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2024年4月

2024年4月13日 (土)

アスペルガーの二男は今、厳しい局面にあります。vol.5「挑戦」

Akatsuki203

二男の失敗のパターンは、どこか通底しているところがあります。
やはり、多様な人間関係の中で、相手を慮る事が苦手な様です。

この人が、なぜこういう発言をするのか。
その裏側にある真実、隠れた本音をを探る事が苦手です。
とても怒っている。
でも実はそれが、怖い事の裏返しであったりする事があります。
辛い状況なのに、笑っている。
本当は今でも逃げ出したいのに、この場にいるには笑う事でバランスをとるしかない。

故に、表に出ている発言、態度やしぐさ、その感情をストレートに受け取ってしまいます。
誰かに気兼ねしてばかりなら、生きている事、それ自体が辛くなる事もあります。
多様な人間関係の中で、それを調整しなさいと言う事が、何より苦手というより不得手です。
できません。

二男には転職を視野に、これまでとこれからを考える様に話しました。
転職サイトの登録を行いました。
今後、コーディネートの人と内容が選定され、対面での作業が始まります。
その際には、自らの苦手な事を正直に全て説明する様に話しました。

今回の様な事態を繰り返し出来ない事から、自らにむいている、取り組める仕事は何かの視点で検討する事を話しました。
本人は現状から脱出出来る事が一番の動機になります。
これも大事です。
しかし、同じ事を繰り返すと、結果は次第に望むもになって行かないです。
固い言葉だと「再発防止」です。

二男は未来を望める環境となった事で、硬直が緩和されました。
妻はジェットコースターの様に上下する、二男の感情に疲れると話しています。

緊張が緩和した事が影響したかもしれません。
二男に社内の別部門より、仕事の依頼がありました。

その仕事は大きく3つに分かれます。
その内の2つは、経験と会得している技術がある業務。
もう一つは、取り組んだ事のない、本人にとっては新しい業務です。

出来るかと問われ、本人は出来ると返答しました。
直接の上長は「できるかどうかわからない仕事を、出来ると返答する事が信じられない」と話しました。

その話を聞いた夜。
就寝前に二男宛にLINEでメッセージを送りました。

自分の可能性を飛躍させるのは、自らに不可能と思われる事にチャレンジする時。
それは神の啓示であり、その事に気づいた自らの心が言わせた言葉。
やり遂げ、飛躍する時と示された時だ。
やって、やり遂げて見せてやれ。

二男からは魚のキャラクターが「ぐー」としているスタンプの返信でした。
おまえ、大丈夫か?

続きました二男の話は、ここでいったん終わりにします。

2024年4月12日 (金)

アスペルガーの二男は今、厳しい局面にあります。vol.4「現場撤収」

Akatsuki203

派遣先は委託者からは、見えない部分がある。

やっと決まった派遣先に、二男は喜び勇んで行きました。
作業はソフトウェアのチェック。
正常に設計通りの性能を保持しているかの確認です。

どんな職場がイメージできますか?

私は事務所にデスクがあって、順次作業を行うイメージでした。
しかしその場所は、倉庫まがいであり、長テーブルにパイプ椅子での作業です。
周りには検査を待つ商品の段ボールが積み上げられています。

二男にすれば、やっと決まった派遣先です。
スーツにネクタイで、気合を入れて出社します。
はりきって取り組みを始めました。

先ず、仕事を指図する人がカジュアルなスタイルです。
仕事の指図もカジュアルです。

いい意味で二男も緊張が解けました。
しかし、これが悪い方に作用しました。

現場は様々な会社から派遣された方がいます。
おそらく、それぞれに担う仕事が異なるのだと思います。

身体と机のサイズが合わないなどの問題は、専用の座布団を用意するなど解決して行きました。

慣れによる緊張感の欠如です。
学生時代(小学生の時から)にもありましたが、作業をしながた鼻歌を歌ったりします。
不規則に声を上げたりし、発言します。
しかも、唐突に。

発言は感情的な言葉です。
「あ〜っ、疲れた」とか。
「なんで、上手くゆかないんだ!」等々です。

いずれも同じ職場にいる人からのクレームとなり、上長に伝わる事となりました。
本人は上長から「話があるから本社に出社しろ」との事実上の出頭命令を受け、うろたえます。
声を上げ、明らかにうろたえているその姿が、重ねてクレームになります。

まもなく、その現場を撤収する事となります。

本人は同じ事を繰り返すまじとして、次の現場へ向かいます。
新しい現場にも、本人にとっては弱点をさらけ出す、トラップがありました。

現場で指導的な立場をとる人は、体調不良が続いていました。
お休みまたは、体調考慮しての時間差での出勤がありました。
あるいは、web会議を利用する事もありでした。
そのため、本人は当日の取り組む業務が、その人が出社または連絡が来るまで検討つかずに、時間を持て余します。

その待っている時の姿勢が、周りを不穏な空気を満たしたようです。
具体的にはわかりません。

また、異なる会社の方々とプロジェクトを組み、作業スケジュールを決めます。
ところが、自分の担う部分が完了すると、その取り決めを違反して作業を進める事があったそうです。
これは現場を混乱させます。
本人にすると、結果を出したい焦りがありました。
それが、プロジェクトに貢献する事だと考えたのです。
しかし、プロジェクトを誰かが乱す事では、責任者は容認出来ません。

それが上長の知るところとなり、また出頭命令が出ます。
これは、本人をうろたえさせるには十分でした。
現場で少し泣いたようです。

あまりに不憫に思った現場の責任者が、食事に連れて行って励ましてくました。
本人はとても喜んでいました。

もともとは、即戦力のベテランが欲しいという要請があったそうですが、1年未満の二男に白羽の矢が立ちました。
その事も、周りの期待を裏切るには十分でした。
期待していた結果は、変わった人で結果が示せない人との位置付けとなりました。

この現場も3カ月で撤収となりました。
次の予定は未定で、本社への出社を命じられる事となりました。

2024年4月11日 (木)

アスペルガーの二男は今、厳しい局面にあります。vol.3「焦りばかりがつのります」

Akatsuki203

今月の「私の履歴書」は日本製鉄名誉会長の三村明夫さんです。
4月9日の連載分では、赴任した先の課長に「人事が君を引き取れというから引き取った。だが私としては欲しくなかった」と面と向かって言われたとの記載があります。

意味が分からず戸惑ったが、課長の言葉に噓はなかった。
私は本当に何の仕事も与えられず、30代前半の若さでいわゆる「窓際族」のような境遇に追いやられたのだ。

暇潰しにしょっちゅう散歩したのが皇居前の広場だ。
当時の新日鉄本社は東京駅北側の呉服橋にあり、皇居まで歩いて10分もかからない。
天気のいい日にふらふら歩いていると、観光客に交じって私と同類らしき人もいる。
「自分はこのままでいいのか」という焦燥がこみ上げた。

日本経済新聞 三村明夫 私の履歴書(9)皇居前広場 日本製鉄名誉会長

二男と比較するのはおかしな話となります。
仕事が多く休む間もない事も苦痛ですが、仕事がない状態も苦痛という点では共通しています。

二男は教育期間が終わり、同期のみんなが派遣先が決まる中、最後の3人まで決まらない状況でした。
研修が始まってからは、大学で学んでいた事もあり一日の長がありました。
しかし、若い仲間の中では、その優位性などあっという間に失われます。

その後、派遣先との面談が行われますが、なかなか採用されません。
当時は若い時の特徴だと思いますが、根拠のない自信もあり、研修時から優位性を保っていると本人は思っていました。
必要な資格の取得について、同期入社の殆どが勉強する期間が必要と判断され、試験日が先になります。
ところが二男は、その試験を誰よりも早く挑戦する許可を得ました。
そして、合格しました。
その事で、余裕を持っていました。

同じ部屋で研修をしていた新入社員が次々と行く先が決まります。
二男は最後の3人の内のひとりとなりました。
ひとりは社内勤務が決まっています。
もうひとりは、二男曰く世捨て人。
事実上、最後のひとりです。

派遣先の要請と能力と人物が認められる事で、派遣先が決まります。
本人はその面談に緊張しながらも、何とか行く先を決めなければと焦ります。
月に1度、派遣先の社員が集まる日があります。
まだ行く先が決まらない二男は、参加は自由なのですが決まった人の様子が気になるので参加します。
そこで、大変ながらも派遣先で頑張っている同期入社の社員を羨望のまなざしで見ています。

焦りばかりがつのります。

思い描いていた状況とあまりにも違う自分に焦りと絶望が濃くなります。
幾度か候補先と面談を繰り返します。
なかなか行く先が決まりません。

面接の練習を繰り返すたびに、自分で作った回答を丸暗記するので、AIロボットが話している様になります。
加えて緊張があるので、予想外の質問が来ると硬直するか、しどろもどろになります。
今、非常に辛辣な姿勢で当たる上長も、親身になって合格へ面接のサポートをします。

そして、その日は来ました。
やっと、派遣先が決まったのです。
本人も喜びましたが、周りも家族も喜びました。
「今度、派遣先が決まったんだ」と祖父母に鼻高々に話す次男の姿がありました。

しかし、派遣先の落とし穴に落ちるのです。

2024年4月10日 (水)

アスペルガーの二男は今、厳しい局面にあります。vol.2「あいつ、辞めると言わないかな」

Akatsuki203

システムエンジニアとして、本人は入社しています。
その後、それが役に立つと信じて、いくつか関連する資格を取得しています。
残念ながら、今はそれを活かせていません。

最近は出社しても、関連する仕事は出来ていません。
毎晩、本人とは連絡をとっています(私は単身赴任で遠い別宅におります)。
昨日に行った業務を聞きました。

処理をしなければならない書類のシュレッダー。
全社で利用するPCのデーター消去。
新入社員向けビデオの閲覧。

仕事を与える方も、仕事を作る事が難しい状況だと思います。
本人はやれる事をやるしかない…と半分自分を納得させる事で、どうにか取り組んでいる様です。

業務は終わっても、直属の上司が離席していると挨拶が出来ないので帰宅出来ません。
そこまで信用されていないのだと、私は暗澹たる気持ちになります。

昨日は所属部の隣の席の部長から、「その感情的な態度がいけないんじゃないか」と指摘を受けたとの事。
本人は所属している直属の上司が怖いので、硬直している姿勢が隣の部の部長には、そう映る様です。
その上長の前では恐怖が勝り、硬直するのです。
また「仕事中に居眠りしたんだって?」と、その部長さんが知るはずのない事実を問われたとの事。
「居眠りなんかしていません」と身の潔白を毅然と返答します。
全社で問題児として、様々な場面で話題になっているのでしょう。

実はこの居眠り、派遣先ではありました。
それは本人も認めています。
社会人として、仕事中にあるまじき行為と反省し、眠くなる生活習慣を改めています。
この事をうっかりする事が無いように、しばらく本人は、仕事前に滋養強壮剤(〇〇ブル)を飲んでいました。
しかし、本社へ戻されてからはありません。

ところが、本社で資格の勉強をデスクで取り組んでいた際、下を向いていたので居眠りをしていると指摘されました。
本人は、はっきりと、その場で「していません」と否定しています。
そういうフィルターで見られる事が中心になっています。

同期入社で、派遣先から戻り、現在近くに座っている人がいます。
その人は、次の派遣先に向けて、勉強をしているとの事。
その人のとの比較で、本人は自分が置かれている立場を認識します。

同期入社の彼は、入社時から親切にしてくれているそうです。
「もう、続かないかもしれない」と、ため息交じり彼の前で話すことがありました。
その時、その彼は「絶対いけない」と言われ、励まされたそうです。

ここ数日は、考課を確認する面談が続いているとの事。
面談予定者が本社へ来て、順次面談を行います。
同じ同期入社の社員が派遣先から来た際の上長の対応、声のかけ方が違う事を本人も気づいています。

他の人は、予定の時間になると声を掛けられる。
自分は声をかけられない。
言われるのは嫌なので、本人は時間になったら面談予定の部屋へ行きます。

これもアスペルガー症候群の特徴的な部分でもありますが、上手に経過を説明する事が出来ません。
時間軸を体系立てる事が苦手です。
いつでも、今のなのです。
これまでの事、今の事、これからの事。
上手に体系だった話が構成出来ません。
相手が何の意図をもって、そういう話をされたのか、抽象的な事象ほど理解出来ない状況が続きます。

そこで本人はメモを取る許可を求めます。
すると、話に集中して欲しいので、ダメだと言われます。
そんな中でも、本人は大事だと思った事はメモを取ります。
「忘れてしまうといけないので、メモをしました」と、弁明しても通じません。

本人には、これまでの派遣先での反省を踏まえ、もう一度チャレンジしたい事を伝える様にアドバイスしています。

着地点の見えない話が始まります。
話が続きます。
上長はおそらく、どこに話を落としてよいのかわからない。
見えていないと思います。
わかっていながら思っている事は、ひとつだけ。

こいつ、辞めると言わないかな。

2024年4月 9日 (火)

アスペルガーの二男は今、厳しい局面にいます。

Akatsuki203

二男は厳しい局面にあります。

現在、ソフトウェアの会社に勤務しており、その仕事の大部分は派遣先での業務となります。
そこで、アスペルガー症候群の特徴でもありますが、周囲の環境との調和が難しく孤立しました。
それを応援してくれる人もいますが、知らなければ「変わり者」で終わってしまいます。

大学の研究室でもありましたが、全体の作業で自らが担う部分の認識が出来ず迷走します。
反対にここまで、いついつまでにの様な業務は、とてつもない集中力を発揮するので他人が驚く成果を上げます。

昨年の4月から都合2件の派遣先へ仕事へ行きました。
そこでは、仕事中に鼻歌を歌っているとか、居眠りしているなどの指摘を受けました。
二男の話を聞く限りでは(上手に状況を説明出来ないのも、過去から続く症例のひとつです)、意識していない事もあるし、現場で注意される事もある様です。
居眠りはしてないと本人は話しています。

本人の自覚は別として、短期間に新しい環境となる事は、他の方々よりも順応するまでに時間が必要です。
この事は的確に行動に反映されています。
慣れて落ち着くまで、気分がハイになり、自分の仕事の目処がつくと早合点して勝手に取り組みます。
その事が、直接の上長からは叱責の対象となり、本人は無自覚にしてしまっている事もある事から、よく理解が出来ません。

何か悪い事があると自責が強くなる事から、現場からのクレームに対し、同じ屋根の下にいる方々全員にお詫びをして回ります。
その際に、俺は関係ないとか、私はいなかったとの反応もあり、そのクレームの出所がわからない事にも困惑し、怯えていました。

ついには派遣先から撤収が決まり、事実上の戦力外通告をされ、本社事務所へと戻りました。
上長からは、「自分が何をやりたいのか、よく考えろ」といちばん苦手な余白のある命令を受けます。

本人は道筋見えなくなり、相談を受けましたので資格取得を提案しました。
今後に活かせる資格に挑戦。
他の人だと4カ月前後必要といわれる資格を、およそ1カ月で取得しました。

今後に活かせると思い、資格を取得し上長に報告しましたが「おめでとう」の一言。
その後、「求めていたのは、そういう事ではない」と叱責されました。

本人は混乱の極みです。
上長と話しをする事も嫌になっています。
明確な指摘なく、2時間前後の面談が続きます。

本当は、こういう事に気づいて欲しかったんだ…。
上長からは、後出しジャンケンが続きます。
その事で次は慮(おもんばか)ろうと、出来ない中で考えるので、混乱は更に増します。

就職に際して、アスペルガーの傾向がある事は、特に隠し立てをする事はありません。
取り組む業務の中で、何かひとつの事に集中出来れば能力が発揮できると考えていましたが、少し想像していた状況と違うようです。
通級の先生に「二男はアメリカで仕事する方がいい」と言われた事が、なんとなく頭の中で響き、繰り返されます。

いろいろな事を考えろ。
これを見て、感想を書け(その大部分は新入社員向けの、仕事への心構え動画との事)。
書いたその文書に、たっぷりお小言がついてきます。
仕事は何をするべきなのか、自分で考えろ。
なんとかひねり出し始めると、今はそれじゃないだろ。

会社の中で、二男の事を持て余している事がわかりすぎます。
二男も自分が戦力外通告となっている事を理解しています。
会社に行っても、取り組む仕事がないのは辛いでしょう。

出勤時はため息ばかり。
サザエさん症候群は繰り上がり、土曜日になると明後日は会社だと気持ちが沈みます。
切り替えが難しい状況です。

私のかかりつけ医は、ある企業で産業医を担っている事から、二男の事を相談しました。
診療内科医は相性もあるとの事。
薬の処方は慎重に判断されるが、吉と出るか、凶と出るかは、わからないとの事。

先週末、二男と転職を選択肢する事としました。
今度は間に立ってコーディネートしてくれる人がいます。
ありていに自分の状況を話し、よい仕事と出会う事を考えなければなりません。

本当に難しいです。
この事は続きます。

2024年4月 8日 (月)

近頃親父が、昔の事を話す事があります。

Akatsuki203

戦中の生まれである親父は、時々思い出したように幼い頃の話をする事があります。
親父は男3人、女3人の6人兄弟の末っ子でした。
第一子の長女と親父の間は、かなり年の差があったと思います。

第2子の長男は昭和一桁生まれです。
戦争は身近なものであり、まもなく自身が徴兵されるという思いもあった模様です。
親父ですら軍国少年教育で、大きくなったら兵隊になって英米をやっつけるんだ…と教育されていたと話しを聞いた事があります。

長男と親父は、その年齢差が10歳ぐらいあります。
ある日、長男が親父(ややこしい)と問答になったそうです。
私からすると叔父なので、以後は叔父と書きます。

叔父:俺の魂はここにある。ここに帰ってくる。
親父:魂って何だ?どこにあるんだ?
叔父:ここだよ(自身の胸を叩くしぐさ)。
親父:そこは心臓でしょ?
叔父:ここにあるんだよ。
親父:よくわからないよ。

叔父は戦争で生きて帰れなくなる事を、感じていたのだと思います。
亡くなって自分の身体がここへ帰ってこれなくても、魂は必ずここに帰ってくる。
そういう意味で言ったのでしょう。
幼かった親父に、この事を話しても理解は出来ません。

叔父が出征する前に、戦争は終わりました。
これは別の日の話ですが、叔父は幼い頃より刷り込まれた価値観の大転換を、はからずも自らの意思でなく、迫られる事となりました。
親父は叔父がその事で、生きる事それ自体に悩んでいたのではないかと言った事がありました。

しかし、兄弟問答は親父が正解だと思います。
確かに魂は、生き続けます。
私も亡くなった方から、その生きざまと思いを心に刻んだ事があります。
その思いが伝わって行く限り、その思いは、その魂は永遠でしょう。

でも、幼い親父が思った通り、魂のある場所も、魂が帰ってくる事もわからない。
だから、生きていなければならない。
魂がある場所を、その音を、ぬくもりを感じられなければならない。
私はそう思うのです。

次は自分の番だ。
そう思いながら生きていた叔父の心と思いは、想像を超えた範囲だと思います。
それは、家族と幼い親父に自らの死を悼む気持ちを少しでも和らげる事。
きっと自分の心と思いに、折り合いをつけねばならなかったのでしょう。

近頃親父が、昔の事を話す事があります。

2024年4月 4日 (木)

相手の話が終わるまで、我慢できますか?

Akatsuki203

誰でもが、自分の心に土足で踏み込まれば不愉快です。
誰かを傷つける事も嫌だけど、傷つけられる事は嫌です。

人によって差のある事ではありますが、自らの心を守る障壁があります。
壁が高い人。
壁が低い人。
城壁の様な人。
壁の前に例えば堀があって、守りが鉄壁で、容易に壁が越えられない人。
例えれば、様々です。

言葉を変えて、心の壁を考える基準とした場合。
私もそうですが、フィルターがあります。
こういう発言をする人は、こういう傾向かな…。
この態度の人は、こんな反応がかえってくる…。
過去の経験から、こんな話をするのかな…。
仮説があって、検証があって、判断がある。
なんだか、ビジネス本みたいですが、そんな理解のパターンがあります。

ところが、互いに分かり合う事をゴールに、様々な作業をすると思い違いの事が多々あります。
でも、男女の事なら、デートを重ねる事に相手の新しい魅力に気づくなんて、たのしい部分もあります。
しかし、こうだとおもっていたのに…という予測と反する事は、気持ちが良くない事の方が多い気がします。

誰でもが、自分の心に土足で踏み込まれば不愉快です。
誰かを傷つける事も嫌だけど、傷つけられる事も嫌です。

不安を解消する側面でも、予測と見込みは必要です。
でも、予測が悪い方で、やっぱりね…と思うのは残念です。
そんな感じではないと思っていたのに…と思うのが良い方向でも、本当にそうだろうかと不安の種は残ります。

自分を守る事は本能でもあるので、誰もが否定できない事です。

亡くなったアントニオ猪木さんは政治家だった時に、他の政治家が会う事が出来ない人と会談をしていました。
そんな時のエピソードを聴いた事があります。

先ず、徹底的に相手の言い分を聞くのだそうです。
それが2時間でも、3時間でも、1日でも。
それが終わってから、初めて自らの話を始めるとの事です。

ディベートとか、会議とか、商談とか、言われた事に負けない様に、即座に反論します。
短い時間だとなおさらに、自分の主張を通す、強烈なメッセージ発信をします。
それに対し同じ気持ちなら、その攻勢に対し応酬したくなるのが気持ちです。
前述通り、誰でもが防衛本能があるので、言い訳であろうと、何であろうと、言われるがままでは…と思ってしまいます。

アントニオ猪木さんが相手の話を、先ず否定も肯定せずに聞く。
相手側は話を聞いてくれたという事実で、受け入れの階段を上り始めます。
聞いてくれた。
この評価が相手に対して、安心と評価、受け入れのスタートです。
お前の伝えたい事、言いたい事は何かと、相手が言えばスタートラインはゴールに近いところにあります。

相手を否定せずに言い分を聞く事は、関係が変わっている事の証です。
「相手を信じる」「決めつけない」「話を聞く」と相手に感じてもらえれるならば、会話はスムーズですよね。
アントニオ猪木さんの姿勢は、この要素が強いのだと思います。

自分を守る壁がないと自分の居場所を失い、不本意で辛い思いをする。
ウィルスも勿論、弱っている心の隙間に入り込むウィルスにも、どうしても警戒してしまいます。
自分のアイデンティティがある場所へ、ズカズカと入り込まれるのは嫌ですよね。

「怒らないから何でも言って」は自分の経験から、信用してはいけないと思っています。
実現は難しいですが、「相手と相互の信用」が確立されている。
自分だけの尺度で、物事を「決めつけない」「相手の話を先ず聞く」が、心を守る障壁を低くする要素ですね。

男女の関係、親子の関係、会議に商談。
内容は違っても、人と人が合意形成をする事です。
繰り返して来た道です。
しかし、これほど難しい事はないです。

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