アニメ・コミック

2022年10月29日 (土)

物語の初恋も、現実の初恋も、実らない事が多い。

Akatsuki146

映画「銀河鉄道999」は、当時小学生6年生で大人の入り口と子供が交じり合う、その時期でとても印象に残っています。
松本零士さんの主要キャストが勢揃い。
キャプテンハーロックにエメラルダス。
ヒーローの活躍と、鉄郎のメーテルに対する淡い恋心と、映画の最後にあるとお別れ。

別れの時、メーテルが鉄郎に語りかけます。

私はあなたの青春の幻影。
私があなたの目の前にたっても、あなたは私に気づかないでしょう。

二度と会う事が出来ない事を示唆するこの言葉に、胸が締め付けられます。

そして、汽笛が鳴り999は走り出します。
蒸気機関車の走り出し、車輪の滑る音や、その全てがたまりません。

青木望さんの美しいメロディは、鉄郎がメーテルの名前を叫ぶのと同時に最高潮となります。
野沢雅子さんの真骨頂です。
流れて行く999と鉄郎の感情爆発が、青木望さんの楽曲と重なります。

空に消えて行き点になる999。
見つめる鉄郎。
そこに城達也さんの素敵な声で、少年の日々が終わるとのナレーションが入ります。

城達也さんのナレーションと青木望さんの楽曲が余韻を残して終わります。
すると、ゴダイゴの主題歌となります。

鉄郎が線路を最初にトボトボ歩き、やがて走り出します。
これ、初恋が成就せず諦めるけど、新しく頑張って行こうという感情と、どこか同じだと思うのです。
ゴダイゴの銀河鉄道999の歌詞もピッタリです。

まさしく青春の幻影。
そして、新し旅立ちです。

原田知世さんが初主演した映画「時をかける少女」。
バリバリのヘヴィメタルだった私が、一瞬で心奪われてしまいました。

物語の中、原田知世さんは未来から来た高柳君に淡い恋心を抱きます。
でも、高柳君は未来に帰らなければならない。
互いに同じ思いを抱えながらも、未来から来た秘密を知った原田知世さんの記憶を消さなければならない。
その時、原田知世さんは「忘れない…」というのです。

そして、約10年前後が経過したと思われるその時、ふたりは再会します。
わずかな記憶がよみがえる、そんな雰囲気が醸し出されます。
その時流れている楽曲名は「いつかどこかで」。

なぜ知っているか。
隠れるようにしてサウンドトラックを買ったからです。
サウンドトラックは映画の場面入り、台詞入りです。
原田知世さんにうっとりです。

話がそれましたが、忘れないと思う気持ちに、高柳君と同じ(多分)薬剤師を志す。
再会をした時、なぜか、どこか、懐かしい気持ちが湧きあがる。
どこかに残る初恋の思い。
原田知世さんの「忘れない…」が思い出されるのです。

そして、これ以上に切なさを感じるのが北の国からの初恋です。
互いを意識し、恋が芽生える、そして別れが来る。
子供にはどうしても、どうする事も出来ない事情。
追うこともできず、やるせない気持ちが、ただ残ります。

雪の中、静かに残る思い。
尾崎豊さんのI Love You が響きます。

初恋は実らない、その物語が多いと思うのです。

しあわせのランプ(Chapter2) ナラタージュ

2021年9月 2日 (木)

「胸を張って生きろ」

Akastuki074

【ご注意】鬼滅の刃 無限列車編のストーリーに関連する部分がございます。

映画「鬼滅の刃 無限列車編」は様々なメディアでヒットした事が報道されていました。
それは国内にとどまらないとの事。

あまりのヒットに、どうしてそんなにヒットしているのか。
ヒットの要因は何だかを知りたくなりました。

某大手通販サイトのサービスで、テレビ放映した分を会社の帰路に1話から順番に観ました。
少年ジャンプ連載の漫画では繰り返された要素はあるものの、大変面白く結構夢中で、楽しく、帰路楽しみに観ました。

主人公である竈門炭治郎はとても人間味があふれている。
そんな思いが強かったです。

完全無欠じゃない。
後悔する。
涙する。
怒る。
喜ぶ。
がんばる。
そして、くじけない。

物語の中に、我々が日々、自分自身にも、周りでも、感じる同じ感情があります。
だからこそ、我々は登場人物に感情移入が出来ます。
彼の生きざまに励まされます。
竈門炭治郎のどこかに、自分と同じ部分を見出します。

先週、ヒットした映画をレンタルDVDで観ました。
面白かったです。
映画を観た人のインタビューにあった様に、涙する事はありませんでした。
おじさんは少しスレているかもしれません。

夢を操る鬼がいます。
竈門炭治郎には、もう取り戻す事が出来ない過去の夢を見せて、その気持ちを操ろうとします。
しかし、炭治郎は戻る事の出来ない事を認識し、その哀しみを忘れるのでℌなく、乗り越えようとします。

そして鬼は最後に、触れてはいけない人としての誇りを汚します。
この怒りは誰もが共感する部分です。

イジメは人の、人としての誇りを汚します。
その屈辱と悲惨さと、その怒りは説明をする必要がないです。

この物語のもうひとりの主人公である「煉獄杏寿郎」も魅力的な人物でした。
鬼からの誘惑に揺らぐことなく、自分の信念を貫き通します。

私たちはさびしさに、孤独にとても弱いです。
それを避けるために自らの心を殺し、自分で自分の自由を奪い、苦しむ事があります。

煉獄杏寿郎は父親から認めれる事もなく、自分以外の特に弟を思い、その辛い思いを決して表には表しません。
死の淵にたたずむ母親から言われた言葉。

「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です」

厳しい言葉ですが、煉獄杏寿郎を支え、自分の哀しみを心に収め、自らを奮い立たせます。

私たちは誘惑に弱い。
さびしいのは嫌い。
孤独は嫌だ。
でも、誘惑に負け、さびしさや孤独から逃れるために自分の心を自分で殺します。
煉獄杏寿郎は違う。
命をかけて、自分の信念を貫き通します。
その姿に憧れます。

「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です」

この教えを全うします。
その姿に我々は感動します。

自らの死期を悟り、竈門炭治郎を始め後進に伝えた言葉は書くまでもありません。
生き方を全うし、その苦しみが昇華される事が安堵の気持ちとなります。

「立派にできましたよ」

最後に求めていたものを手に入れ、笑みを浮かべながら亡くなります。
死を介さなければならない事が、とても残念です。

この物語がヒットするのは、登場する人物のどこかに自分と同じ部分を見出すからだと思います。
そして、本当は悪い人はいないのに、めぐり合わせで堕ちて行かざるを得なかった鬼にも観る人の同情を誘う部分を感じます。
人生の分かれ道で、行くべきでない方向に進んでしまった…のだと。
どちらにも、どこかで自分の姿を見出します。

人は単純ではありませんものね。

人の世の続く哀しみに苦しくなります。
でも、それを終わらせようとする人々の姿に。
今もこの瞬間に、それに取り組む人がいる。

その姿に失いかけた自分の勇気を取り戻し、また立ち上がろうと思う。
歩みは遅くても、進む距離は少しでも。
ヒーローでも、ヒーローでなくてもね。