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2025年9月22日 (月)

分断される人と人の関係に、寛容の心。

Akatsuki224

電車の広告。
配信ドラマのの広告が掲示されていました。

内容は観ていないので、わかりません。
しかし、広告は一目見ると、誰が悪役で誰がヒーローなのかわかる構図です。
いい人悪い人が、一目でわかります。
ヒーローと悪役がはっきり分かれていたあの頃が、懐かしく感じることはあります。

子供の頃、ウルトラマンを始めヒーローの勧善懲悪な構成はわかりやすかったです。
その物語が一番満足をしていました。
きっと、安心していました。

でも、その物語の中にもジャミラやシーボーズの様に、怪獣側に事情がある物語もありました。
それは、幼いながらにも心が激しく動いた思いが残っています。

人と人の関係は、複雑な事情がたくさんあると思います。
育ってきた環境や今の立場、そして責任や日々の思い。
例えば、その思いを一色で示してください…と言われても誰もが表現出来ないと思います。

陰謀論に始まり、主義主張に他人と自分を区別する材料は多くあります。
昨今は互いに興味を持つ場面があっても、その信条に異なる場面がわずかにあれば、反目する関係としてしまう事があると感じます。
単一の事が、その人すべてを判断する材料となってしまいます。
その人の今を構成する要素は、ただ一つではない事は理解もされないし、許容もされない事となります。

今見えること、その他のわずかな事が判断の全てとなり、◯か✕、許容か拒否か、好きか嫌いかなど、二者択一の判断に落とし込まれていまします。
配信ドラマの広告に同じく、わかりやすい事は一面安心であり、理解をしやすく、苦しむ事が少なくなると思います。
しかし、そのわかりやすさは、その人のすべての背景を無視し、わずかな違いで互いを拒絶する分断を生んでいないだろうかと考えるのです。
ジャミラやシーホース、鬼滅の刃の鬼(例えば妓夫太郎と堕姫の兄妹の様に)が、鬼にならくてはならなかった事情など、人には表に現れない多様な事があります。
伊集院静さんは、誰もが人には言えない事情を抱えて生きていると話していた事が印象に残っています。

大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」は、多感な時期に観た事が影響しているかもしれません。
家庭用のビデオデッキが普及し、最初に購入したのはこの映画のビデオでした。
その映画の中で、小林稔侍さんが演じる父親が、息子役の尾美としのりさんに向けでこう語るシーンがあります。

人を好きになれ。
その人のいいところも、嫌なところも、すべて好きになれ。
全部を好きになれ。

私が観ている隣で、おふくろがいつしか観ていました。
観終わった後、この映画の中心はそのシーンだと、自分の感想を言っていたことを覚えています。

世界中で、たったひとつ事で分断し、違いを認める心の許容が生まれない事は、最後は自分を苦しめる事になると思うのです。
安易な二者択一に陥ることなく、相手の持つ多様な側面を受け入れること。
それが、真の意味で自分を自由にし、苦しみから解放してくれるのではないかと考えるのです。
分断した相手をやり込めれば、それは自らが正しい事の証明となり、勝ち誇る気持ちになるかもしれないです。
でも、人は多くの要素と背景を持ち、絶対だと思っていた事が、脆く壊れやすい事を知っています。
その事に、その思いに蓋をし、見ないことにする。
それが、いちばん苦しい事である事も知っていると思います。

本当の自由は、いつでも真実を求められる心にあると思うのです。

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