生きている時間を輝かせることだと思う。

死を考えること、意識することは、生きている時間を輝かせることだと思う。
入棺体験をした人からは「蓋が閉まった瞬間、家族のことが思い浮かんできて自然と涙があふれてきた。絶対死ねないと思った」(40代女性)などの声があったそうだ。
「少し生きることに疲れたタイミングで入棺体験をした人から、生き返った気がしてポジティブになったという声をもらったことも入棺体験を流布させる目的の一つになっている」と布施さんは話す。死を「疑似体験」することで生きることを強烈に感じられるのかもしれない。
2次元や3次元の、メディアを通した視覚・聴覚中心の体験ではなく、文字通り自分で実際に「体験」すること。
今年は、その意味と重要性が、様々な場面で問い直されると思う。[日経MJ2023年1月27日付]
コロナ下のリモート葬と「入棺体験」 見つめる生と死
奔流eビジネス(流通ウオッチャー 村山らむね氏)
少し前ですが、児童生徒を対象にした死に関する意識調査がマスコミで報道された事がありました。
内容は「死んでも生き返る」と思っている児童生徒が一定数いる。
それはゲームなどの影響だと、かなりセンセーショナルに伝えられていました。
兄弟が生まれる、祖父母の別れに立ち会う。
こういう経験が減少しており、死を考える事がないのが、ひとつの原因であるとの分析がありましたね。
明日、何が起こるかわからない。
意識しないだけで、我々は何時もそんな環境におります。
しかし、予定を立てます。
何時も今日限りと、そんなに刹那ではありませんよね。
明日も、今日と同じ明日が来ると考えます。
今日を終え、明日を迎えられる喜びを常に意識するのは、かなり稀だと思います。
言葉ではない、身体で感じる感覚の事を考えます。
触れた手の温かさ。
触れられた手の温かさ。
殴られた痛み。
殴る手の痛み。
幼いころにケンカした時の痛みや、心の切なさ。
好きな人が出来た時の気持ち。
さびしいとか、哀しいと感じる時の気持ち。
自分が大切にされた時の喜び。
誰に教えられるのではないですが、経験が人を作って行く部分があるだろうなと思います。
冒頭の引用記事にある「入棺体験」は、死を「疑似体験」するので極みに近いですね。
「生」の対極にある「死」を意識する。
いつも、すぐそばに、大きな口を開けて待っている「死」を意識する。
誰も彼岸から戻ってきて、こうだったよと説明する人がいません。
人には永遠に知り得ない事であり、だから今を生きようと思う気持ちを保ち続ける原動力とする、神様の仕掛けです。
誰もわからないのに、それをいい事に、人の不安につけ込む事は、人としてさびしい…ですね。
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