昨日までがあり、今日があり、その時があり、明日があります(土門拳記念館)。
文中、敬称略としております。
以前から、土門拳記念館を訪れてみたいと思っていました。
土門拳の子供を撮影した写真を、書籍で見た事があり、その被写体に対するまなざしに何か表現できない温かみを感じていました。
先日、その機会が訪れました。
残念ながら、飛行機のフライト時間とにらめっこしながらの忙しい予定となりました。
やはり来てよかった。
その建物から美しい。
展示は予習もせず、予期しなかった機会にウキウキして参りました。
土門拳記念館
http://www.domonken-kinenkan.jp/
井伏鱒二の「黒い雨」を読んだ時の事です。
映画やドラマ化された映像を断片的に記憶しており、そのイメージが大変強かったのです。
しかし、小説を読んだ時は、まったく断片的に見た映像とは違う所感でした。
小説は淡々と物語を続けます。
その静けさと続く日常を感じさせる事が、私には強烈な印象を残すのです。
未曾有の新型爆弾であった原子爆弾が投下され、原爆攻撃が行われた時、その事実を確認する術はなかったと思います。
人類の歴史になかった事である事。
当時は現在の様に、情報の伝達スピードが速くない事。
その手段が限られる事。
小説の中で、広島市と連絡が途絶した事について、翌日の予定を気にする人がいます。
自分の仕事に支障が発生すると困ると考えるのです。
この小説の怖さは、この静けさの中にあると感じたのです。
続く日常。
昨日までがあり、今日があり、その時があり、明日があります。
それを突然、断絶された人がいます。
それを突然、昨日までと違う日々へと強制させられた人がいます。
それを突然…。
誰でもが当たり前に来ると思っていた明日を、そうではない。
誰もが、予測も予期もしていない、惨劇に断絶されるのです。
読者にそれが、あなたも例外ではないと静かに思わせるのです。
この静けさが、恫喝するよりも、恐ろしさを感じさせるのです。
そして、日常が、これまでの日々が繰り返されます。
でも、違います。
黙っていても、どんなに拒否しても、明日が来ます。
時間が同じように訪れても、生きなければならない人は、その時からもう違います。
静けさの中に、人間を看過せず流れて行く時間の恐ろしさを感じます。
そして企画展示は、その事を認識させるには、十分な展示でした。
明日を断絶された人の、悔しい思い。
遺品の写真に思います。
いつか治癒すると思いながら、終わりの見えない傷との闘いの日々。
治療をしている写真の方の表情に思います。
無常に時間が流れて行きます。
昨日までがあり、今日があり、その時があり、明日があります。
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