人の不幸は蜜の味。
人の不幸は蜜の味。
義理の母親は、近所の情報にとても詳しい。
〇〇さんの息子が離婚したとか…。
〇〇さんが、〇〇で野菜を作っている…。
〇〇さんが、〇〇病院に入っていった…。
聞かされる私には、関心が湧かない話だ。
先ず、〇〇さんがわからない。
次に離婚も、野菜を作る事も、病院に入っていった事も、それぞれに理由や気の毒な事情もあると思うが、その本当がわからない。
義理の母親には、日常生活の範囲と関係がある事であり、重要な事だ。
我が家の桜の木が、電線に触れそうなので、今度剪定しなければならないと私が考えている。
この事を私が話して義理の母親が示す関心の程度と、義理の母親の話に私が示す関心の程度は、あまりかわらないだろう。
会社では日々様々な事が起きる。
人間が集まれば、共感による団結よりも、感情が優先する諍いによる分裂の方が圧倒的に多いのだろう。
これがまた、後者の方が楽しいときている。
起きた問題は、その重大性や将来への禍根、緊急性によりその解決手段は異なる。
当事者が自ら、起きている問題の事に言及しない限り、問題の解決にあたる会社幹部や担当者はその事に言及しない。
しかし、問題の本質を見極めるためや、解決策の協議を関係者外に聞こえない様にしていても、その頻度や時間、集まる人間の責任の範囲や人数で、何事が起きている事は容易に伝わってしまう。
これは人によっては、とても楽しい話になる。
どうしてなのか、どうやってそんな事が伝わるのか、わからないが内容が漏れる。
憶測、予測など様々織り交ぜ、さながら和食、イタリアン、フレンチと幕の内弁当を超える盛りだくさんである。
問題の本質が見えなくなるぐらい。
おかず増量50%だけど、値段据え置きセールだ。
先日、諍いを発端とする問題が発生した。
その問題発生はハラスメント案件であり、解決にあたる事を宣言した。
宣言をしないと、解決の為に図った措置が、更に憶測を呼ぶ事となる。
当該拠点の人は想像がつく事であるが、他の拠点は何の事か詳細は先ずわからない。
ところが、その内容は憶測を交えて、あっという間に全拠点へ広がった。
問題が発生した当該拠点では、そういう話が大好きな人物がいる。
嬉々として他拠点にその事を電話で伝える姿が目撃され、またそれを行っている事を伝えるてくれる人がいる。
暇なのか…と思う。
ほどなくして、問題は解決を見た。
しかし、その余波は各拠点へ広がった。
先日、拠点の責任者が集まる会議の後、当該拠点でないところの責任者と話になった。
それは、その問題の解決に関する余波の事だ。
問題解決の回答(適当な表現かな?)とその後に起こった事が、他拠点では不信感と恐怖になっているとの事。
かかる状況から、その詳細な経過を全社に説明した方が良いとの事だった。
組織には公式な組織と非公式な組織がどうしても存在する。
会社は権限と責任を明確にして組織されるが、非公式組織はその中で、年長であるとか経験年数などで存在する。
例えば、課長は東京から来るが、現場を取り仕切る班長は地元出身で、その班長が事実上現場を仕切っているとかだ。
だからといって、意思を通すために、その非公式組織を利用する事を安易に考えるとロクな事がない。
利用しているつもりで、利用されている事は多々ある。
相手の方が現場を知り、握っているのだから、その部分は敵わない。
映画でも、ドラマでも、よくある場面だ。
現場での指導力や管轄能力は認めても、組織を無視して頼ってはならない。
それは、その能力を認める認めないという事とは、別の扱いである。
会社として、その能力は最大限活かして欲しいのだ。
全社に詳細に説明する…という要望に応える事は出来ない。
それは当該者が、再生する機会を削ぐ方にエネルギーが向くと判断するからだ。
事の次第に関心はあっても、その人がこれから再生し、新たにスタートする事には関心を示さないからだ。
本当に関心を示して欲しいのは、本人が再生して行く、その先の未来だ。
話のあった拠点責任者には、なぜ他の人がその事を知っていると聞いた。
すると、そんな事はみんな知っていますとの返答だった。
非公式組織が活きている。
何を知っている?と問えば、それは新たな問題を生む。
内容は和食、イタリアン、フレンチと幕の内弁当を超え、下世話な内容が小鉢で付けられた内容だ。
美しくもなく、食欲が失せる。
問い合わせを行った責任者へは、経過と事情を説明した。
全社へ説明した方が良いという話は、しなくなった。
先日も義理の母親からは、同じ話を織り交ぜ、ご近所の情報、噂話が話された。
同じ話を繰り返すのは、年と共に自分でも否定が出来ない事だ。
妻は義理の母親に言った。
「そんな些細な話を、旦那に聞かせないで。人の事を面白おかしく言っても楽しくないです」
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