事情です。
もう、その日はそのまま帰宅しても問題はありません。

しかし、本人は「あと少し、納得のゆくところまでやりたい」と言って、終業時間まで取り組みました。

本人から、終業後にLINEで連絡がありました。
ここまでで良いと言われたけれど、中途半端なところで終わらせるのも気持ち悪いなと思って、満足行く所までやりました。
あと会社から出たらすごい焼き魚の匂いがした。

これに妻は返信で、「今日はシャケを焼いたから、気をつけて帰っておいで」と返信しました。

入社1年目の社員には、スクールカウンセラーではありませんが、業務でメンタル部分を含め相談にのってくれる専門の人がいます。
二男は幾度か利用した事がありました。
現場から撤収の後、何度か時間都合をお願いしましたが、利用は入社1年未満の社員だけと遠ざけられました。

取り組む業務がないから、時々事務作業などを手伝います。
誰もが憐れんだ目で、本人を見ていた事でしょう。
同期入社の社員が、少しの期間同じ場所にいて、まもなく新しい派遣先へ行くのを見送っています。
自らは研修と勉強ばかりです。
取り組み意欲もやる気も本当なら出るわけがない。
でも、どこかに希望を持って、また責任感で、愚直に今自分が出来る、その事に真摯に取り組んだのです。

「そうやって、愚直に頑張っている〇〇(二男)を、必ず誰かが見ている」
そう言って、慰めにもならない言葉で、本人を励ました事もありました。

その夜、リモートで話しました。
今後、一緒に新しい世界へのチャレンジをして行く事を確認しました。
そして、もう一つ。

「約1カ月、辛い環境の中、よく頑張った。近くにいたら、いい子いい子してやりたいよ」と私が話しました。

すると本人は、画面に向けて頭を出しました。
モニターの隣にいた妻が、代わりに頭を幼い子にする様にくしゃくしゃと撫でました。

必ず次の素晴らしい新しい世界をみつけよう。
これから、新しい世界への再チャレンジが始まります。

暁…夜明け前が、いちばん暗くて寒いんだよ。

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