« アスペルガーの二男は今、厳しい局面にあります。 vol.8「暁」 | トップページ

2024年6月 8日 (土)

解放とは何もかも捨てて見知らぬ地へ旅立つ事じゃなかったんだ。

Akatsuki207

フジコ・ヘミングさんの逝去の報は、世界中で多くのマスコミに取り上げられたそうです。
NHKでは、5月26日に「魂のピアニスト逝く〜フジコ・ヘミング その壮絶な人生〜」が放映されました。
才能に恵まれながらも、チャンスの時は聴力を失う高熱に見舞われる事があったり、幾度も苦しく、くやしい思いをして来た事が、改めて番組の中で語られます。
番組中のインタビューで「涙が枯れてしまった」と本人が言います。
まさに、その言葉通りです。

フジコ・ヘミングさんのCDは、何枚か所蔵しています。
その中でも、私が好きなのはシューマンの「春の夜」です。
シューマンがクララと結婚して、しあわせな時期に作曲された作品との事。
タイトルの通り、そのメロディは春の夜の様に、心地いい。
繰り返し聴いてしまいます。
これをフジコ・ヘミングさんは、自らの心に、この楽曲をどう投影して演奏していたのだろうと考えます。

冬の寒さが去り、季節が春の訪れを知らせる。
体を強張らせ、風を避ける様に下を向いて歩く人々を解放させるイメージを私は持っています。
それは季節の冬だけでなく、辛い思い、哀しい思いを続けていた人生の冬の終わりにもつながるのです。

ルロイ・アンダーソンの「春が来た」にも、同じイメージを持っています。
その日の演目はマーラーの交響曲第5番でした。
ライブの終わり、アンコール演奏がルロイ・アンダーソンの「春が来た」でした。
死を見つめるマーラーの交響曲の後に「春が来た」を聴いて、それは更に苦しみや、哀しみからの解放をイメージさせるものでした。
始めて聴いた、その時より感動しました。

もうひとつ。
シベリウスの「春の歌」です。
紆余曲折を経て、「春の歌」になったこの楽曲。
春の大地から、新しい芽吹きを感じ、これもまた苦しみや、哀しみの解放を感じるのです。
最初は楽曲タイトルとは、正反対の内容だったとの事。

この楽曲の最終稿は、結婚して長女が生まれた時期と重なっているそうです。
だからですね。

シベリウスの夫人は、貧しかった家庭を支え、献身的にシベリウス本人を支えたそうです。
シベリウスの楽曲は神の言葉。
その近くにいる私は、だからしあわせなんだと言ったそうです。

不思議だ。
上手に言葉に出来ない。
何か 優しい透明なものが僕の体を支配している。
何もかも忘れようと踊ったあの頃のぼく。
けれど あの感じとも違う。
体はちっとも動かないのに、体がまるで羽が生えたように軽い

今の僕には、今の僕には、憎むべきものが何一つ無い!!
これだったんだ。
僕が探していたものは、これだったんだ。

解放とは何もかも捨てて見知らぬ地へ旅立つ事じゃなかったんだ。
今まで許せなかったものが全て許せるようになったこの瞬間。
解放とは僕の心の内にあったんだ!!

今までの僕は他人の欠点にばかり目がいって、それがどうしても許せなくて、悩んだ揚句にそこから逃げる事ばかり考えていたんだ

結局、僕はいつだって人からの愛だけを一人占めしたい。
自分を振り返る事すらできない、ただの自分勝手な子供だったんだ。

これから先、辛い事が多くても自分の方から人を愛していけるようなそんな人間にならなくてはいけない…。

「C」―マゼンタ・ハーレム  第6巻  きたがわ翔 著

« アスペルガーの二男は今、厳しい局面にあります。 vol.8「暁」 | トップページ

心と体」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« アスペルガーの二男は今、厳しい局面にあります。 vol.8「暁」 | トップページ