ソウルフード 自らの身体を、今あるこの時まで作ってきた食事。
自らの身体を、今あるこの時まで作ってきた食事に、思いをはせる瞬間があります。
それがソウルフードの、ひとつの側面である思いです。
義理の親父は昭和11年生まれの新潟出身です。
中学校を卒業後に上京し、苦労しながら独立して事業を確立させました。
少し前ですが、そんな親父と新潟県へ行った事がありました。
その際、(義理の親父からすると)孫の希望もあり、新潟県立歴史博物館(https://nbz.or.jp/)に立ち寄りました。
親父からすると、展示物は少し前の日々の生活であり、それを珍しく観る気持ちにはならないとの事でした。
そりゃ、そうだわなと思いながらも、「子供は興味深く観ているから」と私は苦笑いしながら言いました。
本年、親父は新型コロナに罹患し、治りましたが体調の回復が思わしくなく、一緒には出掛けられませんでした。
車で走行中に二男が、おいしそうだとロードサイドで店を見つけました。
FARM FRONT SEKI NOEN(https://farmfront.jp/) です。
お昼時であった事もあり、店外に行列です。
幸い駐車場が確保出来たので、待つ事としました。
40分程待って店内に。
とても清潔で、店を囲む田園風景と相まって素晴らしいです。
土鍋炊き塩むすびセットを注文。
塩おにぎり(2個)とみそ汁に漬物と海苔が1枚。
おいしい。
塩むすびだから、主役のお米がおいしい事は勿論、みそ汁がまた格別。
何で出汁をとっているのか、知りたいぐらいです。
これには妻も唸っていました。
親父はいませんでしたが、40分前後も待つ。
おにぎり2個に1,000円以上を払って食べる。
理解は出来ないでしょう。
博物館の風景に同じく、自らの歴史の一部であり、体験した事です。
都会からの客が、ありがたがって食べる。
もしかしたら、奇異に映る場面があるかもしれません。
でも、一緒だったらおいしく食べた気がします。
それは、幼い頃から食べ、自らの身体を作ってきたものです。
どこかに、うれしい思い、辛い思いが隠れているかもしれないですが、今も郷土の米を実家から取り寄せ、日々食べています。
今は別宅で、日々ジャンクフード付けの私には、とてつもないごちそうです。
仕事で、生産者の方々が自家用で食べるとっておきを、頂戴する事があります。
そのおいしい事。
子供もいましたが、これがごちそうである事は、まだ理解出来ないでしょう。
「肉はないの?」「おかずはないの?」「ごはんだけ?」
子供の頃の私なら、そう思います。
自らの身体を、今あるこの時まで作ってきた食事に、思いをはせる瞬間があります。
それがソウルフードの、ひとつの側面である思いです。
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