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2020年5月28日 (木)

人の生きる奥深いところを覗き込むような怖さ

Akatsuki023

 

人生の深淵というか、人の生きる奥深いところを覗き込むような怖さと申しましょうか。

 

小学5年生の時、友達のお父さんが聴いていたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を聴いた時の衝撃。
その友達のお父さんは当時の共産圏を相手に商売をしており、ソヴィエト連邦(当時)などに出張をしている方でした。
彼の家には自分の家では見た事が無いような代物が多くありました。
お父さんは不在の時でした。
どういう経過かは記憶にないのですが、そのレコードを聴いたのです。

 

衝撃でした。

 

当時からどう想像を巡らせても、それが何かの景色や自然現象の描写ではなく、心模様である事は想像ができます。
なぜ、こんな構成で、なぜこんなメロディなのか。
そんな考えや様々な思いが頭の中をめぐりました。

 

今でも聴くには覚悟がいりますが、この交響曲が大好きです。

 

偉大な音楽家の心の深淵は、凡人には理解できる範囲を超えているので理解は出来ません。
人生の深淵に何を見たのか。
それは、誰でもが耐えられる事なのか。
言葉でも、音楽でもそれを表現する事ができるのか。
とても怖くもなります。

 

シベリウスの交響曲第7番も同じ事を感じた事があります。
所用を済ませての帰り道、黄昏時に大きな公園を歩いて戻るその時、ちょうどウォークマンから流れてきました。

 

トロンボーンが吹奏する主題が表れる時には、黄昏時と相まって、とてつもない寂寥感でした。
そこにもシベリウスが垣間見た人生の深淵があるような気がしました。
それは交響曲第8番を着手したけれど、途中で断念したエピソードが加わり、奥深さを余計に感じるのです。

 

シベリウスの交響曲第7番も大好きです。

 

多くの他の楽曲に様々な思いを感じますが、シベリウスの交響曲第7番のトロンボーンの音を思い出し書いた次第です。

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