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2025年2月

2025年2月13日 (木)

人がいつの時代も持つ普遍な思いがあると感じるのです。

Akatsuki217

自分の居場所がない。
自分は何の役にも立たない。
自分が立ち上げたい、または立ち上げたコミュニティが機能しない。
自分の事がわかってもらえない。
様々な事を共感できる仲間がいない。
伴侶も、友も、理解者もいない。
仲間からも理解してもらえない。

人と人の間にいるからこそ、孤独を強く感じてしまう。
孤独から抜け出すために、もがく事が絶望を引き寄せる。

でも、絶望の中からも、一筋の力を見出し何度も立ち上がる。

私には絵画を理解する審美眼はありません。
でも、ゴッホの絵とその生涯に、人間がいつの時代も持つ普遍な思いがあると感じるのです。

別宅には「星月夜」と「ローヌ川の星月夜」の大きなポスターが飾ってあります。

ゴッホとは比較になりませんが、人が持つ共通の思いに、自らに様々な思いを呼び起こすのです。
それは哀しみであり、その哀しみからの強さでもあると感じるのです。

ゴッホの作品が、時代を超えて人々の心を惹きつけるのは、そこに普遍的な人間の感情が描かれているからではないでしょうか。

2025年2月12日 (水)

表現の限界とその深淵。

Akatsuki217

いろいろ考えている事があっても、それを言葉にする事が難しかったり、出来なかったする事があります。
それはきっと、心の中の無意識に属する部分が多いからだと思う事があります。

表現されている言葉、表現できる言葉で、ぴったり当てはまる時こそ、言葉になるのだと思います。
人はそれを、絵で表現したり、メロディにしたり、物語として別の表現を用いたりする事が出来ます。

しかし、表現側の思いと受け取る側の思いは異なる事が多くあります。
人がそれぞれ生きてきた、これまでの思いが背景にあるので、ふたつとして生きてきた同じ道はないからですね。
でも、共感は出来ます。

モーツァルト交響曲第41番第4楽章を、どう素晴らしいと説明するのか。
ブルックナー交響曲第8番第3楽章を聴く時、私には心に浮かぶ風景があり、思いをはせる場所があります。
そこに過ぎ去った時間の自分の思いがあります。
それをどう説明してよいか、
それをどう説明出来るのか。

そもそも説明する必要があるのか。

真実と事実は異なる事があります。
真実を知り、その事実を理解すれば後戻り出来ない事があります。

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