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2024年8月 7日 (水)

おじいちゃん、ゴメンな。

Akatsuki208

おじいちゃん、ゴメンな。

幼い頃、母親の実家である高知県には、夏休みになると東京から新幹線に連絡船と土讃本線を乗り継ぎ出かけていました。
7歳の事からひとりで。
10歳ぐらいからは、3つ年違いの弟も一緒に。

甘やかしてくれる祖父母とうるさい事を言わない両親が近くにいないので、バカンスです。
おおよそ1カ月程滞在していました。

大学生になると、アルバイトなどがあり、小学生の頃に様には滞在出来ません。
でも、たまに訪れていました。

そんあ時分のある日、外出から祖父母の家に帰って来たところ、おじいちゃんとすれ違いました。
おじいちゃんから「ビールを買うお金を貸してくれ」と言われ、ふたつ返事でいいよと貸しました。

ところが、その晩に「孫から酒を買うお金を借りるとは何事だ」とおばあちゃんとおふくろに、おじいちゃんはこっぴどく叱られました。
当時は祖父母の家計は、おばちゃんが管理しているので、子供の買い食いよろしく、お金を持っていないおじいちゃんが、ビールを飲んだ後がある。
不自然極まりない事です。

この事がずーっと、心に引っかかっていました。
どうせ買うなら、箱買いしてくればよかった。
みんなで一杯やろうと買ってくればよかった。
肝心なところで、気が利ないなぁ俺は…と思っていました。

幼い頃から、本当に可愛がってくれたおじいちゃんに、申し訳ない思いをさせた。
そんな事を思っていました。

高知での夏休みは、甲子園の金属バットの音から始まりました。
おじいちゃんは、県大会の予選から全て観戦していました。
朝目が覚めると、おじいちゃんが背を丸くして、テレビの前に座り、そのテレビから金属バットの音が聴こえていました。
その後ろで、おばあちゃんが作ってくれた朝食を食べながら、今日は何して、どこへ行って遊ぶと考えていました。
おじいちゃんの大きな背中が、背中越しのテレビと金属バットの音を合わせて、ひとつの風景の切り取りとして残っています。

おじいちゃんは帝国海軍で、非常に厳しい人でした。
初孫の私は例外でした。
その時の事は、ひと言も話した事がありませんでした。

妻の前で、そんな後悔がある事を、ふとした時に話しました。

すると、妻は「おじいちゃん、お酒を禁止されていたんじゃないの」と言いました。
「だからあなたに、そんなお願いをしたのではないの」と言いました。

そういえばおじいちゃんは油絵を描いていましたが、書もやっていました。
身体を壊して入院してから、医師から酒をやめるように言われていました。
部屋の机近くに「〇〇(おじいちゃんの名前)酒を断つ 〇月〇日」と書でしたためていました。
それを思い出しました。

私の後悔は軽くなりました。
おじいちゃん、ゴメンな。

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